先日、「超かぐや姫」というアニメ映画を見に行きました。

超かぐや姫

普段は映画自体をあまり見に行かないのですが(数えてみたら人生で映画館で見たのは17作品のみ)、今年2月にワールドベースボールクラシックを視聴する都合でネットフリックスを契約していたところ、話題作品として配信されていた「超かぐや姫」を姉が見たらしく「この映画知ってる?」と話を振られたことから、この作品の存在を知りました。
(なお、姉は当時配信されていた話題作は一通り見たそうです)

そしてその話をアニメに詳しい会社の同僚にしたところ「ボーカロイドやVtuberに慣れ親しんだ人なら楽しめるけど影野さんはどうかなー?」なんて言われはしたものの、そういったサブカルチャーに疎い姉でも楽しめたと言っていましたので、じゃあたまには映画鑑賞もいいだろうと軽い気持ちで行ってまいりました。


感想はといいますと、一言で言って最高でした!


正直甘く見ていましたね。

確かに、映画の主要な部分は仮想空間やアバターといったSF的な要素が絡み合う上に、ボーカロイド発祥の楽曲が挿入歌として用いられているらしく(同僚談)、そうした知識があった方が楽しめるのかも知れません。

しかし、端的に言えば本作品は主人公・彩葉(いろは)の成長物語かつ、彩葉と月からやってきた少女「かぐや」との友情物語を、現代風にアレンジした竹取物語で味付けしたストーリーなんですよね。

成長物語や友情物語は言うなれば“王道ストーリー”ですから、現代サブカルチャーに詳しくなくとも楽しむことは可能ですし、何なら古典の竹取物語で書かれている仔細な部分が「超かぐや姫」でも描写されていて、私はそちらの方が驚きました。同僚や後輩にその話をしたら両名ともそうした点には気が付かなかったとのことで、色々な楽しみ方ができる時点で「超かぐや姫」は素晴らしい作品と言えるでしょう。他にも色々気付いたことは多々ありますが、これ以上語ると長くなりますのでひとまずこの辺にしておきます。


ところで、一つだけ最後に語らせていただきたいのが、「超かぐや姫」は“ハッピーエンド”を追求した作品だということです。

作中でも、現実の竹取物語のラストに不満を持った少女かぐやが、それならとハッピーエンドを掴むために彩葉を振り回していますが、当初は戸惑っていた彩葉もそれに触発されて自分の願いのために動き始めます。

また、私が一番感銘を受けた描写として、かぐやが過去の時代を過ごしてきたシーンがあります。

ここではかぐやが各時代で様々な人々と関わり合いながら生きている様子が描かれていましたが、この描写があることで、かぐやが憧れた地球の生活は現代の日本であり、かぐやが輝く場所は21世紀の世界だったことがはっきりと暗示されています。

反面、では過去の時代が不幸だったのかというとそうではなく、かぐやが関わる人々は各々の時代で楽しんでいたり、或いは逞しく生きていたり、または幸福な世界に憧れつつも自らの境遇を受け入れるなど、色々な人間模様が描かれていました。

そんな時代を経て彩葉とかぐやが再会し、彩葉が自らの願いのため突き進んでいく終盤は圧巻です。見ていて非常に心地良かったです。

様々な要素を取り入れられつつも、「めでたしめでたし」で終わるラストはエンターテイメントとして最高の締め括りだと感じました。

2月の上映開始から半年を経て現在は全国で再上映中ですが、もしも興味のある方はご覧になって下さい。人を選ぶ作品かも知れませんが、個人的には良作だと思います。


さて。

シャドーハウスとは全く関係のない話をしてしまいましたが、奇遇にも第248話も、幸せを求めるある少女の物語が描かれていました。


しかし、その結末は正反対です。


「めでたしめでたし」の文字がこんなに冷たく、重苦しく響くことはそうそうありますまい。



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「暖炉」は人の身体も心も温めてくれる存在です。

そして、シャドーハウスでもこれまで多くの場面で「暖炉」が描かれてきました。

例えば、第3話では部屋に戻ったエミリコが暖炉の傍でパンを食べていますし、第4話冒頭でケイトがこびりつきを潰すシーンでも描かれています。

また、第22話で初登場したパトリックは暖炉の前でリッキーと語り合っていましたし、第45話では偉大なるおじい様の背後に暖炉があるなど、数多くの日常シーンで暖炉は背景としての役割を担っていました。


それと同時に、シャドーハウスという物語の節目で暖炉が役割を果たすこともあります。

第10話でエミリコはケイトの大切なぬいぐるみを濡らしてしまいケイトを激怒させていましたが、そこから気を取り直してぬいぐるみを修繕しました。

この時、濡れた生地を乾かすために使っていたのが暖炉の火です。

このエピソードは過去記事「第10話 落ちない汚れ」でも書きましたが、エミリコが自分の力で物事を解決したターニングポイントとなるエピソードだったと今でも思います。

なお、エミリコの大切な友達・パンちゃんが初登場したのもこのエピソードです。


第61話では、パトリックとルイーズの心を解きほぐすため、ケイトは煤だるまを作ることを提案します。

その際に、4人が作った煤だるまを固める方法として用いられたのは暖炉の火でした。

この時、無言で暖炉を見つめる4人の姿が私は好きなのですが、出来上がった「同期の絆」が4対の結束を象徴する存在となり、第101話では同期5対が再集結した証として出てきた時は大変感動しました。


第106話では、ケイトの出自に疑問を呈したエミリコの脇で、暖炉のすす炭が音を立てて燃えていました。

ここから長い時間を掛けてケイトは己の半生をエミリコに語りますが、第114話で再会を喜び抱き合うケイトとエミリコの背景にも暖炉が描かれています。

きっとこの暖炉は、エミリコに自らの出自を語るケイトの姿を、そしてケイトの話を真剣に聞くエミリコの姿を見ていたことでしょう。

すす炭が燃える音しか聞こえない暗い部屋の中で、ケイトの声が響く長い時間……

それを想像するだけで、その空間を覆っていた緊張感が伝わってきますね。


このように、何気ない描写でも、重要な場面でも暖炉は多々描かれてきたことがお分かりかと思います。

シャドーハウスという暗く薄暗い洋館において、暖炉は強い印象を私たち読者にもたらしてきたのです。


しかし、まさかここまで強烈な描写がなされるとは思いもしませんでした。

いや、考えたくなかったです。

あのミアが、暖炉へと身を投げて自決したからです。


確かに、「第229話 ミアの居場所【感想】」にてミアのことを「もしかしたら彼女が読者に見せる最後の姿なのかも知れない」とは書きました。そして、結果的にその悪い予感は当たってしまいました。

しかしどこか心の隅で、もしかしたら何とかなるんじゃないか、幸福とは言えないまでも館以外の何処かで命を繋いでくれるのではと、淡い期待を抱いてもいたのです。


ところが、実際に描かれたのは目先の利益のために体裁さえ捨て、狂気のままに振る舞った少女の無残な最期でした。

あまりに呆気ない、唐突な退場劇。

読んだ直後は暫し呆然としてしまいました。


ただ、ここまで重要なキャラクターが駆け足と思える速さで命を落としていいのかと思う反面、ソウマトウ先生の作品としてはさして珍しくないのも事実だということも明記しておきます。

先生が過去に発表された同人誌ですと、主要なキャラクターや可愛らしく描かれた少女が、本当にあっという間に惨い最期を迎えることがしばしばあるからです。

それを考えると、例えシャドーハウスという大ヒット作とはいえ、ソウマトウ先生の特色が大変に反映された描写でもあるんですよね。

まさかそれをクライマックスに向かう中で目撃する事になろうとは思いもしませんでしたが、初登場から改めて読んでみて生じたのはそんな感想でした。


しかしやはり、これまで親しんできたキャラクターの落命には辛いものがあります。

第7話でミアが初めて姿を現した時。

ケイトとエミリコしかいないシャドーハウスしか知らなかった当時、二人以外の存在を見て胸が高鳴ったのをよく覚えています。

エミリコではないですが、エミリコ以外の生き人形がいたことに驚きましたし、部屋の外の世界が描かれたことでこれからどんなエピソードが見られるのか、シャドーハウスとはどんな世界なのかと、本当に楽しみに思ったのを昨日のことのように思い出せます。

だからこそ、今回のミアの結末を見て、残念で残念で仕方ないのです。今でも、どうしたらミアを救うことができたのかとつい考え込んでしまいます。それこそ時間が戻ればと思うくらいにです。


しかしながら、これまでの描写を見返す度にそれは不可能という結論しか出ません。


今回だけでも、エドワードはこれまでの態度とは一転してミアのことを「君」と呼び、館から解放されることをそれとなく促しています。

かつてのエドワードなら、サラから求婚されたら嘲笑するか再起のための材料にしてたでしょうし、ミアのことを「お前」とか「貴様」とか不遜な態度を取っていたことは想像に難しくありません。

今までやってきた行いはともかくとして、取り敢えずではありますがトマスのように改心しつつあるのが見て取れます。


ところが、第229話でエミリコとダグの言葉を拒絶したのと同様に、ここでもミアはエドワードの言葉に耳を貸そうとはしませんでした。

シャドーハウスという館の支配体制が揺らいでいるにも関わらず、未だこどもたちの棟の管理者という地位に価値があると信じている姿、そもそもエドワードは既にこどもたちの棟の管理者ではないということすら知らない愚かさ、貴族になったという証明さえあれば良いと思い込んでいる浅はかさ……

これらのミアの行動を見ていると、非常に心苦しいですが、彼女が幸せになる方法はなかったのではないかと諦めの感情が心に広がってしまいます。一体どこからやり直せば良かったのか、もう私には分かりません。

ミアもそれを自覚していたのか不明ですが、もしかしたら第229話で言っていた「私を幸せにできるのは私だけ」という台詞は、それを知っていたが故の投げやりな心がもたらした言葉だったのかも知れません。


そんな無理な形で掴もうとした幸せなど、長続きするわけありません。

今回のエピソードを動かしたのは、これまでシャドーハウスの各場面で重要な役割を担っていた「暖炉」でした。

貴族になった証明たる、サラの婚姻申請書。

ミアの手を離れると、一瞬のうちに焼け果てました。


燃え盛る火を見てミアが何を思ったのかは知る術ありません。

もしかしたら幼少期に家族を失った、忌まわしい火事の記憶が呼び覚まされたのか。或いは、生き人形の部屋でずっと耐え忍びながら見ていた暖炉の火を思っていたのか。

いずれにせよ辛い思いが一気に押し寄せてきたのでしょう。

ミアが暖炉に飛び込んだのは、一瞬の出来事でした。


今の際、「馬鹿な女」とミアは零しています。
恐らくそれはミア自身に向けられていた言葉でしょう。

現実から逃げて幸せを捻じ曲げ、自分は幸せだと思い込もうとしたミア。

しかし結局最後まで己の幸せを信じ切れなかった姿は、もはや哀れみ以外に言い表すことはできません。


ラストで書かれた「めでたしめでたし」


これはもう、ミアのこんな人生を終えることができたという祝福だと捉えることしか、今の私にはできません。