別れの挨拶として用いられる「さようなら」

「左様であるならば」が変化して現在の形になったと言われていますが、この言葉の意味を掘り下げたエピソードとして有名なのが、冒険家リンドバーグの妻として知られるアン・モロー・リンドバーグの文です。

彼女は、昭和6年に来日した際に耳にした「さよなら」(さようなら)という言葉をこう評しています。


“「サヨナラ」は「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない”
(略)
“人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ”


飛行機の発達によって遠方への移動が盛んになりつつあった時代。

しかしそれでもなお、別れは人間にとって物悲しい人生の節目でした。通信技術の発達した現代においても同じなのですから、当時の人々にとってそれはもっと切実です。

夫と共に世界を旅したアンにとってみれば、行く先々で何度も別れを経験したことでしょう。

そんな彼女だからこそ、日本で触れた「さようなら」が新鮮に映ったのかも知れません。後に文筆家として活躍するアンが綴った前述の文は、この言葉に込められた日本人の感性を鋭く見抜くとともに、読んだ者に異邦人の旅情を自ずと想起させる名文だと思います。


ただ、私が「さようなら」という言葉を聞いてまず思い出すのは、2000年に発表された「オレンジ」という曲です。

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「オレンジ」はシングル「らいおんハート」のカップリング曲です。

ところが、当時は木村拓哉氏の結婚が大ニュースになっていたり、リーダーの中居正広氏とのやり取りがファンの間で語り草になっていたことによって、ラブソングである「らいおんハート」ばかりが取り上げられていました。「オレンジ」はその陰に隠れ、コアなファンしか知らない作品だったのです。


しかしそんな世間の喧騒とは裏腹に、私が心惹かれたのは「オレンジ」の方でした。

哀愁漂う前奏から始まり、夕焼けを想起させるメロディー、胸にスッと入ってくる淡々とした風景描写、幸せだった日々を端的に綴るブリッジ……

そして、究極の愛惜が込められているのではないかと思うほどの迫力あるサビ。


繰り返される「さようなら」は、作詞・作曲を手掛けた市川喜康氏曰く「男の幼稚さと身勝手さ」とのことで、確かに歌詞だけを読めばそう捉えるのが適当に思えます。

ただ、「オレンジ」を初めて聞いた時の私はそんなことよりも、「さようなら」を何度も叫ぶ主人公の心情を想像するたびに、彼が心の折り合いを付けるにはこれしかなかったのだと、これからを生きるためにはそうするしかなかったんだという不器用さを感じて仕方ありませんでした。

精神的に未熟だった当時、「別れ」こそが救いという逆説的な愛の形を目の当たりにして、ただただ圧倒されるだけだったのをよく覚えています。

今思えば、人生の中でどうしようもない別れを受け入れるための「さようなら」は、リンドバーグ女史が語る「心の暖かさ」に通ずるものだったのかなと思います。

サブスクも解禁されておらずあまり聞く手段がないのがもどかしいところですが、もしも聞く機会があれば是非とも聞いて頂きたい名曲です。

数あるSMAPの曲の中で、私は今もこの曲が一番好きです。


さて、いつもながら長くなりました。

今回「さようなら」という言葉についてなぜ長々と語ったかと言いますと、第229話の中で私が最も印象に残ったシーンと関係あるからです。

激烈な展開から一転、不意にもたらされた笑顔。

穏やかに告げられた「さようなら」が、今もなお私の心を波立たせています。続きを読む