平成の世も終わりに近づきつつある2018年9月6日、記念すべきシャドーハウス第1話がヤングジャンプ40号に掲載されました。

 

出版社側の期待も大きかったのか、初回にしていきなりの巻頭カラー&世界展開(韓国での同時配信)と、これでもかというくらい気合の入った幕明けでした。

 

出版不況といわれるこの御時世、少しでも風穴を開けて突破口を見出したいという思惑があったのかどうか定かではありませんが、兎にも角にもエミリコとケイトの物語はここから始まったわけです。

さて、まずは冒頭部分ですが、まるで童話や絵本の導入を思わせるようなナレーションと不可思議な一族の紹介、そして中世ヨーロッパを連想させる絵に好奇心が掻き立てられます。

 

私はこの時点で既にかなり気に入ったのですが、その次の見開きページのエミリコとケイトを見た瞬間、完全に落ちました。気がつけばヤングジャンプを手に取って衝動買いをしていたのですが、この手の世界観が好きだ!という人で、幸運にもこの号を手に取ることができた方はもれなく同じような感想を抱いたのではないでしょうか?

 

見開きの後はエミリコのモノローグとなり、そして主人公たる二人が登場するわけですが、開始早々異様な雰囲気が立ち込めています。それもそのはず、何せエミリコの主人=ケイトには顔がないのですから当然といえば当然です。人は見たことがないものを目にすると、無意識の内に、過去に見た似たようなものを投影しようと脳が働くそうです。ところがシャドー家の人々にはそれが通用しません。なぜなら彼女たちは、姿は見えずとも形は人間なわけですから。ならば彼女たちはどんな存在なんだ!、と違和感こそはっきりすれど、今目にしているものの正体は皆目分からない。これがシャドーハウスという作品に惹かれる要素の一つといえるかも知れません。

 

ただ、その一つ間違えば重苦しいだけの設定も、天真爛漫なエミリコの存在が見事に打ち消しています。良い意味で読者が抱いたぼんやりとした不安感を払拭しているんですよね。

この絶妙な組み合わせが、“隠された謎を見てみたい、少し怖くて重いけれども、二人の微笑ましいやり取りを覗きながらならついていけそうだ・・・”と知らず知らずのうちにこの作品のペースに巻き込まれ、深みに嵌る原因となっているに違いありません。

 

連載当初のエミリコとケイトのささやかな日常風景を経て、現在は登場人物も増えストーリーに厚みが増してきました。ただ、シャドーハウスが持つ独特の雰囲気と魅力は1話から本質的に変わっておらず、まさに原点となるこの話こそが、シャドーハウスの魅力の源泉といっても過言ではありません。

 

まさしく、本作品の登場を飾るに納得の第一話です。