今週、連載開始日から丁度10周年目を迎えた、ソウマトウ先生作「黒」。

シャドーハウスが有名になってから暫く経ちますが、未だにSNSでは『シャドーハウスって黒の作者さんなの!?』とか『絵柄が似てると思っていたら同じ人だった!』なんていうコメントを時々見かけます。

それだけ、奇作でもあり名作でもある「黒」は、読んだ人の心に残る漫画だったのでしょうね。

そういえばシャドーハウスの連載が始まった頃、連載予告や巻頭カラーで「黒の奇才、初の週刊連載!」なんていう、明らかに「黒」を意識したコピーが載っていました。

直近の作品ではなくわざわざ「黒」を持ち出してくるということは、それだけ当時の"ソウマトウ先生=「黒」”のイメージは強烈だったのでしょう。

いわば『ソウマトウ作品群』の代表であったともいえます。
(もっとも前作の「ギリギリアウト」はシャドーハウスと作風は異なりますし、何よりKADOKAWAが発行元だったので編集部側がPRしなかった可能性の方が高そうですが)


さて、その「黒」ですが、本ブログをご覧の皆様は読んだことがおありでしょうか?

恐らく既読・未読両者が拮抗しているのではないか、というのが私の推測ですが、未読の方は是非読んでみて下さい。
ソウマトウ先生の絵柄が好み・少し謎のある日常ものが好きだ、という方には楽しんで頂けると思います。

そして、1回読んだだけという方がいましたら、是非もう一度読み返して下さい。
シャドーハウスと同じく、細かい描写に散りばめられた伏線やキャラの感情の機微に、改めて驚かせられるかと思います。


ところで、「黒」に関しては、世界観や各シーン・ストーリーについて様々な解釈がされていますね。謎が謎のまま終えてしまっているので、受け取る側の見方によって読み味が変わる作品といえましょう。
ある意味、明確な答えのない童話や昔話に似ています。

読者の想像にお任せする部分が多い作品については、それで(が)良いという方もいれば、答えがぼやけているのが肌に合わないという方もいるかと思います。

私の場合は、ファンタジーなのだからあるがまま受け止めればいい、というスタンスなのでどちらかといえば前者です。もっとも、こうなると人それぞれの好みの問題ですけどね。


ただ、そうは言っても気になるのは『結局この物語は何だったんだ?』という部分です。

実際に、ココが暮らす世界は奇妙な生物が跋扈し、しかもそれを視認出来たりできなかったりという、常識では測れない場所です。

特に“化け物”と呼ばれる生命体についてはその最たるものでしょう。


そこで本記事では、ソウマトウ先生の過去作や海外メディアの評価を参考に、漫画「黒」の世界観の一部を分析したいと思います。

当然の如く、漫画「黒」のネタバレがありますので未読の方はご注意を。
そしてシャドーハウスについても第71話までのネタバレ含みます。

では感想は続きよりお願い致します。



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「黒」は屋敷に住む少女・ココと飼い猫のクロが、とある町の“秘密”と共に暮らしている様子を描いたファンタジーです。
(この記事では以降、作品は「『黒』」、猫の方は「クロ」と記載します。)

私がこの作品に出会ったのはヤングジャンプでローゼンメイデンが掲載されていた頃ですから、少なくとも5年以上前です。当時は可愛らしい絵柄とクロの奇妙な姿に興味を持ったものの、その時のヤングジャンプは買わずじまいでした。今思えば惜しいことをしたなと思いますが、それが引っ掛っていたからこそ、シャドーハウスに出会った日にヤングジャンプを購入できたのだと思っておくことにします。

ただ、あの日立ち読みをしていたコンビニは今でも覚えています。それくらい記憶の深層に「黒」は刻み込まれていました。


さて、「黒」について書くからには作品世界に散在している謎についても書くべきでしょうが、先程も述べた通り、全部は書き切れません。やっぱり、ファンタジー作品であるからには描かれた「世界」はそのまま受け入れる方が賢明だと思うからです。

ただ、それだけではあまりに無味乾燥ですよね。ですので、ここではとある1点に絞って「黒」の世界観を考えていきたいと思います。

それは「黒」でひときわ目を引く“化け物”についてです。



結論から申し上げますと、「黒」に出てくる“化け物”と呼ばれる黒い生命体は、劇中でも触れられている通り寄生生物の一種とみて間違いないと思います。

実際、物語の各所で“寄生”という言葉が散見されますのでこう捉えるのが自然でしょう。


しかし、我々の身の回りにはあんな珍妙な生物はいません。

“化け物”は真っ黒い体に巨大な眼球、何よりも人間を襲う凶暴性を持っていますが、現在の地球上にあのような生命体は確認されていません。


すると、あの生物の存在は何かの隠喩ということになりますが、それについてはポーランド版出版の際に、ある解釈が発表されていました

詳しくはWikipedia黒(漫画)をご覧頂きたいのですが、ポーランドのマスメディアKonwenty Południoweは「黒」について“「目に見えないものは多いが、もし普段は見ることができない事象を見ることが可能になったとしたら、果たしてどうなるか。私たちはより賢く、より賢明な行動をし、脅威を避けることができるだろうか? 漫画『黒』の世界では、これらの脅威が物理的な形で描かれている」”(意訳)と評しています。

つまり、人の目に見えないはずの脅威が見える世界。それこそがココの住む世界だということです。


・人の目には見えない。
・しかし確実に人間の脅威であり、身体と生活を蝕む。
・それに対抗するため、人間は注射を打つ。
・人間の生活圏内から遠ざけるため、白い粉を撒く。

“化け物”の特徴を抜き出し、「黒」に登場する人間がどう対処しているのかを見た時、多くの方が同じ発想をすることでしょう。


感染症。

そう、「黒」の世界では、それが“化け物”という形で描写されているのです。

我々の世界で例えるなら、目に見えない感染症(特に寄生虫病害)が具現化され、人々はその脅威に怯えながらも抵抗し、日常を紡いでいるといったところでしょうか。


話題は変わりますが、実はソウマトウ先生の作品と“寄生生物”は、何かと縁があります。

例えば、ソウマトウ先生がコミカライズを執筆した「寄生彼女サナ ~Parasistence SANA~」(原作は別作者。漫画版は1巻のみで未完)は少女に擬態した寄生虫が登場します。これは名前から分かる通り、サナダムシのことです。

また、シャドーハウスでもシャドーの正体である「モーフ」と呼ばれる妖精が登場します。こちらも寄生生物です。第71話では生き人形を乗っ取ろうとしている様子が描写されていました。

つまり、「黒」は目に見えない感染症の恐怖を、“化け物”・“憑き物”・“クロ”として描いているのです。

そう考えると、作中での人々の行動や、“化け物”と呼ばれている生命体が当たり前に存在していることが何となく腑に落ちないでしょうか?


上記で書いた通り、ソウマトウ先生の複数の作品に寄生生物が登場しています。

そして、もしも「黒」が現実世界の寄生虫をファンタジー化して描かれたとすれば、その表現力に感嘆せずにはいられません。

寄生虫について勉強したことがある方ならご存じでしょうが、寄生虫の生態を理解するのは非常に難しいからです。というより、まだまだ発展途上の分野といってもいいでしょう。私は生活環の時点で断念しました。
(そんなこと言っていられる身分ではないですが)

ということは、のり先生かひっし先生(※「ソウマトウ」は二人組のユニット名です)のどちらか、或いはお二方は、この分野の造詣が深いと思われます。
実在する寄生生物の生態を取り入れて、うまく漫画に落とし込んだのでしょう。僅か単行本3冊の分量にはもったいない程の世界観です。


ただ、ここで注意したいことがあります。

それは、ここまで丁寧に作り上げられた世界観は、実際のところ物語の主題とは関係がないからです。


「黒」の主題とは、ココとクロの少し不思議な日常物語と、ココが過去のトラウマを乗り越えて前を向く成長物語の二つです。

ということは、さっきから長々と書いた「黒」の世界観は、身も蓋もない言い方をすれば必要ないわけです。単純に、少女と黒猫の交流と成長物語にすればいい話です。

ではなぜ、ソウマトウ先生は一見読んだだけでは掴みづらい世界観を設定したのでしょうか。


これに関して、理由は二つあると思います。

一つは、ソウマトウ先生は「作品の目的として意味はないけどその世界の日常的なこと」(pixiv FANBOX「その世界の日常的なこと」より抜粋 ※有料記事です)を描くよう心掛けているからです。

詳細は有料記事ですので伏せますが、つまりはストーリー上必須でない情報(登場人物の暮らす世界の情報)をできるだけ細かく設定し、それを描写する、ということだと思います。

シャドーハウスでも、現実世界では見受けられない風習や常識が、さも登場人物にとっては当たり前のように描かれています。普通、ストーリーに関わらない部分の情報は、物語を分かりやすくするためになるべく描写しないようにした方が得策ですが、「黒」やシャドーハウスでは逆の手法を用いているのです。

これは、ファンタジーにおいては、キャラクター達が暮らす世界の常識をできるだけ(そしてさりげなく)描いた方が世界観に深みが出るからなのかも知れません。

ソウマトウ先生が作品作りをする上での、テクニックの一つなのではないでしょうか。


そしてもう一つの理由は、「黒」の世界は決して“非日常”ではないという、ソウマトウ先生のメッセージが込められていると私は考えています。

「黒」について読者の感想を探していると、『あの“化け物”は最後どうなったんだ?』『ラストまで読んだけど結局何も解決していないじゃないか』『“化け物”については描き切れなかったのか』というコメントを度々見かけます。
確かに、そう感じるのは無理もないかも知れません。


ですが、「黒」の世界における“化け物”が感染症だとすれば、これらの意見は何の意味も成さなくなります。なぜなら、感染症を絶つことなど不可能だからです。

“化け物”に怯え、できるだけの対策を取り、不安を抱えながらも日常を過ごし、そして生活を営んでいく……。

「黒」で描かれた人々の生活は、現実世界と何一つ変わりません。

それは2020年~2021年の世界だけではなく、人類が誕生してから何百万年間も変わらない、人間そのものの姿です。

例え天然痘を撲滅できたとしても、日本住血吸虫や狂犬病のように局所的に根絶できたとしても、人間という存在ある限り、感染症の脅威から逃れることはできません。

「黒」において“化け物”の問題が解決していないというのは、そんな現実世界の一つの側面を描いたからだと私は考えます。

付かず離れず、そうやって我々は生きていくしかないのです。


しかし、では「黒」は救いのない物語なのかといったら、そうではないと私は思います。

「黒」の世界が我々の住む現実世界と似ているということは、「黒」の世界と現実世界における“日常”も、また同じと言えるからです。


「黒」世界では、人々は“化け物”に怯え、意を決しながら外出し、道を歩きます。

ですが、彼らの生活はそれだけが全てではありません。


町のそこかしこに温かい家庭があり、美味しい料理があり、公園では子供たちが遊び、商店列車が来れば皆着飾って出掛ける……。

それらもまた、「黒」の世界における“日常”のもう一つの側面なのです。


こうした明るい部分は、我々のいる現実世界と何一つ変わりません。
違うのは、「黒」の世界では感染症(寄生虫)が視認可能という一点のみです。

むしろ、「黒」の町において人間の悪意や犯罪がないことを考えると、“化け物”という人間の共通の敵がいる「黒」の世界は、人間関係に苛まれる現実世界よりも幸福とも解釈できます。
(単に犯罪行為が描写されていないだけかも知れませんが)


どちらが良い・悪いということはありません。いずれの世界においても共通するのは、人は与えられた環境の中でできる限りの手を尽くし、どこかで気持ちに折り合いを付けながら暮らすしかないということです。


その観点から見た時、「黒」の最後の場面は非常に印象的です。

たった一コマ、後姿だけですが、ココの成長した姿が描かれているからです。


私は初めてこのシーンを見た時、なぜだか分かりませんが胸が詰まりました。
同時に、言い得ぬ感情がこみ上げたことを覚えています。

きっと、同じように感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

今考えると、これはココが無事に大人になることができたことにホッとするとともに、脅威と隣り合わせの世界でココが美しく成長したことに感動を覚えたからだと思います。


「町に行こうよ」「今行くね」

ラストでココ達はこんなやり取りをしています。
ココを誘ったのはミルクとマリアです。

あまりにも平凡なやり取りですが、それが故、不穏な世界の中で紡がれている“日常”というものが、より輝きを放っているように感じられます。


何度も言っていますが、これは私達の住む世界でも同じです。

何気ない日常。

視点を変えれば、ありふれた毎日も、時には飽きてしまう日々も、それこそが「黒」のラストシーンのように、光り輝いて見えることもあるのではないでしょうか。


漫画「黒」は、目に見えない脅威が見える世界です。

しかしラストシーンでは、目に見えない“脅威”だけではなく、普段気にも留めない目に見えない“日常”の価値が、本当にさりげなく描かれています。

あの場面を目にした時の感動は、“日常”の価値・尊さが無意識の内に訴えられたからこそなのかも知れません。「黒」の世界観とストーリーの集大成といえましょう。


光に向かって歩き出すココ。

それは、生きることが大変な世界において、その苦労に折り合いを付けながらも日常を過ごしていこうとする姿に私は思えます。

もしそれを「希望」と呼ぶのだとすれば、ココにとってクロと過ごした日々は希望に満ち溢れていたことでしょう。


「また連れて行ってね クロ」


ココのこの台詞は、ありし日のクロに向けられた感謝の言葉だったのかも知れません。