名高い「復活」といえば、やはりキリスト教における"イエスの復活"でしょうか。
キリスト教といえば真っ先に思いつくのが十字架ですが、イエスが磔刑によって人類の原罪を背負ったとされることから、救済のシンボルとして十字架は最重要視されています。(なんか前にも似た話してますね→「シャドーハウスと宗教について気になっていたこと」)
新約聖書では処刑された三日後にイエスが「復活」し、死から甦った神の子として崇められている様子が記述されています。
人類の祖・アダムが犯した罪が子々孫々の全ての人間に及ぶ、とするキリスト教の考えからすれば、全人類を代表して罪を背負ったイエスが復活した=神から赦された、という教理は信仰の根本原理です。
下の写真はフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(通称:ドォーモ)にあるステンドグラスですが、イエスの「降誕」「昇天」とともにこの「復活」が並んで飾られています。復活祭、いわばイースターがキリスト教圏で大きな盛り上がりをみせることを思えば、信徒の中で「復活」という概念がいかに重要視されているか分かるかと思います。遥か昔に一人の男性が起こした奇跡が今や世界中で祝われているとは何だか不思議なものですね。
大聖堂のステンドグラス↓

こちらがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 ↓

ついでに写真漁っていたら出てきたフィレンツェの街並も↓

さて、聖書に書いてあることなどお伽噺だろうと考える方もいらっしゃるかと思いますが、宗教的観念を抜きにしても「復活劇」には惹かれるものがあります。
大相撲の照ノ富士関、中日ドラゴンズ時代の松坂大輔投手、競馬のトウカイテイオーやラッキーライラック、バドミントンの桃田賢斗元日本代表、「不死鳥」として伝説となった歌手の美空ひばり……
絶対王者が最強の名をほしいままにする、長い不遇を経験した者が栄光を手にする、といったドラマも胸を熱くさせるものがありますが、一度名声を馳せた存在が挫折を経て再び輝きを取り戻すという物語も心動かされるものがあります。
そうした復活劇が人々を惹きつけてやまないことを思えば、聖書における「復活」が奇跡的な出来事として信仰されるのも分かる気がしますね。
ただ、そうした復活劇は人の心を大きく揺り動かすが故に注意すべきでもあります。ドラマ性のある復活劇など簡単に起こらないからです。だからこそ上記のような出来事は「奇跡」と呼ばれているのです。
此度のエピソードでは、とあるカリスマの「復活」によって集団そのものがコントロールされる様子が描かれました。
まるでそれは、2000年前にティベリアスの湖畔で起きた「奇跡」を彷彿とさせるものでした。
キリスト教といえば真っ先に思いつくのが十字架ですが、イエスが磔刑によって人類の原罪を背負ったとされることから、救済のシンボルとして十字架は最重要視されています。(なんか前にも似た話してますね→「シャドーハウスと宗教について気になっていたこと」)
新約聖書では処刑された三日後にイエスが「復活」し、死から甦った神の子として崇められている様子が記述されています。
人類の祖・アダムが犯した罪が子々孫々の全ての人間に及ぶ、とするキリスト教の考えからすれば、全人類を代表して罪を背負ったイエスが復活した=神から赦された、という教理は信仰の根本原理です。
下の写真はフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(通称:ドォーモ)にあるステンドグラスですが、イエスの「降誕」「昇天」とともにこの「復活」が並んで飾られています。復活祭、いわばイースターがキリスト教圏で大きな盛り上がりをみせることを思えば、信徒の中で「復活」という概念がいかに重要視されているか分かるかと思います。遥か昔に一人の男性が起こした奇跡が今や世界中で祝われているとは何だか不思議なものですね。
大聖堂のステンドグラス↓

こちらがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 ↓

ついでに写真漁っていたら出てきたフィレンツェの街並も↓

さて、聖書に書いてあることなどお伽噺だろうと考える方もいらっしゃるかと思いますが、宗教的観念を抜きにしても「復活劇」には惹かれるものがあります。
大相撲の照ノ富士関、中日ドラゴンズ時代の松坂大輔投手、競馬のトウカイテイオーやラッキーライラック、バドミントンの桃田賢斗元日本代表、「不死鳥」として伝説となった歌手の美空ひばり……
絶対王者が最強の名をほしいままにする、長い不遇を経験した者が栄光を手にする、といったドラマも胸を熱くさせるものがありますが、一度名声を馳せた存在が挫折を経て再び輝きを取り戻すという物語も心動かされるものがあります。
そうした復活劇が人々を惹きつけてやまないことを思えば、聖書における「復活」が奇跡的な出来事として信仰されるのも分かる気がしますね。
ただ、そうした復活劇は人の心を大きく揺り動かすが故に注意すべきでもあります。ドラマ性のある復活劇など簡単に起こらないからです。だからこそ上記のような出来事は「奇跡」と呼ばれているのです。
此度のエピソードでは、とあるカリスマの「復活」によって集団そのものがコントロールされる様子が描かれました。
まるでそれは、2000年前にティベリアスの湖畔で起きた「奇跡」を彷彿とさせるものでした。
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なんともいやはや、まさかこんな展開になるとは思いませんでした。
"クリストファー復活"
こどもたちの棟でかつて絶大な人気を誇ったカリスマの訃報をもたらし、現在の指導者・偉大なるおじい様に対する疑念を丁寧に掘り起こし、こどもたちを不安に陥れて動揺をさせ、その機を見逃さず畳みかけるように「救世主」の復活を目の当たりにさせる。
この鮮やかな演出を手掛けたのはもちろんアンソニーです。
彼はクリストファー時代のこどもたちの棟の「影の主役」と言われていました。ならばこのくらいのことを容易くやってのけてもおかしくありません。ましてや閉鎖空間で限られた知識しかないこどもを騙すことなど造作もないでしょう。
バーバラの淹れた珈琲に何が入っていたのか詳しくは分かりませんが、生き人形たちの様子からして煤もしくは何か良からぬ物が混ぜられているのは確実でしょう。
その相乗効果もあってか、大広間はあっという間にクリストファーへの崇拝一色に塗りつぶされてしまいました。
うむ、あの男には全く隙がないですね。
上で鮮やかな演出と述べましたが、アンソニーがこどもたちに説明してる間にケイトとバーバラが相次いでアンソニーを信じるなと説得を試みています。
ケイトはバーバラがアンソニーを指して「クリストファー様」と言っているのを聞いて、アンソニーが良からぬ企みをしているとすぐに感付き、アンソニーを信用するなと述べていますし、バーバラはアンソニーから用済みだと聞いてショックを受けつつも、アンソニーがクリストファーではないことを悟ると「生き人形に耳を傾けてはいけません」と命じています。
更に話が進むにつれ、ケイトがアンソニーの行いは認められず、クリストファーの功績を我が物にしようとするアンソニーを糾弾しています。
ところが、その全てがまるで織り込み済みと言わんばかりにアンソニーにとって有利な方向にしか転がらないんですよね。
ケイトがアンソニーに対して「生き人形」だとこどもたちに明らかにしても、冷静に「自己紹介が遅れてすまない」「真実を話すために戻ってきたんだ」と切り出し、クリストファーの思想と自死へ至る説明をするきっかけにしているのは実に巧みです。
また、こどもたちがざわつくや否や偉大なるおじい様の威光が衰えたことを滔々と語りますし、こんな風に堂々と論じられれば容易く騙されるのも必然でしょうか。まるで混乱状態のこどもたちの心に付け込むかのような行為です。
そして最後に、こどもたちがクリストファーという存在がいないことを嘆き、ケイトがクリストファーはもういないじゃないかと念押ししたところで、復活したクリストファーの登場です。
どこまでがアンソニーの計算かは分かりませんけども、ケイト=現こどもたちの代表、バーバラ=前こどもたちの代表という影響力のある二人の主張を骨抜きにした上でクリストファーを登場させた手腕には驚かせられます。ケイトや同期達が徐々に解いていったこどもたちの洗脳を、瞬く間に己の手中に収めるとは敵ながら天晴です。
そういえば、第149話でルイスとの会話でアンソニーはこんなことを言っていますね。
「大人たちの均衡が崩れこどもたちは惑い皆が救世主を求め始めている」
これはまさしく現状のこどもたちの棟そのものです。
その「救世主」として復活したクリストファーが姿を見せるとは、冒頭の話ではありませんがイエス・キリストを彷彿とさせる描写です。思えば「クリストファー」という名前自体が聖書に由来する男性名なわけですが、それもあって実に宗教的な演出にみえます。ここまできたらこどもたちの熱狂、加えてラストのエミリコの表情もやむを得ないでしょう。
ほんの一瞬で全てのこどもたちを掌握するアンソニーの姿に、マリーローズが第77話で語っていた「アンソニーの洗脳を解かない方がよかったというのか…?」というモノローグが意味深長に感じます。
もしかしたらマリーローズはアンソニーの危険性に既に気付いていたのかも知れませんし、希望的願望ではありますがこの状況からこどもたちを救えるのはマリーローズとローズマリーしかいないのではと思えてきました。(ローズマリー見たいなあ……)
さて、しかしアンソニーに伍するのは難しくとも、こどもたちの中に今の状況を良しとしないメンバーがいるかも知れないという希望はまだあります。
まずはケイト。
第44話のラストですす珈琲に侵されたエミリコに衝撃を受けるものの、あの時のケイトは全く影響を受けていませんでした。今回も同じでしょう。
次はダグラスです。
彼は先輩だったフィンがキングによって処分された時、クリストファーがキングの所業に気付かなかったことに失望していた描写がありました。そう考えると周りに同調はしていないでしょう。
それにそのエピソードが描かれた第167話では、こどもたちがケイトコールをしていた中でも冷静でした。多分今回の事態を受けても似たようなリアクションをしていると思います。
3人目は、パトリックです。
マーガレットと婚約した身ではありますが、パトリックを語るに避けては通れぬエピソードがあります。
第66話です。
読み返して頂ければあの話かと思い出して頂けるかと存じますが、当時パトリックはエミリコのことを想いこう悟っていました。
「ケイトとエミリコは『別』じゃないか!」
これはそのまま「生き人形」と「シャドー」と言い換えることもできます。登場初期からリッキーと自分自身を比べていたパトリックならば、従者が洗脳されていたとしても簡単に影響は受けないと信じたいです。それこそが「ソウルメイト」ではないでしょうか。
ということで、絶望的な状況下ではあるもののケイトにとってはまだ仲間をすべて失ったわけではないという結論で今回の記事を終えたいと思います。
さて、散文的な記事になってしまいましたが、SNSを見ていますと「復活」したクリストファーは“複製”ではないかという考察が見受けられました。
確かにあり得そうです!
というか「モーフ」という妖精が実在するシャドーハウスの世界においては可能性が高いと言ってしまっても良いかも知れません。
しかしそうすると本当にアンソニーは手段を選ばない男ですね。
いたいけな少女の恋心を弄び、心寄せてきた少女を手に掛け、その亡骸を利用し、更には「主人」をも複製する……
一体全体彼の行動原理がどこからきているのか、知りたいような知りたくないようなそんな気分です。
なんともいやはや、まさかこんな展開になるとは思いませんでした。
"クリストファー復活"
こどもたちの棟でかつて絶大な人気を誇ったカリスマの訃報をもたらし、現在の指導者・偉大なるおじい様に対する疑念を丁寧に掘り起こし、こどもたちを不安に陥れて動揺をさせ、その機を見逃さず畳みかけるように「救世主」の復活を目の当たりにさせる。
この鮮やかな演出を手掛けたのはもちろんアンソニーです。
彼はクリストファー時代のこどもたちの棟の「影の主役」と言われていました。ならばこのくらいのことを容易くやってのけてもおかしくありません。ましてや閉鎖空間で限られた知識しかないこどもを騙すことなど造作もないでしょう。
バーバラの淹れた珈琲に何が入っていたのか詳しくは分かりませんが、生き人形たちの様子からして煤もしくは何か良からぬ物が混ぜられているのは確実でしょう。
その相乗効果もあってか、大広間はあっという間にクリストファーへの崇拝一色に塗りつぶされてしまいました。
うむ、あの男には全く隙がないですね。
上で鮮やかな演出と述べましたが、アンソニーがこどもたちに説明してる間にケイトとバーバラが相次いでアンソニーを信じるなと説得を試みています。
ケイトはバーバラがアンソニーを指して「クリストファー様」と言っているのを聞いて、アンソニーが良からぬ企みをしているとすぐに感付き、アンソニーを信用するなと述べていますし、バーバラはアンソニーから用済みだと聞いてショックを受けつつも、アンソニーがクリストファーではないことを悟ると「生き人形に耳を傾けてはいけません」と命じています。
更に話が進むにつれ、ケイトがアンソニーの行いは認められず、クリストファーの功績を我が物にしようとするアンソニーを糾弾しています。
ところが、その全てがまるで織り込み済みと言わんばかりにアンソニーにとって有利な方向にしか転がらないんですよね。
ケイトがアンソニーに対して「生き人形」だとこどもたちに明らかにしても、冷静に「自己紹介が遅れてすまない」「真実を話すために戻ってきたんだ」と切り出し、クリストファーの思想と自死へ至る説明をするきっかけにしているのは実に巧みです。
また、こどもたちがざわつくや否や偉大なるおじい様の威光が衰えたことを滔々と語りますし、こんな風に堂々と論じられれば容易く騙されるのも必然でしょうか。まるで混乱状態のこどもたちの心に付け込むかのような行為です。
そして最後に、こどもたちがクリストファーという存在がいないことを嘆き、ケイトがクリストファーはもういないじゃないかと念押ししたところで、復活したクリストファーの登場です。
どこまでがアンソニーの計算かは分かりませんけども、ケイト=現こどもたちの代表、バーバラ=前こどもたちの代表という影響力のある二人の主張を骨抜きにした上でクリストファーを登場させた手腕には驚かせられます。ケイトや同期達が徐々に解いていったこどもたちの洗脳を、瞬く間に己の手中に収めるとは敵ながら天晴です。
そういえば、第149話でルイスとの会話でアンソニーはこんなことを言っていますね。
「大人たちの均衡が崩れこどもたちは惑い皆が救世主を求め始めている」
これはまさしく現状のこどもたちの棟そのものです。
その「救世主」として復活したクリストファーが姿を見せるとは、冒頭の話ではありませんがイエス・キリストを彷彿とさせる描写です。思えば「クリストファー」という名前自体が聖書に由来する男性名なわけですが、それもあって実に宗教的な演出にみえます。ここまできたらこどもたちの熱狂、加えてラストのエミリコの表情もやむを得ないでしょう。
ほんの一瞬で全てのこどもたちを掌握するアンソニーの姿に、マリーローズが第77話で語っていた「アンソニーの洗脳を解かない方がよかったというのか…?」というモノローグが意味深長に感じます。
もしかしたらマリーローズはアンソニーの危険性に既に気付いていたのかも知れませんし、希望的願望ではありますがこの状況からこどもたちを救えるのはマリーローズとローズマリーしかいないのではと思えてきました。(ローズマリー見たいなあ……)
さて、しかしアンソニーに伍するのは難しくとも、こどもたちの中に今の状況を良しとしないメンバーがいるかも知れないという希望はまだあります。
まずはケイト。
第44話のラストですす珈琲に侵されたエミリコに衝撃を受けるものの、あの時のケイトは全く影響を受けていませんでした。今回も同じでしょう。
次はダグラスです。
彼は先輩だったフィンがキングによって処分された時、クリストファーがキングの所業に気付かなかったことに失望していた描写がありました。そう考えると周りに同調はしていないでしょう。
それにそのエピソードが描かれた第167話では、こどもたちがケイトコールをしていた中でも冷静でした。多分今回の事態を受けても似たようなリアクションをしていると思います。
3人目は、パトリックです。
マーガレットと婚約した身ではありますが、パトリックを語るに避けては通れぬエピソードがあります。
第66話です。
読み返して頂ければあの話かと思い出して頂けるかと存じますが、当時パトリックはエミリコのことを想いこう悟っていました。
「ケイトとエミリコは『別』じゃないか!」
これはそのまま「生き人形」と「シャドー」と言い換えることもできます。登場初期からリッキーと自分自身を比べていたパトリックならば、従者が洗脳されていたとしても簡単に影響は受けないと信じたいです。それこそが「ソウルメイト」ではないでしょうか。
ということで、絶望的な状況下ではあるもののケイトにとってはまだ仲間をすべて失ったわけではないという結論で今回の記事を終えたいと思います。
さて、散文的な記事になってしまいましたが、SNSを見ていますと「復活」したクリストファーは“複製”ではないかという考察が見受けられました。
確かにあり得そうです!
というか「モーフ」という妖精が実在するシャドーハウスの世界においては可能性が高いと言ってしまっても良いかも知れません。
しかしそうすると本当にアンソニーは手段を選ばない男ですね。
いたいけな少女の恋心を弄び、心寄せてきた少女を手に掛け、その亡骸を利用し、更には「主人」をも複製する……
一体全体彼の行動原理がどこからきているのか、知りたいような知りたくないようなそんな気分です。
