「パラダイムシフト」という言葉があります。
ある分野において、常識とされていたことが覆される様子を指した語句です。
例えば、科学分野ではアインシュタインの相対性理論、歴史ではフランス革命、戦術史では真珠湾攻撃、技術史では蓄音機の発明などが挙げられます。
言い換えれば「既成概念の崩壊」や「発想の転換」とも言えます。
パラダイムシフトにおいては、その発生前後で生活様式は大きく変化します。それだけではなく、パラダイムシフトを境にして物事の受け止め方も違ってきます。
コペルニクスの唱えた地動説は当時の人々の常識を根底から覆し、それが受け入れられた前と後で西洋の天文学は大きく変化しました。たった一つの発見や思想が、過去において正しいと信じられてきたことを180度転換させるきっかけになったのです。
シャドーハウスでも、似たようなことが劇中で頻発しています。読者が連載中に感じていたことが、ストーリーが進み新事実が発覚するにつれて、実は間違っていたなんてことは珍しくありません。
シャドーハウスの読者にとってみれば、何度も「パラダイムシフト」が発生していると言っても過言ではないでしょう。前記事では第113話までの情報を踏まえて1巻を読み返しましたが、連載当初に我々が見ていたものは、氷山の一角でしかありませんでした。
ちなみにシャドーハウスのストーリーを指して「パラダイムシフト」という言葉を思い付いたのは私の発想ではありません。ツイッターで今話の感想を拝見していた時に見つけたものです。
ただこの言葉を読んだ瞬間、シャドーハウスのストーリーを表すにぴったりな言葉だと膝を打ちました。簡潔に言うならその通りです。
そして今回。その集大成と呼ぶべき光景が描かれました。
第24話で描かれた、ケイトの「すべて話すわ」という独白。
その物語がとうとう結末を迎えました。
ある分野において、常識とされていたことが覆される様子を指した語句です。
例えば、科学分野ではアインシュタインの相対性理論、歴史ではフランス革命、戦術史では真珠湾攻撃、技術史では蓄音機の発明などが挙げられます。
言い換えれば「既成概念の崩壊」や「発想の転換」とも言えます。
パラダイムシフトにおいては、その発生前後で生活様式は大きく変化します。それだけではなく、パラダイムシフトを境にして物事の受け止め方も違ってきます。
コペルニクスの唱えた地動説は当時の人々の常識を根底から覆し、それが受け入れられた前と後で西洋の天文学は大きく変化しました。たった一つの発見や思想が、過去において正しいと信じられてきたことを180度転換させるきっかけになったのです。
シャドーハウスでも、似たようなことが劇中で頻発しています。読者が連載中に感じていたことが、ストーリーが進み新事実が発覚するにつれて、実は間違っていたなんてことは珍しくありません。
シャドーハウスの読者にとってみれば、何度も「パラダイムシフト」が発生していると言っても過言ではないでしょう。前記事では第113話までの情報を踏まえて1巻を読み返しましたが、連載当初に我々が見ていたものは、氷山の一角でしかありませんでした。
ちなみにシャドーハウスのストーリーを指して「パラダイムシフト」という言葉を思い付いたのは私の発想ではありません。ツイッターで今話の感想を拝見していた時に見つけたものです。
ただこの言葉を読んだ瞬間、シャドーハウスのストーリーを表すにぴったりな言葉だと膝を打ちました。簡潔に言うならその通りです。
そして今回。その集大成と呼ぶべき光景が描かれました。
第24話で描かれた、ケイトの「すべて話すわ」という独白。
その物語がとうとう結末を迎えました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ケイトの部屋の回転扉が開きました。
黒い絵が何枚も掛けてある壁が室内に向いているということは、エミリコが入ってきた証拠です。実際に、彼女はその前に立ち挨拶しました。
(第113話ではエミリコが入ってくる前に黒い絵がある側の壁が描かれていましたが、ひょっとしたら修正されるかも知れません)
しかし、この時エミリコはおかしな挨拶をしました。昨日会っているというのに「はじめまして!」と言うのです。
ケイトもおかしいと気付き、すぐさま昨日会っただろうと尋ねます。
ところが、エミリコは今日が初めてだと返しました。瞳はまだ濁ったままですが、エミリコの様子を見る限りだと嘘はついていなさそうです。エミリコは完全にそう思い込んでいるのです。
それどころか、前話ラストで怒っていたことも忘れていそうな態度です。ケイトは、もしかしたらこんな生活がずっと続くのではないかと、不安で煤を出しました。
果たして、ケイトの予想は的中しました。
翌日も、エミリコは「はじめまして!」と挨拶してケイトの部屋に来たのです。記憶の混濁などではなく、まるでそうプログラミングされているかのような行動です。
ケイトはそんなエミリコを見ながら、あることに気が付きました。
異常な状態が続く“日常”
一見矛盾しているように思われるこの状況ですが、これは“異常”が“日常”になる過程、即ち人間が「生き人形」になるために、記憶を改竄している途中だというのです。
それを察すると、ケイトはエミリコを見つめながら「貴女はいつの間にかシャドーハウスの“生き人形”になってしまった」と嘆きました。ここにはもう、ケイトに勇気をくれた少女はいないのです。
しかし、ケイトはそれでも諦めきれませんでした。
お風呂の準備や着替えの支度、床掃除をするエミリコを見て、かつて献身的にケイトを支えていた侍女に思い馳せます。
エミリコの姿に侍女を重ねたケイトは、なぜここまでして私に尽くすのかと尋ねました。もしかしたら、少しでも人間らしい答えが返ってくるのではないかとケイトは期待していたのかも知れません。
ところが、エミリコから帰ってきた返事は「“生き人形”はお影様のお役に立つためにいます」という、シャドーハウスの因習に囚われた答えだけでした。
やはり、エミリコは「生き人形」になってしまったのです。
ただケイトは、ここでエミリコの表情に注目します。
ケイトの疑問に答えるエミリコの顔は、前回ラストのような悍ましい顔ではなく満面の笑みだったからです。
ケイトはその笑顔を見て、出会った頃を思い出しました。
思えば、ケイトとエミリコが直接言葉を交わしたのは、サーカス小屋で出会ったほんのひと時だけです。時間にすれば30分ほどでしょうか。
しかしその短い時間は、ケイトの長い旅の中でかけがえのない宝物となっていました。一人旅を始めてから、いや、身体を黒い影が蝕みだした頃から、ケイトは心癒されることはありませんでした。ケイトにとって、エミリコとの出会いはたった一つの希望だったのです。
そうとなればもう迷いはありません。
ケイトはあの時のエミリコにもう一度会いたいと覚悟を決めました。そのためにやれることを探ります。前回その内容を「歪んだ世界」と断じた、“シャドー家の教え”を読み、まずは「生き人形」に名前を付けることを思案します。
生き人形の名前といえば、第23話でもルイーズが言っていたように自分の名前と似たような名前を付けるのが普通です。
例えば、それは略称だったり、シャドーの名を捩った名前です。サラとミアを除けば、ほぼ全ての館の住人がそのルールに則っています。
ただ、単行本2巻の巻末にもありますが、その基準はあってないようなものです。ケイトも「シャドー家の教え」に書いてある「生き人形の名前は重要ではありません」という一文を逆手にとって、こう解釈しました。
「どうつけたって違反ではないはずよね」
ここから、ケイトの行動は第24話、そして咎なきにも拘らず非難を浴びたアニメ第1話のあのエピソードへと繋がっていきます。
エミリコにはエミリコという個でいて欲しいという、ケイトの願いがここで描かれたのです。
ケイトは名前を付ける前に、少しの沈黙の後にエミリコに話し掛けました。この様子は、アニメ第1話で鬼頭氏が演じたケイトの台詞そのままです。この時のケイトの「…」は、館のルールに反していないとはいえ、それでも訝しがられる可能性がある行動をすることに、少しの躊躇があったからでしょう。
ましてや、館に反意を抱いていることが分かったとあれば、エミリコはまた前回ラストのように激高することも考えられます。となれば、やはり生き人形の名前はルール通り付けた方が無難です。
しかしケイトは、それを乗り越えて名前を告げました。
「今日から貴女はエミリコよ」
エミリコの瞳はいつものような輝きのままです。いや、それどころか生を受けて初めて呼ばれた名が、ケイトが付けた「エミリコ」という名前だったのかも知れません。それくらいの眩しさを伴いながら、エミリコは喜んでその名を受け入れました。ここから第1話へのストーリーへと繋がっていくのです。
そしてそれは、ケイトにとって「希望」をくれた少女を取り戻すための日々でした。
部屋の中でのドタバタした二人の生活、
協力して見つけ出した動く人形の謎、
その日々の中で紡がれた互いの信頼、
庭園迷路で育まれた主従の絆、
館の悪意から抜け出した涙の苦行、
謂れなき濡れ衣を払うための挑戦、
信じていた班長との死闘と悲劇、
その闘いが残してくれた“同期の絆”、
一瞬の隙を突いた棟主導陣の本拠地潜入、
絶望と思われた仲間の奇跡の復活、
いよいよ始まった同期との反乱……。
そして、全てを思い出した従者。
ケイトは第24話で語っていた「わたしの秘密」を、ようやく話し終えました。
これがケイト・ミラーのこれまでの生い立ちです。エミリコの第106話の疑問には、こんなに凄まじい過去があったのです。それを聞いているエミリコも、ただ茫然と立つだけでした。
しかし、いつもは冷静沈着なケイトが思わぬ行動に出ます。
エミリコの名前を呼ぶと、これまでの毎日を取り戻すかのように強くエミリコを抱き締めたのです。
いつものケイトであれば、これからミラーハウスを取り戻すための闘いについて話したり、或いは今後の身の振り方を考えたりと、そんな姿が想起されます。
ただこの時のケイトは、13歳の少女そのままの無邪気な姿でした。突然の主人の抱擁に、さっきまでの雰囲気はどこへやら、エミリコもすごく嬉しそうです。
どちらもはしゃいで飛び跳ねているのが分かります。漫画の一コマと言えど、良く分かります。きっと野山を駆け回っていたというケイトは、こんな女の子だったのでしょう。
ケイトが自身の過去を話し始めた第106話「わたしの名前」から今話の「あなたの名前は」は、こうして一つの結末を迎えました。
いや、それだけではなく第24話の「名前」も今回のお話に連なっていることでしょう。
それどころか、二人の名を題した第1話「ケイトとエミリコ」さえもが一繋がりとなりました。
漫画の過去話だけではなくアニメまでもをストーリーに取り込むソウマトウ先生の凄まじさをまざまざと見せつけられました。
本当にこの作品は唯一無二です。
二つの大切なもののうち、一つを今ようやく取り戻すことができたケイト。
となれば、次なるケイトの目標はミラーハウスを取り戻すことだけです。
これより本格的なケイトの反攻が始まること間違いなしです!
ただ、それは取り敢えず置いておきましょう。
なぜなら、再会を喜ぶ二人の少女をそんな野暮な話題で邪魔することはないからです。
今はただ、二人の輝かんばかりの美しい姿に、明るい未来を信じるだけにしておきましょう。
ケイトの部屋の回転扉が開きました。
黒い絵が何枚も掛けてある壁が室内に向いているということは、エミリコが入ってきた証拠です。実際に、彼女はその前に立ち挨拶しました。
(第113話ではエミリコが入ってくる前に黒い絵がある側の壁が描かれていましたが、ひょっとしたら修正されるかも知れません)
しかし、この時エミリコはおかしな挨拶をしました。昨日会っているというのに「はじめまして!」と言うのです。
ケイトもおかしいと気付き、すぐさま昨日会っただろうと尋ねます。
ところが、エミリコは今日が初めてだと返しました。瞳はまだ濁ったままですが、エミリコの様子を見る限りだと嘘はついていなさそうです。エミリコは完全にそう思い込んでいるのです。
それどころか、前話ラストで怒っていたことも忘れていそうな態度です。ケイトは、もしかしたらこんな生活がずっと続くのではないかと、不安で煤を出しました。
果たして、ケイトの予想は的中しました。
翌日も、エミリコは「はじめまして!」と挨拶してケイトの部屋に来たのです。記憶の混濁などではなく、まるでそうプログラミングされているかのような行動です。
ケイトはそんなエミリコを見ながら、あることに気が付きました。
異常な状態が続く“日常”
一見矛盾しているように思われるこの状況ですが、これは“異常”が“日常”になる過程、即ち人間が「生き人形」になるために、記憶を改竄している途中だというのです。
それを察すると、ケイトはエミリコを見つめながら「貴女はいつの間にかシャドーハウスの“生き人形”になってしまった」と嘆きました。ここにはもう、ケイトに勇気をくれた少女はいないのです。
しかし、ケイトはそれでも諦めきれませんでした。
お風呂の準備や着替えの支度、床掃除をするエミリコを見て、かつて献身的にケイトを支えていた侍女に思い馳せます。
エミリコの姿に侍女を重ねたケイトは、なぜここまでして私に尽くすのかと尋ねました。もしかしたら、少しでも人間らしい答えが返ってくるのではないかとケイトは期待していたのかも知れません。
ところが、エミリコから帰ってきた返事は「“生き人形”はお影様のお役に立つためにいます」という、シャドーハウスの因習に囚われた答えだけでした。
やはり、エミリコは「生き人形」になってしまったのです。
ただケイトは、ここでエミリコの表情に注目します。
ケイトの疑問に答えるエミリコの顔は、前回ラストのような悍ましい顔ではなく満面の笑みだったからです。
ケイトはその笑顔を見て、出会った頃を思い出しました。
思えば、ケイトとエミリコが直接言葉を交わしたのは、サーカス小屋で出会ったほんのひと時だけです。時間にすれば30分ほどでしょうか。
しかしその短い時間は、ケイトの長い旅の中でかけがえのない宝物となっていました。一人旅を始めてから、いや、身体を黒い影が蝕みだした頃から、ケイトは心癒されることはありませんでした。ケイトにとって、エミリコとの出会いはたった一つの希望だったのです。
そうとなればもう迷いはありません。
ケイトはあの時のエミリコにもう一度会いたいと覚悟を決めました。そのためにやれることを探ります。前回その内容を「歪んだ世界」と断じた、“シャドー家の教え”を読み、まずは「生き人形」に名前を付けることを思案します。
生き人形の名前といえば、第23話でもルイーズが言っていたように自分の名前と似たような名前を付けるのが普通です。
例えば、それは略称だったり、シャドーの名を捩った名前です。サラとミアを除けば、ほぼ全ての館の住人がそのルールに則っています。
ただ、単行本2巻の巻末にもありますが、その基準はあってないようなものです。ケイトも「シャドー家の教え」に書いてある「生き人形の名前は重要ではありません」という一文を逆手にとって、こう解釈しました。
「どうつけたって違反ではないはずよね」
ここから、ケイトの行動は第24話、そして咎なきにも拘らず非難を浴びたアニメ第1話のあのエピソードへと繋がっていきます。
エミリコにはエミリコという個でいて欲しいという、ケイトの願いがここで描かれたのです。
ケイトは名前を付ける前に、少しの沈黙の後にエミリコに話し掛けました。この様子は、アニメ第1話で鬼頭氏が演じたケイトの台詞そのままです。この時のケイトの「…」は、館のルールに反していないとはいえ、それでも訝しがられる可能性がある行動をすることに、少しの躊躇があったからでしょう。
ましてや、館に反意を抱いていることが分かったとあれば、エミリコはまた前回ラストのように激高することも考えられます。となれば、やはり生き人形の名前はルール通り付けた方が無難です。
しかしケイトは、それを乗り越えて名前を告げました。
「今日から貴女はエミリコよ」
エミリコの瞳はいつものような輝きのままです。いや、それどころか生を受けて初めて呼ばれた名が、ケイトが付けた「エミリコ」という名前だったのかも知れません。それくらいの眩しさを伴いながら、エミリコは喜んでその名を受け入れました。ここから第1話へのストーリーへと繋がっていくのです。
そしてそれは、ケイトにとって「希望」をくれた少女を取り戻すための日々でした。
部屋の中でのドタバタした二人の生活、
協力して見つけ出した動く人形の謎、
その日々の中で紡がれた互いの信頼、
庭園迷路で育まれた主従の絆、
館の悪意から抜け出した涙の苦行、
謂れなき濡れ衣を払うための挑戦、
信じていた班長との死闘と悲劇、
その闘いが残してくれた“同期の絆”、
一瞬の隙を突いた棟主導陣の本拠地潜入、
絶望と思われた仲間の奇跡の復活、
いよいよ始まった同期との反乱……。
そして、全てを思い出した従者。
ケイトは第24話で語っていた「わたしの秘密」を、ようやく話し終えました。
これがケイト・ミラーのこれまでの生い立ちです。エミリコの第106話の疑問には、こんなに凄まじい過去があったのです。それを聞いているエミリコも、ただ茫然と立つだけでした。
しかし、いつもは冷静沈着なケイトが思わぬ行動に出ます。
エミリコの名前を呼ぶと、これまでの毎日を取り戻すかのように強くエミリコを抱き締めたのです。
いつものケイトであれば、これからミラーハウスを取り戻すための闘いについて話したり、或いは今後の身の振り方を考えたりと、そんな姿が想起されます。
ただこの時のケイトは、13歳の少女そのままの無邪気な姿でした。突然の主人の抱擁に、さっきまでの雰囲気はどこへやら、エミリコもすごく嬉しそうです。
どちらもはしゃいで飛び跳ねているのが分かります。漫画の一コマと言えど、良く分かります。きっと野山を駆け回っていたというケイトは、こんな女の子だったのでしょう。
ケイトが自身の過去を話し始めた第106話「わたしの名前」から今話の「あなたの名前は」は、こうして一つの結末を迎えました。
いや、それだけではなく第24話の「名前」も今回のお話に連なっていることでしょう。
それどころか、二人の名を題した第1話「ケイトとエミリコ」さえもが一繋がりとなりました。
漫画の過去話だけではなくアニメまでもをストーリーに取り込むソウマトウ先生の凄まじさをまざまざと見せつけられました。
本当にこの作品は唯一無二です。
二つの大切なもののうち、一つを今ようやく取り戻すことができたケイト。
となれば、次なるケイトの目標はミラーハウスを取り戻すことだけです。
これより本格的なケイトの反攻が始まること間違いなしです!
ただ、それは取り敢えず置いておきましょう。
なぜなら、再会を喜ぶ二人の少女をそんな野暮な話題で邪魔することはないからです。
今はただ、二人の輝かんばかりの美しい姿に、明るい未来を信じるだけにしておきましょう。
