さて、さんざんこれまでブログで指摘しておきながら、ぜんぜん書き上がらなかった記事をこれより上げたいと思います。

その指摘とは、ズバリ「ケイトの顔とエミリコの顔は本当に一緒なのか?」という疑問です。

“確かにそう思う!”という方と、“いや二人の顔は一緒だ!”と思う方が半々かと存じますが(当ブログ調べ)、SNSを見ていると連載初期から今年初頭までは前者が、最近では後者の方が多いように感じます。

実のところ、私自身もそうなんですけどね。
最近のエミリコの様子を見ていると「なんだできるじゃないか…いい顔だ」なんてジョンみたいなことを度々思いながら読んでいます。


しかしこう言っては何ですが、詳細に物語を読み返していくと幾つか疑問に思う部分があるのもまた事実です。

今回の記事ではそうした部分に焦点を当てて、誰もが抱くケイトとエミリコの関係について書いていきたいと思います。


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本題に入る前に前置きですが、今回の記事では本編の内容に限定して考察していきたいと思います。

なぜかと言いますと、SNSでは本編以外のイラストを根拠に「ケイトとエミリコの顔が違う!」という指摘が散見されますが、それについては恐らく設定とは無関係と思われるからです。

例えば、COMIC ZINの4巻発売時の特典は画像のようなイラストでしたが、確かにこのイラストではケイトとエミリコの輪郭が違って描かれています。

4巻COMICZIN

↑単行本4巻COMIC ZIN特典(現在も入手可能かは不明)

これを見ていると、ケイトとエミリコは違う顔だと結論付けたい気持ちは良く分かります。

ただソウマトウ先生は、FANBOXのシャドーハウスのカラー版についてという記事でこう述べられています。


“「週刊ヤングジャンプ」での雑誌連載がオリジナルです。
モノクロ版で完成形になるよう描いています。”

“別の方の手がかなり入ったものという認識です。”


これはシャドーハウスのカラー単行本の出版の有無について、先生方自身が説明した言葉です。
つまり先生方の認識としては、例え監修に参加していたとしてもモノクロ版とカラー版とでははっきり別物だと明言したことになります。

これはアニメについても同じかと思いますので、読者としてはしっかりと肝に銘じたいところです。


さて、そうすると先程の画像についてどう考えるのが正解なのか難しいところですが、画像のケイトとエミリコについてはソウマトウ先生のオリジナルであるものの、考察の対象にはしない方が賢明かと私は思います。

このイラストはソウマトウ先生が手掛けたものではありますが、カラー版でさえ別物だと仰っているわけですから、本編に関係のないイラストが物語の設定に関わっているとは考えにくいです。
よって、当記事ではこのイラストについてはスルーします。


ではなぜケイトとエミリコの顔が違うと私が感じたのかといいますと、以下のシーンがどうにも引っ掛かるからです。

そのシーンとは、

①「見ないで!」ドンッ(第1話・単行本1巻P10)
②「やめて!」ガタンッ(第6話・単行本1巻P75)
③「ケイトの顔としては少し幼さが気になる…」(第32話・単行本3巻P95)
④「私 全然しっくりきません」(第62話・単行本5巻P149)


この4つの場面です。


①はエミリコがケイトのタオルをのぞき込んでいたシーン、②はエミリコがケイトの顔に化粧品を付けていたシーンです。
エミリコの無邪気さに見ている読者もヒヤヒヤものでしたが、案の定どちらもケイトに怒られていました。

この2つの場面は、いずれもケイトの顔が直接ではないものの見られる可能性のあるシーンでした。
しかも後で分かることですが、当時のケイトはエミリコに対してまだ警戒していた時期です。

そう考えると、ケイトはエミリコに顔を見られてはならなかった何らかの理由があったのでは?と勘繰りたくなる場面であります。

もっとも第12話を見る限りですと、ケイトはシャドーという存在であることを嫌悪していそうな描写がなされています。それを踏まえると、①と②のシーンはエミリコという『完全な存在』に自分の姿を見られたくなかったと解釈するほうが自然に思えます。


ところが、暫くしてケイトとエミリコの顔について言及するシャドーが登場しました。

ジョンです。
場所は庭園迷路。そして当時はケイトに求婚したばかりでした。

そんなケイトにべた惚れのジョンが、エミリコの主人がケイトだと気付いて発したのが先の発言でした。ぱっと見失礼な台詞です!

ただ一見無神経そうなジョンのこの台詞ですが、見逃してはならないと思います。
なぜなら彼の行動を振り返ると、馬鹿(すなお)に見えて案外鋭いからです。これまでジョンの何気ない発言や行動が重要なキーになることは一度や二度ではありませんでした。

その観点からジョンの「幼い」発言を考えると、これまで読者が直感的に考えてきた“ケイトの顔=大人っぽい、エミリコの顔=子供っぽい”の図式が実は正解なんじゃないかと思えてきます。


そして極めつけは、④でエミリコが発した台詞です。

これはケイト達が同期会を開いている最中に、ショーンと屋根の上で互いの名を呼び合った時のシーンです。

しかし、呼び合ったと言ってもいつもの自分達の名前ではありません。
この時エミリコとショーンは「ケイト」「ジョン」と互いを呼びました。直後の夜空のシーンと併せて、非常にロマンティックな光景です。

ところが自らの名を“ジョン”だと自分で気付いたショーンに対し、エミリコは笑い転げながら「しっくりこない」と語りました。「確信した」とまで言うショーンと好対照です。

ですがこのショーンの推理は、我々読者から見てもかなり真実に近いことは確実です。
まだ本当にショーンの元の名前が“ジョン”だったかどうかは不明ですが、ショーンの言う通りシャドーと生き人形の関係を考えればこう考えるのが自然です。

ということは、それが「しっくりこない」というエミリコの発言は、彼女がまだ記憶を取り戻していないからでしょうか?


私はそうは思いません。
なぜなら、この後エミリコは夜空を眺めながら「これは人間の時の記憶ですね」と言っているからです。煤珈琲は意識的な記憶を消すことができても、感情の記憶までは消せないのです。


ならば、エミリコはなぜ“ケイト”と呼ばれて違和感を覚えたのか。

私は、この「しっくりこない」という感情こそがケイトの顔≠エミリコの顔の何よりの状況証拠だと思います。

そしてその前提に立つなら、①②③のシーンにも納得がいきます。

①と②はまだ洗脳されているかも知れない(煤珈琲が抜けきっていない)エミリコに対して、ケイトがエミリコとは違う顔であることを悟られないようにするために過剰に反応したと見受けられますし、ジョンがエミリコを見て「幼い」と感じたのもただの勘違いではないということです。

読者がこれまで感じてきた疑問もこれで氷解します。
ケイトとエミリコの顔が違うものであれば、何の問題もありません。


以上のことから、状況証拠だけではありますが、ケイトとエミリコの顔は違う可能性が高いという結論でこの記事を終えたいと思います。


ただここまで述べておいて難ですが、そうするとこの物語の根幹が崩れますよね。

シメントリーな二人が不思議な館で困難に立ち向かうストーリーの筈が、そもそも主人公コンビが対称の存在でなかったとすれば何もかもがひっくり返ってしまいます。


ですが、現在のところはこういった推測が成り立つのもまた事実です。


最近公開された第74話では、ケイトのドレスを着たエミリコが「しっくりとした」風に描写されていました。

これを第6話のエミリコの姿と比較して「二人が一緒に暮らしていくに従って段々外見も内面も似てきた」と捉えるか、「そもそもそれは考えすぎ」と捉えるかはまだ判断が付きません。

ですが第48話でケイトが言っていたように、彼女はエミリコが混乱するからといってすべての秘密を話していません。

その中の一つと思われるシャドーの正体については、成り行きでモーフであることがエミリコとショーン・ジョンに知らされましたが、恐らくこれ以外にも話していないことは山ほどあるでしょう。

もしかしたらその秘密の中には、ケイトとエミリコの出会いや、それこそエミリコがシャドーハウスに来る前の出来事も含まれているかも知れません。


果たして、ケイトは何をどれだけ知っているのか。


彼女が抱える秘密の数と苦悩の深さが比例することが分かっていても、ケイトの知る真相を見てみたいという好奇心が抑えられません。