気付けばもう、1月21日(水)です。

本ブログをいつも読んでいる方からすれば平常運転と思われるでしょうが、例によって最新話更新ギリギリでの投稿となってしまいました……


いやですね、本当でしたら昨年末に投稿しようとは思っていたのですよ。

しかしながら、年末特有の忙しさに追われたまま年を越してしまい今に至ってしまったのです。

明日は第232話の更新日。新年を迎えたというのに相変わらずの有様に自分のことなのに頭が痛いですが、気を取り直して第231話の感想を述べていきましょう。


ところで、年末の忙しさには部屋掃除も含まれていました。

我ながら身の回りのことは不精なもので、本や道具を買ってみるものの古いものから積まれていき、旅行に行ってはガイドブックや旅先の資料を手の届くところに置いたりと、率直に言って乱雑極まりない状況になっています。そう、さながらイヴのように(こんなところで名前出してゴメン、イヴ)

毎日ちゃんと掃除をすればいいのにと言われてしまえば、その通りぐうの音も出ない正論です。今年の目標は、昨年末に少しだけ改善した自分の部屋を現状維持することにしようかなと考えている今日この頃です。


さて、年初の各話感想記事なのにだらしない話をしてしまいましたが、第231話はまるで真逆のサブタイトルが付いていました。


名付けて「ドロシーはきれい好き」


ドロシーといえば、シャドーハウスを司る「3階」の一人、或いは「重鎮」と呼ばれる重要人物です。

はっきりとした顔立ちと抜群のスタイル、いかにも貴族然とした態度は、シャドーハウスという館の支配層にぴったりの存在といえましょうか。ネット上に並ぶ読者感想を眺めていると、彼女も人気あるキャラクターの一人であることが伺えます。

そんな彼女が「きれい好き」というのも分かる気がします。高貴な存在なのですから当然でしょう。言われるまでもなく腑に落ちます。


ところが、サブタイトルが示す「きれい好き」とは、私たちが一般的に考える「きれい好き」ではありませんでした。

それは、自らにとって無価値なものは汚らわしいと排除する、あまりにも利己的な思想でした。



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前話ラストで偉大なるおじい様から下された「こどもたちの処分を命じる」という絶対命令。

アンソニーが仕掛けたこどもたちの反乱は、とうとう行きつくところまで来てしまいました。至上ともいえる偉大なるおじい様の命令なわけですから、これを覆すのはまず無理でしょう。


逆にこどもたちといえば、大人達を倒せと栄光の廊下へと進軍している状況です。

その行進の足元には既に息絶えた者が数名倒れています。アンソニーに操られた新クリストファーによって洗脳されたこどもたちからしたら、大人を殲滅することだって厭わないでしょう。

つまりは、お互いが命を奪い合うことを是としている状況が第230話で描かれていました。

となれば、今回の231話で想定されるのは最悪の事態です。

事実、流血による衝突が繰り広げられました。


詳細は本編による描写に委ねますが、それにしても今話の感想は「凄惨」としか言いようがありません。

これまでの描写から悲惨な現実が描かれるだろうなとは予想していましたが、まさかリンジーやギルバートのようなこれまで活躍の場があったキャラクターが一瞬で落命するとは思っていませんでした。また、生き人形さえもが戦闘に巻き込まれて不可逆的な負傷を負っています。

「服」という個性を奪われて扇動された上に、命まで奪われることになってしまうとはこどもたちが気の毒で仕方ありません。そして、それを画策したアンソニーには甚だ怒りを感じます。

いや、怒りを向けることさえアンソニーには勿体ないですね。ただただ不快にしか思いません。

こどもたちを犠牲にして一体何をしているのか皆目見当もつきませんが、まあ禄でもないことでしょう。それだけは確実です。まだ前線に出ているルイスの方がマシに見えるほどです。


そしてその惨禍を直接もたらした人物は、冒頭で話題に出したドロシーです。

重鎮のすす能力はライアンが煤を鞭状に使用していたことくらいで、これまではっきりと描写されたことはありませんでした。

ただ「重鎮」と呼ばれるくらいですから、こどもたちはおろか普通の大人達よりも強力な能力なんだろうとは容易に想像できましたが、いやはや予想以上です。

扇子状の煤をナイフのように繰り出すさまは、恐らくこどもたちのすす能力に比肩するものはないくらい強大な力です。トマスの銃弾状のすす能力を何十倍にも強化したものと言って良いかも知れません。

また、その扇子状の煤は防御にも用いていました。

これならまだこどもたちのすす能力にも類例があります。強いて言えばギルバートの持つ煤の鎧と似ています。

ただ、ジョンが苦戦したギルバートの鎧もドロシーの前には為す術もなく破られました。


椅子に座りながら汗一つかかずにこどもたちの勢いを止めたドロシーを見て、否が応にも「格」の違いというものを感じずにはいられません。

そもそも考えてみたら、こどもたちが栄光の廊下へ進軍した時点では大人達は防戦一方でした。それだけではなく混乱に陥るシャドーもいたくらいです。

にも関わらず、“顔”(素顔)を見せただけで大人達の士気を取り戻し、自らの能力を以って瞬時にこどもたちの攻勢を削いだドロシーの手腕たるや恐ろしさを感じます。

ドロシーは第46話で「楽しいじゃない?」「立派な貴族を演じるって」と語っていましたが、その通り高貴な存在としての振る舞いは完璧です。なぜ彼女がシャドーハウスという館で「重鎮」と呼ばれる地位にいるのかよく分かります。

それに比べて、ハンドベルを鳴らしてこどもたちを焚きつけるだけのルイス、傀儡の新クリストファー、表に出てこないアンソニーは一体何なのか。

こんなこと言いたくないですが、人物としての魅力は歴然とした差があります。

エドワードは第45話のラストで重鎮たちに対して「ふざけた連中」とモノローグで語っていましたが、その評価は浅いものだったと言わざるをえません。


何十年もの間、シャドーハウスという館が“貴族”として君臨している理由はもう明らかです。

人間はおろか、普通のシャドーでは到底太刀打ちできません。

ドロシーがこんな恐ろしい能力を持っているのなら、ライアンもソフィも同程度の能力を保持しているとみた方がいいでしょう。そんな強大な相手を敵に回したならば結末は目に見えています。

偉大なるおじい様の「こどもたちの処分」という命令が俄然現実味を帯びてきてしまいました。


ただ、ドロシーが怪しく佇むラストは絶望的な光景ではありますが、第231話をよく読んでみると気になる描写が結構ありますね。

まず挙げられるのは、キングの部屋に来た「1階」の大人が持っていた「すす列車の手配」に関する手紙です。

すす列車といえば館と麓を結ぶ交通手段ですが、このタイミングですす列車を手配=必要とする存在がいるとしたら、多分コールマインから戻ってきたエドワードくらいだと思うのですがどうでしょうか?

また、ドロシーが栄光の廊下へ来た時にケイトはドロシーのことを盗み見していますが、この描写には何か意味があるのか。

冒頭でドロシーの逆鱗に触れた「モーフの部屋」から消えたモーフは誰が何のために連れ去ったのか。

それ以外にも、ルイスはドロシーのすす能力を見て「予想以上」と言っていますが、この口ぶりだと事前にドロシーのすす能力について情報を入手していたように見えます。ルイスまたはアンソニーはどこで重鎮の情報を手に入れたのか……


大事件が館を揺るがせる中、己の目的を果たすべく動く各陣営。

その終息も収束も未だ見えないまま2026年のシャドーハウスは幕を開けそうです。