さて、気が付いたら47話の公開からもう3週間ですね。
あと少しでケイトとエミリコを見られるかと思うと、そわそわしてしまいます。

ただその前に、中途半端なところで終わっていた考察記事を完結させなければいけません。
遅くなってしまい申し訳ない次第です。

これより、いよいよ主人公コンビの性格に迫りたいと思います。

気品ある少女と、おっちょこちょいな女の子。

およそ似つかわしくないこの二人ですが、その内面を考察してみると意外な結果が出ました。

ではいつも通り、続きからでお願い致します。
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皆様はもうご存知かと思いますが、少しだけケイトとエミリコの性格を見ていきましょう。

まずはエミリコです。

エミリコの性格は、天真爛漫・純真・前向き・元気……。
挙げればキリがないですが、非常にポジティブな少女です。

常に輝く彼女の笑顔は、シャドーハウスという作品のトレードマークと言っても過言ではないでしょう。
もしエミリコがいなければ、この鬱屈とした館はその名の通り『影の屋敷』でした。

エミリコという光輝く存在があるからこそ、その影は薄まり、ケイトやショーンやラムのようなキャラクター達が躍動することができるのだと思います。
まさしく良い意味での「お花畑」です。

ただ、エミリコはニコニコしているだけかと言うと、それは少し違います。

第17話を読んで頂ければ分かりますが、理不尽には真っ向から立ち向かう勇気と、仲間のために闘う熱い心も持っています。
それだけではなく、第35話では不条理な運命を受け入れた上で、自分なりの考えを持つという一面も見せていました。
実はしっかりと、モノを考えているんですよね。

ルウは第14話で、花瓶の水をぶちまけたエミリコを褒めていました。
これは柔軟な思考を持つエミリコの能力を、端的に表したシーンだったと思います。

本当にいい子です。こんな子が傍にいたら、毎日が楽しいことでしょう。
もっとも、ケイトを見る限りですと気苦労も多そうですが……。

とりあえずエミリコの性格は概ねこんなところだと思います。
次はケイトを見ていきましょう。


ケイトの性格は、『気品ある落ち着いた淑女』といったところでしょうか。
エミリコが『少女』ならば、ケイトは『女性』と表現した方がしっくりきます。

時々、ケイトとエミリコは本当に同じ顔なのだろうかと感じることがありますが、果たしてエミリコが本気で“顔”を演じたらどうなるのでしょうか。
第44話ではまだまだ本気モードからは遠かったように見えますので、是非ともリミッター解除したエミリコを見てみたいものです。

さて、話が少しずれてしまいましたので戻しましょう。

エミリコとケイトの性格も一見真逆に見えますね。
エミリコが考えたことをすぐに表情や口に出してしまうのとは対照的に、ケイトはなるべく自分の感情を出さないようにしているのもその一つです。

第40話でエミリコと再会した時、ケイトはエミリコに心配を掛けないように振る舞っていました。
檻の中で背筋を伸ばし凛と座る姿は、ついさっきまで不安に駆られていたのが見間違いかと思うほどです。ケイトの芯の強さが、これでもかというくらい強調されていました。


ここまで書いたことをまとめると、
「ケイトの性格は、エミリコの性格との相違点が反映されたものである」
ということで、間違いはないと思います。
これまでの他のペアの結果と比較しても、特に問題はありません。
この二人も同じパターンだということです。


ところが。

ところがです。

めでたく結論が出たところで、少し気になるところが出てきてしまいました。

それは、あの語彙力のないお影様の『ケイトレビュー』です。

勘の良い方はお分かりですね。
ショーンの主人、ジョンです。

第32話で彼は、深夜の見廻り三人組の前で滔々とケイトの魅力について語っていました。

ジョン曰く、一言で言うと「高貴さと愛くるしさの同居」らしいです。
普段の語彙力不足が嘘のような、的確な表現ですね。なぜ、これがいつもできないのでしょうか?

それはともかくとして、誰もが頷くこのケイト賛歌。
後半部分は見逃してはならないと思います。

なぜなら、普段のケイトとは相反する姿が指摘されているからです。

あくまでこれは、ジョンがエミリコの性格から勝手に考えた推測です。
しかしこのジョンの願望が的中していることを、皆様は知っていらっしゃると思います。


本を読みながら舟を漕ぐ、
暇になってすすだるまをこねる、
それを見られて照れる、
機械類を見て喜ぶ、
無理してエミリコを抱っこする、
パンちゃんと戯れる、
エミリコの日記をツッコみを入れながら読む……。


極めつけは、第4話で煤まみれになりながら朝挨拶をしたシーンです。

周りには大量のすすだるまと、雪のように落ちる煤……。

多分前夜の様子を見るからに、エミリコと勉強するのが楽しみで早起きしていたんじゃないかと思うんですよね。
絵面のせいで戦慄のシーンと化していますが、こう見てみるとケイトが可愛く見えてきます!


さて、ジョンのレビューを検証してみると、彼の予想はドンピシャでした。
大当たりです。
ですがこれらを眺めてみると、先程とは違った印象を強く受けます。
それどころか、これまでの考察がひっくり返ります。


……案外ケイトの性格って、エミリコとそっくりではないでしょうか?


これはもう少し丁寧に推理した方が良いかもしれませんね。

角度を変えみて、改めて二人を見てみましょう。

そもそも、シャドーと生き人形の性格について考察するきっかけになったのは、ケイトとエミリコの性格が違っていたからでした。
一応、『生き人形との触れ合いを通してシャドーは人格を得る』という事実がようやく開示されましたが、それでもなお
「なぜエミリコとの触れ合いを通してケイトが誕生するのか?」
という疑問は残ったままです。

更にケイトの場合、もう一つ重大な点があります。
それは、彼女はシャドーハウスの存在そのものに否定的だという事実です。

シャドーハウスに疑問を持つのはまだ分かります。
きっと「シャドーハウスとは何か?」と考えるシャドーは他にもいるでしょう。
ケイトだけではないと思います。

しかしそんなシャドーも、すす珈琲を飲んで正気を失った従者を見て「これで良いんだ」とやがて納得するのが常です。44話のパトリックやジョンもそうでした。

すす珈琲はそういう効果を狙った飲み物であることは、第45話でエドワードが明かしています。

しかしあの時、ケイトはエミリコを見て驚いていました。
エミリコがあんな顔をする筈がないと、確信していたのです。

しかもその直前、『偉大なるおじい様』を「元凶」とまで断じていました。

ケイトの一貫したシャドーハウスに対する疑義は、一体どこからやってきたのでしょうか?


ここで少々面倒ですが、ユング心理学をもう一度振り返りましょう。

ユング心理学における『シャドー(影)』とは、当人の精神世界における無意識やコンプレックス、抑圧された意識を指します。

もしもケイトの性格が、エミリコのコンプレックスや抑圧された意識が反映されたと考えるならば……。


ひょっとすると、エミリコは館に連れ込まれる前に、シャドーハウスの真の姿を知っていたのではないでしょうか?
あるいは幼少時代のエミリコに、親か近い人物がシャドーハウスの正体を教えたものの、それをエミリコは信用せずに時が経ち、やがて忘れてしまっていたのかも知れません。

そしてその深層に隠されたエミリコの記憶にモーフケイトが触れてしまい、偶然にもケイトはシャドーハウスの真相を知ってしまったとか……


いやいや、これでは妄想が過ぎますね。
そもそもが、ユング心理学とかなんだとか、考えすぎなのかも知れません。

ただ、エミリコの触れ合いを通じてケイトの人格が出来上がることについては、やはり違和感しか感じません。

エミリコの無意識の空間に漂っていた何らかの要因が、ケイトという人格を形作った、という結論の方がすっきりする気がします。


麗しの薔薇、ケイト。

彼女の瞳は、何を見てしまったのでしょうか。
ケイトが見据える視線の行方を、我々は知る術がありません。