一昨日、ローマ教皇のフランシスコ台下がお亡くなりになりました。

2013年の教皇選出から12年。

当時はアメリカ大陸出身者、かつイエズス会出身者として初のローマ教皇だと盛んにニュースで取り上げられておりましたが、絶対的な存在感を放った先々代のヨハネ・パウロ2世や、超保守派と見做されながらも700年ぶりの生前退位を決断した先代のベネディクト16世に続くとあって、教皇に求められる資質が高まっていた中での就任は大きな重圧だったと拝察しています。


しかしながら、フランシスコ台下は歴代で最も信徒に近しいローマ教皇だったと思います。

教皇就任直後の説法では伝統的なラテン語ではなくイタリア語を用いたほか、自らを「教皇」と名乗らず「ローマの司祭」と称したり、信徒と触れ合うためにできるだけ警護を薄くするよう要請するなど、人々との交わりを重視していました。

また、前任のベネディクト16世からツイッターアカウントを引き継ぐと、瞬く間にフォロワーが急増するという出来事もありました。これも「庶民派」たるフランシスコ台下ならではでしょう。

2014年にイタリア旅行に行った際、ローマ市内の至る所で氏の肖像を見かけました。

晩年は混迷を深める世界情勢の中で、「ローマ教皇」という重要な役割をどう果たしていくのか大変に苦慮している様子が伺えましたが、それでも宗教・国家・階級を超えて融和を願った姿は多くの人々の琴線に触れたと思います。

世界中から慕われた教皇の魂が安らかに眠らんことを願います。


さて、急に話題を変えて申し訳ないですが、次のローマ教皇を選出するにあたってバチカンではとある儀式が執り行われます。

コンクラーベ(Conclave)です。

日本語に訳すと「教皇選挙」

偶然にも同名の映画が公開されてますね。よく駄洒落で「根競べ」というジョークが交わされるので馴染みのある言葉かと思います。

語源はラテン語の「cum clave」(クム・クラーベ)=“鍵が掛かった”、だとか。

閉ざされた密室の中で枢機卿団が長時間に亘って討議する様子を見ると、あながち日本語のジョークも的を射てるなと改めて感じる次第です。

閉じられた扉が開く時、また新たな時代が始まります。次の教皇も山積する問題に悩まされることと思いますが、できるならばそうした気苦労がない世の中になっていってくれればと思っております。


ところで、今回の第216話の一ページ目にも閉ざされた扉が大きく描かれていますね。

これが本当の「扉絵」だ!、なんていう寒い駄洒落はさておき、この部屋の扉も固く閉ざされています。これは今回のサブタイトルにもあるルイーズの居室でした。

本話ではその扉を開けるべく、何としてでもルイーズの心を開かせようとする少年たちの姿が描かれました。
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前回、遂にベンジャミンとベンが加わった「ルイーズ完全復活作戦」

ジョン組とパトリック組とベンジャミン組でいざルイーズの部屋へと向かっていったわけですが、冒頭で早速心動かされているルイーズが少し可愛らしいですね。

気だるそうに頬杖付くルイーズが、ジョンとパトリックの「心の不安が消える薬」がなかったという台詞を聞いて驚いているシーンのことです。

ルイーズとしては二人を適当に追い払うための口実だったようですが、それをジョンとパトリックが真に受けていたとは思ってもみなかったようです。彼女からすれば、かぐや姫でいう「蓬莱の玉の枝」や「燕の子安貝」のようなものだったのでしょうか。

なんの確証もなしに無闇に探していたジョンとパトリックの行動はさておき、取り敢えずルイーズの心象に変化を与えたという意味では成功と言えるかも知れません。(シチュエーション的にはかぐや姫というより天岩戸っぽいですが)

ジョンとパトリックはカフェオレ酔いでダウンするものの、その甲斐もあってベンジャミンにバトンタッチした後はスムーズにルイーズを説得することができました。

前回の後半に「試してみるか?ベンジャミンだって元星つきだ」と言っていたベンジャミン。

バーバラ・イザベル・ミラベル・ルイーズと問題だらけの班ではありますが、元星つきとして面目躍如と言えるでしょう。このままバーバラやイザベル・ミラベルの心も開かせられると良いですね。


ところで、ベンジャミンとルイーズの会話の中にかなり重要な情報が出てきました。

順を追っていくと、
・模倣は複製(コピー)ではない
・生活習慣が異なるためオリバーとオリーの体つきは全然違う
・同じトレーニングでもベンジャミンとベンの筋肉のつき方が違う

これは全てベンジャミンの台詞の要約です。

第144話にてギルバードとの決闘で大怪我をしたジョンが、朦朧とする意識の中で「シャドーと人間の違いって何だろう」「あまり変わらないんじゃないか」と疑問を呈しておりましたが、その一つの答えが此度明かされたとみていいでしょう。

第146話でジョンのお見舞いに来たケイトが「モーフは成長過程こそ特殊だけれど」「動物と似た内部構造なんだと思う」「生き人形を模倣する過程で急成長して『成人』する頃にはほぼ骨も内臓も固定される」と推測していましたが、これはあくまでモーフが“生き人形”を模倣してシャドーになるまでの期間における変化なのでしょう。

モーフとシャドーの違いは何なのか私も疑問に思っていたのですが、これを踏まえて考えると、“生き人形”を模倣して内部構造や当時点での外見を模倣するのがモーフで、環境の違いによって模倣した対象と異なる成長をしていく期間に達すると「シャドー」と呼ばれる存在になるのかも知れません。

精神的な部分ではシャドーになってからも“生き人形”から影響を受けていますが、肉体的な模倣と精神的な模倣はまた違うということでしょうか。ひょっとしたら、シャドーになってからさらに時間が経過すると、精神的な影響も受けにくくなる、なんてこともあるかも知れませんね。

ソウマトウ先生のFANBOX(「216話余談」※有料記事です)にて、なぜ「こども」のうちに一体化しなければいけないのかという設定が明かされていましたが(有料記事なので詳細は伏せます)、成長するにつれてシャドーが洗脳を受けにくくなっていくというのも、もしかしたら理由にあるのかなあと感じました。

今後のストーリーの進行に直接関係はないものの、シャドーハウスという世界におけるモーフ・シャドーの設定が明かされたという意味では、ベンジャミンとルイーズの会話は非常に貴重なやり取りでした。これからもどんな設定が明かされていくのか楽しみです。


ただ、ちょっとだけ気になったのが、ベンジャミンとルイーズの会話の終盤に出てきた「こども」という単語です。

二人の会話の流れから考えると、ベンジャミンがルイーズを説得するために「こども」という言葉を持ち出して励ましていたのだと思います。というよりは、ベンジャミンとしてはそれしかなかったと思います。

また、シャドーハウスという作品においては、子供という語句が平仮名で「こども」と表記されるが故に、読者に読みやすいよう鍵括弧をつけて「こども」と書いているのだと推測します。そうだとしたら何の変哲もない台詞でしかないでしょう。


しかしながら、ここで思い出していただきたいのが第207話のジェレミの台詞です。

あの時ジェレミは、ミラーファミリーの顛末を説明する際にアルフレッドに触れているのですが、そこで「16歳のこども…アルフレッド様は」と語っています。

文章にすると分かりにくいのですが、あの場面の吹き出しをよく見てみると「こども」という文字の脇に点々が振られているんですよね。あえて強調するかのように。

当時の第207話 一堂に会して【感想】という記事でもそのシーンについて書いていますが、今回のベンジャミンの台詞でも「こども」という単語にわざわざ鍵括弧が付けられているのを見ると、やはり「こども」という存在はシャドーハウスにとって何か特別な意味を持っているのではないかと考えてしまいます。

思い過ごしかも知れませんが、そんな細かいところに思わぬヒントが隠されているのがシャドーハウスという作品です。

先ほど書いた第144話のジョンの疑問だって今になって新たな真実が明かされているのですから、もしかしたら「こども」という何気ない表現が伏線の可能性もあります。この疑問もいつか明かされたらなあと思っております。


さて、長々と書きましたが、今回のエピソードでは無事にルイーズが皆の前に姿を現してくれました。

そこにはかつての姿とは大きく変わり、彼女自身が思い悩み落ち込んでしまうのも無理もないルイーズの今の姿が描かれていました。

しかし、それでも彼女自身がそれを受け入れて明るく振舞う姿にホッとしましたし、肉体だけではなく精神的な強さもルイーズは手にしたのだなと思いました。

そういえば、部屋から出るといえば過去に似たエピソードがありましたね。

第84話のイザベルとミラベルです。

彼女たちも従者のベルが一人きりになってしまったことで部屋に引きこもっていましたが、ケイトとエミリコによって一歩踏み出しました。第216話でルイーズが勇気を出して部屋から出てきたのを見て、思わずあの時のエピソードを思い出し感慨深くなりました。


ですが、そんな暢気なことを考えていたのを見透かされたかのように、ラストでは恐ろしい現実が待っていました。


暗い床に落ちたぬいぐるみ。


それは班員を励まそうと、かつてエミリコが作った「相方」でした。

何という因果か、第84話や第82話に連なるかのように描かれた第216話の最後は、洗脳から目覚めたベルの姿でした。


振り返れば、第48話から始まった「こどもたち」の洗脳解除。

その中で悲喜相乱れたストーリーが展開していきましたが、読者の感想において最も危険視されていたのがベルの洗脳解除でした。

一心同体だった「半身」を失った事実にとうとう気づいてしまったベル。

第79話でベルが落命した悲劇は、多くのキャラクターが大きな十字架を背負っています。

シャドーハウスという館のみならず、元星つきも、ギルバードも、何よりもマリーローズとローズマリーも加担しているからです。

いよいよそんな重大な事件に物語は踏み込んでいきます。

ケイトは、そしてエミリコはその取り返しのつかない事実にどう対峙するのか。

次に現れた扉はかつてないほど重く、そして固く閉ざされています。