シャドーハウスがどんな作品かと問われた時、「主従関係」を無視して語ることはかなり困難です。

試しに、シャドーハウスの魅力を誰かに教えると想像してみて下さい。様々な切り口で説明したところで、終わった頃には「主従関係」或いはそれに似た言葉を使わなければ成り立たないことを、嫌でも痛感することと思います。


余談ですが、アニメシャドーハウスの一期が初放映されたのは令和3年4月10日でした。

この日はシャ(4)ドー(10)と読むことができる、なんて一部で話題になっておりましたが、実は「主従の日」でもありました。

シャドーハウスのタイトルと内容、両方に関係のある日が偶然にもアニメ第1話の放映日だったのです。

運命の悪戯とはかくもよく転がっているものですね。こういった現実世界とのクロスオーバーはシャドーハウスでは珍しくありません。いつかそれをまとめられればと思っています。(何年後になることやら…)


ところが、よく読んでみると同期組に関しては単純な「主従関係」とは言えない部分もままあります。

私的見解ですが、

ケイト&エミリコ→母娘、親友
ジョン&ショーン→兄弟、相棒
ルイーズ&ルウ →姉妹、級友
シャーリー&ラム→魔女っ娘と使い魔

この4組はこんな風な関係ではないかなと眺めています。もちろんこれは私の考えですので違うという方もいらっしゃるかと存じますが、いずれにせよ「主従関係」という一言では言い表せられない関係性を彼ら彼女らは築いているのです。


すると、パトリックとリッキーは同期の中では稀有と言えそうです。

パトリックは立派なシャドーでいようと心掛ける描写が散見されますし、リッキーは主人のために優秀であろうと努力するシーンが多いからです。

同期組の中で、これほど自己を「主人」或いは「従者」だと自覚しているのはパトリック組が唯一でしょう。ある意味貴重なペアだったわけです。


しかし、此度のエピソードでは本音を語り合うことで、二人は「主従関係」とは違う関係性を発見しました。

それでは本題に移りましょう。

サブタイトルこそは「主従関係」ですが、第135話の主題は「魂の友」(ソウルメイト)です!!
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いきなり一体何を言ってるんだと思われたかも知れませんが、「魂の友」(ソウルメイト)は私の発言ではありません。

名付け主はパトリックです。

これまで「同期の絆」「薔薇の集い」とユニークなキャッチコピーを考案してきた彼ですが、今回もまた強烈な言葉を生み出しました。

この堂々とした様子を見るからに、パトリックはこういう言葉遊びが好きなのでしょう。

もしもシャドーハウスに流行語大賞があったら、パトリックの台詞だけでノミネートが埋まるかも知れませんね。(ショーンが「星つきと仲良し作戦」という作戦名を作っていなかったら、果たして彼はどんな作戦名を付けたのか少し気になってきました…。)


さて、以前は「同期の絆」をジョンに突っ込まれ、「薔薇の集い」をケイトにドン引きされるなど、とかく評判の芳しくないパトリック語録。

ところが、今回は違います。目の前には自信満々に胸を張るリッキーがいました。

此度のエピソードで特筆されるのはパトリックとリッキーの言葉の応酬ですが、雨降って地固まるの諺通り、結果的に二人の仲はより強固に結ばれます。あまりにも勢いが凄すぎて、読み終わった時は「あれ、今回ページ数少なくない!?」と感じるほどでした。

ちなみに数えてみるとページ数はいつも通りです。あくまで体感ではあっという間だっただけのことです。正直読み終えた時は「一体何を見せられているんだ……?」と困惑してしまいましたが、それほどまでに二人の関係がスピーディーに描かれていたというわけですね。

いやはや、こんな二人のエピソードを拝むことになろうとは全く以って予想外でした。


ところが、実を言うとパトリックとリッキーの関係って割と丁寧に掘り下げられていたりします。

ちょっと読み返してみると、第49話では主人よりも館のことを優先するリッキーがいたり(「シャドーハウスのルールは絶対だ…!」のシーン)、第66話ではリッキーと自分自身は別だとはっきり自覚したパトリックが描かれていたり(「君が俺の心を分裂させた」のシーン)、第97話では苦悩するリッキーとそれを見て彼を気遣うパトリックがいたり(「こいつもグルなのかー!!」「ケイト悪いがそれ以上はやめてくれ」のエピソード)、第101話では互いに手を取り合う主従がいたり(「思い直しました」「俺の方こそすまない」のシーン)などなど……。

印象的な場面を思い出してみただけでもこんなにあります。

ケイトとエミリコを除けば、シャドーと生き人形の関係がここまで深く描かれたことは同期でさえありません。一つ間違えばギャグ回にしか見えない此度のエピソードですが、こうやって考えると二人の積み重ねてきたストーリーの集大成と言えるのではないでしょうか。


第101話でパトリックは「大切な存在を失うところだった…!」とリッキーの手を取っています。

この大切な存在にとうとう「魂の友」(ソウルメイト)という名が与えられたとするならば、当初は笑えて仕方のなかった第135話が不思議と感動的なエピソードに見えてきました。


現在のシャドーハウスにおいて、シャドーと生き人形の究極の関係性は「一体化」とされています。

この一体化は「生き人形」の身体をシャドーが奪う現象です。

第71話のラストを思い出して頂ければお分かりかと存じますが、その実態は凄惨なものでした。

シャドーハウスが求めるシャドーと生き人形の関係は、どんなに綺麗に取り繕ろうとも「一方的」に「身体」を要求することでしか成り立っていないのです。


それ対し、パトリックとリッキーの「魂の友」(ソウルメイト)はどうでしょうか。

「一体化」とは全く逆の価値観です。

「魂の友」(ソウルメイト)は「互い」に「魂」を通わせた者同士でしか到達しえない境地だからです。


第48話で生き人形の正体が明言されて以来、ケイトの行動(ミラーハウス奪還)についてとある懸念が取り沙汰されています。

それは、洗脳を解いてシャドーハウスから生き人形を解放したとして、こどもたちの棟にいるシャドーはどうするのかという問題です。

この懸念については第101話でもケイト自身が言及しています。家に帰れる生き人形とは違い、行き場がないシャドーがどうすべきかは避けては通れない大問題です。


しかし完璧な解決策ではないにせよ、今回のパトリックとリッキーの関係性は、洗脳解除後のこどもたちの姿の理想形に私には見えました。

村の大人たちの事情を考慮するとハードルは高いですが、まずはシャドーと生き人形が互いに尊敬し合って支える関係になる。それがケイトの計画を成功させる必要最低限の条件だと思われたのです。


「ケイトはみんなを助けたいの!」という問い掛けに対し「…そんな理想論じゃ誰も助けられやしない!!」と反論していたパトリック。

もしかしたらパトリックは、あの時のケイトの問いに対する答えを、自身でも気付かない内に一歩踏み出したのかも知れません。