来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

2025年04月

第216話 ルイーズの目覚め【感想】

一昨日、ローマ教皇のフランシスコ台下がお亡くなりになりました。

2013年の教皇選出から12年。

当時はアメリカ大陸出身者、かつイエズス会出身者として初のローマ教皇だと盛んにニュースで取り上げられておりましたが、絶対的な存在感を放った先々代のヨハネ・パウロ2世や、超保守派と見做されながらも700年ぶりの生前退位を決断した先代のベネディクト16世に続くとあって、教皇に求められる資質が高まっていた中での就任は大きな重圧だったと拝察しています。


しかしながら、フランシスコ台下は歴代で最も信徒に近しいローマ教皇だったと思います。

教皇就任直後の説法では伝統的なラテン語ではなくイタリア語を用いたほか、自らを「教皇」と名乗らず「ローマの司祭」と称したり、信徒と触れ合うためにできるだけ警護を薄くするよう要請するなど、人々との交わりを重視していました。

また、前任のベネディクト16世からツイッターアカウントを引き継ぐと、瞬く間にフォロワーが急増するという出来事もありました。これも「庶民派」たるフランシスコ台下ならではでしょう。

2014年にイタリア旅行に行った際、ローマ市内の至る所で氏の肖像を見かけました。

晩年は混迷を深める世界情勢の中で、「ローマ教皇」という重要な役割をどう果たしていくのか大変に苦慮している様子が伺えましたが、それでも宗教・国家・階級を超えて融和を願った姿は多くの人々の琴線に触れたと思います。

世界中から慕われた教皇の魂が安らかに眠らんことを願います。


さて、急に話題を変えて申し訳ないですが、次のローマ教皇を選出するにあたってバチカンではとある儀式が執り行われます。

コンクラーベ(Conclave)です。

日本語に訳すと「教皇選挙」

偶然にも同名の映画が公開されてますね。よく駄洒落で「根競べ」というジョークが交わされるので馴染みのある言葉かと思います。

語源はラテン語の「cum clave」(クム・クラーベ)=“鍵が掛かった”、だとか。

閉ざされた密室の中で枢機卿団が長時間に亘って討議する様子を見ると、あながち日本語のジョークも的を射てるなと改めて感じる次第です。

閉じられた扉が開く時、また新たな時代が始まります。次の教皇も山積する問題に悩まされることと思いますが、できるならばそうした気苦労がない世の中になっていってくれればと思っております。


ところで、今回の第216話の一ページ目にも閉ざされた扉が大きく描かれていますね。

これが本当の「扉絵」だ!、なんていう寒い駄洒落はさておき、この部屋の扉も固く閉ざされています。これは今回のサブタイトルにもあるルイーズの居室でした。

本話ではその扉を開けるべく、何としてでもルイーズの心を開かせようとする少年たちの姿が描かれました。
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第215話 記録と記憶【感想】

先日、京都の桜が過去1200年間で最も早く開花したとニュースになっていました。
(→BBC NEWS JAPAN)


1200年!?


京都には桜の開花に関する記録が数多く現存しており、それを辿ると1200年前分の開花データが揃うというのです。

「千年王城」と呼ばれるほど長らく我が国の首都だった京都。「鳴くよ(794)鶯 平安京」なんて語呂合わせを覚えている方も多いかと思いますが、1200年ということは長岡京から遷都して以来ずっと記録され続けてきたということでしょう。

この季節になるとひしひしと感じますが、日本人の桜に対する愛が一層感じられるニュースでした。(そもそも「サクラ」の語源自体が日本文化そのものみたいなものですし)


ただ、日本人の桜にかける情熱もさることながら、日本人の「筆まめ」さも理由として挙げられると思います。

例えば、現代において頻繁に話題になる地球温暖化ですが、その気象データとして長野県諏訪湖の御神渡りが近年注目されていると言われています。

なぜなら、湖畔に位置する八剱神社には室町時代から続く御神渡りの記録が残っているからです。

この記録は各年の御神渡りができた初日を記したものですが、それを解析することで諏訪湖地域の600年弱の気温の変化が分かるそうです。そういわれると貴重なデータです!


また、福岡県の「直方隕石」は落下状況が目撃された最古の現存する隕石とされていますが、須賀神社に残る墨書がその証拠となっています。

他にも、昭和新山の誕生を克明に記録した「ミマツダイヤグラム」は国際会議で「日本にミマツあり」と高く評価され、世界中の地質学者から称賛されました。

それ以外にも、文化的価値がある「更科日記」や、幕末の歌舞伎役者・中村仲蔵が桜田門外の変を目撃した商人から話を集めた日記が残るなど、歴史的な記録が膨大に残っています。


記録よりも記憶、なんていうフレーズも見聞きすることも多いですが、時が経つにつれて曖昧になる「記憶」に対して「記録」は信憑性が高いです。

それを思うと、官製ではない個人的な見解や記録が、古くからこれほどまでに残っている国は例がないと思います。それが今になっても役に立っているのですから驚きですね。
(じゃあなんで重大事件の調書が破棄されたり、気象庁が保管してたはずの「カンテラ日誌」が処分されてるんだと言いたくなりますが)


さて、長くなりましたが、先ほども述べた通り「記憶」とは曖昧です。皆様も頭に残っている記憶と残されたメモの内容が違っていた、抜けがあったなんていう経験をしたことが一度はあるかと存じます。

私自身も本ブログの過去記事を読んでいて「こんなことあったんだっけか?」とすっかり忘れてしまっていたことも珍しくありません。その度に、書けるものはなるべく残すべきだなあと感じる毎日です。


それと同じく、シャドーハウスの劇中にも似たものが存在します。

エミリコの「考えないノート」です。

このノートはエミリコが「余計なことは全部書いて忘れちゃおう」(第21話)と思い立ったことで誕生したノートですが、それが重要なアイテムとして機能していることは説明するまでもないでしょう。積み重ねてきた記録は、時として力になるのです。


今回の第215話でも「考えないノート」に似たアイテムが登場しました。

その持ち主はベンジャミンの従者・ベンです。

こどもたちの中で並外れた筋肉を持つ彼ですが、その本当の「力」は筋肉だけではなく、積み重ねてきた記録も貴重な「力」となりました。
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