ルールとマナーは似て非なるものです。

ルールとは“決まり事”、マナーは“気遣い”と私は解釈しているのですが、英語の意味を調べていると概ね合っているようです。

スポーツで言えば、競技規定がルールで、スポーツマンシップや『暗黙のルール』といったものがマナーにあたるかと思います。


ところで、“ルール”は日本語としても浸透していますが、英語の“rule”は宗教の規定や制約も指すそうです。

日本語だとスポーツ競技において頻繁に使用されるため、ビジネスや宗教といった分野で「ルール」という言葉をあまり見かけませんが、英語ではどんな分野でも“rule”で通用します。
こうなると「ルール」も1種の和製英語と言えそうですね。


さて、この「ルール」は我々の日常生活に身近な存在ですが、運用していく上での一番の難点は“判定の是非”ではないでしょうか。

社会生活でもスポーツでも、その結果を巡って諍いが起こることは日常茶飯事です。

現実社会であれば司法、スポーツであれば審判が権限を行使してその判断を行うわけですが、誤審となると試合結果だけではなく、歴史が変わっていたのではないかという事例は数知れません。

先日亡くなったマラドーナ氏の「神の手ゴール」はその代表といえます。
(全然関係ないですが、ソウマトウ先生が影響を受けたという“ウォレスとグルミット”が2018年ワールドカップ招致のPVとして用いられた際に、「神の手ゴール」のパロディが作中で描かれたそうです)

そうした事態を招かないようにするため、テニスならチャレンジ、野球はリクエスト、相撲は物言いがあります。現実社会では警察による権限行使の後、三審制の裁判制度があります。


ただそういった制度があったとしても、なかなか万人が納得する結果が出るわけではありません。
これらの制度が円滑に運用されるには、ジャッジを下す者や団体に権威と正当性が必要だからです。そうでなければ、誰も言うことを聞く筈がありません。

先日相撲に関する記事を読んでいたのですが、横綱審議委員会が抱える問題は委員会の行動ではなく、委員会の権威の失墜こそが迷走の原因であるという意見がありました。
軽くあしらわれる、言い方を変えれば「舐められている」状況では、何を言っても相手には伝わらないのです。


シャドーハウス、特にこどもたちの棟においてルールの運用を行っているのは星つきです。

バーバラを筆頭に腫れもの扱いされる立場ですが、内情を知った読者にとっては危なっかしくて仕方がない存在です。
なんといっても、バーバラ自身がナイーブな性格ですからね。いつ見ても心配でたまりません。


ですが今回のお話では、こどもたちの棟の秩序を守る者として彼女は堂々と適切な判断を下しました。

立場が人を作る、なんて言葉がありますが、バーバラがリーダーとして冷静に振る舞う場面は私のお気に入りだったりします。こういったシーンを見るたびに、「バーバラは煤量だけじゃないんだぞ!」と心の中で応援しています。
彼女の大変さは知っていますが、これからもこういったシーンが見てみたいですね。


第84話は、こどもたちの様々な表情を見ることができました。


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広い廊下に響く、双子の問い掛け。

ベルは一体どちらの顔なのかと迫られたケイトは、一呼吸置いてこう尋ねました。


「そもそもイザベルとミラベルは自分の顔を決めていないわけ?」


読者も気になっていた疑問をケイトが質問してくれました。
これまで“ふたりでひとり”を信条としてきたベルとベルですが、もしも二人の主人が決まっていたら話は早いです。

解決策を見出すため、ケイトは初歩的な疑問から話を進めようとしました。


ところが、二人はそんなこと露ほども考えたことはなかったようです。
一つも恥じ入ることもなく、知らないと言い切りました。

それどころか、イザベルとミラベルは更にケイトを急かします。

ケイトは班長として、誰もが納得のいく説明を求められました。


しかし双子の返答はケイトにとって想定内だったように見えます。
実際に、ケイトは「本当に見分けがつかなかったのね」と言っていますし、これまでのイザベルとミラベルの言動から、二人は生き人形を区別していなかったと推理していたのでしょう。

ならば、この後に続く台詞はケイトがあらかじめ考えていた返答とみて間違いはないと思います。


ケイトは班長らしく、まずは諭すように語りかけました。


ベルがおかしいのはすす病のせいではないこと、
主人同士が争っていたら「顔」が務めを果たせないこと、
文句を言っても仕方がないこと、
今からできることをやるべきであること……。


「顔」について話していた時、まさに「顔」ができておらず頷いているエミリコへのツッコミは置いておきましょう。

とにかくここでケイトが言いたかったのは、状況を整理して現実を見るということでした。


ベルの「顔」にこれまで問題がなかったのであれば、今ここにいるベルはどちらの「顔」をこなすことも可能です。
そうであれば、もしも“生き人形”が一人だけでもさしたる問題はない筈です。


そこまで説明したところで、ケイトはイザベルとミラベルを一喝しました。

「顔」を巡っていがみ合うのではなく、もっと「顔」を大切にすべきと叱責したのです。


ケイトの喝に煤を出すイザベルとミラベル。
ケイトの理論に完全に賛同したのか分かりませんが、ようやく二人は沈黙しました。

煤を出しているということは、二人はまだ納得がいっていないのかも知れません。
ですがこのまま「顔」を奪い合う生活が続くことや、2分の1の確率で“処分”される危険性があることを理解したのでしょう。

それに、もしかしたら二人とも共倒れになる可能性も十分あります。
それだけは絶対に避けなければなりません。


そんな逡巡があったのかどうか知る由はありませんが、イザベルとミラベルからそれ以上抗議の声が上がることはありませんでした。

ひとまずではありますが、ケイトは二人を説得することに成功しました。


話が一段落すると、ケイトは二人をサロンへと誘います。

誘い文句は「ジャムタルト」。
前話でダグラスが言っていた双子の好物です。

ダグラスの発言をそのまま信じて良いのかと心配になりますが、次のページでは大人しくケイトの後を付いて歩く二人とひとりがいました。あの発言がケイトを陥れる虚言でなくて良かったです。

何とかイザベルとミラベルを部屋から引きずり出すことができました。


しかしサロンと言えば、多くのこどもたちが集まる交流の場です。
早速イザベル達は好奇の目に晒されました。

一番に反応したのは、かつてのイザベル・ミラベル班の班員だったマーガレットと新人の少女です。


新人の少女がいつの間に成人したのかは分かりませんが、この2対は主従共々、双子から散々煮え湯を飲まされてきました。
今はエリザベスを班長とする第9班の班員ですが、流石にこれまでの事を水に流すわけにはいきませんでした。
ひそひそと声を潜めると、哀れみの笑みでイザベルとミラベルを嘲笑します。

対して班長のエリザベスの生き人形・リズはというと、双子の姿を見て驚いています。
エリザベスとリズが部屋の中でどんな関係なのか分かりませんが、もし班長会議でのエミリコの様子をリズがエリザベスに話していたとすれば、『あの子、本当に双子を連れ出してきちゃったよ!』といったところでしょうか。

僅か一コマですが、三者の双子に対する感情が赤裸々に表れていました。


しかしどんな視線であろうとも、イザベルとミラベルにとっては一つも面白くありません。
見せ物じゃないと3対に食って掛かります。


しかし、否が応でも双子の挙動は注目を浴びていました。
ましてや班員にとっては尚更です。

サラは一目見るなり「なんでその状態で連れ出してきたの!?」と戸惑い、ルイーズは「面白ーいっ」と興味津々です。第10班でも双子に対する評価は二分されました。

ケイト班が全員集合したのはこれが初めてですが、これではまだまだ先が思いやられます。


ところがタイミング悪く、あの班がまたもやサロンにいました。

ダグラス率いる第1班です。

9班と10班とは違い、こちらはイザベルとミラベルに対し評価は完全一致していました。
「顔」が足りていないと嘲り笑います。
それどころか、ケイトの子分に“成り下がった”と囃し立てました。

元班長の肩書を持つイザベルとミラベルにとってこれ以上の侮辱はありません。二人はケイトは班長だから仕方なく指示に従っただけだと抗議しました。

こうなるともう手が付けられません。
とうとうイザベルとミラベルに対して『処分コール』が沸き起こりました。

これは第1班と第9班(エリザベス組を除く)の合同コールです。
もはや空中分解寸前となった第10班は、ピンチに陥りました。


しかしそれを座して眺めるケイトではありませんでした。

むしろ冷静に情勢を見ていたのでしょう。
少しすると、ケイトはこう切り出しました。


「双子に貴方たちは顔の差があると思っていたの?」


生き人形が人間と知っているケイトからすれば不本意な問い掛けだったことでしょう。
ですがこの場を収めるには、イザベルとミラベルに語った通りに説得するしかありません。かなり強引ではありますが、イザベルとミラベルはシンクロしているのだから二人の顔は「これで間違いない!」と力技で押し切りました。

ケイトの気迫と、懐かしいすました表情のベルの顔を見てジェームズとローレンスはたじろきました。
きっと残りの3組も同じだったでしょう。ここまでくればあと一押しです。


ところが、ページをめくると形勢は一転しました。
これまで鳴りを潜めていたダグラスが現れたからです。

その横を歩く、バービーとバーバラ。
冒頭で怪しくケイトとイザベル・ミラベルのやり取りを見ていたダグラス達は、ケイトを陥れるためにこどもたちの棟のリーダーを引っ張り出してきたのです。

女の子同士のやり取りを覗き見している方が「いやいやルール違反だろ」と言いたくなりますが、とにかくこの場の裁定はバーバラに委ねられました。どうにかしてダグラスに有無を言わせないようにせねばなりません。
一方的に屁理屈だと罵るダグラスを相手に、ケイトは不利な状況に追い詰められました。


しかしダグラスの得意顔は思わぬ方向から崩れ去ることになります。

なぜなら、「班長失格」と決め台詞を吐いたまでは良かったのに、突如としてダグの髪が乱れ始めたからです。

それどころか、1班の生き人形はテーブルに上ると珍妙なポーズを取り始めます。

ダグラスも余程気にしているのでしょう。
前髪が乱れるダグを見て、髪を乱すなと大慌てです。


いきなり意味不明な行動をとり始めた4人の生き人形達。
ところがそれとは対照的に、非常に冷静な主従がいました。

イザベルとミラベルです。

ケイトは双子の方を振り向くと、その指先から僅かに煤が出ているのを目にしました。
以前エミリコが操られたのと同じように、今度はダグ達をすす能力で操っていたのです。

これがケイトを守るための行動だったのか、それとも自分たち自身を守るための利己的な行動だったのかはイザベルとミラベルに聞いてみないと分かりません。

ですが重要なのは、ケイトとイザベル達の利害がここで一致したことです。
それだけで大きな一歩です。


醜態を晒す第1班を見て、バーバラが問い掛けます。
いよいよ審判の時です。

ダグラスは不利になったのを感じてか、そうじゃないんだと言いたげです。

しかしここでイザベルとミラベルのすす能力に言及するのは、覚醒していないシャドーの前では御法度でした。この場をひっくり返す手段は、ダグラスに残っていませんでした。


かくして、裁定が下ります。

・双子の生き人形の片方がいない場合の処遇は大人に権限がある。
・双子の処分の必要性は現在のところない。
・「すす管清掃」から帰って来たのだから罰は終わっている。
・班員の事は班長に一任している。


これがバーバラの見解でした。

特に最後の「班長に一任」は非常に重たい言葉です。
裏を返せばケイト班の班員にダグラスが口を挟む余地はないと言ったも同然だからです。

おまけに、現在進行形で班員共々醜態を晒しているのはダグラスの方です。

他の班の事に構っている場合かと睨むバーバラを前に、ダグラスは冷や汗を浮かべるほかありませんでした。


事が終わり、静かに去るバーバラとバービー。
ダグラス班も逃げるように退却です。

ケイトはバーバラの背中を見送りながら、ひょっとしたらベル姉妹に対してバーバラは後ろめたいのかも知れないと考えていました。確かにケイトの言う通り、それが先程の判断に繋がったのかも知れませんね。


ただここまでの成果を出すことができたのは、星つきの威光やダグラスの自爆のお陰ではありません。
これはケイトが難題に直面しながらも手繰り寄せた、ケイトだからこそ成し得た勝利です。

それを理解したのか、ぶっきらぼうではありますがサラも納得したようです。

ケイトが手を叩くと、10班はサロンへと向かいました。
後ろにはちゃんと皆付いて来ています。

遠回りはしましたが、ようやくケイト班が名実ともにスタートしました。
めでたしめでたしです。


ですが、これで良かったと終わらないのがシャドーハウスです。

第82話の班長会議でバービーが言った台詞を思い出しましょう。


「それまでに班をまとめ上げろ!」


班をまとめるのは班長の仕事です。
それは班長としての義務であり、そしてこどもたちの棟で生き抜いていくための鉄則でもあります。


しかしあの時のバービーの台詞には、一般論以上の意味合いがありました。

バービーが出した条件。
それは「大人の視察時」までという期限付きだったからです。


ようやく班をまとめてこれからという時に、またもやあの人物が姿を現しました。


栄光の廊下の真ん中に佇むエドワード。
彼が立っているのはやや大人の棟に近い場所です。

その目の前には、完全に修復された廊下の壁がありました。


あれだけ盛大に破壊されたにも関わらず、あっという間に直ってしまいました。
やはりエドワードは優秀なのでしょう。表情を見る限りでは、先日の失態は全くダメージになっていないようです。


マリーローズとの闘いの跡地を、不敵な笑みで眺めるエドワード。

完全に修繕された壁を見て、揺るぎないシャドーハウスという館の支配体制を重ねていたことでしょう。

それはまた、ケイトの反乱など壁の修復くらい簡単に対処できるという、自信の表れなのかも知れません。