「心」というサブタイトルを見た時、思い浮かんだのは夏目漱石の「こゝろ」でした。

夏目漱石と言えば知らぬ人はいない明治の文豪です。以前は千円札にも肖像として採用されていました。

千円札(夏目漱石)

小説の「こゝろ」も有名です。全編読んだことがなくても、学生時代に国語の教科書で触れた方も多いかと思います。調べてみると、これまでに700万部以上を売り上げた国内で最も売れた本とのことです。
(村上春樹氏の「ノルウェイの森」の方が売れてると思うんですが、どこ情報なんだろう?それとも単巻限定ということでしょうか。)


ところで、実は以前にも本ブログで夏目漱石について触れたことがありました。

第30話のあらすじ紹介です。(第30話 黒い点)

かなり前の記事ですね。偶然でしょうが、100話以上の時を経てあの時と関係のあるエピソードで再び同作家を想起するとは思いませんでした。

当時の記事ではエミリコの献身を「三四郎」の台詞を引用して紹介しています。暫くぶりに読み返してみて、あんな事もあったなあと懐かしくなりました。

第30話が公開されたのは3年前の5月30日ですので、きっと似たような気候が同じような思考を生み出したのかも知れませんね。


ただ、何もかもを偶然で片づけるわけにはいきません。

此度の第134話は純粋な二人がメインのストーリーでした。
公開日の6月9日と同じく、「無垢な」やり取りが繰り広げられます。
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パトリックの想い人はエミリコです。

第66話ではそれが明言されていましたね。曲がり角の先からやってきたエミリコに気付き、さっとピオニーを背に隠して「エミリコに対する気持ちは絶対表に出さないから…!!」と誓っていました。

ところが、此度の扉絵に描かれていたのは桃色のチューリップを背中に隠したパトリックです。

桃色のチューリップの花言葉は「誠実な愛」

まさに現在のパトリックに相応しいと言えましょう。初登場時は不遜な態度を取りがちなパトリックでしたが、今もそう思っている読者はいない筈です。

とかく物騒がしい同期の中でパトリックとリッキーは王道的な主従関係を築いていますが、それはリッキーの几帳面な性格もさることながら、パトリックの性格による部分も大きいと思います。

お披露目で合流したリッキーに労うさまはまさに主人に相応しい姿でしたし、ケイトの元に赴いてエミリコに借りがあるんだと頭を下げたシーンは誠実さの塊でした。

また、97話でケイトから責められるリッキーを庇った時も格好良かったですね。あの場面でさっと従者を思いやることのできるパトリックは立派でした。第121話でも「見せろ!」コールに晒されるバーバラの前に立って助けていましたし、ここまでの描写を見ると繊細とか語彙力がないとか些事に思えてきます。

こどもたちの棟でのパトリックの評価は分かりませんが、マーガレットに好意寄せられている描写がありますので少なくとも毛嫌いされていることはなさそうです。何気に、マーガレット以外にも狙っている女子がいてもおかしくないでしょう。

激烈な権力志向のエドワード達や、自分勝手な振舞いが散見される重鎮達と比べてみると、パトリックは作中屈指の貴族らしい精神の持ち主なのかも知れません。


ただ、残念ながらパトリックの恋心がエミリコに届くかと言われればそれは難しいと思われます。

エミリコの性格を考えると恋愛感情といったものはまだなさそうですし、そもそも館に来る前の環境を鑑みれば男女関係自体に関心がない(そもそも知らない)感じがします。

該当のツイートは削除されていますが、ソウマトウ先生は以前に感想ツイートの返答にて、エミリコの感性は幼いので恋愛感情とかはどうでしょうね、といった主旨のコメントをされておられました。

よって、恐らく今現在のエミリコと恋人関係を結ぶのはほぼ無理かも知れません。

パトリックにとっては空しい反面、ライバルも同じ条件となる点はひとまずの救いでしょうか。
(ただ今後のストーリーの進行によってはエミリコにも人並みの恋愛観が生まれる可能性はありますけれども)


今回のエピソードの冒頭も、そんな風に無邪気なエミリコが描かれています。

パトリックの頭に浮かんだハートマークを見て、目に星を輝かせて「すす能力が目覚めたんじゃないですか?」と喜んでいます。
(余談ですがヤングジャンプ発売翌日に「推しの子」のアニメ化が発表されましたね、おめでとうございます。あの作品も主人公兄妹の目に星描かれてますが流石に偶然ですよね…?)

エミリコの様子からして、パトリックが自身に好意を寄せているなどとは夢にも思っていないことでしょう。パトリックはエミリコが何も気付いていないことを察すると慌てて誤魔化しますが、それさえもエミリコからすれば不思議な行動にしか見えていなかったことと思います。


ところで、恋愛漫画のようなシーンが続く此度のエピソードで個人的に好きなのは、デフォルメされたエミリコが沢山描かれている点です。

事前告知ではハート形の煤を見上げる二人の場面がアップされていましたが、この時のエミリコのきょとんとした横顔が良いですね。仕草も女性らしくて、良い意味でエミリコらしくないシーンです。

また、鏡の前でパトリックが想像したエミリコも可愛らしいです。

ツイッターでも既に指摘されている方がいらっしゃいましたが、左から順に

・パトリックの視線に気づいたエミリコ(第48話)
・曲がり角の先から来たパトリックビジョンのエミリコ(第66話)
・にへら~エミリコ(第100話)
・餌やりエミリコ(第30話)
・仲間がいるっていいですね!!エミリコ(第101話)

これらが該当するシーンかと思います。

私たちから見るとパトリック視点のエミリコはいつも輝いていますが、パトリックの脳内に存在するエミリコは、このシーンのように年相応の元気いっぱいなエミリコなのでしょう。

これを踏まえて、パトリックとエミリコが同席している過去の描写を見返してみたら面白いかも知れませんね。

ついでに、会話の吹き出しに描かれている小さいエミリコの顔も可愛いですが、パンを想像している箇所のエミリコの顔は散策の時(第59話)の「地図が埋まってきて楽しいです!」の顔とそっくりです。もしかしたらソウマトウ先生が描き慣れているエミリコのイラストかも、と想像するだけで楽しいです。

さらに余談ですが、此度のデフォルメエミリコで一番好きなのは「リッキーは今バービーと外出中だ」とパトリックに言われた時のエミリコです。なんだか四コマ漫画に出てきそうなタッチで見れば見るほど癖になっています。
でもこれ、簡単そうに見えて素人が描こうとすると結構難しいんでしょうね。


さて、パトリックとエミリコの描写だけだと少年少女の純粋さに胸焼けしてきそうなので、ちょっと話題を変えましょう。

今回のエピソードでは、二人の会話の中でもう一組の男女ペアのストーリーが進行しています。

リッキーとバービーです。

なんと、この日の朝(第122、123話)にトラブルのあった二人が行動を共にしているというのです!

しかもこちらも互いの主人が不在での接触です。

こんなことがあるのかと驚きました。これはこどもたちの棟のルールを逸脱する行為です。それも星つきが率先して行うという、従来では考えられなかった事態です。

当人たちは自覚がないかも知れませんが、珈琲の洗脳が薄れたことによってこどもたちの棟の秩序は崩壊しつつある状況なのかも知れません。トマスのすす能力の解禁もそれを後押ししたことでしょう。従来のシャドーハウスの掟だけでは、現状のこどもたちの棟をまとめることさえままならなくなっていることが容易に想像できます。


ただ、バービーは自身の行いがルール違反であることは分かってはいました。リッキーを連れ出す際に、緊急だからと断りを入れていたからです。

ではなぜ、リッキーと夜の棟で行動を共にしているのかと言いますと、バーバラの発作を和らげる「花」をパトリックとリッキーが保有しているからです。

順を追って説明すると、日中にパトリックとリッキーは発作で苦しむバーバラに遭遇し、その際に癒し効果のある薔薇を彼女に差し出したそうです。その薔薇は運よく、バーバラの発作を和らげる作用がありました。それを見ていたバービーは、夜中に発作を起こした主人のために再びあの薔薇が欲しいと訪ねてきた、ということです。

そう言えば、第50話では修練の間にて大量の煤を噴出するバーバラがいましたが、パトリックの指摘の通り、現在の修練の間はバーバラが入室しにくい空間となってしまっています。それが故、バーバラは発作時に屋外に出ているのでしょう。

いや、ひょっとしたら第50話や第79話のシーンから推察するに、バービーが何とか抱えて外に連れ出しているのかも知れません。その苦労を思うと、第122話ラストの「貴様に何がわかる!」とリッキーに激怒した理由もなんとなく分かる気がします。バービーもスザンナと同様に、トマスの訪問によって大きく立場が損なわれた状態ですから気が立っているのでしょう。この状況をアンソニーが知ったら、と考えると嫌な予感しません。
(何度か書いていますが、あの男一体いつ登場するんでしょう?)


少し話が逸れますが、ヤンジャンアプリのコメント欄やツイッターを眺めておりますと、バーバラが修練の間に行けないことでシャドーハウスは危機に瀕しているのではないかという考察が見受けられました。

バーバラはシャドーハウスで生産される6割の煤を出しているのに、修練の間ではなく屋外で噴出していたら回収困難になるからです。

これは鋭いご指摘だと思います。確かにその通りでしょう。すす炭はシャドーハウスのみならず、すす島全体を左右するエネルギー源であることはこれまで描写されてきました。

そこから考えていくとトマスの行動は、やはりこどもたちの棟だけに留まらない影響を今後及ぼす可能性が高そうですね。


しかし、そんな風に多くの方々が考察する中、私が一連のシーンを読んで感じたのは「お披露目直後のマリーローズとバーバラの様子にそっくり」という感想でした。

第75話のマリーローズの回想にて、バーバラは外で膝を抱えながら煤を出していました。

そして、その煤を見て訪ねてきたのはマリーローズとローズマリーでした。

不思議とそれが今回のバーバラの様子とオーバーラップしたのです。

もちろん、今回バーバラの出す煤を見て訪れたのは、残念ながら彼女がかつて「姉のような存在」と慕った一対ではありませんでした。彼女の元を訪れたのはパトリックとリッキーです。

ただ、パトリック達はダンスの代わりに「薔薇」を差し出してバーバラの苦痛を和らげます。奇しくもマリーローズのトレードマークだった「薔薇」がバーバラの気持ちを落ち着かせたのです。

このやり取りは、まるで当時のマリーローズとバーバラのシーンの再現に私は見えました。


今現在、バーバラにとってパトリックはマリーローズのような特別な存在ではありません。それどころか従者のリッキーはバービーにとってただの「思い上がり」です。今頃はきっとバービーと気まずい雰囲気で同行していることでしょう。

しかし、恐らくは第123話ラストの時点で本来の自分を主人にさらけ出した彼ならもう失敗はしない筈です。

今は幾重もの苦しみを悲しみを抱える「青薔薇」を癒すために、星つきと仲良し作戦とは関係なくパトリックとリッキーには奮闘して欲しいですし、彼らならではのやり方でバーバラ達を支えて欲しいと願わずにはいられません。


そして今話のラストでは、何よりもパトリックが一番そのことを自覚しているであろう姿が描かれました。

暫しの会話の後、長居しすぎたと慌てるエミリコ。

失礼しますと言って部屋を出ていこうとする彼女に対し、パトリックがとった行動は恋愛ドラマのワンシーンと見紛うような光景でした。

不意にエミリコの手を取ったのです。

この時パトリックが何を思ってこの行為に出たのかは分かりません。はっきりしているのは、エミリコへの恋心が動機であると推察されることだけです。振り返ったエミリコの姿が輝いているのが何よりの証拠です。


ただ、僅かながら煤を出してチューリップを渡した理由は分かります。

これは多分、今の関係を崩したくないとか、勇気がないからとか、うまい言葉が浮かばなかったからという消極的な行動ではなく、これこそがパトリックにとっての今成し得る「誠実さ」だと思うからです。


エミリコが長居しすぎたと気付く直前、彼女は「バーバラ様のことはパトリック様を信じて任せた」とケイトが言っていたと告げていました。

パトリックの表情は見えませんが、自信を失いつつある彼にとってその言葉は嬉しかったかと思います。

そしてエミリコから優しいと言われたパトリックは、心の中でそれはエミリコのお陰だと呟きます。

第61話で「与えられてばかりでは俺のプライドが許さん」と叫んでいたパトリックからすれば、二人から寄せられる期待を受けて奮い立たないわけがありません。自らの役目を果たそうと気持ちを新たにしたことでしょう。

とすれば、「まだ何も成し遂げていない俺が浮ついている場合じゃない」と気持ちを引き締め直したに違いないと私は思うのです。


以前はリッキーに対する遠慮、即ち館のルールによって自分の心を押し殺したパトリックですが、己自身の考えでエミリコへの想いを我慢した結果、彼はチューリップを渡すという今できるだけの行動をします。

そう考えると、何となくあのシーンのパトリックの胸中が分かる気がしました。


最後のページで、パトリックは無言でソファに座り込むと宙を眺めて沈黙します。

思わぬ来客で気を遣った疲労か、それとも自分の心の中を整理しているのか。

別行動の従者を心配しているのか、今後やるべきことを思案しているのか。

それとも何かを「成し遂げた」時こそ、想い人に本心を打ち明けようと決意しているのか。


はたまた、お披露目前夜に見上げた同じ天井を見て「もはや懐かしい」と感慨にふけっているのかも知れません。