あまり日常生活では使いませんが、“甘言”という言葉はよく見かけます。

読んで字の如く、口先だけの聞き心地の良い発言を指す言葉です。
そういった言葉を並べることを、“甘言を弄する”などと表現したりします。


この“甘言”と似た言葉に“巧言令色”という熟語があります。
この言葉を用いた文で最も有名なのは、論語の

「子曰く、巧言令色鮮きかな仁。」
(巧みに言葉を飾り人の顔を伺う者には、人徳や情はない)

です。(“巧言令色鮮し仁”とも言います)


論語は春秋時代の中華の思想家・孔子の言葉をまとめた本ですが、2000年前の言葉が現在でも通用するとは面白いものです。結局のところ、人間の本質は案外変わっていないということでしょう。

論語には、現代においても非常に示唆に富む言葉が数多いです。もしも興味がありましたらインターネットで探してみて下さい、幾らでも見つかります。本屋に行けば関連書籍もたくさんありますので手に取ってみてはいかがでしょうか?


さて、シャドーハウスから話題が逸れましたが、論語の中でもう一つ紹介したい言葉があります。

それは、

「子曰く、徳は弧ならず、必ず鄰あり」
(人格者は孤独ではない。必ずそれを仰ぎ、共鳴する者がいる)

です。

シャドーハウスと出会い物語が進む中で、この言葉から私が想起したのはケイトの姿でした。

ケイトの正義を貫こうとする姿勢にエミリコやジョン・ショーンは共感し、当初の孤独だった闘いが様変わりしました。彼女の正しさは、第74話ですっきりとした笑顔を浮かべていた、ローズマリーの表情が何よりも物語っています。

仲間とはまだ言い切れませんが、ルイーズ組やパトリック組とも良好な関係を築いていますし、もしもシャーリーとラムがいればきっと心強い理解者になってくれたことでしょう。

ケイトの志には、それだけの魅力があるのです。


しかしそのケイトの仲間集めも、“甘言を弄する”あの人物によって阻まれることとなります。

あと一歩のところで、ケイトの想いはサラに届きませんでした。



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ダグラスから遅れること数刻、ケイトはサラの部屋の前に着きます。

返事のない扉に向かってサラに語り掛けるケイト。
ケイトがサラに送った言葉は、班だとか役割などといった煩わしさからは無縁の、ただただ一人のシャドーとしての気遣いの言葉でした。


ところが、既にその部屋にはサラがいないことを、ケイトは知る由もありませんでした。

なぜなら、サラは天井から不気味に垂れ下がった煤つららを残し、誘われるままダグラスに付いて行ってしまったからです。

ケイトのサラへの想いは、あとほんの少しのところで届きませんでした。
ケイトの台詞が無人の部屋に寂しく響きます。


例え届かぬ言葉とて、ケイトが誠実にサラと向かい合っているというのに、全く同じタイミングで悪だくみをする人物がいました。

エドワードです。

イザベル達の態度から隠し事があると察するものの、こどもたちからそれが何であるかは吐かせられずにいました。それについて、星つきが関与しているのではないかとエドワードは判断しました。


そうと決まれば、次に向かうのは星つきの4組です。
部屋に着くなり“特別な珈琲”を置き、そこからエドワードの査問が始まりました。


・珈琲瓶の数が足りない。
・全員の「顔」に疲れが見えている。
・特に珈琲の管理者のスザンナの「顔」がやつれている。


これらの事実から、煤珈琲について星つきが何かミスしている可能性が高いとエドワードは気付きます。ここまではほぼエドワードの推理通りです。スザンナは何も言えず黙るしかありませんでした。


ところがそこで助け船を出したのは、星つきのリーダー・バーバラでした。

以前スザンナに語り掛けたように、彼女だけに責任は負わせまいと、珈琲瓶は自身が割ってしまったと庇います。

そんなバーバラにベンジャミンとオリバーが加勢したことで、エドワードはこの件から手を引きました。ひとまずは星つき達の勝利です。

しかも去り際に、エドワードは「“珈琲”が1週抜かれただけでこのザマか」と捨て台詞を吐きますが、それを聞いてバーバラは何かに気付きます。

恐らくエドワードは、煤珈琲の供給停止は栄光の廊下の破壊によって滞った1週間だけだと思い込んでいるようです。ということは、ベル姉妹の珈琲瓶破壊は誰の口からも漏れていないことになります。

バーバラは、イザベル達に対しすす管送りにしたことを悔やんでいました。
しかし秘密も漏らしていないとあれば、バーバラのイザベル達への印象は変わることでしょう。これで彼女達に対する評価が少しでも変わると良いですね。
その上で班長のケイトの評価が上がれば何も言うことはなしです。

この時点では、ケイトにとっても星つきにとっても事態は好転しつつありました。


しかし、思わぬところから状況は暗転します。
エドワードが星つきの前から去った後、とうとうあの二組が登場したからです。


シャドー化したエドワード。

ソファに座る彼の真向かいには、ダグラス組とサラ組がいました。
そして彼らの間には、今まさにドリップされた新鮮な珈琲が置いてあります。

まごうことなき、“特別な珈琲”です。

ダグとミアは瞳を輝かせると、同時にカップに口を寄せます。
あっという間に二人の瞳は、濁りに濁ってしまいました。


“生き人形”が洗脳されると同時に、エドワードは二組にとって聞き心地の良い言葉を並べていきます。
副題にあった「甘言」がダグラスとサラに浴びせられていきます。

「洗脳」と「甘言」によって、徐々にダグラスとミアは自分達の現在置かれている状況に不満を感じていきます。やがてそれは、星つきに対する疑問へと繋がっていきました。


ここまでくればエドワードのペースです。エドワードは、特に現在の状況に不満を持っているであろうサラに狙いを定めて、例外中の例外として彼女にある秘密を打ち明けました。

“すす能力”です。

突然のエドワードの暴露にダグラスは驚愕しました。
やはりサラはすす能力が開花していなかったのです。

しかしエドワードはそんなことはお構いなしに、自身のすす能力をサラの前で操ります。

初めて見る光景に、サラもミアもうっとりとした表情です。すす音符に目が釘付けです。
ダグラスも大人のすす能力を見て、その能力の高さに感嘆しています。


エドワードからもたらされた、突然の『秘密の開陳』。

これは何も、ダグラスとサラに対するサービスではありません。
そして、ダグラスとサラを心から思いやっての行動でもありません。


ならばエドワードの目的は何か。

それは、エドワードの“駒”として二組を自陣に引き入れることです。

エドワードは一通りすす能力をひけらかすと、サラの肩に手を置きました。


スキンシップ、甘言、秘密の開陳……。


サラの自尊心を満たすには、これで十分過ぎました。
ましてや、最近のサラは失敗続きで自信を失っていました。

向上心のある者を卑下した後におだて上げ、終いには『君は特別だ』『君にだけは教えよう』と囁けば、そこから先は一本道です。

サラはあっという間にエドワードの手中に落ちました。

その様子を見ていたダグラスも、彼自身は星つきから十分に評価されていたというのに、心はエドワードへと傾きます。

ダグラスに対しては、同調現象に似た効果が作用しました。


まるで洗脳の教本の如く、ダグラスとサラを誘導するエドワード。
エドワードの本心に気が付かないまま、唆されるように二組はある決意を固めます。


「全てお話します」


彼らの決意の内容は明かされていません。しかし恐らくは、珈琲瓶に関することをエドワードに告白しようと決めたのでしょう。ダグラスとサラの言う「全て」がどこからどこまでなのか分かりませんが、少なくとも他のこどもたちにとって脅威になることは間違いありません。

直後、視察が十分な成果を挙げたことに満足したのか、エドワードが乗ったセダンチェアは栄光の廊下の向こう側へと去っていきました。


それを見送る星つき達と、遠目に見つめるこどもたち。

暫くして、サラとミアがケイトの前にひょこっと現れました。面談直後とは打って変わって平静です。それどころか、これまで高慢だった態度が嘘のようにつつましやかな表情をしています。

ミアがサラの「顔」としてこんな表情をしたことがかつてあったでしょうか。少なくともケイトの前では絶対に見せなかった表情です。

おまけに、ここで述べられた台詞はどれも謙虚なものばかりです。厳しい言葉に反省したと語るサラに、ケイトは班長として「頼りにしているわ」と語り掛けました。


しかしエドワードとのやり取りを知っている読者からすれば、サラの言葉をそのまま鵜呑みにするわけにはいきません。直後にサラから手を差し伸べてケイトと握手を交わしますが、その表情は全く見えず、ミアの顔も画面の外へと隠されてました。


この時ケイトとエミリコ、それに周りのこどもたちからはミアの表情は見えていたことでしょう。

しかし読者からは見えません。


反面、我々読者はサラがエドワードから何か唆されたことは知っています。

しかしケイトはそれを知りません。


本来読者は、物語を俯瞰した目で見ることができる筈なのに、この場面に関しては登場人物達とは正反対の立場に置かれました。サラの意図は分かる筈なのに、ミアの「顔」が隠されたことで不気味さが一層増しています。

まるで私達も、ケイト達と同じくシャドーハウスという迷宮に迷い込んだかのような錯覚に囚われてしまいそうです。


ラストページに描かれたサラの姿を見て、多くの方が背筋が寒くなるような感覚になったかと思います。

これこそが、ケイトとエミリコが館の中でいつも感じている感覚なのかも知れません。