来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

2024年06月

第197話 アンソニー【感想+後半考察】

計画通りに行動をする。

これができる人も、そうでない人も多くいらっしゃるかと思います。

因みに私は出来ない部類の人間です。本ブログをご覧の方は何となく察してはいたかと存じますが、生来の気質と言いますかどうもスケジュール通りに行動するのが苦手です。それもあってか今もこうして最新話ギリギリに各話感想を書いております。(ホントどうにかならんかね……)


しかし、計画通りに行動できる方からすれば、私のような人間など理解できないといった気持ではないでしょうか。

シャドーハウスで言えばそうですね、エドワードなんかはその典型でしょう。彼はケイト達のお披露目の際に様々な画策を企てていました。試験官という立場を利用し、出世のため計略を張り巡らせていたのです。第36話では「私の完璧な世界に狂いは許さん」とまで言っています。



その第36話のエピソードがアニメで描かれたのは一期第8話です。サブタイトルは「手のひらの上」でした。この回では特殊エンディングとしてBGM「私の完璧な世界」が流れて話題になっていましたね。もう三年も前です。何だか懐かしいです。
(そういえば原画展のご挨拶でソウマトウ先生が触れておられた第35話の「見えないから私は想像したいんです」も第8話に収録されています)(あと福岡会場は一昨日閉幕でしたね。関係者の皆様お疲れ様でした)


ところが、そんなエドワードの謀略はイレギュラーなコンビに阻まれます。

我らが主人公・ケイトとエミリコです。

知略と人望を併せ持つ二人の少女の存在が、お披露目で大番狂わせを呼び、同期達を結束させ、やがてこどもたちの棟をまとめあげるまでになりました。そして今もエドワードの目の敵として、ケイトとエミリコは立ちはだかる壁となっているのです。

逆に、ケイトとエミリコから見れば、エドワードは大人たちを攻略するにあたっての第一関門と言えましょう。その先にいる重鎮達や偉大なるおじい様を倒し、ケイトの目的を達成するためには避けては通れない存在です。


しかし、シャドーハウスはそんな単純な二局面だけの闘いではないことが此度明かされました。

ケイトとエミリコ以上にイレギュラーな存在だった、アンソニー。

彼はエドワードとは比較にならないほど、高い計画性で暗躍していたことをケイトに告白します。

その衝撃的事実は、シャドーハウスという物語が持つ時間軸を大きく広げるものでした。

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第196話 クリストファー様【感想】

名高い「復活」といえば、やはりキリスト教における"イエスの復活"でしょうか。

キリスト教といえば真っ先に思いつくのが十字架ですが、イエスが磔刑によって人類の原罪を背負ったとされることから、救済のシンボルとして十字架は最重要視されています。(なんか前にも似た話してますね→「シャドーハウスと宗教について気になっていたこと」)

新約聖書では処刑された三日後にイエスが「復活」し、死から甦った神の子として崇められている様子が記述されています。

人類の祖・アダムが犯した罪が子々孫々の全ての人間に及ぶ、とするキリスト教の考えからすれば、全人類を代表して罪を背負ったイエスが復活した=神から赦された、という教理は信仰の根本原理です。

下の写真はフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(通称:ドォーモ)にあるステンドグラスですが、イエスの「降誕」「昇天」とともにこの「復活」が並んで飾られています。復活祭、いわばイースターがキリスト教圏で大きな盛り上がりをみせることを思えば、信徒の中で「復活」という概念がいかに重要視されているか分かるかと思います。遥か昔に一人の男性が起こした奇跡が今や世界中で祝われているとは何だか不思議なものですね。

大聖堂のステンドグラス↓
ステンドグラス

こちらがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 ↓
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂外観

ついでに写真漁っていたら出てきたフィレンツェの街並も↓
フィレンツェ街並

さて、聖書に書いてあることなどお伽噺だろうと考える方もいらっしゃるかと思いますが、宗教的観念を抜きにしても「復活劇」には惹かれるものがあります。


大相撲の照ノ富士関、中日ドラゴンズ時代の松坂大輔投手、競馬のトウカイテイオーやラッキーライラック、バドミントンの桃田賢斗元日本代表、「不死鳥」として伝説となった歌手の美空ひばり……


絶対王者が最強の名をほしいままにする、長い不遇を経験した者が栄光を手にする、といったドラマも胸を熱くさせるものがありますが、一度名声を馳せた存在が挫折を経て再び輝きを取り戻すという物語も心動かされるものがあります。

そうした復活劇が人々を惹きつけてやまないことを思えば、聖書における「復活」が奇跡的な出来事として信仰されるのも分かる気がしますね。


ただ、そうした復活劇は人の心を大きく揺り動かすが故に注意すべきでもあります。ドラマ性のある復活劇など簡単に起こらないからです。だからこそ上記のような出来事は「奇跡」と呼ばれているのです。

此度のエピソードでは、とあるカリスマの「復活」によって集団そのものがコントロールされる様子が描かれました。

まるでそれは、2000年前にティベリアスの湖畔で起きた「奇跡」を彷彿とさせるものでした。続きを読む

偉大なるおじい様の目的

「シャドーハウスってなんなのでしょうか?」

エミリコが第21話で"考えないノート"に書いていたこの台詞。

思い返せばアニメ一期のPVにも用いられていましたね。もしも覚えていないという方はこちらの動画をどうぞ!



いやー、懐かしいです!

先日ReoNaさんの「ないない」のレコード版ディスクが発売されたとのことですが、音楽や映像を見ていると当時の興奮がよみがえってきそうです。ああ、三期早く来ないかなあ……(何回も言ってるねこれ)

因みにアニメのキャッチコピーは「この館には"秘密"がある」でした。二期は「この館にはまだ"秘密"がある」です。

ケイトとエミリコと一緒にシャドーハウスという謎多き館の秘密を探っていく。

それもシャドーハウスの楽しみ方の一つであります。物語は200回目前ですが、その過程で実に多くの秘密が暴かれシャドーハウスの「影」が明らかになってきました。その中にはケイトとエミリコ自身の「秘密」も明かされています。きっとこれからも、あっと驚く種明かしがあるに違いありません。


しかし。

それでも一向に見えてこないのが、シャドーハウスという館が何を目的に存在しているかです。

言い換えれば館の主「偉大なるおじい様」の目的です。


今回の記事では、かの謎の存在が何を考えているのかについて考察していこうと思います。

では単行本15巻までのネタバレを含んでいますので続きよりどうぞ。
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第195話 新班編成【感想】

椿屋
写真は椿屋珈琲のアイスコーヒーとケーキのセットです。

椿屋珈琲は全国展開してますので馴染みの方もいらっしゃるでしょう。チェーンにも関わらずクラシカルな雰囲気がよく保たれているため、私もお気に入りの喫茶店です。時折通勤途中にある店舗に寄っては、一休みがてらにブログを書いたりと何かとお世話になっております。

因みにこの写真を撮ったのは渋谷の椿屋珈琲です。

実を言いますと、先月中旬にソウマトウ先生が登録して下さっていたネットプリントを期限切れで印刷しそこねるという痛恨のミスをしてしまったのですが、ツイッターでお世話になっているフォロワーさんから余ったプリントを分けて下さるというありがたい申し出を頂き、それで渋谷で落ち合うこととなったというのが経緯です。

幸い私の方も、フォロワーさんがお持ちでないネットプリントを保管してましたので交換取引と相成ったのですが、それだけだと味気ないかなと思い暫しお茶に付き合って頂きました。その際に注文したのがアイスコーヒーセットだったというわけです。


ところで、人の集まりにおいて食事や飲み物が伴うケースはよく見受けられます。

家族や友人、職場の仲間や同好の士、或いは恋人や集団でも、歓談の場に飲食が供されることは珍しくありません。飲食は生命維持のためだけでなくコミュニケーションの一ツールと言えましょう。実際にシャドーハウスでも、第74話で一仕事終えたエミリコがパンでの祝杯を提案しています。まあ、あの時賛同していたのはジョンだけでしたけどね……(気になる方は単行本第6巻をどうぞ!)


さて、そろそろ本題に入りましょう。

人の集まりに欠かせない飲食。

此度の第195話でも、お祝いということで豪華な食事が用意され、多くのこどもたちが舌鼓を打つ様子が描かれました。それもあってか物語は和やかに進んでいきます。

しかし、とある飲み物が現れた途端に雲行きは怪しくなりました。

今やシャドーハウスの象徴とも言える漆黒の液体。

"珈琲"が姿を見せるや否や、遂にあの男もこどもたちの前に姿を見せました。続きを読む
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