来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

第249話 宿敵【感想】

ちょっとお見苦しい画角で申し訳ありませんが、こちらは横浜みなとみらいの赤レンガ倉庫です。

赤レンガ倉庫

本当はもっと全体を映したかったのですが、この日はオクトーバーフェストが開かれていた上に、シルバーウイーク唯一の快晴とあって大混雑していてこれが精いっぱいでした。
(真ん中下に警備棒が写っているので大体想像できると思います)


もっとも私はといえば、赤レンガ倉庫に用があったわけではないんですけどね。

この日は学生時代の友人と会うために横浜を訪れていたのですが、せっかく来たのだからと早めに到着してみなとみらいを観光してました。

観光ルートは、山下町で下車して元町通りと代官坂を散歩し、そこから山下公園へ足を伸ばして氷川丸を見学し、さらに北上して赤レンガ倉庫を横目に見ながら日本丸メモリアルパークを目指し、日本丸と汽車道を撮影して、桜木町駅から横浜駅へ戻るという道のりです。


平たく言うと、艦艇巡りと名探偵プリキュアの聖地巡礼ですね。


赤レンガ倉庫もいい場所なのでスルーしてしまったのは残念でしたが、横浜は何度でも行きたいくらい魅力的な街ですからきっと今後も機会はあるでしょう。その暁には時間を取ってしっかり見学したいものです。


ところで赤レンガ倉庫の何がいいのかと言いますと、レトロな外観もそうですが、何よりも当時の技術の粋を結集した建造物だという点です。

ご存じの通り横浜は我が国の玄関口として重要な港ですから、明治の開国時は日本の顔ともいえる場所でした。そのため諸外国に引けを取らないよう最先端の建物を建てたんですよね。

加えて、倉庫という物資を大量に保管する施設故に、セキュリティ対策も万全である必要があったため、ありったけの設備が備え付けられました。

それらの詳細は「横浜赤レンガ倉庫1号館について」に譲りますが、避雷針やエレベーター、スプリンクラー・防火扉等が完備されていたそうです。なるほど、確かに姿形は違えど現在の設備と遜色ないですね。違いという違いは、コンピューターによる制御の有無くらいでしょうか。赤レンガ倉庫は、当時の事を伝える貴重な文化遺産なのです。


さて、一見シャドーハウスと関係ない話題に思えますが、一点だけ本話と関係があったりします。

偉大なるおじい様が不在の中、「3階」の大部屋に佇むケイトとアンソニー。

形勢不利なケイトを救ったのは、かつての赤レンガ倉庫にも備え付けられていた「スプリンクラー」でした。



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第248話 幸せな結末【感想】

先日、「超かぐや姫」というアニメ映画を見に行きました。

超かぐや姫

普段は映画自体をあまり見に行かないのですが(数えてみたら人生で映画館で見たのは17作品のみ)、今年2月にワールドベースボールクラシックを視聴する都合でネットフリックスを契約していたところ、話題作品として配信されていた「超かぐや姫」を姉が見たらしく「この映画知ってる?」と話を振られたことから、この作品の存在を知りました。
(なお、姉は当時配信されていた話題作は一通り見たそうです)

そしてその話をアニメに詳しい会社の同僚にしたところ「ボーカロイドやVtuberに慣れ親しんだ人なら楽しめるけど影野さんはどうかなー?」なんて言われはしたものの、そういったサブカルチャーに疎い姉でも楽しめたと言っていましたので、じゃあたまには映画鑑賞もいいだろうと軽い気持ちで行ってまいりました。


感想はといいますと、一言で言って最高でした!


正直甘く見ていましたね。

確かに、映画の主要な部分は仮想空間やアバターといったSF的な要素が絡み合う上に、ボーカロイド発祥の楽曲が挿入歌として用いられているらしく(同僚談)、そうした知識があった方が楽しめるのかも知れません。

しかし、端的に言えば本作品は主人公・彩葉(いろは)の成長物語かつ、彩葉と月からやってきた少女「かぐや」との友情物語を、現代風にアレンジした竹取物語で味付けしたストーリーなんですよね。

成長物語や友情物語は言うなれば“王道ストーリー”ですから、現代サブカルチャーに詳しくなくとも楽しむことは可能ですし、何なら古典の竹取物語で書かれている仔細な部分が「超かぐや姫」でも描写されていて、私はそちらの方が驚きました。同僚や後輩にその話をしたら両名ともそうした点には気が付かなかったとのことで、色々な楽しみ方ができる時点で「超かぐや姫」は素晴らしい作品と言えるでしょう。他にも色々気付いたことは多々ありますが、これ以上語ると長くなりますのでひとまずこの辺にしておきます。


ところで、一つだけ最後に語らせていただきたいのが、「超かぐや姫」は“ハッピーエンド”を追求した作品だということです。

作中でも、現実の竹取物語のラストに不満を持った少女かぐやが、それならとハッピーエンドを掴むために彩葉を振り回していますが、当初は戸惑っていた彩葉もそれに触発されて自分の願いのために動き始めます。

また、私が一番感銘を受けた描写として、かぐやが過去の時代を過ごしてきたシーンがあります。

ここではかぐやが各時代で様々な人々と関わり合いながら生きている様子が描かれていましたが、この描写があることで、かぐやが憧れた地球の生活は現代の日本であり、かぐやが輝く場所は21世紀の世界だったことがはっきりと暗示されています。

反面、では過去の時代が不幸だったのかというとそうではなく、かぐやが関わる人々は各々の時代で楽しんでいたり、或いは逞しく生きていたり、または幸福な世界に憧れつつも自らの境遇を受け入れるなど、色々な人間模様が描かれていました。

そんな時代を経て彩葉とかぐやが再会し、彩葉が自らの願いのため突き進んでいく終盤は圧巻です。見ていて非常に心地良かったです。

様々な要素を取り入れられつつも、「めでたしめでたし」で終わるラストはエンターテイメントとして最高の締め括りだと感じました。

2月の上映開始から半年を経て現在は全国で再上映中ですが、もしも興味のある方はご覧になって下さい。人を選ぶ作品かも知れませんが、個人的には良作だと思います。


さて。

シャドーハウスとは全く関係のない話をしてしまいましたが、奇遇にも第248話も、幸せを求めるある少女の物語が描かれていました。


しかし、その結末は正反対です。


「めでたしめでたし」の文字がこんなに冷たく、重苦しく響くことはそうそうありますまい。



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第247話 停戦要求【感想】

世の中難しいもので、平和安泰な暮らしを望んでいても大抵叶いません。

皆が仲良くできればそれに越したことはありませんが、人間三人集まれば派閥ができるなんて言葉があるように、少人数でさえいがみ合うことも珍しくないのが人間です。

ましてや大人数、民族や国同士が努力なしに恒久的な平和を享受するなど夢のまた夢でしょう。

そもそもどんな状況でも対立が生じないのなら、その集団同士はとっくのとうに統一されているに決まってますからね。国境や境界線は、異なる価値観を持つ集団同士がうまく付き合っていく上での最低限の妥協点であり、皮肉にも昨今取り沙汰される"多様性"の形の一つでもあります。

悲しいかな、安定した人間関係(社会)を実現するためには互いが互いの価値観を尊重するのはもちろん、それぞれが一定のラインで線引きするのもやむを得ませんからね。人間の私利私欲は理性で解決しきれるものではありませんから、むやみに入り込まないのが寛容です。そしてそれが棄損されないためには物理的な力も必要ですし、時には集団同士の衝突も辞さないこともままあります。

そうした絶妙なバランスを保って紡がれてきたのが、今日までの人類の歴史です。


さて、それをシャドーハウスに当てはめるとしたら、ケイトの行動はまさにそれですね。

詳細はネタバレになりますので伏せますが、ケイトは本来なら祖母である一人の女性と共に平和に暮らすはずでした。

しかし運命のいたずらか、紆余曲折ありケイトはシャドーハウスに身を置くことになりました。

一つは自分が何者であるかを知るため。二つ目は自分という存在を取り戻すため。

そして三つ目は、これ以上命が失われるのを防ぐためです。

片やシャドーハウスという場所を死守するために多くの犠牲を厭わない館側、片やそれを良しとせず立ち上がるケイト。

傍目から見れば倫理上はケイトに理も義もありますが、しかしながら館側もそれはそれで救われている者がいるというややこしい現実があり、ケイトはそのために仲間を集め力を蓄えてきました。

さらにはそこにサイコパスが加わり、三つ巴の戦いが今繰り広げられています。


しかし、互いが正義のために戦っているからといって、悲惨な現実に目を背けるわけにはいきますまい。

膠着する戦線をなんとかそこで押し留めて「停戦」に持ち込んだのは互いの武力あってこそでしたが、損失はあまりにも多大でした。





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