悲劇に直面した時、人間が最初に抱く感情は“驚き”(驚愕)だそうです。

いきなり悲しみに陥るわけではないということですね。
次いで“疑問”、その次に“戸惑い”、そしてようやくその先に“悲しみ”が待っています。

場合によっては“悲しみ”ではなく“憎しみ”または“怒り”へと転じることもままありますが、一見直情的とも思える“悲しみ”は、いくつものプロセスを経て完成される理屈っぽさを内包した感情ということでしょう。

言い換えれば、理由なき悲しみはほぼ存在しえないといったところでしょうか?


この話はかなり前にラジオで聞いたのを記憶のまま書いているだけですので、現代の心理学や脳科学では正しいのかは分かりません。

ただ自分自身のこれまでを振り返ると、あながち間違ってはいないのかなと思います。

非情と思われることは承知ですが、これまで“悲しい”と感じた時のことを思い返すと、必ずその対象に何らかの感情移入(特別視)がありました。思い入れがあるからこそ“悲しい”と感じたわけです。その逆のパターンはまず思い出せません。


もっとも、何の思い入れのないものに対し“悲しみ”を覚える人の方が稀でしょう。
見聞きしたことのない遠い国の悲劇を悲しむ時だって、無意識の内にその国に住まう人々に対して共感性を抱いている筈です。

結局“悲しみ”とは、何もないところから生まれる感情ではないのです。


今回の第77話では、連載以来最大級といえる悲劇が発覚しました。

多くの輝きを見て、思い出を共有した者だからこそ感じる衝撃と驚愕。

それに比肩しうるエピソードは、一年前に発表されたあの回ぐらいしか私には思い当たりません。
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前回ラストで大怪我を負ったバービー。

幸い命に別条はなかったようです。


しかしおじい様と共にある棟に呼び出されたバーバラ達には非情な通告が待っていました。

「お前は大人になれない」

これはシャドーハウスに住む"こども"にとって、死の宣告を突き付けられたも同然の言い渡しです。
二人はうなだれるより他はありませんでした。


前回のマリーローズの問いかけに、クリストファーは「憧れ」だと返したバーバラ。

彼女にとって大人になれないということは、そのままクリストファーとの再会も叶わない事を意味します。何よりも処分が確実とあれば、自分の命さえ危うい状況です。

最期を悟ったバーバラは、クリストファーにもう一度会いたかったと肩を落としました。


しかしそんなバーバラ達に、こどもたちの棟の前管理者・トマスはチャンスを与えます。

こどもたちに秩序を守らせること、そしてバービーの傷を治せば処分しないというのです。

つまり、こどもたちの棟をまとめ上げ、その間にバービーの傷が消えれば、もう一度大人になるチャンスが訪れます。

クリストファーから期待されている、と聞いたバーバラはハッとしたように顔を上げると、次のコマでは既に星つきの勲章を手にしていました。

トマスの提案を呑んだのです。


それからというもの、バーバラ達はこどもたちに決まりを守らせて棟の秩序を維持しようと目を光らせました。すべては尊敬するクリストファーのためです。

我々がこれまで見てきた二人は、こうやって生まれました。


しかし、バーバラ達に対してクリストファーの名を出して迫ったトマス。

一見彼もクリストファーを評価しているかのような言動ですが、横顔には隠し切れない怪しさが漂っています。何か含みがあるに違いありません。


後になって判明しますが、トマスの発言はどれほど言葉を費やしても表現できない、あまりに卑劣な策でした。


マリーローズとの決別と現体制の確立、そしてクリストファーへの敬慕に至ったところでバーバラの回想は終わりました。

クリストファーの正当な継承者としての強烈な自負。

それこそが今日までのバーバラを支えてきた、唯一の理由でした。


場面は現在の"栄光の廊下"へと戻りました。

マリーローズ達の引き渡し同意書に軽くサインをして、バーバラに返すエドワード。しかしバーバラを嘲笑するその態度は、「役立たず」と見做していた昔と何ら変わっていませんでした。

バーバラもかつてを思い出したのか、拳を震わせてエドワードに問います。

なぜこどもたちの棟の管理者がクリストファーでなくエドワードなのか。
それはバーバラにとって、どうしても納得し難い事実でした。

しかしエドワードは愚問とばかりに切り捨てます。
こどもたちの棟の住人が大人の事を知る権利などないのです。


ところが、本当の真実を知る1対がいました。
マリーローズ組です。

ここからの回想はマリーローズによって語られ始めました。


モーフの頃を思い出すマリーローズ。

“特別なモーフ”だったマリーローズは他のシャドーよりも多くの事実を知っていました。

しかしそれが故、他愛もなく起こした行動が取り返しのつかない事態を引き起こすなどとは、以前のマリーローズには想像することはできませんでした。


回想はいきなり、洗脳が解けた生き人形の姿から始まります。

心の靄がすっかり消えたかのような、晴れ晴れしい表情をしたクリストファーの生き人形。
彼の名は、オリバーが第60話で口を滑らせた“アンソニー”でした。


まるで生まれ変わったとでも言いたげな明るい表情のアンソニーですが、その洗脳を解いたのはマリーローズです。
当時の煤珈琲は個々の生き人形に食事と共に与えられていたため、摂取をやめさせるなど造作もなかったのです。

そしてマリーローズがアンソニーの洗脳を解いたのも、本当にちょっとした理由でした。


自分だけが秘密を抱えているのが嫌だから。

それがマリーローズの動機でした。
おまけにローズマリーの洗脳を解いた理由も「冗談が通じない」からだったそうです。

つまり、ケイトのように深刻な動機があったわけではなかったのです。

事実、当時のマリーローズはシャドーハウスでの生活を楽しんでいました。
それはローズマリーも同じです。


そんな生活を更に楽しいものにしようと、マリーローズは優秀だったクリストファーに真実を話しアンソニーの洗脳を解きました。
それは順調にいき、見事アンソニーは主人を補弼し、クリストファー時代のこどもたちの棟は黄金期を迎えます。誰もが幸せだと語る懐かしい時代です。


その様子を見ながら、夫婦のように窓から中庭を見るマリーローズとローズマリー。

何もかもがうまくいっていたあの時を、マリーローズは「優越感に浸っていた」と自嘲気味に振り返りました。


そんな輝かしい時代もクリストファーが“お呼ばれ”され、あっという間に終焉を告げます。
今に至るこどもたちの棟の始まりです。

ここまではバーバラとマリーローズの回想は違いはあれど、共通点も多いです。どちらにとってもクリストファー時代は幸せな思い出です。


しかし、ここから先には決定的な違いが描かれていました。


クリストファーの“お呼ばれ”からほどなくして、マリーローズの部屋を何者かが侵入します。
ノックもせずに入ってきた者を訝しげに迎えるローズマリー。

そこには、息を切らしたアンソニーがいました。


ただならぬ様子に戸惑うマリーローズ。

なぜクリストファーとともに偉大なるおじいさまの棟に行ったアンソニーがここにいるのか、と尋ねます。


ところが、たった一人、ようやくマリーローズの部屋まで辿り着いた彼から発せられた言葉は信じられないものでした。


シャドーハウスにおいて、大人になるというのは「一体化」。
つまり、第72話のラストページの如く”生き人形”の命を奪う行為であることを、クリストファー達はとうとう知ってしまったのです。

生き人形に洗脳が必要な理由が分かったことで絶望するアンソニー。
両手を組み、頭を抱えて座るアンソニーの表情は苦悶に満ちていました。


しかし、彼の絶望はそれだけではありませんでした。


続いてアンソニーから発せられた台詞。
その台詞を聞いたローズマリーは驚愕の表情を浮かべました。


“一体化”、それを知ったクリストファーは自ら命を絶ったのです。


楽しかった時代の終わり。
気が付けば外は大雨です。

これまでの生活を洗い流すかのようにその雨は降り続いていました。


それを眺めながら、放心したかのように立つマリーローズ。

ところが、かつての仲間の死を受け入れる時間さえ彼女には与えられませんでした。


部屋の扉をノックするシャドー。
バーバラが部屋にやって来ました。

今一番会いたくて、そして会いたくない訪問者。

マリーローズはその扉を開けることができず、手を当てるだけで精一杯でした。


マリーローズとバーバラを隔てる一枚の扉。

それは、二人の心を閉ざすには十分過ぎました。

ましてや、バーバラはすぐ傍にいるマリーローズが涙を流していた事実さえ知らず今も誤解したままです。せめてあと数刻早く、バーバラが部屋に来ていればと残念で仕方ありません。


煤を出し、涙を流す二人。

この瞬間、ローズマリーが語った「涙も枯れ果てる」という凄惨な生活が始まりました。



丁度一年前の昨日。
10月3日は、第43話が公開された日です。

お披露目の終わりを告げたあのエピソード。
そのラストに描かれたのは、悲しくも美しいシャーリーとラムの姿でした。


まさか一年が過ぎて、酷似したシャドーハウスの冷酷な素顔を見ることになろうとは思ってもみませんでした。しかも扉の外と中が描写されるという、偶然で片づけるにはあまりに不思議な一致です。

ようやくあの時のショックが癒えようとしていたのに、再び鮮烈にあのシーンを思い出してしまいました。


ただここで思うのは、マリーローズとバーバラは心の傷を癒すことさえできないまま、これまでずっと過ごしていたという事実です。

それはどれだけ過酷で、残酷で、心が痛めつけられる日々だったことか。
それを思う時、彼女達の強さに敬服せざるを得ません。


マリーローズの言う通り、考えても答えが出ないこともあります。

そしてバーバラの願いは、決して果たされることはないでしょう。


しかし2対のこれまでを振り返るたびに、かつての彼女達の悲しみに寄り添うだけではなく、今の彼女達に「よく頑張った!」と声を掛けたい衝動に駆られるのは私だけでしょうか?

私にとって、2対の姿を見続けてきてようやく今見つけた感情は、“悲しみ”ではなく“尊敬”でした。