来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

106話

第106話を読んで考えたこと・思い出したこと

1か月半の休載期間を終え、とうとう今夜シャドーハウスが再開しますね。

非常に気になるところで終わった上に、連載以来初の長期休載とあってかネット上では“珈琲切れ”で耐えられないという声が相次いでいました。アニメ第8話の「“特殊ED”=“特殊エドワード”」ではないですが、ネット上でのこういう洒落た言い回しも現代ならではですね。作品の世界観とは裏腹に、シャドーハウスとデジタルは相性がいいようです。

さて、ところで今回の休載期間中にいくつか考察記事を上げましたが、肝心の第106話についてはほとんど触れずじまいでした。

これについては、他にも上げる記事が色々あったからというのもありましたが、私自身あの106話について少し考えたいことがありましたので、冷静になってから記事にしようと思っておりました。

ところがそうこうしているうちに、あっという間にひと月半が経ってしまいました。当初は先が見えないほど長いと感じていたのに、今日を迎えた今は「もう!?」という気分です。

ただ最近のエピソードを見る限りですと、ぼさっとしているうちに次々と種明かしが行われそうな勢いです。

そこで本記事では、第106話を読んだ直後に私が感じたことと、それに伴い思い出したことを書いていきたいと思います。


では最新話のネタバレになりますので、続きよりお願い致します。



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シャドーハウスと宗教について気になっていたこと

実は、シャドーハウスを読み始めた時から気になっていたことがあります。

それは“十字架”がどこにも見当たらないことです。

欧米をモデルにした世界観ならば、必ずと言っていい程見かけるキリスト教のシンボル。それがシャドーハウスでは全然描かれていないんですよね。

大抵欧米を舞台にした創作作品であれば、十字架を目にする機会はかなり多いです。それどころか、和風の世界観を持った作品でも十字架が出てくればあら不思議、あっという間にヨーロッパ風味のエキゾチックな世界観に様変わりです。
(※世界のキリスト教の分布図を見ると、必ずしも欧米だけではないですが)

また、あらゆる文化が混在した作品でも、十字架を身に付けたキャラクターがいれば敬虔な信者と相場は決まっています。流行りの“ギャップ萌え”ではありませんが、屈強なガタイの良い男性キャラが実は信心深い心の持ち主であることを示すために十字架を首からぶら下げている、なんていう描写もあったりしますよね。

“十字架”という存在は宗教だけにとどまらず、文化や国柄・人柄を示すキーアイコンでもあるのです。


ところが。

シャドーハウスでは欧米がモデルであれば大抵見かける、そのキーアイコンが全然見当たりません。

室内にも屋外にも、登場人物の服装にも全く見当たらないのです。

そのことに気付いた時、そういった“記号”(十字架)を作中に全く登場させていないのに、読者に欧米を連想させたシャドーハウスという作品の凄みに私は感嘆していました。背景と脚本だけでこの世界観を作り上げたソウマトウ先生のテクニックは類まれなものだと思います。

そしてその観点から見た場合、シャドーと生き人形の心の拠り所とは何かという話になるわけですが、それはもちろん“偉大なるおじい様”です。彼こそがシャドーハウスという館における絶対的な存在、崇拝対象なのです。


しかし、ケイトとエミリコが出会ったことによって、そんな“偉大なるおじい様”に対抗する人物が次々と登場することとなります。


エミリコを誰よりも大切に想うケイト、
“パンちゃん”という大切なものを手に入れたエミリコ、
ケイトを愛してやまないジョン……。


この3人以外にも反旗を翻した人物はいますが、彼ら彼女らに共通するのは“偉大なるおじい様”以外の存在を大切に想う心です。つまりシャドーハウスとは、主人公たちが閉鎖空間の因習から脱却し、そして本当の自分自身を手に入れるための物語なのです!!


ところが。

この記事を一番最初に構想していたのは平成末期の2019年4月頃だったのですが、それから2年経とうかという頃にそれを覆す描写が見つかりました。

2月10日に公開された、第90話のとあるシーンです。

そして、それはひょっとしたら『シャドーハウスとは一体何か』という謎の一端を解き明かす、一つのピースになるのではないかと思いました。


今回の記事では、館の建物に焦点を当ててシャドーハウスの謎に迫りたいと思います。

最新話の第106話までのネタバレを含みますので、未読の方はご注意下さい。



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第106話 わたしの名前

「名前」とは不思議なもので、それを知っているだけで相手のことが分かった気になるものです。

逆に、相手の趣向や来歴を知っていたとしても、名前が分からないと何だか落ち着きません。本質には関係がなくとも、対象となる人や物を判断するにあたって名前は重要な基準となるのです。それだけ世間では「名前」というものは重視されています。


古来、「諱」という文化が我が国にありました。

詳しく話すと長くなるので内容は調べて頂きたいのですが、要は貴人が自身の身を守るために本名を他人に教えない、という風習です。これは言霊信仰にも関わってくるのですがそんな難しく考える必要はないでしょう。脅威から身を守るために本名を隠すのは理に適っています。

現代で言えばインターネット上でハンドルネームを用いるのと同じようなものです。
そう考えると、世界的にはFacebookが普及しているのに対して我が国ではTwitterの方が利用者数が多いのは、本名をできるだけ明かしたくないという習慣が日本人には沁みついているからなのかも知れませんね。(考えすぎか……)


それはともかく「名前」は人の存在を証明する一つの手段であることに変わりありません。

そういえば、スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」でも主人公の少女は名前を奪われていました。そしてその名前を取り戻すことが本映画の重要なストーリーとなっています。それだけ「名前」は特別な“持ち物”なのです。


シャドーハウスにおいても「名前」は物語に大きく関わっています。

アニメでは初回にケイトがエミリコに名前を付けるシーンが描かれました。
漫画でも第24話でケイトがエミリコに名前を付けた理由が感動的に描かれています。

また、エミリコだけではなく各登場人物の名前も様々な工夫が凝らされています。

それを見ていると、ソウマトウ先生のキャラクター達への思いがこれでもかと伝わってきます。だからどのキャラクターも魅力的なのでしょうね。シャドーハウスがなぜ読者の心をつかんで離さないのか、その理由の一つが分かった気がします。


しかしここ数話で、名前の由来が分からない人物が急にクローズアップされてきました。


もう一人の重要人物・ケイトです。


シャドーハウスの物語が幕を開けて以来、主人公のエミリコと共に活躍してきた彼女。

他のシャドーとは一線を画すケイトの姿は、エミリコが敬愛し、ジョンが恋心を寄せ、ショーンにさえ「不思議な魅力のあるお方だ」と言わしめるほどです。

最初は警戒していた読者の方々でも、今もケイトに対し疑いを持つ人は少ないのではないでしょうか?


しかし、読者が当初抱いていた違和感は正しいものでした。

「私(ケイト)にはやることがあるのに…!」「秘密をすべて話すわ」

事あるごとにそう語っていたケイトには、秘してきた決意があったのです。


誰も知らない彼女の正体。

それはケイトの「本当の名前」に隠されていました。


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