目に見えない恐怖を社会が抱えながら、いつの間にか秋がやってきました。

今年の夏も焼き尽くすかのような日々が続いていた筈ですが、いくつもの喧騒がそれを消し去ってしまったかのようです。
正直、これほどまでに夏が短く感じたことは私にはありません。


短い夏と言えば、私が思い出すのは一つの花です。

北国の海辺に小さく咲く赤い花。
ハマナスです。

北海道を中心に咲くこの花は、北国を象徴する花です。
函館への郷愁を詠んだ石川啄木の短歌にもハマナスが登場します。


私はこの花が好きなのですが、理由は二つあります。

一つ目は、厳しい冬を耐える姿に感銘を覚えること。
二つ目は、花言葉が美しいことです。

ようやくやってきた短い夏に咲く可憐な花。
青々しい海と荒涼とした浜辺に赤く映える様は、何度見ても飽きません。

そしてその花言葉は「悲しくも美しい」です。
(中には「美しい悲しみ」とする場合もあるようですが、私は前者のほうが好みです。)

荒々しい風と打ち寄せる波、長い冬。
それに耐え忍ぶ姿を見るたびに、小さき花が持つ力強さに感動を覚えます。

もしかしたらそれは、自分自身が大きな力に逆らうことの困難さを知らずの内に感じているからなのかも知れません。


第78話では、とある少女たちが運命に翻弄されながらも自らの意思を貫き通しました。

彼女達が最期に見せた笑顔は、私達に“幸せとは何か”を鋭く問いかけています。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



今話を通じて一貫していたのは、マリーローズとローズマリーの「やさしさ」でした。

第69話でエミリコとショーンを襲ったこびりつきが手加減したものだったのと同じように、彼女達は最後の最後までケイトとエミリコの“班長”であり、バーバラとバービーの“同期”でした。


それを示したのがマリーローズのエドワードに対する台詞です。

栄光の廊下を暫く歩き、真ん中の地点を超えたところで発した「おじい様と共にある棟…ということだね」という念を押すかのような確認。

マリーローズが亡霊を作り出してエドワードを拘束したのは、全責任がバーバラからエドワードへと移った瞬間でした。

この直前、エドワードの後ろ髪に隠されたローズマリーの顔は、きっとほくそ笑んだものだったことでしょう。実際にマリーローズは亡霊を従えながら「ここで問題が起きたらエドワードのせいだね!」と声を張り上げました。

これもすべて、バーバラ達へと咎が及ばないようにするためです。


ただケイトが以前推測したように、別棟の住人であるエドワードのすす能力は強力なものでした。

ピアノを弾くが如く、音響を操るエドワード。
力の差をマリーローズに見せつけます。

苦しむマリーローズ達を見下ろしながら、エドワードは余裕の笑みを浮かべました。

マリーローズへの尋問がこれで容易になったとでも考えているのでしょう。
この時点ではまだ、エドワードにとって「私の完璧な世界」であり、そしてマリーローズ達は「私の手のひらの上」でした。


しかし、力の差など館からの脱出を諦めたマリーローズにとって承知の上だった筈です。

にも関わらず、なぜここでマリーローズは亡霊を出現させたのでしょうか?


私は、これこそがマリーローズの“最後の授業”だったと思っています。

音響攻撃に苦しみながらマリーローズが考えていたのは「これがエドワードのすす能力…!?」でした。つまり、マリーローズはエドワードのすす能力を知らなかったことになります。

事実、単に栄光の廊下を壊したり脱出するつもりならエドワードを拘束する必要はなかったでしょうし、それこそ亡霊でエドワードを握り潰すことだって可能でした。

しかしそれをしなかったのは、ケイトにエドワードのすす能力を見せることで、今後の糧として欲しいという思いがあったからに違いありません。


そうでなければこの後の彼女達の行為も含めて、すべての行動に説明がつかないでしょう。

既にこの時、手のひらの上で踊っていたのはマリーローズではなくエドワードの方でした。


運命に抗って見せると言っていたマリーローズとローズマリー。
その言葉に偽りはありませんでした。


亡霊によって壊された壁の縁に立つ二人。
彼女達が顔を向かい合わせて浮かべた表情は、あまりに美しい笑顔でした。


後輩と同期の前で、二人が選んだ道。


それは、シャドーハウスによる「処分」でも「一体化」でもなく、奇しくもクリストファーと同じ「自害」でした。


クリストファーが生み出した幻影=“亡霊”とともに、その最期を知る一対。

気高き少女達は、自らの手によって最後の舞台の幕を閉じました。


深い深い谷底へと消えていった、マリーローズとローズマリー。

それは、幸せだった頃のこどもたちの棟の思い出をすべて持ち去るかのようでした。