今回の扉絵を見て「どこかで見たような…?」と感じた方は単行本4巻をご用意下さい。

お気付きの方も多いかと存じますが、実は第40話の扉絵が似た構図となっています。

似た構図、と書きましたがこれだと正確ではないですね。似てるどころか同じ構図です。世間ではこういうのを「セルフパロディ」と呼ぶことを此度初めて知りました。

当時のケイトとエミリコはお披露目中でしたが、実に25話以来の再会とあってエミリコも感極まっていました。ちなみに、第40話でケイトとエミリコが会話している見開きのシーンは、ロミオとジュリエットを意識した描写だったそうです。これは熱心なファンの方がソウマトウ先生から引き出した、今思えば貴重なコメントでした。


ただ、細かく見ていくと違う点もあります。

もっとも目に付くのは、40話ではケイトとエミリコに光が差していたのに対し、今回は雨が降り注いでいることです。この描写だけで既に、向かい合う二人の表情が40話とは異なることが想像できます。

ケイトとサラの頬をつたう水滴は、決して雨のせいだけではないのです。

そして、ケイトの手が境界線に触れているのに、サラの手が少し離れているのも気になります。まるで二人の関係を示しているかのようです。

第127話では、まさにこの扉絵を想起するエピソードが描かれていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「…そんな理想論じゃ誰も助けられやしない!!」


これは第101話でパトリックが放った台詞です。みんなを助けたいと語るケイトに対して彼は真っ向から反発し、その結果出たのが上の言葉でした。

今思うと、122話でこどもたちの前にいたパトリックはしどろもどろだったのに、この時はケイトと対等に論戦してるんですよね。ケイトといえば星つきに啖呵切ったり、ローブ様相手に激高したりと饒舌なイメージですが、そんな彼女と互角で言い争いしたパトリックって何気に凄いんじゃない?なんて今更ながら思いました。

ケイトの周りはとかくケイトを信頼しきっているきらいがありますので、『スペードの3』的な立ち位置でこれからもパトリックには活躍して欲しいです。
(普通のこどもたちの前では弱いけど、屈指の強キャラのケイトとは対等に渡り合える、みたいな)

“反乱分子”の一員として、ケイトと違う視点でものを見るパトリックのこれからに期待です。


さて、話題がずれましたので戻しましょう。

私がなぜパトリックの台詞を書いたのかと言いますと、あの論戦でケイトが主張したのは「みんなを助けたいの!」という願いだったからです。それを受けてパトリックは、それじゃいけないと猛反対していたのです。

確かにパトリックの言い分も分かります。というかむしろ、普通に考えればパトリックの方に分がある気がします。ケイトはこどもたちを全員助けたいと思っているようですが、それが大変なことはこれまで描かれてきた通りです。

こどもたちの棟すら掌握できていないのに、その先に1階・2階・3階にいる大人シャドーがいて、“元凶”たる偉大なるおじい様は更に奥に行かないと辿り着けません。

その上、ただでさえ館の中だけでも敵だらけなのに、シャドーハウスの支配はすす島全体に及んでいます。ケイトの主張はもっともですが、いっそのこと一旦島の外に出てから先のことを考えた方が良さそうに思えます。

パトリックはすす島の現状を知らないものの、シャドーハウスの館内だけでも敵は強大だと直感したからケイトに反発したのでしょう。50対のこどもたちを助けるのは実に困難なプロジェクトです。


おまけに、ケイトには厄介な敵がいます。

エドワードです。

ケイトを敵視する彼は、現時点でケイトがもっとも警戒すべき人物です。ゲームで言えば「中ボス」ポジションの存在です。

ところが、そんなエドワードを倒す見通しすらまだ立っていません。しかもケイトの身近に“手下”を送り込んでいます。同じ班員のサラまでもが敵になってしまっているのです。

それを踏まえるとするなら、パトリックの主張は正論中の正論です。だからこそ彼はケイトの主張を「理想論」と言い切ったのです。


しかし、今回描かれたケイトの姿はその“理想”を貫く姿でした。


物語は前回の続き、サロンにいる第10班です。

ただ、ルイーズはいません。ベンジャミンを追いに行ってしまったからです。

その結果、ケイトとサラとイザベルとミラベルのお茶会が始まりました。一コマ目の雰囲気だと“ベンジャミンショック”の衝撃は収まったみたいですね。きっと、ケイトがあの後何食わぬ顔でフォローしたのでしょう。(前回、エミリコがケイトの「顔」してないで本当に良かった!)

サロンにいる彼女たちを見ると、やはり“貴族”なんだなと感じました。

しかし、優雅なだけでは“貴族”は務まりません。それを証左するが如くサラが動きました。

ケイトがお開きにしようとしたところでストップをかけたのです。
じっとケイトを見つめているミアの目が不気味で仕方ありません。


ただ、ソウマトウ先生の事前告知で不吉な雰囲気を醸し出していたこのコマですが、実際に物語が進むとなんてことありませんでした。

ここから本エピソードの主題に入ります。


本エピソードの本題。
それは、ケイトに対するサラの変化です。

ここでサラの性格を振り返りましょう。

まずサラは、シャドーハウスに対して忠実なシャドーです。第11話の初登場時から一貫してそう描写されています。

加えて、第116話のジェラルドの台詞を引用すれば「無駄にプライドが高い(=無能力者としての引け目)」のも彼女の特徴でしょう。だからといってサラの良さが損なわれることはありませんが、それを逆手に取ったエドワードによって、彼女はいいように使われてしまっています。

また、サラはこれまで、とかく教えたがりな傾向がありました。

例えば、11話では勝手に室外に出たエミリコに「失敗作」と言い放ち、ケイトに「お披露目」というキーワードを残してその場を後にしていました。

44話では、ケイトに対して成人後の心構えを説いていました。

66話では、パトリックに対して「婚姻」の詳細を教えています。
(ゾロ目の回が多いな…。)

そんな風に、強烈な自尊心を持つのがサラという少女なのです。


ところが今回のサラは違います。

年下の、それも敵視しているケイトにすす能力を見せて欲しいと申し出たのです。

「教えて欲しい」、ではなく「確認したいだけよ」という言い回しにプライドを捨てきれていない感がありますが、それでも今までの彼女からは考えられない一大事です。イザベル・ミラベルとのやり取りも含めて微笑ましい場面でありますが、この時点でサラの心境に大きな変化があったことが、明らかに描かれてました。


そして、始まったすす能力の訓練。

庭園で練習しているのは、無能力者のサラが他の班員に蔑まされないようにというケイトの配慮です。班員のイザベルとミラベルからも揶揄われているのですから、こどもたちの前に現れたら好奇の目に晒されるのは確実です。

ましてや、棟内では「無能力者狩り」まで発生しています。ケイトは犯人の目星がついているでしょうが、サラにとっては不安で仕方ないでしょう。

そんなケイトの気遣いが伝わったのか、これまでにないくらいサラはしおらしく立っていました。


練習が始まると、更に微笑ましいやり取りが展開されます。


丁寧にすす能力を披露するケイト、
無邪気にその煤を追いかけるイザベルとミラベル、
首を傾げてケイトの煤を目で追うエミリコとミアとベル、
そっとサラを見守るケイト、
すっかりケイトに懐いたイザベルとミラベル……


これらの場面を見て、私は思わず『かつてのこどもたちの棟もこんな風に楽しく学ぶ、そんな場所だったのかも知れない』と感じました。

かつてのこどもたちの棟とは言うまでもありません、クリストファー時代のこどもたちの棟です。

そして、恐らく。

恐らくですが、こんな他愛もないやり取りこそがサラの心を動かしたのではないでしょうか。

多少の苛立ちがサラにあったとしても、少なくともミアにとっては久々に心安らげるひとときだった筈です。

もしサラも、それをほんの少しでも感じていたら……。

そんな風に思ったのです。


もちろん、これは穿った見方です。サラが何を考えていたかなんて私に知る由はありません。

それに、サラはラストシーンでトマスと接触していた様子も描写されています。こうなるともう、彼女の一挙手一投足が不審で仕方ありません。


ただ個人的な見解を申し上げますと、あの回想において、サラはトマスに見限られていると思います。詳細に関しては別記事で取り上げますが、そう考えると今回のエピソードの辻褄が合います。

サラにとって頼れる相手は班員、とりわけケイトしかいなかったのです。


そして、サラの心が動く決定的な場面が訪れます。

庭園に突然、雨が降り出したのです。

どうやらこびりつきだけではなく、煤自体も水に弱いらしいです。煤を出しても消えてしまうからと、ケイトは練習はここまでと声を掛けました。
(何気にすす能力の弱点が明記された重要場面かも知れません。あとすぐ逃げ帰るイザベルとミラベルとベル可愛い)


しかし、サラは立ち尽くしたままです。うなだれて動きません。拳を握り締め、何かを考えているかのようです。


そして次の瞬間。

そこに描かれたのは、堰を切ったかのように泣き叫ぶサラとミアの姿でした。

今まで、自身と後輩の間で、大人とこどもの間で、能力者と無能力者の間で揺れ動いていたサラの心。

きっとそれは、歪なプライドを持ったサラにとって耐えきれない日々だったことでしょう。ただでさえ不安定な彼女には、現実の自分自身を受け入れる余裕などとっくになかった筈です。

膝をついて嗚咽を漏らす彼女たちの姿は、シャドーでも貴族でも何でもない、年相応の少女の姿でした。


ケイトはそれを見て、同じように膝をつきます。
エミリコも隣で同じように膝をつきます。


今、ケイトの目の前にいるのはエドワードの息がかかった相手です。普通に考えれば身を守るために切り捨ててしまっても、ケイトの判断を責める資格のある人物などいないでしょう。非情な言い方になりますが、無能力者のサラを味方につけたところでメリットはほとんどありません。


しかし、そんなことは些事とばかりにケイトは肩に手をやりました。

そしてサラに相対すると、サラを守ってみせると力強く語りかけます。ケイトは宣言通り、ここでも「みんなを助けたい」という意志を貫いたのです。


思えば、ケイトが班員を守ってみせると語ったのはこれが初めてではありません。

第88話。

あの時もケイトは、ベンジャミンから疑われて外へと飛び出たイザベルとミラベルを追い、班員を信じていると笑顔を向けていました。

天候の違いこそあれ、ケイトはあの日伝えられなかった想いを遂に、サラに伝えることができたのです。


シャドーハウスの物語が動くのは、いつだって館の外です。

庭園で催されたお披露目も、先程述べたイザベルとミラベルとの氷解も、それこそエミリコ達の夜空の誓いも館の外です。ジョンがケイトに惚れたのも屋外でした。

鬱屈とした館の中では手に入らないものが、外の世界にはあるのです。

ひょっとしたら、これはシャドーハウスという館の支配から脱却することを暗に示しているのかも知れません。だとすれば、今回ケイトとサラの心が近づいたのも必然だったと言えるでしょう。


第127話の扉絵が第40話と似ていると述べましたが、実はもう一つ作中に似たシーンがあります。

第77話のラストです。

あの時マリーローズとバーバラは、固く閉ざされた扉を隔てて向かい合っていました。

外は雨。

マリーローズは当時の様子を「扉一枚を隔てた距離はあまりに遠く」と振り返っています。

そして、一緒に大人になろうと誓い合った二人が手を携えることは、その後二度とありませんでした。


ケイトとパトリックが論争していた第101話のラストで、ケイト達同期は「マリーローズのような過ちを絶対に繰り返さない!」と誓い合っています。

その直前にケイトは、マリーローズの「君たちならシャドーハウスを変えられるかもしれない」という台詞を思い出していました。

ケイトがサラに手を差し伸べたのは、ケイトの意志だけではなく、マリーローズの残したメッセージと「同期の絆」がもたらした行動だったのかも知れません。


ケイトは既に、サラを救うべく彼女の心に手を触れています。

そのことにサラが気付くことができるのか。

扉絵のように、サラがその手をとるまでの距離は、あとほんの少しだけです。