「強さ」と「美しさ」
人類。いや、生物の誕生以来、あらゆる生命が生き残りを賭けて手に入れようとしてきたのが、この二つの力です。
「強さ」は個体自身を、「美しさ」は自らの遺伝子を残すために必要だったからです。
現代社会における価値観からすれば、この意見に異を唱える方も多いかと思いますが、生物や人類の歴史を振り返ると大半の時代がそういった価値観で占められています。
それはきっと、「強さ」も「美しさ」も子孫を残すにあたって、有利になる要素を示す指標となっていたからでしょう。
ここでその是非について述べるつもりはありませんが、高度な社会性を獲得した人類が、未来では「強さ」「美しさ」に関してどんな価値観を持つのか見てみたい気もします。(その頃私はもう生きてはいませんが)
さて、小難しいことは置いておきましてシャドーハウスに戻りましょう。
シャドー家は貴族の真似事をする一族ですが、階級争いは人間の貴族も真っ青な闘争が繰り広げられています。
なんせ、敗北を喫したら待っているのは「死」ですからね。
“こどもたち”として館に存在している時点で「美しさ」は保障されているわけですから、この館で生き残るのは「強さ」が何よりも必要なのです。
敢えて加えるとすれば「したたかさ」も大事ですが、漢字だと「強かさ」と書くように、精神的な「強さ」も生き残るためには必須です。エドワードやアンソニーを見れば分かるように、単純に力持ちなだけではいけないのです。
今回のエピソードでは、力が「強い」だけでは無力だと悟った、とある一対が登場しました。
「…また何も出来なかった」
こう呟いて、己の限界を嘆いたのです。
しかしそんな彼らを励ましたのは、「強さ」と「美しさ」と「強かさ」を持った可憐な一対でした。
本編の主役は、“咲き誇るガーベラ”ルイーズ。
お披露目の首席が大活躍です!
人類。いや、生物の誕生以来、あらゆる生命が生き残りを賭けて手に入れようとしてきたのが、この二つの力です。
「強さ」は個体自身を、「美しさ」は自らの遺伝子を残すために必要だったからです。
現代社会における価値観からすれば、この意見に異を唱える方も多いかと思いますが、生物や人類の歴史を振り返ると大半の時代がそういった価値観で占められています。
それはきっと、「強さ」も「美しさ」も子孫を残すにあたって、有利になる要素を示す指標となっていたからでしょう。
ここでその是非について述べるつもりはありませんが、高度な社会性を獲得した人類が、未来では「強さ」「美しさ」に関してどんな価値観を持つのか見てみたい気もします。(その頃私はもう生きてはいませんが)
さて、小難しいことは置いておきましてシャドーハウスに戻りましょう。
シャドー家は貴族の真似事をする一族ですが、階級争いは人間の貴族も真っ青な闘争が繰り広げられています。
なんせ、敗北を喫したら待っているのは「死」ですからね。
“こどもたち”として館に存在している時点で「美しさ」は保障されているわけですから、この館で生き残るのは「強さ」が何よりも必要なのです。
敢えて加えるとすれば「したたかさ」も大事ですが、漢字だと「強かさ」と書くように、精神的な「強さ」も生き残るためには必須です。エドワードやアンソニーを見れば分かるように、単純に力持ちなだけではいけないのです。
今回のエピソードでは、力が「強い」だけでは無力だと悟った、とある一対が登場しました。
「…また何も出来なかった」
こう呟いて、己の限界を嘆いたのです。
しかしそんな彼らを励ましたのは、「強さ」と「美しさ」と「強かさ」を持った可憐な一対でした。
本編の主役は、“咲き誇るガーベラ”ルイーズ。
お披露目の首席が大活躍です!
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“お披露目”とルイーズで思い出されるのは、やはり彼女たちが一番でゴールしたことでしょう。
特に象徴的なのがルイーズとルウが合流したエピソードです。そのシーンが収録された回の題名は、ずばり「首席」でした。
(第33話。余談ですが、実は雑誌版だと「主席」と誤植されていました)
ルイーズも一番乗りを目指していたらしく、ルウに「一番じゃなくなっちゃう」と言っていますし、変わり者の多かった同期の中では割と真面目に“お披露目”に向き合っていたんじゃないかと思います。
ただルイーズの場合は、シャドーとしてよりも『美しい自分自身』をより輝かせるためだった気もしますけどね。振り返ると、“お披露目”終了時点で偉大なるおじい様のことを気にかけていたのって誰もいなかったんじゃ…?
当時の状況を眺めてみるとこんな感じでしょうか。
<当時の状況>
・ケイト→おじい様に敵愾心MAX
・ジョン→ケイトにLOVE
・パトリック→エミリコに無自覚LOVE
・ルイーズ→自分の“顔”LOVE
う~ん、なんだこの世代!?問題児ばかりでは!?
何だかこう見ると、ケイトって本当に運が良かったんだなあと思います。アニメではリッキーとルウの洗脳があっさり解除されたのを疑問に思う声も上がっていましたが、こんな状況だとケイトが細工しなくても洗脳解除されてたんじゃないかって思えてきました。
まあ、それに関しては本編から外れますので置いておきます。また話題がずれましたので戻りましょう。
今回なぜ“お披露目”の話題を出したのかと言いますと、第126話の冒頭を読んだ時、第44話のことを思い出したからです。
ルイーズって第65話のすす能力の情報収集の時だけではなく、他の班や同期以外と会話しているシーンが割と多かったりするんですよね。第44話でも、“お披露目”の首席ということでこどもたちの中心にいたのがルイーズでした。第22話の言動を見る限りだと“顔”の自慢をしたかったように見えますが、それはともかく、ルイーズのコミュニケーション能力には目を見張るものがあります。
そして、今話もそれを彷彿とさせるシーンからスタートしました。
女子の輪の中心で、ルイーズが得意げに自身の美しさを披露していたからです。
読者から見るとこどもたちは皆美男美女ですが、作中において男子をドキーンッとさせてたり(第65話)、リッキーを赤面させてたり(第29話・103話)、可愛らしいと言われてる(100話)ルウって、シャドーから見てもかなりの美少女ということになります。
そりゃあ、ルイーズが自慢したくなるのも仕方ありませんね。きっと彼女の部屋にはルウの写真が沢山貼ってあることでしょう。(そう言えば“お披露目”後は写真を飾ることができるって言ってましたが、現在のルイーズの部屋ってどうなってるんだろう?)
ただ、話をかなり端折って申し訳ありませんが、今回の記事ではルイーズの成長に要点を絞って書いていきたいと思います。
キラキラしてるルウも、ギャル顔ムーブかますベンも、恐怖であらぬ表情しているミアやベルも捨てがたいですが、今回は飛ばします。すみません。
さて、ではルイーズの何が成長したのか。
それはルイーズが他者を気に掛けるようになったという点です。
ルイーズは、とかく自由奔放で自我が強いという印象です。それは今でも変わりません。というより、それが彼女の一貫した姿勢です。
しかし登場当初と現在を比べてみると、実はちょっとだけ違うのです。
なぜなら、初期のルイーズはシャドーハウスの価値観にどっぷり浸かっていたからです。
よくよく読んでみると、ルイーズが最初の頃に自慢していた美しい“顔”とはルウのことで、その美しい“顔”を愛でる行動というのは、シャドーハウスの価値観の延長だったりするんですよね。
何だかんだで“お披露目”直後のステージでは「私(ルイーズ)こそ誰もが憧れる美しいシャドーよっ」と心の中で呟いていますし、一見自我が強そうに見えるルイーズも、シャドーハウスの思想に縛り付けられていた状態だったことが分かります。
まあそれが故に、つい最近になってもSNSやアプリのコメント欄で『ルイーズが何考えてるか分からない』『裏切りそう』という推測がなされていたのかと思います。確かに、順当に考えればそう捉えられてもおかしくない言行動を彼女は繰り返していました。
しかし、最近の彼女は変わりました。特に今回の冒頭ではそれが顕著です。
“顔”について言及しているのはいつものことですが、同時に自身のプロモーションに触れているからです。
つい、いつものルイーズの美しさ自慢と流してしまいそうになりますが、先程述べた初期のルイーズからすると考えられない言動ではないでしょうか?
振り返れば、彼女が“顔”以外を自慢することなどまずなかったからです。
ルイーズが変わった理由は明白でしょう。
一つは、第65話以来ベンジャミンとのトレーニングを通じて、ルイーズが自分自身と“顔”(ルウ)が別だと認識したこと。
二つ目は、ケイトが語った館の真実を知ったことで、シャドーハウスの価値観から脱却したこと。
冒頭の台詞は、そんなルイーズの成長の証だと私は捉えています。
第65話のラストで初めてルウを気遣った彼女の成長が、さり気なく、かつはっきりと描かれた瞬間と言えましょう。
そして、自身の美しさにしか関心のなかったルイーズが“顔”を別個の存在と捉えたことで、彼女は他者に対しても目を向けるようになりました。
それが、人の心を掴むことなんかできないと嘆いたベンジャミンを励ました、ラスト3ページ目のシーンです。
カーブを描く煤を出しながら、自らの思いの丈をぶつけるルイーズ。
その手に拳を握り、ベンジャミンに食い下がります。
とてもではないですが、これが自分の“顔”にしか関心のなかった少女の姿でしょうか?これほどまでに、ルイーズが誰かのために必死になったことがあったでしょうか?
思えば第103話でルウは、サーカスに行くのを渋るリッキーを無理やり連れ出していました。ひょっとしたら村にいた頃のルウはお節介焼きだったのかも知れません。
だとすれば、それが写し取られたルイーズの本当の姿は、ベンジャミンを励ましたあの場面に集約されているのだと思います。
第126話はソウマトウ先生の筆が乗ったのか、作品屈指のコメディが繰り広げられました。
繰り返される「ミッション」「緊急事態」という語句に、ラブコメ『ギリギリアウト』を思い出した方も少なくないと推察します。
ですが、今回のエピソードのテーマは、ルイーズが自身の思いを発露させたあの一シーンに尽きると思います。洗脳が解けるに従ってこどもたちが自我を取り戻しているように、ようやくルイーズとルウは本当の「個」になったのです。
ラストでベンジャミンは、ルイーズの本音に絆されたのか良い笑顔を見せています。
前々回の「誠意と本意」ではないですが、ルイーズの発言に表裏がなく、そしてトレーニングを通じて伝えていたことがルイーズの心に届いていたことが、ベンジャミンにとっては何よりも嬉しかったはずです。
同時にそれは、追い詰められていた彼らにとって救いの手でもありました。
雨降って地固まる、という言葉がありますが、それ以上の嵐をもたらした此度の出来事はベンジャミン組とルイーズ組の結束をさらに強くしたことでしょう。
その強固さたるや、彼ら彼女らの鍛え上げられた筋肉以上なのかも知れませんね。
“お披露目”とルイーズで思い出されるのは、やはり彼女たちが一番でゴールしたことでしょう。
特に象徴的なのがルイーズとルウが合流したエピソードです。そのシーンが収録された回の題名は、ずばり「首席」でした。
(第33話。余談ですが、実は雑誌版だと「主席」と誤植されていました)
ルイーズも一番乗りを目指していたらしく、ルウに「一番じゃなくなっちゃう」と言っていますし、変わり者の多かった同期の中では割と真面目に“お披露目”に向き合っていたんじゃないかと思います。
ただルイーズの場合は、シャドーとしてよりも『美しい自分自身』をより輝かせるためだった気もしますけどね。振り返ると、“お披露目”終了時点で偉大なるおじい様のことを気にかけていたのって誰もいなかったんじゃ…?
当時の状況を眺めてみるとこんな感じでしょうか。
<当時の状況>
・ケイト→おじい様に敵愾心MAX
・ジョン→ケイトにLOVE
・パトリック→エミリコに無自覚LOVE
・ルイーズ→自分の“顔”LOVE
う~ん、なんだこの世代!?問題児ばかりでは!?
何だかこう見ると、ケイトって本当に運が良かったんだなあと思います。アニメではリッキーとルウの洗脳があっさり解除されたのを疑問に思う声も上がっていましたが、こんな状況だとケイトが細工しなくても洗脳解除されてたんじゃないかって思えてきました。
まあ、それに関しては本編から外れますので置いておきます。また話題がずれましたので戻りましょう。
今回なぜ“お披露目”の話題を出したのかと言いますと、第126話の冒頭を読んだ時、第44話のことを思い出したからです。
ルイーズって第65話のすす能力の情報収集の時だけではなく、他の班や同期以外と会話しているシーンが割と多かったりするんですよね。第44話でも、“お披露目”の首席ということでこどもたちの中心にいたのがルイーズでした。第22話の言動を見る限りだと“顔”の自慢をしたかったように見えますが、それはともかく、ルイーズのコミュニケーション能力には目を見張るものがあります。
そして、今話もそれを彷彿とさせるシーンからスタートしました。
女子の輪の中心で、ルイーズが得意げに自身の美しさを披露していたからです。
読者から見るとこどもたちは皆美男美女ですが、作中において男子をドキーンッとさせてたり(第65話)、リッキーを赤面させてたり(第29話・103話)、可愛らしいと言われてる(100話)ルウって、シャドーから見てもかなりの美少女ということになります。
そりゃあ、ルイーズが自慢したくなるのも仕方ありませんね。きっと彼女の部屋にはルウの写真が沢山貼ってあることでしょう。(そう言えば“お披露目”後は写真を飾ることができるって言ってましたが、現在のルイーズの部屋ってどうなってるんだろう?)
ただ、話をかなり端折って申し訳ありませんが、今回の記事ではルイーズの成長に要点を絞って書いていきたいと思います。
キラキラしてるルウも、ギャル顔ムーブかますベンも、恐怖であらぬ表情しているミアやベルも捨てがたいですが、今回は飛ばします。すみません。
さて、ではルイーズの何が成長したのか。
それはルイーズが他者を気に掛けるようになったという点です。
ルイーズは、とかく自由奔放で自我が強いという印象です。それは今でも変わりません。というより、それが彼女の一貫した姿勢です。
しかし登場当初と現在を比べてみると、実はちょっとだけ違うのです。
なぜなら、初期のルイーズはシャドーハウスの価値観にどっぷり浸かっていたからです。
よくよく読んでみると、ルイーズが最初の頃に自慢していた美しい“顔”とはルウのことで、その美しい“顔”を愛でる行動というのは、シャドーハウスの価値観の延長だったりするんですよね。
何だかんだで“お披露目”直後のステージでは「私(ルイーズ)こそ誰もが憧れる美しいシャドーよっ」と心の中で呟いていますし、一見自我が強そうに見えるルイーズも、シャドーハウスの思想に縛り付けられていた状態だったことが分かります。
まあそれが故に、つい最近になってもSNSやアプリのコメント欄で『ルイーズが何考えてるか分からない』『裏切りそう』という推測がなされていたのかと思います。確かに、順当に考えればそう捉えられてもおかしくない言行動を彼女は繰り返していました。
しかし、最近の彼女は変わりました。特に今回の冒頭ではそれが顕著です。
“顔”について言及しているのはいつものことですが、同時に自身のプロモーションに触れているからです。
つい、いつものルイーズの美しさ自慢と流してしまいそうになりますが、先程述べた初期のルイーズからすると考えられない言動ではないでしょうか?
振り返れば、彼女が“顔”以外を自慢することなどまずなかったからです。
ルイーズが変わった理由は明白でしょう。
一つは、第65話以来ベンジャミンとのトレーニングを通じて、ルイーズが自分自身と“顔”(ルウ)が別だと認識したこと。
二つ目は、ケイトが語った館の真実を知ったことで、シャドーハウスの価値観から脱却したこと。
冒頭の台詞は、そんなルイーズの成長の証だと私は捉えています。
第65話のラストで初めてルウを気遣った彼女の成長が、さり気なく、かつはっきりと描かれた瞬間と言えましょう。
そして、自身の美しさにしか関心のなかったルイーズが“顔”を別個の存在と捉えたことで、彼女は他者に対しても目を向けるようになりました。
それが、人の心を掴むことなんかできないと嘆いたベンジャミンを励ました、ラスト3ページ目のシーンです。
カーブを描く煤を出しながら、自らの思いの丈をぶつけるルイーズ。
その手に拳を握り、ベンジャミンに食い下がります。
とてもではないですが、これが自分の“顔”にしか関心のなかった少女の姿でしょうか?これほどまでに、ルイーズが誰かのために必死になったことがあったでしょうか?
思えば第103話でルウは、サーカスに行くのを渋るリッキーを無理やり連れ出していました。ひょっとしたら村にいた頃のルウはお節介焼きだったのかも知れません。
だとすれば、それが写し取られたルイーズの本当の姿は、ベンジャミンを励ましたあの場面に集約されているのだと思います。
第126話はソウマトウ先生の筆が乗ったのか、作品屈指のコメディが繰り広げられました。
繰り返される「ミッション」「緊急事態」という語句に、ラブコメ『ギリギリアウト』を思い出した方も少なくないと推察します。
ですが、今回のエピソードのテーマは、ルイーズが自身の思いを発露させたあの一シーンに尽きると思います。洗脳が解けるに従ってこどもたちが自我を取り戻しているように、ようやくルイーズとルウは本当の「個」になったのです。
ラストでベンジャミンは、ルイーズの本音に絆されたのか良い笑顔を見せています。
前々回の「誠意と本意」ではないですが、ルイーズの発言に表裏がなく、そしてトレーニングを通じて伝えていたことがルイーズの心に届いていたことが、ベンジャミンにとっては何よりも嬉しかったはずです。
同時にそれは、追い詰められていた彼らにとって救いの手でもありました。
雨降って地固まる、という言葉がありますが、それ以上の嵐をもたらした此度の出来事はベンジャミン組とルイーズ組の結束をさらに強くしたことでしょう。
その強固さたるや、彼ら彼女らの鍛え上げられた筋肉以上なのかも知れませんね。
