来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

2024年08月

第201話 喪失【感想】

こちらの写真は説明するまでもない、大阪の象徴・通天閣です!
通天閣

シャドーハウス原画展の大阪会場に行った時に、ついでに寄って撮ってきました。

以前の記事でもちらっと触れましたが、大阪はこれまで未訪問(新幹線等で通過や着地はしたことはある)だったんですよね。そこでこれ幸いと足を伸ばしました。他にも大阪城や道頓堀も見てきましたが、東京とはまた違ったエネルギッシュな街に大変驚かされました。まだ回っていない観光地もありますので、機会があれば再訪問したいものです。


ところで、通天閣の真下を通るとこんな記念碑がありました。
坂田記念碑

名は「王将碑」。

調べたところ、明治から昭和にかけて活躍した堺出身の棋士・坂田三吉を顕彰するために建立されたとのことです。

坂田三吉は関西に敵なしとまで言われた伝説的な棋士で、貧困を克服して将棋界に名を轟かせたその生涯は、文字通り棋道に全てを捧げたものでした。彼に関するエピソードは数多いので是非調べてみて下さい。そのどれもが勝負師として、棋士としての誇りを感じる逸話ばかりです。

ただ、それが故に平坦な人生ではありませんでした。トラブルに見舞われることも度々で、亡くなった時は世間から顧みられることのないひっそりとした最期でした。

しかしながら、そんな一生が人を引き付けるのでしょうか。

坂田三吉がこの世を去って間もなく、彼の生涯を描いた映画「王将」が大ヒットすると坂田の名は棋士として不動のものとなりました。多くのライバルとしのぎを削り闘い続けた坂田は、将棋を愛した粋人として今もなお大阪の誇りとなっています。それが通天閣にあった王将碑だったというわけです。


ところでこの王将碑。

すぐ脇に将棋盤がありますね。こうした対局時の様子が写された将棋盤を正しくは「棋譜」といいます。

これは大正2年に坂田三吉と関根金次郎(後の十三世名人)が対局した時の棋譜ですが、なぜそれが展示されているのかというと、坂田三吉の有名な台詞「銀が泣いている」が発された対局だったからです。

この件について詳しく語ると長くなるのでざっとした説明になりますが、当時の対局の途中、坂田は関根の巧みな戦術に追い込まれてしまったそうです。

そうした中、坂田は関根の「香車」の前に「銀」を打って何とか打開しようとしますが、その意図を感じ取った関根はまったく動じず坂田を攻め続けます。

その数刻後に放たれたのが「銀が泣いている」という悲痛な台詞でした。

後に坂田は、この発言の真意について「あの銀はただの銀じゃない。それは阪田がうつむいて泣いている銀だ。(略)その銀という駒に阪田の魂がぶち込まれているのだ。」と語っています。

まさに坂田は、全身全霊をかけて将棋をしていたことが分かります。駒と自身を同一化して勝負に臨むこのエピソードを聞いて、果たして自分はそこまでの思いを掛けて仕事することがあっただろうかと考え込んでしまいました。こうした出来事があったことを知り、ますます大阪という街について興味が湧く今日この頃です。


さて、前置きが長くなりましたが、シャドーハウスと将棋って似てますよね。

いきなり何を言い出すんだと思われるかもしれませんが、ケイトが知恵を絞らせて様々な問題に立ち向かうのを見ていると、頭脳戦の比重が高い作品だと思います。

ジョンパンチのような少年漫画要素やパトリック周りの恋愛漫画要素も見逃せないと言ったらそれまでですが、それを踏まえたとしても知略が巡らされた作品であることは間違いないでしょう。実際にソウマトウ先生も「館ミステリー」と仰っていますからね。将棋と同じく、目的を達成するために相手との駆け引きを積み重ねてケイトは多くの収穫を手にしてきました。


ところが一転、今話でケイトは追い詰められました。

彼女を追い詰めた相手はアンソニーです。

アンソニーは自身の目的を達成するため巧妙に立ち回り、遂に第195話で表舞台に躍り出るまでになりましたが、彼は公衆の面前で「選択」という名の要求をケイトに突き付けました。

その要求になすすべもなく白旗を上げるケイト。

その姿は、詰みを察して投了する棋士のようでした。続きを読む

第200話 シャドーハウス【感想】

既に何度も繰り返しておりますが、シャドーハウスの連載回数が200回となりました!おめでたい!!

第200回扉絵

こちらは第200話掲載号のヤングジャンプの扉絵です。うん何度見てもいいですね!

シルエットなので二人の表情は見て取れませんが、シャドーハウスを読んできたファンなら二人の満面の笑みが見えていることでしょう。いや、絶対そうに決まってます!(断言)

さらに言わせて貰うなら、抱き合ってピョンピョン飛び跳ねている二人の姿だって私には見えますよ。第114話ラストのケイトとエミリコもそうでしたが、静止画なのにこうも躍動感ある描写を生み出せるのはソウマトウ先生の技術があってこそです。そして、ケイトとエミリコが手を携えてここまで歩いてきた道のりを、読者が知らず知らずのうちに想起しているからにほかなりません。

となれば、この扉絵はシャドーハウスという作品が築いてきた200のエピソードそのものを象徴しているといっても過言ではないでしょう。

ケイトとエミリコのシルエットの周囲には過去の単行本の表紙が鮮やかに散りばめられておりますが、それとは逆に、二人の黒塗られたシルエットの中には読者一人一人が思い描くシャドーハウスの思い出が写っているのではないかと勝手に想像しています。さあ、皆様の目には漆黒のシルエットの中に何が見えておりますでしょうか?


ところで、なぜ唐突にこんなことを書いたかと言いますと、鋭い方は想像つくかと存じますが第35話のエミリコの台詞「見えないからこそ私は想像したいんです」を念頭に置いた問いかけです。

原画展のソウマトウ先生のご挨拶でも引用されていたように、この台詞はシャドーハウスという作品を象徴する台詞です。pixivFANBOXにて、“今回の扉絵はあまり見かけない構成”といった旨の記述がございましたが、そうした大胆な構成になった理由として上述のように読者の想像に委ねる部分もあったのかなと思っています。

まあ、ここまでくると想像ではなく夢想、さらに言うなら妄想に近いですけどね。でもせっかくの記念回ですから大目に見てやって下さい。これが私の平常運転です。


ただ、それは物語を外側から見ている人間だからこそ許される行為です。想像を重ねてああだこうだと語り、それが外れていても何の危険もありません。神の視座の特権です。

しかし、登場人物からすればそれではいけません。想像、或いは推測を積み重ねながら、着実に真実に近づくよう慎重に事に当たらねば命を落とすことだってあり得るからです。そうした中で、直接的な確証を得られればそれに勝るものはありません。「情報」という力が古今東西重宝されてきたように、時としてそれは運命を左右します。


此度のエピソードでは、これまで語られてきた核心的な「情報」の多くを自らの手で得てきた、並大抵ならぬ人物の実像が明かされました。

煤煙によって覆われた館でさえも、彼にとっては野望を叶えるための舞台でしかありません。続きを読む
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