「あれから」という言葉から何を連想するか。
人によって様々でしょうが、私は「あれから 僕たちは 何かを信じてこれたかなぁ」のフレーズで有名な「夜空ノムコウ」(SMAP/平成10年)がまず思い浮かびますね。(世代がバレる)
リアルタイム世代でなくても、音楽の教科書に載っていて知ったという若い方もいらっしゃるかも知れません。メロディーだけでなく歌詞も巧みに計算されていますので、国語の教科書に載ってもおかしくないんじゃないかなと私は思っています。納得のミリオンセラーです。
特に私が好きなのは、「悲しみって いつかは 消えてしまうものなのかなぁ… ため息は少しだけ 白く残ってすぐ消えた」「このままどこまでも日々は続いていくのかなぁ… 雲のない星空がマドのむこうに続いてる」
の2フレーズです。
切ない心象(悲しみって消えるのかな/日々は続いていくのかな)とそれに伴う行動・風景(ため息/雲のない星空)という二つの事象を描いているのに、最後の言葉(すぐ消えた/むこうに続いている)がその両方の事象に掛かっている上に、主人公の疑問(切ない心象)のアンサーになっているという、非常に高度な歌詞です。どうやったらこんな歌詞が書けるんでしょうね。流石スガシカオ氏です。
おまけに“ため息/雲のない星空”は主人公にとって極自然な行動・風景ですので、主人公はその答えに気付いていない可能性もあります。なんてもどかしい若者の心理を描いた作品なのか……!
しかもこの夜空の風景だって唐突に現れた訳ではなく、1番の歌詞で主人公が窓を開けているからこそのフレーズです。1番のサビと2番のサビが連動しているとは…!
さて、「夜空ノムコウ」の批評を続けていますと記事が何本あっても足りないので本題に移りましょう。(絵にせよ漫画にせよ音楽にせよ、素晴らしい作品は時代を越えた“普遍”さを持っているということが言いたかっただけです。)
シャドーハウスだってきっと、「あの頃」を振り返る未来の世界で輝いているに決まっています。
今回のお話は、“夜空の下の誓い”がただの誓いではなくなる、そんな明るい兆しが見えたエピソードでした。
人によって様々でしょうが、私は「あれから 僕たちは 何かを信じてこれたかなぁ」のフレーズで有名な「夜空ノムコウ」(SMAP/平成10年)がまず思い浮かびますね。(世代がバレる)
リアルタイム世代でなくても、音楽の教科書に載っていて知ったという若い方もいらっしゃるかも知れません。メロディーだけでなく歌詞も巧みに計算されていますので、国語の教科書に載ってもおかしくないんじゃないかなと私は思っています。納得のミリオンセラーです。
特に私が好きなのは、「悲しみって いつかは 消えてしまうものなのかなぁ… ため息は少しだけ 白く残ってすぐ消えた」「このままどこまでも日々は続いていくのかなぁ… 雲のない星空がマドのむこうに続いてる」
の2フレーズです。
切ない心象(悲しみって消えるのかな/日々は続いていくのかな)とそれに伴う行動・風景(ため息/雲のない星空)という二つの事象を描いているのに、最後の言葉(すぐ消えた/むこうに続いている)がその両方の事象に掛かっている上に、主人公の疑問(切ない心象)のアンサーになっているという、非常に高度な歌詞です。どうやったらこんな歌詞が書けるんでしょうね。流石スガシカオ氏です。
おまけに“ため息/雲のない星空”は主人公にとって極自然な行動・風景ですので、主人公はその答えに気付いていない可能性もあります。なんてもどかしい若者の心理を描いた作品なのか……!
しかもこの夜空の風景だって唐突に現れた訳ではなく、1番の歌詞で主人公が窓を開けているからこそのフレーズです。1番のサビと2番のサビが連動しているとは…!
さて、「夜空ノムコウ」の批評を続けていますと記事が何本あっても足りないので本題に移りましょう。(絵にせよ漫画にせよ音楽にせよ、素晴らしい作品は時代を越えた“普遍”さを持っているということが言いたかっただけです。)
シャドーハウスだってきっと、「あの頃」を振り返る未来の世界で輝いているに決まっています。
今回のお話は、“夜空の下の誓い”がただの誓いではなくなる、そんな明るい兆しが見えたエピソードでした。
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白状します。
正直、ここ最近のエピソードはアニメ化に伴って取り入れられたエピソードであって、本来のシャドーハウスとはやや逸れたストーリー展開だと思っていました。
もちろん、前回までの展開に不満があったわけではありません。私だってシャーリーとラムの復帰を望んでいました。それこそ第45話のライアンの台詞(「パターンは初めてだ」)を読んで僅かながら希望を見出してもいましたし、いつの日にかケイトには“同期の絆”をシャーリーに手渡して欲しい、そう切に願っていました。
しかし、アニメ放映が近づくにあたって同期5組がクローズアップされればされるほど、ちょっとした疑念が頭をよぎりました。
その疑念とは、お披露目に唯一合格しなかったシャーリー組が、アニメ放映と連動して復帰するのではないかという訝しみです。
良く言えば読者サービス、悪く言えば『大衆迎合』です。
もしも徐々に物語が進んでいく中であれば、そんなことは思わなかったかも知れません。何のわだかまりもなく読み進めていたことでしょう。そうであればどんなに楽だったことでしょうか。
しかし、ご存知の通り最近の数話は目まぐるしく情勢が変わっていきました。第80話の新章開幕以来、全く予断を許さない展開の連続です。
そしてそんな状況で登場した、指にリボンを付けた“顔の見えない人形”と前髪に特徴のある“こびりつき”。
彼女達の登場に驚きホッとしたのも束の間、それとは裏腹に、あまりに性急な物語の進行に「ご都合主義」という言葉が脳裏をかすめました。本来シャドーハウスとはもっとも縁遠い言葉です。
しかしその言葉が浮かんでからというもの、いくら振り払おうとも一向に離れることはありませんでした。
シャドーハウスを読んでいてこんなに困惑したのは初めてです。信じたいのに信じきれない、そんな思いで最近読んでいました。
しかし、シャドーハウスはやっぱりシャドーハウスでした。
エミリコがポケットから取り出した手紙。ケイトとジョン、ショーンが固唾を飲んで見守る中、手紙にはこう綴られていました。
「ラムより」
震えた手で手紙を読み上げるエミリコ。その手紙には、お披露目後のラムの様子が綴られていました。
お披露目直後、崩れ去ったシャーリー。
泣き暮れるラムの元に訪れたのは、試験官のエドワードでした。
先程まではケイトとエミリコのゴールに愕然としていた筈なのに、ここでは余裕そうなエドワード。なんとも憎らしいものです。
おまけに彼の憎らしい行動はこれだけでは終わりません。
ラムを独房のような部屋に入れ、主人との“対”の証であるリボンを引き剝がし、親友の“ラミー”までをも奪い取り、そしてちぎり捨てたのです。今度こそラムは一人ぼっちになってしまいました。
やがて大方の予想通り、ラムに煤入り珈琲が差し出されます。“顔の見えない人形”へと仕立て上げられる、長い長い30日間が始まりました。
ところが、ここから読者の予想を覆す、驚愕の事実が語られ始めます。
ラムには絶対記憶だけではない強力な“秘策”があったのです。
その“秘策”とは、シャーリーの存在でした。
命を落としたかと思われたシャーリーがなぜ生きているのか。
それはここでは語られていませんが、エドワードが第45話で言っていたように“想定外の事態”が起こったのでしょう。シャドーとしての形は保てていないものの、モーフに戻っただけではなくすす能力と人格を得てシャーリーは蘇ったのです。エドワードからしてみれば、『“想定外”の“想定外の出来事”』が起こったといっても過言ではないでしょう。
偉大なるおじい様の言葉を借りれば「シャドーハウスにはまだまだいくつもの可能性があるということ」なのかも知れません。その『可能性』は誰も意図しない、これ以上ない形で姿を現しました。
ラムの語る「あれから」はまだ続きます。
手紙を読み進めると、これまで謎だった第48話の煤粒の正体も明らかになりました。
エミリコが洗脳から解けた日に部屋の中を動いていた煤は、シャーリーだったのです。エドワードでも星つきでもクリストファーでもなく、頼もしい味方が既にケイトとエミリコの傍にいたのです。(ジョンとショーン、惜しかったね!)
エミリコの洗脳が解けた日の会話の事を「全て聞かせて頂いた」と語るラム。ケイトの館への反抗と生き人形の正体もその時知ったのでしょう。あの時エミリコは、ケイトの前で荷車を押すようなポーズをとっていました。もしあれが、ラムと一緒に坂道を登った時の事だとしたら、シャーリーはどんな気持ちで聞いていたのでしょうか。
「ラム、ケイトが何かおっぱじめるってよー!」「ラム、庭園迷路ではあの子と楽しそうにしていたみたいね!」なんて喋るシャーリーがいたら微笑ましいですね。
しかし今“喋る”と書きましたが、丁度そのタイミングでシャーリーが喋れないことが判明しました。ラムによれば、意思疎通はもっぱら人差し指越しの「心の会話」だそうです。以前は「ラミー」を相手にしていた人差し指のリボン。それが本当の主人とのコミュニケーションになったことを、ラムは嬉しそうにエミリコに伝えました。
ラムの語った長い「あれから」。
手紙はエミリコとショーンへの感謝の後、かつてのラムからは想像できない力強い言葉で締めくくられました。
「今は心強い味方がいるんだから!!」
これが、自分自身を失敗作だと、いらない子だと、嬉しいなんて気持ちを知らないと言っていた少女の言葉でしょうか?
ここで『違う』と言うのは簡単です。以前のラムと比べ、今のラムは見違えました。
しかし私は、ラムは変わらなかったからこそ、ここまで強くなったのだろうと敢えて考えます。その根拠は、崩れ去った後だというのにどこまでもアクティブなシャーリーの姿です。
ケイトの部屋に潜入し、エミリコのピンチを助け、見つかるリスクを冒してまで従者の想いを届けたシャーリー。彼女の本質は、その写し鏡になったラムと全く同じなのではないでしょうか?
ならば今のシャーリーとラムは、これまでの彼女達の“本質”の延長線上の姿に違いありません。
私はそう確信しています。
手紙を読み終えた後、エミリコは力強く拳を上げ、ケイト達は気勢を上げました。久方ぶりの朗報です。前話までの不安はどこへやら、エミリコは部屋ではしゃぎ回ります。
これまでと違った雰囲気に、見ているこちらまで明るくなります。
それと同刻、或いは数刻後でしょうか。個室に戻ったラムはシャーリーと静かに眠りにつきました。
眠りにつく前に、かつて交わせなかった「ふれあい」をする二人。嬉しそうなラムの顔を見ていると、“顔の見えない人形”としてひっそりと主人と暮らすという選択肢もあり得たのに、それでもケイトとエミリコに協力しようと決意した心意気に敬服します。そして、もう望めないと思っていた彼女の笑顔をもう一度見ることができたことに感動を禁じ得ません。
これをシャーリーとラムの成長と言うのは簡単です。
ましてや、自戒を込めて言いますが「ご都合主義」と呼ぶのは容易いです。
しかしそのどちらも間違っています。
先程も申しましたが、今の二人の姿は、彼女達が元々持っていた彼女達そのものだからです。
だから、いくら陳腐と言われようともここで明言します。
ラムが意を決して庭園迷路のトンネルを潜ったように、『館の悪意』という果てないトンネルを潜り抜けた二人。彼女達はお披露目で手にできなかったゴールに、今ようやく辿り着きました。
その絆は、これからもずっとずっと続いていくことでしょう。
最後の一対・シャーリー&ラム。
30日間の時を経て、奇跡の完全復活です!!!
白状します。
正直、ここ最近のエピソードはアニメ化に伴って取り入れられたエピソードであって、本来のシャドーハウスとはやや逸れたストーリー展開だと思っていました。
もちろん、前回までの展開に不満があったわけではありません。私だってシャーリーとラムの復帰を望んでいました。それこそ第45話のライアンの台詞(「パターンは初めてだ」)を読んで僅かながら希望を見出してもいましたし、いつの日にかケイトには“同期の絆”をシャーリーに手渡して欲しい、そう切に願っていました。
しかし、アニメ放映が近づくにあたって同期5組がクローズアップされればされるほど、ちょっとした疑念が頭をよぎりました。
その疑念とは、お披露目に唯一合格しなかったシャーリー組が、アニメ放映と連動して復帰するのではないかという訝しみです。
良く言えば読者サービス、悪く言えば『大衆迎合』です。
もしも徐々に物語が進んでいく中であれば、そんなことは思わなかったかも知れません。何のわだかまりもなく読み進めていたことでしょう。そうであればどんなに楽だったことでしょうか。
しかし、ご存知の通り最近の数話は目まぐるしく情勢が変わっていきました。第80話の新章開幕以来、全く予断を許さない展開の連続です。
そしてそんな状況で登場した、指にリボンを付けた“顔の見えない人形”と前髪に特徴のある“こびりつき”。
彼女達の登場に驚きホッとしたのも束の間、それとは裏腹に、あまりに性急な物語の進行に「ご都合主義」という言葉が脳裏をかすめました。本来シャドーハウスとはもっとも縁遠い言葉です。
しかしその言葉が浮かんでからというもの、いくら振り払おうとも一向に離れることはありませんでした。
シャドーハウスを読んでいてこんなに困惑したのは初めてです。信じたいのに信じきれない、そんな思いで最近読んでいました。
しかし、シャドーハウスはやっぱりシャドーハウスでした。
エミリコがポケットから取り出した手紙。ケイトとジョン、ショーンが固唾を飲んで見守る中、手紙にはこう綴られていました。
「ラムより」
震えた手で手紙を読み上げるエミリコ。その手紙には、お披露目後のラムの様子が綴られていました。
お披露目直後、崩れ去ったシャーリー。
泣き暮れるラムの元に訪れたのは、試験官のエドワードでした。
先程まではケイトとエミリコのゴールに愕然としていた筈なのに、ここでは余裕そうなエドワード。なんとも憎らしいものです。
おまけに彼の憎らしい行動はこれだけでは終わりません。
ラムを独房のような部屋に入れ、主人との“対”の証であるリボンを引き剝がし、親友の“ラミー”までをも奪い取り、そしてちぎり捨てたのです。今度こそラムは一人ぼっちになってしまいました。
やがて大方の予想通り、ラムに煤入り珈琲が差し出されます。“顔の見えない人形”へと仕立て上げられる、長い長い30日間が始まりました。
ところが、ここから読者の予想を覆す、驚愕の事実が語られ始めます。
ラムには絶対記憶だけではない強力な“秘策”があったのです。
その“秘策”とは、シャーリーの存在でした。
命を落としたかと思われたシャーリーがなぜ生きているのか。
それはここでは語られていませんが、エドワードが第45話で言っていたように“想定外の事態”が起こったのでしょう。シャドーとしての形は保てていないものの、モーフに戻っただけではなくすす能力と人格を得てシャーリーは蘇ったのです。エドワードからしてみれば、『“想定外”の“想定外の出来事”』が起こったといっても過言ではないでしょう。
偉大なるおじい様の言葉を借りれば「シャドーハウスにはまだまだいくつもの可能性があるということ」なのかも知れません。その『可能性』は誰も意図しない、これ以上ない形で姿を現しました。
ラムの語る「あれから」はまだ続きます。
手紙を読み進めると、これまで謎だった第48話の煤粒の正体も明らかになりました。
エミリコが洗脳から解けた日に部屋の中を動いていた煤は、シャーリーだったのです。エドワードでも星つきでもクリストファーでもなく、頼もしい味方が既にケイトとエミリコの傍にいたのです。(ジョンとショーン、惜しかったね!)
エミリコの洗脳が解けた日の会話の事を「全て聞かせて頂いた」と語るラム。ケイトの館への反抗と生き人形の正体もその時知ったのでしょう。あの時エミリコは、ケイトの前で荷車を押すようなポーズをとっていました。もしあれが、ラムと一緒に坂道を登った時の事だとしたら、シャーリーはどんな気持ちで聞いていたのでしょうか。
「ラム、ケイトが何かおっぱじめるってよー!」「ラム、庭園迷路ではあの子と楽しそうにしていたみたいね!」なんて喋るシャーリーがいたら微笑ましいですね。
しかし今“喋る”と書きましたが、丁度そのタイミングでシャーリーが喋れないことが判明しました。ラムによれば、意思疎通はもっぱら人差し指越しの「心の会話」だそうです。以前は「ラミー」を相手にしていた人差し指のリボン。それが本当の主人とのコミュニケーションになったことを、ラムは嬉しそうにエミリコに伝えました。
ラムの語った長い「あれから」。
手紙はエミリコとショーンへの感謝の後、かつてのラムからは想像できない力強い言葉で締めくくられました。
「今は心強い味方がいるんだから!!」
これが、自分自身を失敗作だと、いらない子だと、嬉しいなんて気持ちを知らないと言っていた少女の言葉でしょうか?
ここで『違う』と言うのは簡単です。以前のラムと比べ、今のラムは見違えました。
しかし私は、ラムは変わらなかったからこそ、ここまで強くなったのだろうと敢えて考えます。その根拠は、崩れ去った後だというのにどこまでもアクティブなシャーリーの姿です。
ケイトの部屋に潜入し、エミリコのピンチを助け、見つかるリスクを冒してまで従者の想いを届けたシャーリー。彼女の本質は、その写し鏡になったラムと全く同じなのではないでしょうか?
ならば今のシャーリーとラムは、これまでの彼女達の“本質”の延長線上の姿に違いありません。
私はそう確信しています。
手紙を読み終えた後、エミリコは力強く拳を上げ、ケイト達は気勢を上げました。久方ぶりの朗報です。前話までの不安はどこへやら、エミリコは部屋ではしゃぎ回ります。
これまでと違った雰囲気に、見ているこちらまで明るくなります。
それと同刻、或いは数刻後でしょうか。個室に戻ったラムはシャーリーと静かに眠りにつきました。
眠りにつく前に、かつて交わせなかった「ふれあい」をする二人。嬉しそうなラムの顔を見ていると、“顔の見えない人形”としてひっそりと主人と暮らすという選択肢もあり得たのに、それでもケイトとエミリコに協力しようと決意した心意気に敬服します。そして、もう望めないと思っていた彼女の笑顔をもう一度見ることができたことに感動を禁じ得ません。
これをシャーリーとラムの成長と言うのは簡単です。
ましてや、自戒を込めて言いますが「ご都合主義」と呼ぶのは容易いです。
しかしそのどちらも間違っています。
先程も申しましたが、今の二人の姿は、彼女達が元々持っていた彼女達そのものだからです。
だから、いくら陳腐と言われようともここで明言します。
ラムが意を決して庭園迷路のトンネルを潜ったように、『館の悪意』という果てないトンネルを潜り抜けた二人。彼女達はお披露目で手にできなかったゴールに、今ようやく辿り着きました。
その絆は、これからもずっとずっと続いていくことでしょう。
最後の一対・シャーリー&ラム。
30日間の時を経て、奇跡の完全復活です!!!

ましてシャドーハウスは甘くない、一班丸々生き人形がいなくなるということもままある館です。
退場も致し方なしと思っていたのですが…。
シャーリー様とラムは見事復活となりましたね。
復活の決め手はお披露目のふれあいで人格が芽生えたことだと思いますが、本来おやすみのキスでしか主人とのふれあいは殆ど許されないと思われる屋敷の力関係の中でダンスを踊っただけでなく総評の冒頭で語られた『もう間に合わない時間になってもシャーリー様と手を繋ぎ続けた』ということだと思います。
本来少しずつ蓄積されていくはずのふれあいの積み重ねがお披露目で合流してからずっと手を繋いでいたとなればシャドーとして姿を保つには足りなくともモーフに戻る程度の力は得られたのではと思います。
お披露目の最終話、出口のすぐ近くでお互いに手を伸ばす二人の姿と今回のおやすみのキスで語りかける姿に一番最初のケイト様とエミリコの姿を重ねてみてしまいました。
彼女たちはきっとこれから少しずつ関係を築いていくのでしょうね。
shadowsblog
が
しました