鳥は自由の象徴と言われています。
それを明確に謳っている組織や宗教、文化はないのですが、なぜかそういった認識は古今東西見受けられます。
恐らく、翼を持ち大空を翔る姿が自由を連想させるからでしょう。キリスト教では鳩が救済の象徴として扱われていますが、天に最も近い場所を飛ぶ彼らを、昔の人は神の使いとして見ていたのかも知れません。宗教画に描かれる天使に翼が生えているのもそういった理由からだと思われます。
少し話は変わりますが、私がシャドーハウスのケイトを初めて見た時に脳裏に浮かんだのは「パンをふんだむすめ」という影絵劇でした。
同名のアンデルセンの童話を原作とした影絵劇で、30年ほど前にNHK教育で数回放映されていました。現在30~40代の方は観たことがあるという方もいらっしゃるかと思います。恐怖を煽る主題歌が印象に残っている人も多いでしょう。劇自体は、横浜を拠点とする“劇団かかし座”という超一流劇団の制作なので完成度はかなり高いです。一度でいいので劇場で見てみたい作品です。
ネタバレになりますが、この「パンをふんだむすめ」にも救済の象徴として小鳥が登場します。原作にはない描写らしいですが、元々の童話はかなり宗教色が強いものだということですから、それを考慮した上での脚色だったのでしょう。キリスト教徒が大多数ではない日本人に向けて、アンデルセンの意図をうまく組み込むための演出だったのかも知れません。私も大人になってから振り返って、当時の自分がその演出によって作品の主題を知らずの内に感じ取っていたことを思い出しました。機会があれば一度ご覧頂きたいです。
さて、節目となる第80話は冒頭で鳥が登場しました。
嬉しそうに鳥へと手を伸ばす少女。
しかしその手は僅かに届かず、自由の象徴は陽光へと消えていきました。
それを明確に謳っている組織や宗教、文化はないのですが、なぜかそういった認識は古今東西見受けられます。
恐らく、翼を持ち大空を翔る姿が自由を連想させるからでしょう。キリスト教では鳩が救済の象徴として扱われていますが、天に最も近い場所を飛ぶ彼らを、昔の人は神の使いとして見ていたのかも知れません。宗教画に描かれる天使に翼が生えているのもそういった理由からだと思われます。
少し話は変わりますが、私がシャドーハウスのケイトを初めて見た時に脳裏に浮かんだのは「パンをふんだむすめ」という影絵劇でした。
同名のアンデルセンの童話を原作とした影絵劇で、30年ほど前にNHK教育で数回放映されていました。現在30~40代の方は観たことがあるという方もいらっしゃるかと思います。恐怖を煽る主題歌が印象に残っている人も多いでしょう。劇自体は、横浜を拠点とする“劇団かかし座”という超一流劇団の制作なので完成度はかなり高いです。一度でいいので劇場で見てみたい作品です。
ネタバレになりますが、この「パンをふんだむすめ」にも救済の象徴として小鳥が登場します。原作にはない描写らしいですが、元々の童話はかなり宗教色が強いものだということですから、それを考慮した上での脚色だったのでしょう。キリスト教徒が大多数ではない日本人に向けて、アンデルセンの意図をうまく組み込むための演出だったのかも知れません。私も大人になってから振り返って、当時の自分がその演出によって作品の主題を知らずの内に感じ取っていたことを思い出しました。機会があれば一度ご覧頂きたいです。
さて、節目となる第80話は冒頭で鳥が登場しました。
嬉しそうに鳥へと手を伸ばす少女。
しかしその手は僅かに届かず、自由の象徴は陽光へと消えていきました。
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“自由”に向けて伸ばしていた手。それは鉄格子に阻まれます。
目を覚ましたエミリコの目の前にあったのは、ひどく重苦しい現実でした。
かつては朝になると飛び起きていたエミリコ。
ところが、ケイトから自身が“人間”であることを知らされた彼女は以前のままではいられませんでした。
「夢」
シャドーハウスに来てから、初めて見たというエミリコ。
これは真実を知ってしまったことと無関係ではないと思います。沈んだ表情でエミリコはその意味を思案しました。
夢の内容は冒頭で描かれていたように、暖かい日差しの中で生活する自身の姿でした。それと今の状況を比較して、エミリコは本当にそんな過去があったのかと疑問に思います。
暗い部屋を見まわしながら、本当は自分は人形ではないかと疑心暗鬼の様子です。
今回のお話は、第3話と対照的なストーリーが展開されました。
けたたましく鳴るチャイム。
これは朝掃除の合図です。エミリコは大慌てで準備に取り掛かります。
そんなエミリコを急かすのは、同じ班のミアです。
朝ごはんに手を付けずにエミリコは部屋を出ました。
ミアとルウの後を追いかけながら、エミリコは今日一日のスケジュールを頭でなぞります。
朝早くから仕事に駆り出され、日中は主人のお世話。夜間は部屋の片づけにベッドメイキング、それが終わって自身の夕食と繕い物……。
睡眠時間を減らして判断能力を奪うのは洗脳の常套手段です。
本能がそれを忌避しているのか、エミリコは無意識に息苦しさを感じます。
ですが今の彼女は“生き人形”です。
ミアはそんなエミリコをたしなめました。「余計なことを考えてはいけない」という、繰り返し作中に出てくるフレーズを当たり前のように発します。
完全に館の思うような思考に陥ったミアとルウ。
それを見て、エミリコの顔色が変わります。第53話の喜びの会を見ていた時もエミリコは青ざめていましたが、その時と同じです。エミリコの置かれた状況を想像するときついものがあります。
おまけに今回はそれだけではなく、ローズマリーに対してミアとルウが全く気にかけていないことも不気味さに拍車を掛けました。それどころか名前すら出さず、ミアは「一体減ったから」班長になれたと上機嫌です。“生き人形”への洗脳の根深さがここでも浮き彫りになりました。
気付くと、他の班員が掃除道具の間にいました。“新人”に対して“授業”の最中です。
初めての大掃除の日、エミリコはローズマリーから掃除道具を渡されて「幸せです!」と喜んでいました。それを思い出したのか分かりませんが、彼女は新人の少女に思いを馳せて、心の中で語りかけます。
「あなたはいま館の生活にワクワクしているのでしょうか?」
それはかつて、エミリコ自身が感じた感情そのものです。
ですがその喜びは、優しかった班長がいなくなったのと前後してエミリコの胸からすっかりと消え失せました。
同時に、顔の見えない人形の姿を見てその境遇に胸を痛めます。
主人を亡くして喪に服す気持ちはいかほどか。そしてその記憶さえも無理矢理に捨てさせられるとは……。
そこまで想像して、エミリコは瞳に涙を浮かべます。すす珈琲が効いていた頃は決してなかった胸の痛み。水は低きに流れるもので、「飲めば不安もなくなる」というスザンナの言葉が脳裏に響きました。
しかしその流れに逆らう存在が、エミリコの心を明るくします。
部屋に戻ったエミリコ。しかし様子がいつもと違います。
水の入ったバケツに乱雑に置かれた箒とブラシ、極めつけはテーブルに置かれた床用の雑巾……。
一体誰がこんなことをしたのかとエミリコは部屋を見まわします。
前回の79話ではアンソニーが部屋に侵入していました。エミリコにとってそれはまだ記憶に新しかったはずです。それどころかケイトの姿も見えません。
次第に現場の緊張感が読者にも伝わってきました。
しかし、その刹那。
エミリコの背後に現れたのは、エプロン姿のケイトでした!
第74話のスタンダードに続くケイトのサービスシーンです!!
これは過酷な生活に晒されているエミリコを、少しでも楽にさせてあげたいというケイトの優しさでした。慣れないながらも、主人としてケイトは一生懸命エミリコのために力になろうとしていたのです。
そんな主人の姿に、一転して笑顔になるエミリコ。
ケイトのエプロンの帯を直して、いざ二人で部屋の掃除です。ケイトのすす能力もあってか、たちまち掃除が進んでいきました。
一段落して、暫しの休息に入る二人。
エミリコの今朝の夢の話からはじまり、会話は“生き人形”の洗脳へと話題が移りました。
洗脳が解けたエミリコでさえ、つい館のルールに縛られそうになる危険性。
それをケイトは、改めて人間を“生き人形”という道具にするための方法だと推理しました。
これは第62話でショーンと屋根の上で会話した時と全く同じ結論です。それを聞いてエミリコは頬に汗を浮かべました。
無意識のうちに、珈琲を飲めば楽になれると思ってしまったことに対する恐怖があったのかも知れません。
ただ、この時のエミリコはそれ以上にケイトに対する罪悪感が上回っていました。館の思うままに流されそうになったことを、正直にケイトに告白します。
ですがケイトは、そんな彼女を叱責するわけでもなくそっと手を握りました。
「辛いわよね」とエミリコを慮るケイト。
この時ケイトは、自身の闘いにエミリコを巻き込んでしまった申し訳なさでいっぱいだったことと思います。
ところが間もなく、エミリコは顔を上げてケイトにこう言いました。
「今は楽しいです!」
エミリコが見せた明るい表情に、ケイトの表情も明るくなりました。
ほどなくしてベルの音が響きます。召集の合図です。“星つき”からの報告のため大広間へ行かなければなりません。二人は渡り廊下を通り目的地へと向かいました。
向かった先は、こどもたちが集まった広間です。
ここに集められたすべての者にあった“かつての生活”
しかしすべての者に待ち受ける“これからの生活”は、例外なく死への生活に他なりません。
50人以上のこどもたちが、全員死ぬために連れてこられたという揺るぎない事実。
その不条理さに、ケイトとエミリコはまっすぐ目を見据えます。
「シャドーハウスは間違っている!」
誰にも頼れない闘いに向け、二人は改めて決意を固めました。
すべては運命を変えるためです。
互いが互いを思う心。それさえあれば、洗脳などに頼らずとも同じ志・同じ「顔」で困難へと立ち向かうことができることを二人は証明してみせました。
ならば、あとはそれを広めるだけです。目を覚ましてもらえれば、みんなで協力してこの体制を打破できるはずだと意志を強くしました。これ以上の犠牲は出してはなりません。
“シャドーハウス”と呼ばれる館。
その最奥部では、ケイトが「元凶」と断ずる「偉大なるおじい様」が独りで珈琲を啜っていました。
立ち込める煤煙の如く、判然としない謎の存在とその意図。
謎と謀略が跋扈する館を舞台に、二人の少女が反乱の狼煙を上げます。
いよいよ、ケイトとエミリコの新しい物語が幕を上げました!
“自由”に向けて伸ばしていた手。それは鉄格子に阻まれます。
目を覚ましたエミリコの目の前にあったのは、ひどく重苦しい現実でした。
かつては朝になると飛び起きていたエミリコ。
ところが、ケイトから自身が“人間”であることを知らされた彼女は以前のままではいられませんでした。
「夢」
シャドーハウスに来てから、初めて見たというエミリコ。
これは真実を知ってしまったことと無関係ではないと思います。沈んだ表情でエミリコはその意味を思案しました。
夢の内容は冒頭で描かれていたように、暖かい日差しの中で生活する自身の姿でした。それと今の状況を比較して、エミリコは本当にそんな過去があったのかと疑問に思います。
暗い部屋を見まわしながら、本当は自分は人形ではないかと疑心暗鬼の様子です。
今回のお話は、第3話と対照的なストーリーが展開されました。
けたたましく鳴るチャイム。
これは朝掃除の合図です。エミリコは大慌てで準備に取り掛かります。
そんなエミリコを急かすのは、同じ班のミアです。
朝ごはんに手を付けずにエミリコは部屋を出ました。
ミアとルウの後を追いかけながら、エミリコは今日一日のスケジュールを頭でなぞります。
朝早くから仕事に駆り出され、日中は主人のお世話。夜間は部屋の片づけにベッドメイキング、それが終わって自身の夕食と繕い物……。
睡眠時間を減らして判断能力を奪うのは洗脳の常套手段です。
本能がそれを忌避しているのか、エミリコは無意識に息苦しさを感じます。
ですが今の彼女は“生き人形”です。
ミアはそんなエミリコをたしなめました。「余計なことを考えてはいけない」という、繰り返し作中に出てくるフレーズを当たり前のように発します。
完全に館の思うような思考に陥ったミアとルウ。
それを見て、エミリコの顔色が変わります。第53話の喜びの会を見ていた時もエミリコは青ざめていましたが、その時と同じです。エミリコの置かれた状況を想像するときついものがあります。
おまけに今回はそれだけではなく、ローズマリーに対してミアとルウが全く気にかけていないことも不気味さに拍車を掛けました。それどころか名前すら出さず、ミアは「一体減ったから」班長になれたと上機嫌です。“生き人形”への洗脳の根深さがここでも浮き彫りになりました。
気付くと、他の班員が掃除道具の間にいました。“新人”に対して“授業”の最中です。
初めての大掃除の日、エミリコはローズマリーから掃除道具を渡されて「幸せです!」と喜んでいました。それを思い出したのか分かりませんが、彼女は新人の少女に思いを馳せて、心の中で語りかけます。
「あなたはいま館の生活にワクワクしているのでしょうか?」
それはかつて、エミリコ自身が感じた感情そのものです。
ですがその喜びは、優しかった班長がいなくなったのと前後してエミリコの胸からすっかりと消え失せました。
同時に、顔の見えない人形の姿を見てその境遇に胸を痛めます。
主人を亡くして喪に服す気持ちはいかほどか。そしてその記憶さえも無理矢理に捨てさせられるとは……。
そこまで想像して、エミリコは瞳に涙を浮かべます。すす珈琲が効いていた頃は決してなかった胸の痛み。水は低きに流れるもので、「飲めば不安もなくなる」というスザンナの言葉が脳裏に響きました。
しかしその流れに逆らう存在が、エミリコの心を明るくします。
部屋に戻ったエミリコ。しかし様子がいつもと違います。
水の入ったバケツに乱雑に置かれた箒とブラシ、極めつけはテーブルに置かれた床用の雑巾……。
一体誰がこんなことをしたのかとエミリコは部屋を見まわします。
前回の79話ではアンソニーが部屋に侵入していました。エミリコにとってそれはまだ記憶に新しかったはずです。それどころかケイトの姿も見えません。
次第に現場の緊張感が読者にも伝わってきました。
しかし、その刹那。
エミリコの背後に現れたのは、エプロン姿のケイトでした!
第74話のスタンダードに続くケイトのサービスシーンです!!
これは過酷な生活に晒されているエミリコを、少しでも楽にさせてあげたいというケイトの優しさでした。慣れないながらも、主人としてケイトは一生懸命エミリコのために力になろうとしていたのです。
そんな主人の姿に、一転して笑顔になるエミリコ。
ケイトのエプロンの帯を直して、いざ二人で部屋の掃除です。ケイトのすす能力もあってか、たちまち掃除が進んでいきました。
一段落して、暫しの休息に入る二人。
エミリコの今朝の夢の話からはじまり、会話は“生き人形”の洗脳へと話題が移りました。
洗脳が解けたエミリコでさえ、つい館のルールに縛られそうになる危険性。
それをケイトは、改めて人間を“生き人形”という道具にするための方法だと推理しました。
これは第62話でショーンと屋根の上で会話した時と全く同じ結論です。それを聞いてエミリコは頬に汗を浮かべました。
無意識のうちに、珈琲を飲めば楽になれると思ってしまったことに対する恐怖があったのかも知れません。
ただ、この時のエミリコはそれ以上にケイトに対する罪悪感が上回っていました。館の思うままに流されそうになったことを、正直にケイトに告白します。
ですがケイトは、そんな彼女を叱責するわけでもなくそっと手を握りました。
「辛いわよね」とエミリコを慮るケイト。
この時ケイトは、自身の闘いにエミリコを巻き込んでしまった申し訳なさでいっぱいだったことと思います。
ところが間もなく、エミリコは顔を上げてケイトにこう言いました。
「今は楽しいです!」
エミリコが見せた明るい表情に、ケイトの表情も明るくなりました。
ほどなくしてベルの音が響きます。召集の合図です。“星つき”からの報告のため大広間へ行かなければなりません。二人は渡り廊下を通り目的地へと向かいました。
向かった先は、こどもたちが集まった広間です。
ここに集められたすべての者にあった“かつての生活”
しかしすべての者に待ち受ける“これからの生活”は、例外なく死への生活に他なりません。
50人以上のこどもたちが、全員死ぬために連れてこられたという揺るぎない事実。
その不条理さに、ケイトとエミリコはまっすぐ目を見据えます。
「シャドーハウスは間違っている!」
誰にも頼れない闘いに向け、二人は改めて決意を固めました。
すべては運命を変えるためです。
互いが互いを思う心。それさえあれば、洗脳などに頼らずとも同じ志・同じ「顔」で困難へと立ち向かうことができることを二人は証明してみせました。
ならば、あとはそれを広めるだけです。目を覚ましてもらえれば、みんなで協力してこの体制を打破できるはずだと意志を強くしました。これ以上の犠牲は出してはなりません。
“シャドーハウス”と呼ばれる館。
その最奥部では、ケイトが「元凶」と断ずる「偉大なるおじい様」が独りで珈琲を啜っていました。
立ち込める煤煙の如く、判然としない謎の存在とその意図。
謎と謀略が跋扈する館を舞台に、二人の少女が反乱の狼煙を上げます。
いよいよ、ケイトとエミリコの新しい物語が幕を上げました!

アンソニーの記憶は戻っているのでしょうか。
アンソニーはなぜ洗脳が解けても脱出ではなく戦うことを選んだのかも気になります。
単に正義感なのか、クリストファーの仇をとろうとしているのか。
屋敷に居続けるのはリスクが高いと思いますがそれでも戦う必要があるということでしょう。
シャドーハウスも新しい展開になりますが、前章もローブ様の正体だけでなくローズたちの過去や同期会など複雑に進められていたので、次も単純にはいかないでしょうね。
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