ひたすらにひらがなで書かれた、題名と副題と柱と作者名。
その中心に立っているのは、正気を失ったエミリコです。
今回の扉絵はそれだけなのに、有無を言わさない違和感に満ち溢れています。
背景には、幾つも書き連ねられた「偉大なるおじい様」の正式名称。
生き人形にだけ課せられたあの長ったらしい名前が、黒地に白い字でおどろおどろしく書かれています。
まるでバグを起こしたコンピューターのプログラムのようです。
エミリコの脳裏をどれほどの異常さが支配し、彼女が今どんな状況に置かれているのかが一目瞭然です。
やはり、部屋に帰ってもあの平穏な日々は返ってきませんでした。
今回のお話を読んで、改めて第1話を読み返した方も多いと思います。
連載50回を目前にして、まるで第0話を思わせるエピソードをここに持ってきたソウマトウ先生には、ただただ脱帽です。
その中心に立っているのは、正気を失ったエミリコです。
今回の扉絵はそれだけなのに、有無を言わさない違和感に満ち溢れています。
背景には、幾つも書き連ねられた「偉大なるおじい様」の正式名称。
生き人形にだけ課せられたあの長ったらしい名前が、黒地に白い字でおどろおどろしく書かれています。
まるでバグを起こしたコンピューターのプログラムのようです。
エミリコの脳裏をどれほどの異常さが支配し、彼女が今どんな状況に置かれているのかが一目瞭然です。
やはり、部屋に帰ってもあの平穏な日々は返ってきませんでした。
今回のお話を読んで、改めて第1話を読み返した方も多いと思います。
連載50回を目前にして、まるで第0話を思わせるエピソードをここに持ってきたソウマトウ先生には、ただただ脱帽です。
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今回のお話はケイトの部屋から始まります。
ようやく待ち望んだ、懐かしのあの部屋。
しかしそこには、かつてのように天真爛漫な笑顔を振りまくエミリコの姿は、どこにもありませんでした。
……いや、これこそがケイトとエミリコの始まりだったのかも知れません。
ケイトはエミリコがやってきたばかりの頃に思いを馳せます。
「貴女をわたしは信用できなかった」
私は以前から、第1話のエピソードはエミリコがケイトに仕えてから何日目の出来事なのか考えあぐねていました。
第1話で失言をする様子や第2話でパンを食べることを知らないなど、1話は1日目のエピソードと考えればすんなりいきます。
ところが、彼女は冒頭のモノローグでこう言っていました。
「ケイト・シャドー様に仕えている“生き人形”です。」
『仕える』でも『仕えることになった』でもなく、『仕えている』。
以前から継続してケイトに仕えているかのような言い回しを、どう解釈すればいいのか迷っていたのです。
しかしそれは、今回のお話で解決しました。
あの珈琲の催眠から目覚めた初日、あるいは数日後の出来事が第1話だったのです。
ケイトの言葉を文脈通り捉えるならば、ケイトはエミリコが来る前からシャドーハウスに何らかの疑念を抱いていたことが伺えます。
エミリコを擬態したモーフでしかない“ケイト”がなぜ、シャドー家に仕えることを疑わないエミリコを「信用できない」と考えたのか。
その理由はまだ判然としませんが、ケイトのシャドーハウスに対する対抗姿勢が遥かに奥深いことが分かりました。果たして、ケイトにはどんな過去があったのでしょうか?
少なくとも、シャドー家の慣習とは一線を画した価値観をケイトは持っている筈です。
第42話で、エミリコがエミリコらしくいてくれたのが満足だと言っていたケイト。
あの場面からは、その事実さえあれば命さえも惜しくないというケイトの想いが溢れていました。
ケイトが言う「わたしの大好きなエミリコ」とは、これまで我々が見てきた純真で前向きなエミリコに他なりません。
そのエミリコを取り戻さんとするケイト。これは応援せずにはいられません。
さて、その前に今回のお話では、『生き人形』の本当の正体が明かされることになりました。
ノイシュヴァンシュタイン城を想起させる館から出発する、一編成の汽車。
そこに乗っていたのは、大量の『すす炭』を積んだ貨物車と、“顔”を出したドロシーとライアンでした。
なんと、麓の村一帯を『すす炭の煤』によって支配下に置き、洗脳された住民に対して貴族として振舞っていたのが “シャドー家” だったのです。
貴族の真似事ではなく、この村に限って言えば貴族そのものと言って差し支えはないでしょう。
それほどまでに住民達はシャドー家に対して何の疑問も持っていません。
その洗脳ぶりは、まるで麻薬か何かに侵されているかのようです。
なぜなら、シャドー家に対する崇拝ばかりではなく、自分達の子供をシャドー家に渡しても何の抵抗もないからです。
そう、この子供達こそが『生き人形』だったのです。
選出された子供たちの前に出された一杯ずつの珈琲。
言うまでもなく、「おじい様のすす入り珈琲」です。
この珈琲を飲ませて館に連れ帰った後は、前回の第45話のようにモーフのいる部屋に横たえられます。
ここでは子供が3人に対して、それ以上のモーフがいます。
きっと、最もうまく擬態できたモーフが『シャドー』となるのでしょう。
その後の運命は、概ねこれまで描写されていきた日々を繰り返して、やがて“お披露目”を迎えるのかも知れません。
徐々に明かされてきた、この奇妙な館の正体。
しかしそれでもなお、未だに全貌は見えてきません。
それどころか、また新たな「なぜ?」が芽生えるばかりです。
「シャドーハウスってなんなのでしょうか?」
エミリコの部屋に入っていったケイトは、もしかしたらエミリコのノートのこの一文を見てしまうかも知れません。
果たして、その時ケイトの胸に去来するのは、その答えでしょうか?
それとも、ケイトでさえまだその解明には至っていないのでしょうか?
この物語の謎がすべて明かされ、疑念の煤が晴れるのはまだ当分先になりそうです。
今回のお話はケイトの部屋から始まります。
ようやく待ち望んだ、懐かしのあの部屋。
しかしそこには、かつてのように天真爛漫な笑顔を振りまくエミリコの姿は、どこにもありませんでした。
……いや、これこそがケイトとエミリコの始まりだったのかも知れません。
ケイトはエミリコがやってきたばかりの頃に思いを馳せます。
「貴女をわたしは信用できなかった」
私は以前から、第1話のエピソードはエミリコがケイトに仕えてから何日目の出来事なのか考えあぐねていました。
第1話で失言をする様子や第2話でパンを食べることを知らないなど、1話は1日目のエピソードと考えればすんなりいきます。
ところが、彼女は冒頭のモノローグでこう言っていました。
「ケイト・シャドー様に仕えている“生き人形”です。」
『仕える』でも『仕えることになった』でもなく、『仕えている』。
以前から継続してケイトに仕えているかのような言い回しを、どう解釈すればいいのか迷っていたのです。
しかしそれは、今回のお話で解決しました。
あの珈琲の催眠から目覚めた初日、あるいは数日後の出来事が第1話だったのです。
ケイトの言葉を文脈通り捉えるならば、ケイトはエミリコが来る前からシャドーハウスに何らかの疑念を抱いていたことが伺えます。
エミリコを擬態したモーフでしかない“ケイト”がなぜ、シャドー家に仕えることを疑わないエミリコを「信用できない」と考えたのか。
その理由はまだ判然としませんが、ケイトのシャドーハウスに対する対抗姿勢が遥かに奥深いことが分かりました。果たして、ケイトにはどんな過去があったのでしょうか?
少なくとも、シャドー家の慣習とは一線を画した価値観をケイトは持っている筈です。
第42話で、エミリコがエミリコらしくいてくれたのが満足だと言っていたケイト。
あの場面からは、その事実さえあれば命さえも惜しくないというケイトの想いが溢れていました。
ケイトが言う「わたしの大好きなエミリコ」とは、これまで我々が見てきた純真で前向きなエミリコに他なりません。
そのエミリコを取り戻さんとするケイト。これは応援せずにはいられません。
さて、その前に今回のお話では、『生き人形』の本当の正体が明かされることになりました。
ノイシュヴァンシュタイン城を想起させる館から出発する、一編成の汽車。
そこに乗っていたのは、大量の『すす炭』を積んだ貨物車と、“顔”を出したドロシーとライアンでした。
なんと、麓の村一帯を『すす炭の煤』によって支配下に置き、洗脳された住民に対して貴族として振舞っていたのが “シャドー家” だったのです。
貴族の真似事ではなく、この村に限って言えば貴族そのものと言って差し支えはないでしょう。
それほどまでに住民達はシャドー家に対して何の疑問も持っていません。
その洗脳ぶりは、まるで麻薬か何かに侵されているかのようです。
なぜなら、シャドー家に対する崇拝ばかりではなく、自分達の子供をシャドー家に渡しても何の抵抗もないからです。
そう、この子供達こそが『生き人形』だったのです。
選出された子供たちの前に出された一杯ずつの珈琲。
言うまでもなく、「おじい様のすす入り珈琲」です。
この珈琲を飲ませて館に連れ帰った後は、前回の第45話のようにモーフのいる部屋に横たえられます。
ここでは子供が3人に対して、それ以上のモーフがいます。
きっと、最もうまく擬態できたモーフが『シャドー』となるのでしょう。
その後の運命は、概ねこれまで描写されていきた日々を繰り返して、やがて“お披露目”を迎えるのかも知れません。
徐々に明かされてきた、この奇妙な館の正体。
しかしそれでもなお、未だに全貌は見えてきません。
それどころか、また新たな「なぜ?」が芽生えるばかりです。
「シャドーハウスってなんなのでしょうか?」
エミリコの部屋に入っていったケイトは、もしかしたらエミリコのノートのこの一文を見てしまうかも知れません。
果たして、その時ケイトの胸に去来するのは、その答えでしょうか?
それとも、ケイトでさえまだその解明には至っていないのでしょうか?
この物語の謎がすべて明かされ、疑念の煤が晴れるのはまだ当分先になりそうです。

ケイトはエミリコと出会う前から、自我を持っていたようですね。
管理人さんなら、気づいていると思いました。
もしかしたら、以前にケイトは人間と触れあっていたのかも…?
ケイトが自我をもっていた証拠その2
24話で自分のことを「わたし」という
→「ケイト」ではない自我を持っていた??
シャドーハウスは考えてみるととんでもないところですね。
人を連れてきて洗脳してモノ扱いしたり、
同族を平気で処分したり…
今までかいま見えたシャドーハウスの闇
サラ「いずれ偉大なるおじい様に処分されてしまうわ」
初めてなにか不穏なものが見えた一言でした。
13話でも「有用でない生き人形は処分される」という話がでていましたね。
そして
「屋敷を出ようとする者は、即処分…か」
その闇の大きさが見えてきた…?
「顔に感情があるわけ…?」
「生き人形は、シャドー家の方がどう扱ってもいい存在よ。」そりゃひどいや。
ところで、44、45話で、このセリフに注目してみました。
「ケイトとも、長いつきあいになることを祈るわ」
…36話から読み取れる、今後も安心できないということを裏付けていますね。
ジョセフ「必要なのは、偉大なるおじい様の役に立つ者のみ」
…え?シャドー家のためじゃなかったの?
おじい様は独裁者のようなものなんでしょうか?
shadowsblog
が
しました