最も有名な「かたき討ち」といえば、やはり忠臣蔵でしょう。

江戸時代中期、戦国時代の記憶が薄れつつある元禄期に発生した「赤穂事件」

主君の無念を晴らすべく吉良上野介を討ち取った赤穂藩士・四十七士たちの行動は、太平の世に慣れた民衆に大きな衝撃を与え、ここに武士道ありと日本中から称賛されました。

この事件を基に作られたのが「忠臣蔵」です。

実際には、史実と比べてドラマや映画はかなり脚色されていますが、それさえも些事と言わんばかりに忠臣蔵は大人気です。

300年以上も語り継がれる我が国の冬の風物詩。今風に言えば「キラーコンテンツ」とでもいえましょうか。江戸の街を騒然とさせた復讐譚は、現代でも人々の心を捉えて離しません。


ということで、四十七士が眠る泉岳寺に行って参りました!

泉岳寺大石内蔵助

元々は赤穂藩主・浅野家の菩提寺だった泉岳寺ですが、今では赤穂藩士・四十七士ゆかりの寺として知られています。私が訪ねた時も、昼休憩を兼ねたサラリーマンやOLに混じり、外国人観光客の姿が多く見受けられました。


なお、四十七士のお墓があるのは泉岳寺ですが、大石内蔵助らが切腹した旧細川邸は北側に200mほど離れた位置にあります。

現在では高級住宅地として佇む白銀高輪。

こじんまりとした森が、当時の面影を残しています。
旧細川邸のシイ
写真の巨樹は樹齢400年以上と伝えられる旧細川邸のスダジイです。

十年ぶりに再会しましたが、当時よりも樹勢が良好でホッとしました。これからも300年前の惨劇の生き証人として命を繋いでくれればと思っています。


ところで、「かたき討ち」という言葉はよく知られていますが、実を言いますとこの「かたき」を何を指すのかについて定義ははっきりしていません。

厳密な定義としては、「かたき討ち」とは親や目上の親族を失った子が復讐のために実行することなのですが、すると親族ではない藩主の仇を討った赤穂藩士は、「義士」ではなくただの狼藉者となってしまうのです。

この件は幕末になっても結論は出ず、今でも様々な説や見解が出ています。恐らくは今後も議論は続くことでしょう。それだけ赤穂事件が「武士道」や日本人の精神に与えた影響は大きいと言えそうです。


さて、一見シャドーハウスとは相容れなさそうな話題となりましたが、こじつけではあるものの今回のエピソードと関係があります。

サブタイトルに名付けられた「かたき討ち」

作中では、まさに親族を失ったとある“生き人形”が、復讐のため行動を起こします。
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今回のエピソードでは、ついに洗脳から解かれたベルが描かれました。

ベルといえば、初登場した第17話でラムのことをいじめていました。それだけではなく第54話でも掃除をさぼっておりミアの不評を買っています。主人のイザベルとミラベルも、修練の間でエミリコに犬の真似をさせるなど、それはそれは性格の悪いキャラクターでした。
(もしかしたら初登場は第8話の大広間の見開きページかも知れません)(ただこのシーンではちゃんと掃除してるんだよなあ……)


しかしながら、イザベルとミラベルは第二次亡霊事件の容疑者として濡れ衣を着せられて、重労働を課せられました。

その代償を負ったのは従者のベルとベルです。

結果、過酷な扱いを受けた一人のベルは衰弱死し、もう一人は重労働からの解放後にイザベルとミラベルという二人の主人の「顔」を担うこととなりました。


これまで度々描写されたキャラクターが命を落とすという衝撃もさることながら、双子の片方が失われるという非情な現実に慄いたのが昨日のことのように思い出されます。

それまで一心同体だと強調されていたベルとベルでしたが、その片方がいなくなるという喪失感はいかほどかと感じたのです。しかも主人は二人とも健在というイレギュラーな状況です。一体全体この後どうなるのか見当もつきませんでした。


もっともその懸念はケイトとエミリコによって払拭されましたけどね。

イザベルとミラベルの二人に対して、“生き人形”が一人しかいないという状況に目を付けたダグラスは嫌がらせを企みますが、第84話でケイトは「見分けがつかないくらいイザベルとミラベルはシンクロしている」「もちろん“生き人形”も」「今もこのふたりは同じ顔をしている」「だったらふたりの顔はこれで間違いない!」という論法(ごり押し?)で周囲を説得し、バーバラの助け舟で事なきを得ました。

それに先駆けて、エミリコは班長としてベルのことを気にかけて、何度も部屋を訪れてぬいぐるみや手紙で交流を試みていました。

そしてベルの心を開かせるのに成功します。それによって新生・ケイト班(エミリコ班)は束の間の平和を享受することができました。
(名シーンの多い第82話ですが、ラストでエミリコの手紙を読むベルの姿がとても好きです。壁に貼ってある「生き人形の説明書」に背を向けているのが良い味出してます!)


ただ、それによってイザベルとミラベルがケイトに懐くという微笑ましい展開になったものの、一人のベルが亡くなったという事実は相変わらず重い影を残していました。それはイザベルとミラベルに対し、ベルが一人しかいないイレギュラーな姿が描かれるたびに、嫌でも思い出されるものでした。

前回の記事でも書きましたが、そんなベルの洗脳が解けてしまったら、彼女がどれだけの苦悩に打ちのめされるのか想像するのも恐ろしいくらいでした。


そして、満を持して描かれた今回の第217話。

扉絵に現れた幼少期の双子のベルの周りには、「ふたりでひとり」「いつだって一緒なの」「ふたりの違いなんてわからない」と、まるで二人で一つの存在だと強調するが如くモノローグが書かれています。もうこれだけで、ベルの洗脳が解けてしまったらどれだけのショックを受けるのだろうかと嫌な予感しかしません。

で、ページを開くと暗い部屋で震えるベル。

ついにこの瞬間が訪れてしまったかと、ベルの部屋と同じくらい暗い気持ちになってしまいました。


この時、ベルは状況を反芻していくうちにアンソニーが悲劇の元凶ではないかと思い至っていますが、その過程が実に印象的ですね。

まずは“生き人形”という存在に疑問を投げかけていますが、これはリッキーの時と似ています。

また、相方を亡くした原因として主人であるイザベルとミラベルを疑っていますが、これもリッキーやマギーと似ています。確かに自分と同じシルエットの異形の生命体がいたら怪しくて仕方ありません。

そして「すす管清掃」のことを思い出し、バーバラのせいではないかと、星つきのせいだと断じます。

確かにそうでしょう。そのことについては無能力者襲撃事件でギルバードも糾弾していました。これは書き換えられない事実です。


ところが、ここでベルは一旦立ち止まっているんですよね。

本当にそうなのかと、自分自身に過ちがあったのではないかと。

私はここで自分自身を責めるベルを見た時、ベルにとってもう一人のベルは本当に大切な存在だったのだと思いました。そして、ラムやマギーがいなくなったのも自分のせいではないかと思い悩み、「ごめんなさい」と涙する姿を見て、本来のベルはこれまで描かれてきた意地悪い性格ではなく、心優しい少女だったのではないかと感じました。

この答えが今後作中で描かれるかは分かりません。

ただこれまで洗脳が解かれてきた“生き人形”の過去を鑑みると、それもあり得ると思います。これまで“生き人形”の洗脳前と洗脳後の性格の変化について何度も描写されていたにも関わらず、正直ベルにもその可能性があることをすっかり失念していました。

もしそうだとすると、第54話でエミリコを転ばせていたベルはイザベルとミラベルの本来の性格に引っ張られていて、ケイトに懐いていたイザベルとミラベルの姿は本来のベルの性格から影響されていたのかも知れません。

そんなことを一連のベルの描写から考えてしまいました。


場面は変わって、アンソニーが全ての元凶だと思い至ったベル。

ここからのベルは意を決したのか大胆な行動に移っています。

……いや、大胆というか無謀といいますか。なんでこうもこの館の女の子は思い切りがいい子ばかりなんでしょうかね?

肉親の復讐に燃える心を思えば、まあ何も恐いものなどないでしょう。その志を果たすことだけを考えているのかも知れません。

しかし寝ている主人の部屋からこっそり脱出し、館を探索するとは大胆過ぎます。こんな怪しい行動してイザベルとミラベルに見つかったらと考えると恐ろしくてしょうがありません。

しかも顔の見えない人形が歩き回る夜の館内を探索するとは、その胆力には恐れ入ります。

さらにその上、いきなりクリストファーの部屋に潜入するのですからね。

この後アンソニーを倒す方法として掃除用の灰汁(多分重曹的なやつなのでアルカリ性)を使おうと知恵を働かせていますが、これが単独行動だというのですからある意味ケイトやエミリコよりも度胸があると言えるでしょう。

見ているこちらとしては、かつての深夜の見回りを彷彿とさせる雰囲気に少しだけ嬉しくなりましたが、それは読者だから言えることであってベル本人からしたら緊張の連続だったと思います。全くシャドーハウスの少女たちには天晴です。
(余談ですがアニメ1期の深夜の見回りから丁度4年ですね。懐かしい……)


さて、悲壮感溢れる前半、緊張感満載の後半と心休まることない第217話でしたが、一つだけ心温まるシーンがありました。

ベルがぬいぐるみを手にした場面です。

前回のラストでは、寂しく床に落ちていたぬいぐるみ。

ベルはそれにそっと手を伸ばすと、優しく包み込むように両手で持ち上げました。

第82話で部屋に引きこもっていたベルを案じてエミリコが作ったぬいぐるみは、知らずのうちにベルの心の支えとなっていたようです。今更になってエミリコに感謝しているということは、ぬいぐるみに思い馳せることすら必要ないくらいに、今ではベルの精神が安定していたということでしょう。それだけエミリコがベルに与えた影響は大きかったといえます。それが良く示されたシーンでした。


しかし、ラストではそんなベルに、あの男の影が忍び寄っていました。


恐る恐る螺旋階段の扉を開くベル。後ろにはアンソニー。


息が止まるくらいに恐ろしいシーンです。相手は躊躇なく人を殺める男なのですからなおさらです。柱に書かれている煽り文と同じく、私も「ベル、気づいてくれ!」と叫びそうになりました。


話は前後しますが、先ほどベルがエミリコから貰ったぬいぐるみを手にしたシーンの後、彼女は手紙をしたためています。

「親愛なるエミリコへ」から始まる手紙。

続いてぬいぐるみをくれたお礼が綴られていますが、手紙自体はその後も紙いっぱいに長きに亘ります。そこにはきっと、ベルからエミリコへの感謝の気持ちが書かれていることでしょう。


ご存知かと思いますが、第209話でエミリコは、自分は「泥ひばり」だと、館を離れ消えてしまった方がいいのではないかとショーンに零していました。

「サーカスをクビになったのが何よりの証拠」と俯き加減に語るエミリコにとって、このまま館にいてサーカス当時のように失敗してしまったら、みんなに迷惑をかけてしまうという負い目があるようです。一応ショーンに励まされてはいますが、そのことについて「まだ先の話です」と否定していないのを見ると、エミリコの中でその考えは変わっていないと思います。


もしそうなら、ぜひともエミリコにはベルの感謝の言葉が届いて欲しいです。

もっといえば、手紙ではなくベル自身がそれをエミリコに直接伝えて欲しいです。第82話で班長としてベルを守り通したことは間違いでなかったと、あの時の堂々としたエミリコも間違いなくエミリコ自身だったと、エミリコには気づいて欲しいのです。


しかし、それが叶うためにはベルには何としてでもこの窮地を脱して貰わねばなりますまい。

「かたき討ち」に時間の制約はありません。

仇敵の命が、そして自分自身の命がある限りそのチャンスは必ずやまた回ってきます。

悲願の成就のためにも、まずはこの難局をベルが回避できることを祈っています。