女性の涙は美しいものです。
とりわけ、純粋無垢な少女の涙ほど、人の心を動かすに勝るものはありません。
…と書くと、昨今のご時世何を言っているんだと思われてしまうかも知れませんね。
しかし、そうは言っても長い歴史の中で育まれた人の心緒とは、早々簡単に変わりません。それこそ多くの史実において、また歌や詩や舞台の中でも、女性の涙が人の心を動かす例はいくらだって見つかります。具体的には思い出せなくとも、事実・フィクション問わずそんなエピソードを聞いたことがある方は多いでしょう。
私が女性の涙と聞いて思い出すのは、尾崎豊の「傷つけた人々へ」です。
氏のファーストシングル「十五の夜」はあまりにも有名ですが、そのカップリング曲として収録されていたのが「傷つけた人々へ」でした。
歌詞の内容は、自身のことを不甲斐ないと思い込んだ主人公が恋人への申し訳なさから別れを切り出すものの、恋人が流す涙を見たことで自分の浅はかさと本心に気付いて改心する、という曲です。
文章にすると至ってシンプルですが、もしも楽曲を聞く機会があれば聴いてみて下さい。
聞いた人の数だけ様々な解釈ができる作品です。私は初めて聞いた時、早世した天才の純粋さに驚き、暫く何度も繰り返し聴いていました。
さて、余談になりますが私の祖父のお墓がある霊園には、尾崎氏のお墓があります。(もっともここには納骨されていないそうですが)
下の写真は今年のGWにお墓参りに行った時に撮ったものですが、毎年命日の時期になるとご覧の通りファンの方々が持参したお花が多く手向けられています。(撮影時はお参りしている方がいらっしゃったので写真は遠目&加工しております)

さらに余談ですが、亡くなった直後の数年間は命日になるともっと多くの花で溢れておりました。
祖母から有名な歌手のお墓だと聞いてはいましたが、当時の私は「尾崎豊」という存在に興味がなく、ようやく彼のことを知り始めた20代になってからカリスマの墓所だということに気付きました。
無知とは恐ろしいものです。関心がなければ今も気に留めずにいたことでしょう。
最初にそのことを教えてくれた祖母は、令和元年12月にシャドーハウスが大ブレイクした数日後に永眠しました。今は天国で、半世紀前に旅立った祖父と仲睦まじく過ごしているのかな、と孫としては思っています。
ところで、尾崎氏の墓所には遺作のアルバム「放熱への証」の冒頭に書かれていた「生きること。それは日々を告白していくことだろう」という詩句が刻まれています。
この言葉がどのような意図で書かれたのか今となっては知る由はありません。
ただ、生粋のアーティストであった彼にとって、毎日を過ごす中で起こった出来事や感情を言葉にして伝えていくことは、生きることと同義だったのかも知れないなあと、そう捉えています。
しかし、それは彼がアーティストだからこそです。
庶民にとって日々自分の身の周りで起こった全てを言葉にする意味などありませんし、それこそ言語化しない出来事の方が遥かに多いことでしょう。大抵の事象は、言葉にするまでもないものばかりです。
ですが、それは時として必要な言葉さえも心の奥に秘めてしまうことになりかねません。そんな過ちも、悲しいかな現実世界で多く散見されます。
そして、それはシャドーハウスでももちろん例外ではありませんでした。
此度のエピソードでは、「告白」をないがしろにしてしまったが故にすれ違い、そして少女の涙によってようやく誤解が解けた救護班の様子が描かれました。続きを読む
とりわけ、純粋無垢な少女の涙ほど、人の心を動かすに勝るものはありません。
…と書くと、昨今のご時世何を言っているんだと思われてしまうかも知れませんね。
しかし、そうは言っても長い歴史の中で育まれた人の心緒とは、早々簡単に変わりません。それこそ多くの史実において、また歌や詩や舞台の中でも、女性の涙が人の心を動かす例はいくらだって見つかります。具体的には思い出せなくとも、事実・フィクション問わずそんなエピソードを聞いたことがある方は多いでしょう。
私が女性の涙と聞いて思い出すのは、尾崎豊の「傷つけた人々へ」です。
氏のファーストシングル「十五の夜」はあまりにも有名ですが、そのカップリング曲として収録されていたのが「傷つけた人々へ」でした。
歌詞の内容は、自身のことを不甲斐ないと思い込んだ主人公が恋人への申し訳なさから別れを切り出すものの、恋人が流す涙を見たことで自分の浅はかさと本心に気付いて改心する、という曲です。
文章にすると至ってシンプルですが、もしも楽曲を聞く機会があれば聴いてみて下さい。
聞いた人の数だけ様々な解釈ができる作品です。私は初めて聞いた時、早世した天才の純粋さに驚き、暫く何度も繰り返し聴いていました。
さて、余談になりますが私の祖父のお墓がある霊園には、尾崎氏のお墓があります。(もっともここには納骨されていないそうですが)
下の写真は今年のGWにお墓参りに行った時に撮ったものですが、毎年命日の時期になるとご覧の通りファンの方々が持参したお花が多く手向けられています。(撮影時はお参りしている方がいらっしゃったので写真は遠目&加工しております)

さらに余談ですが、亡くなった直後の数年間は命日になるともっと多くの花で溢れておりました。
祖母から有名な歌手のお墓だと聞いてはいましたが、当時の私は「尾崎豊」という存在に興味がなく、ようやく彼のことを知り始めた20代になってからカリスマの墓所だということに気付きました。
無知とは恐ろしいものです。関心がなければ今も気に留めずにいたことでしょう。
最初にそのことを教えてくれた祖母は、令和元年12月にシャドーハウスが大ブレイクした数日後に永眠しました。今は天国で、半世紀前に旅立った祖父と仲睦まじく過ごしているのかな、と孫としては思っています。
ところで、尾崎氏の墓所には遺作のアルバム「放熱への証」の冒頭に書かれていた「生きること。それは日々を告白していくことだろう」という詩句が刻まれています。
この言葉がどのような意図で書かれたのか今となっては知る由はありません。
ただ、生粋のアーティストであった彼にとって、毎日を過ごす中で起こった出来事や感情を言葉にして伝えていくことは、生きることと同義だったのかも知れないなあと、そう捉えています。
しかし、それは彼がアーティストだからこそです。
庶民にとって日々自分の身の周りで起こった全てを言葉にする意味などありませんし、それこそ言語化しない出来事の方が遥かに多いことでしょう。大抵の事象は、言葉にするまでもないものばかりです。
ですが、それは時として必要な言葉さえも心の奥に秘めてしまうことになりかねません。そんな過ちも、悲しいかな現実世界で多く散見されます。
そして、それはシャドーハウスでももちろん例外ではありませんでした。
此度のエピソードでは、「告白」をないがしろにしてしまったが故にすれ違い、そして少女の涙によってようやく誤解が解けた救護班の様子が描かれました。続きを読む
