こちらの写真は説明するまでもない、大阪の象徴・通天閣です!

シャドーハウス原画展の大阪会場に行った時に、ついでに寄って撮ってきました。
以前の記事でもちらっと触れましたが、大阪はこれまで未訪問(新幹線等で通過や着地はしたことはある)だったんですよね。そこでこれ幸いと足を伸ばしました。他にも大阪城や道頓堀も見てきましたが、東京とはまた違ったエネルギッシュな街に大変驚かされました。まだ回っていない観光地もありますので、機会があれば再訪問したいものです。
ところで、通天閣の真下を通るとこんな記念碑がありました。

名は「王将碑」。
調べたところ、明治から昭和にかけて活躍した堺出身の棋士・坂田三吉を顕彰するために建立されたとのことです。
坂田三吉は関西に敵なしとまで言われた伝説的な棋士で、貧困を克服して将棋界に名を轟かせたその生涯は、文字通り棋道に全てを捧げたものでした。彼に関するエピソードは数多いので是非調べてみて下さい。そのどれもが勝負師として、棋士としての誇りを感じる逸話ばかりです。
ただ、それが故に平坦な人生ではありませんでした。トラブルに見舞われることも度々で、亡くなった時は世間から顧みられることのないひっそりとした最期でした。
しかしながら、そんな一生が人を引き付けるのでしょうか。
坂田三吉がこの世を去って間もなく、彼の生涯を描いた映画「王将」が大ヒットすると坂田の名は棋士として不動のものとなりました。多くのライバルとしのぎを削り闘い続けた坂田は、将棋を愛した粋人として今もなお大阪の誇りとなっています。それが通天閣にあった王将碑だったというわけです。
ところでこの王将碑。
すぐ脇に将棋盤がありますね。こうした対局時の様子が写された将棋盤を正しくは「棋譜」といいます。
これは大正2年に坂田三吉と関根金次郎(後の十三世名人)が対局した時の棋譜ですが、なぜそれが展示されているのかというと、坂田三吉の有名な台詞「銀が泣いている」が発された対局だったからです。
この件について詳しく語ると長くなるのでざっとした説明になりますが、当時の対局の途中、坂田は関根の巧みな戦術に追い込まれてしまったそうです。
そうした中、坂田は関根の「香車」の前に「銀」を打って何とか打開しようとしますが、その意図を感じ取った関根はまったく動じず坂田を攻め続けます。
その数刻後に放たれたのが「銀が泣いている」という悲痛な台詞でした。
後に坂田は、この発言の真意について「あの銀はただの銀じゃない。それは阪田がうつむいて泣いている銀だ。(略)その銀という駒に阪田の魂がぶち込まれているのだ。」と語っています。
まさに坂田は、全身全霊をかけて将棋をしていたことが分かります。駒と自身を同一化して勝負に臨むこのエピソードを聞いて、果たして自分はそこまでの思いを掛けて仕事することがあっただろうかと考え込んでしまいました。こうした出来事があったことを知り、ますます大阪という街について興味が湧く今日この頃です。
さて、前置きが長くなりましたが、シャドーハウスと将棋って似てますよね。
いきなり何を言い出すんだと思われるかもしれませんが、ケイトが知恵を絞らせて様々な問題に立ち向かうのを見ていると、頭脳戦の比重が高い作品だと思います。
ジョンパンチのような少年漫画要素やパトリック周りの恋愛漫画要素も見逃せないと言ったらそれまでですが、それを踏まえたとしても知略が巡らされた作品であることは間違いないでしょう。実際にソウマトウ先生も「館ミステリー」と仰っていますからね。将棋と同じく、目的を達成するために相手との駆け引きを積み重ねてケイトは多くの収穫を手にしてきました。
ところが一転、今話でケイトは追い詰められました。
彼女を追い詰めた相手はアンソニーです。
アンソニーは自身の目的を達成するため巧妙に立ち回り、遂に第195話で表舞台に躍り出るまでになりましたが、彼は公衆の面前で「選択」という名の要求をケイトに突き付けました。
その要求になすすべもなく白旗を上げるケイト。
その姿は、詰みを察して投了する棋士のようでした。

シャドーハウス原画展の大阪会場に行った時に、ついでに寄って撮ってきました。
以前の記事でもちらっと触れましたが、大阪はこれまで未訪問(新幹線等で通過や着地はしたことはある)だったんですよね。そこでこれ幸いと足を伸ばしました。他にも大阪城や道頓堀も見てきましたが、東京とはまた違ったエネルギッシュな街に大変驚かされました。まだ回っていない観光地もありますので、機会があれば再訪問したいものです。
ところで、通天閣の真下を通るとこんな記念碑がありました。

名は「王将碑」。
調べたところ、明治から昭和にかけて活躍した堺出身の棋士・坂田三吉を顕彰するために建立されたとのことです。
坂田三吉は関西に敵なしとまで言われた伝説的な棋士で、貧困を克服して将棋界に名を轟かせたその生涯は、文字通り棋道に全てを捧げたものでした。彼に関するエピソードは数多いので是非調べてみて下さい。そのどれもが勝負師として、棋士としての誇りを感じる逸話ばかりです。
ただ、それが故に平坦な人生ではありませんでした。トラブルに見舞われることも度々で、亡くなった時は世間から顧みられることのないひっそりとした最期でした。
しかしながら、そんな一生が人を引き付けるのでしょうか。
坂田三吉がこの世を去って間もなく、彼の生涯を描いた映画「王将」が大ヒットすると坂田の名は棋士として不動のものとなりました。多くのライバルとしのぎを削り闘い続けた坂田は、将棋を愛した粋人として今もなお大阪の誇りとなっています。それが通天閣にあった王将碑だったというわけです。
ところでこの王将碑。
すぐ脇に将棋盤がありますね。こうした対局時の様子が写された将棋盤を正しくは「棋譜」といいます。
これは大正2年に坂田三吉と関根金次郎(後の十三世名人)が対局した時の棋譜ですが、なぜそれが展示されているのかというと、坂田三吉の有名な台詞「銀が泣いている」が発された対局だったからです。
この件について詳しく語ると長くなるのでざっとした説明になりますが、当時の対局の途中、坂田は関根の巧みな戦術に追い込まれてしまったそうです。
そうした中、坂田は関根の「香車」の前に「銀」を打って何とか打開しようとしますが、その意図を感じ取った関根はまったく動じず坂田を攻め続けます。
その数刻後に放たれたのが「銀が泣いている」という悲痛な台詞でした。
後に坂田は、この発言の真意について「あの銀はただの銀じゃない。それは阪田がうつむいて泣いている銀だ。(略)その銀という駒に阪田の魂がぶち込まれているのだ。」と語っています。
まさに坂田は、全身全霊をかけて将棋をしていたことが分かります。駒と自身を同一化して勝負に臨むこのエピソードを聞いて、果たして自分はそこまでの思いを掛けて仕事することがあっただろうかと考え込んでしまいました。こうした出来事があったことを知り、ますます大阪という街について興味が湧く今日この頃です。
さて、前置きが長くなりましたが、シャドーハウスと将棋って似てますよね。
いきなり何を言い出すんだと思われるかもしれませんが、ケイトが知恵を絞らせて様々な問題に立ち向かうのを見ていると、頭脳戦の比重が高い作品だと思います。
ジョンパンチのような少年漫画要素やパトリック周りの恋愛漫画要素も見逃せないと言ったらそれまでですが、それを踏まえたとしても知略が巡らされた作品であることは間違いないでしょう。実際にソウマトウ先生も「館ミステリー」と仰っていますからね。将棋と同じく、目的を達成するために相手との駆け引きを積み重ねてケイトは多くの収穫を手にしてきました。
ところが一転、今話でケイトは追い詰められました。
彼女を追い詰めた相手はアンソニーです。
アンソニーは自身の目的を達成するため巧妙に立ち回り、遂に第195話で表舞台に躍り出るまでになりましたが、彼は公衆の面前で「選択」という名の要求をケイトに突き付けました。
その要求になすすべもなく白旗を上げるケイト。
その姿は、詰みを察して投了する棋士のようでした。
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のっけから遠慮ないこと書きますが、ケイトがアンソニーに放った「気持ち悪い!」ってその通りですよね。
長々と自分の生い立ちを語り、独善的な支配欲を隠そうともせず、全ては計算通りだと嘲笑うかのような調子で喋り続ける年上の男から「姉さん」なんて言われたら誰だってケイトと同じ反応をするでしょう。
そういえば第190話でクリストファーに対する狂信的な姿を見せていたルイスに対して、ルイーズも「気持ち悪いっ」と感じていたのを思い出しました。ルイスの行動はアンソニーによる策略の結果ですから、ルイーズの発言は遠回しにアンソニーに向けられていたと捉えることも可能でしょうか。
そう考えると、あれだけの顔の良さがあっても気持ち悪さが拭えないアンソニーのマイナス面はとてつもないですね。まあある意味、「顔」が重要視されるシャドーハウスという館の価値観から外れた存在とも言えますね。気持ち悪いものは気持ち悪いのです。
しかしながら、姉という肉親から罵られてもアンソニーの余裕の表情は崩れません。
アンソニーの話についてケイトは「作り話」と反発するものの、それはケイトが事実を受け入れたくないが故の発言だと確信しているのでしょう。顔を両手で覆うケイトを見るアンソニーの目は、全てはお見通しだと言わんばかりの自信に満ちていました。
しかし、ケイトにとっての悲報がここで終わらないのが今話の辛いところですね。
何と言っても広間はクリストファーを妄信するこどもたちでいっぱいなわけですから。
広間にこだまするケイトコールはケイトに向けられたものではなく、間接的にクリストファーに向けられたものなのは明白です。その重圧に耐えかね、そして仲間の身を案じたケイトが下した結論は、ここでアンソニーの軍門に下るしかないという悔しい結果になりました。
振り返れば第79話でアンソニーが言っていた「生徒になるべきだ」
それがとうとう現実になった瞬間です。あの時からここまでの道筋を描き、計算していたのかと思うとアンソニーの戦略と頭脳にはもう敵わないんじゃないかと思ってしまいます。
常に一歩前を行くアンソニー相手では、後手に回ることしかできない事実をケイトは認めざるを得ませんでした。
今回のサブタイトル「喪失」
これは様々な意味を持っているかと思いますが、もしかしたらケイトの「自信」の喪失を指しているのかも知れませんね。
なんせ、ローブ様を論破するきっかけになったジョンも、“師匠”のキャンディも、つい先ほどまで大活躍していたパトリックも皆クリストファーに心奪われてしまった状態なわけですから。ケイトからしたら今まで自分がやってきたことは何だったのかと疑問を持ってもおかしくありません。
何よりも、エミリコまでもが再洗脳されたとあれば、第114話の「再会」さえもがもう遠い思い出でしかありません。そうした事実を突き付けられたケイトの心境を思うと重苦しいばかりです。
此度のエピソードを読んで個人的に印象的だったのは、ケイトが終盤に言い放った「…これから私はどうすればいいのよ」でした。
この台詞は、エミリコに向けられたものです。
エミリコと言えば、ケイトにとって友情を超えた感情を持つ相手ですが、それが描写されたシーンは両手では数え切れません。
二人で部屋で過ごしていた時期も、お披露目中も、それ以降のあらゆる場面においても、ケイトはエミリコを気遣っていました。
もちろんそれだけではなく、第10話の時のように怒った時だってあります。
しかしそれはエミリコを思うが故に生じた出来事でした。
シャドーハウスに来る前からエミリコと出会っていた証拠ともいえる「大切なもの」をないがしろにされたのですから当然と言えば当然です。エミリコがケイトを敬愛する以上に、ケイトはエミリコを大切に思っていますし、そうなって当然すぎる関係を二人はこれまで築いていました。
ところが、そんなケイトが投げやりな言葉をエミリコに言い放ったというのですからこれはもう事件です。
いつものケイトなら「どうしたらいいのかしら」とか「どうすればいいの」といった口調でエミリコに語り掛けるはずです。
なのに、ここでケイトから発せられたのは「どうすればいいのよ」
あのエミリコに対してさえも諦観し突き放したような態度をとるケイトを見て、ああケイトは暫く再起不能だと思わずにはいられませんでした。
ただ、そうした中でもラストで少し希望が見えましたね。
ダグラスとダグです。
クリストファーに洗脳されないとしたら、マリーローズとローズマリー、シャーリーとラムぐらいしかいないのではないかと思ったところでの助け舟です。ダグの目を見ても綺麗なままですから、本当にダグラスもダグも無事なようです。
絶望的な中、つい最近仲間になったこの二人が来てくれるとは実に頼もしいです。彼らはクリストファーに疑問を持つ数少ない主従ですからここからケイトには反攻してほしいですね。(ついでに、同期繋がりでサラとミアも正常だったりしないかな?)
冒頭の話に戻りますが、坂田三吉が「銀が泣いている」と零したあの対局。
実を言いますと最終的に坂田三吉が勝利を収めています。
あの時確かに坂田は追い詰められていましたが、それでも辛抱強く関根金次郎の攻撃をかわしていき、粘りに粘ったところで関根が失手(負けに繋がる一手)を打ったのを見逃さず、そこから一気に逆転したのです。
ですので、ケイトにも勝機はあるはずです。
今はまだアンソニーに隙はありませんが、アンソニーが手中に収めた「こどもたち」との絆は洗脳ありきのまがい物でしかありません。
鉄壁とも思えるアンソニーの計画の綻びは、案外そういったところから生じることもあり得るでしょう。
ケイトにはその時まで、辛抱強く持ち堪えて欲しいです。
のっけから遠慮ないこと書きますが、ケイトがアンソニーに放った「気持ち悪い!」ってその通りですよね。
長々と自分の生い立ちを語り、独善的な支配欲を隠そうともせず、全ては計算通りだと嘲笑うかのような調子で喋り続ける年上の男から「姉さん」なんて言われたら誰だってケイトと同じ反応をするでしょう。
そういえば第190話でクリストファーに対する狂信的な姿を見せていたルイスに対して、ルイーズも「気持ち悪いっ」と感じていたのを思い出しました。ルイスの行動はアンソニーによる策略の結果ですから、ルイーズの発言は遠回しにアンソニーに向けられていたと捉えることも可能でしょうか。
そう考えると、あれだけの顔の良さがあっても気持ち悪さが拭えないアンソニーのマイナス面はとてつもないですね。まあある意味、「顔」が重要視されるシャドーハウスという館の価値観から外れた存在とも言えますね。気持ち悪いものは気持ち悪いのです。
しかしながら、姉という肉親から罵られてもアンソニーの余裕の表情は崩れません。
アンソニーの話についてケイトは「作り話」と反発するものの、それはケイトが事実を受け入れたくないが故の発言だと確信しているのでしょう。顔を両手で覆うケイトを見るアンソニーの目は、全てはお見通しだと言わんばかりの自信に満ちていました。
しかし、ケイトにとっての悲報がここで終わらないのが今話の辛いところですね。
何と言っても広間はクリストファーを妄信するこどもたちでいっぱいなわけですから。
広間にこだまするケイトコールはケイトに向けられたものではなく、間接的にクリストファーに向けられたものなのは明白です。その重圧に耐えかね、そして仲間の身を案じたケイトが下した結論は、ここでアンソニーの軍門に下るしかないという悔しい結果になりました。
振り返れば第79話でアンソニーが言っていた「生徒になるべきだ」
それがとうとう現実になった瞬間です。あの時からここまでの道筋を描き、計算していたのかと思うとアンソニーの戦略と頭脳にはもう敵わないんじゃないかと思ってしまいます。
常に一歩前を行くアンソニー相手では、後手に回ることしかできない事実をケイトは認めざるを得ませんでした。
今回のサブタイトル「喪失」
これは様々な意味を持っているかと思いますが、もしかしたらケイトの「自信」の喪失を指しているのかも知れませんね。
なんせ、ローブ様を論破するきっかけになったジョンも、“師匠”のキャンディも、つい先ほどまで大活躍していたパトリックも皆クリストファーに心奪われてしまった状態なわけですから。ケイトからしたら今まで自分がやってきたことは何だったのかと疑問を持ってもおかしくありません。
何よりも、エミリコまでもが再洗脳されたとあれば、第114話の「再会」さえもがもう遠い思い出でしかありません。そうした事実を突き付けられたケイトの心境を思うと重苦しいばかりです。
此度のエピソードを読んで個人的に印象的だったのは、ケイトが終盤に言い放った「…これから私はどうすればいいのよ」でした。
この台詞は、エミリコに向けられたものです。
エミリコと言えば、ケイトにとって友情を超えた感情を持つ相手ですが、それが描写されたシーンは両手では数え切れません。
二人で部屋で過ごしていた時期も、お披露目中も、それ以降のあらゆる場面においても、ケイトはエミリコを気遣っていました。
もちろんそれだけではなく、第10話の時のように怒った時だってあります。
しかしそれはエミリコを思うが故に生じた出来事でした。
シャドーハウスに来る前からエミリコと出会っていた証拠ともいえる「大切なもの」をないがしろにされたのですから当然と言えば当然です。エミリコがケイトを敬愛する以上に、ケイトはエミリコを大切に思っていますし、そうなって当然すぎる関係を二人はこれまで築いていました。
ところが、そんなケイトが投げやりな言葉をエミリコに言い放ったというのですからこれはもう事件です。
いつものケイトなら「どうしたらいいのかしら」とか「どうすればいいの」といった口調でエミリコに語り掛けるはずです。
なのに、ここでケイトから発せられたのは「どうすればいいのよ」
あのエミリコに対してさえも諦観し突き放したような態度をとるケイトを見て、ああケイトは暫く再起不能だと思わずにはいられませんでした。
ただ、そうした中でもラストで少し希望が見えましたね。
ダグラスとダグです。
クリストファーに洗脳されないとしたら、マリーローズとローズマリー、シャーリーとラムぐらいしかいないのではないかと思ったところでの助け舟です。ダグの目を見ても綺麗なままですから、本当にダグラスもダグも無事なようです。
絶望的な中、つい最近仲間になったこの二人が来てくれるとは実に頼もしいです。彼らはクリストファーに疑問を持つ数少ない主従ですからここからケイトには反攻してほしいですね。(ついでに、同期繋がりでサラとミアも正常だったりしないかな?)
冒頭の話に戻りますが、坂田三吉が「銀が泣いている」と零したあの対局。
実を言いますと最終的に坂田三吉が勝利を収めています。
あの時確かに坂田は追い詰められていましたが、それでも辛抱強く関根金次郎の攻撃をかわしていき、粘りに粘ったところで関根が失手(負けに繋がる一手)を打ったのを見逃さず、そこから一気に逆転したのです。
ですので、ケイトにも勝機はあるはずです。
今はまだアンソニーに隙はありませんが、アンソニーが手中に収めた「こどもたち」との絆は洗脳ありきのまがい物でしかありません。
鉄壁とも思えるアンソニーの計画の綻びは、案外そういったところから生じることもあり得るでしょう。
ケイトにはその時まで、辛抱強く持ち堪えて欲しいです。
