サブタイトルを要約すると、「ピンチはチャンス!」みたいなものでしょうか。(いやちょっと違うか……)
ところでピンチと言えば、私事ですが先週は再び流行り病にやられて寝込んでいました。
先週はシャドーハウスが休載だったため、本当だったら幾つか記事を上げたかったのですが、残念ながら何も手に付かず。結局はご覧の通り(いつも通り)更新ギリギリでの記事アップと相成りました。ううん、なぜいつもこうなる……。
まあ、愚痴っていても仕方ありませんね。此度の出来事をチャンスに変えられるよう“好機”を逃さないようにしていこうと思います。
さて、副題に話を戻しますが、ここでいう「悲劇」とはパニックホラー編の顛末となります。読者から見ても衝撃的なエピソードでした。
そして「好機」とは、ケイト達の運命を変えたあの一日が再びやってくることを指しています。
ケイトやエミリコ、同期の皆々が躍動した「お披露目」。
星つき就任からとかく忙しいケイトですが、今度は立場を変え見届け人としてあの儀式に挑むこととなりました。
ところでピンチと言えば、私事ですが先週は再び流行り病にやられて寝込んでいました。
先週はシャドーハウスが休載だったため、本当だったら幾つか記事を上げたかったのですが、残念ながら何も手に付かず。結局はご覧の通り(いつも通り)更新ギリギリでの記事アップと相成りました。ううん、なぜいつもこうなる……。
まあ、愚痴っていても仕方ありませんね。此度の出来事をチャンスに変えられるよう“好機”を逃さないようにしていこうと思います。
さて、副題に話を戻しますが、ここでいう「悲劇」とはパニックホラー編の顛末となります。読者から見ても衝撃的なエピソードでした。
そして「好機」とは、ケイト達の運命を変えたあの一日が再びやってくることを指しています。
ケイトやエミリコ、同期の皆々が躍動した「お披露目」。
星つき就任からとかく忙しいケイトですが、今度は立場を変え見届け人としてあの儀式に挑むこととなりました。
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第165話の冒頭は異色の出だしとなりました。
白装束に身を包んだこどもたちが集まっていたからです。
まるで身を潜めるかのような装い。
しかし、彼ら彼女らは誰かに見つからないよう行動しているわけではありません。ですが、ある意味では大っぴらにできない事情があったと言えましょう。
“葬式”
現実世界では、ほとんどの人間が経験する儀式です。この儀式と無縁だという人はごく僅かでしょう。
生けとして生けるものが避けられない「死」を認識し、死者を見送る儀式は古今東西どんな宗教でも重要視されてきた大きな行事です。規模や様式は異なれど、人類が誕生し知能を獲得して以来、連綿と受け継がれてきたといっても過言ではありません。
しかし、「死」を認識することとは即ち「生」を意識することに他なりません。
「生」を認識することはシャドーハウス、とりわけ“生き人形”にとってタブーであることはエミリコとショーンが第62話で会話しています。
シャドーが身体を乗っ取る「一体化」を抵抗なく受け入れるために「命を意識させない」
これが“生き人形”を作り上げる上で最も重要な過程なのです。
よって、シャドーハウスにおいて「葬式」などもってのほかと言えましょう。
ところが、パニックホラー編で命を落としたマーガレットとマギーのために、ケイトは敢えて「葬式」を敢行しました。悲劇の果てに命尽きたマーガレットを弔う決意をしたのです。
もちろん、ケイトにマーガレットへの哀悼の意があったのは間違いないと思います。
しかしケイトにはリーダーとしての冷徹な計算も同時にあったかと思います。
上記で述べたように、こどもたちに「命」を意識させるにはもってこいの機会だからです。
それは柱文で書かれていた「戸惑い」という形でこどもたち全体に伝わっていきました。
さて、ケイト主催のマーガレットの「葬式」
パトリックがマーガレットの配偶者なのだから"喪主"なんじゃないの?、という疑問はありつつも、この行事がケイトの主導のもとで執り行われたのは確実でしょう。
なぜなら「葬式」という発想が外の世界を知っているケイトでなければまず思い付かないでしょうからね。言い方は悪いですが、洗脳を解くための手段としてマーガレットの弔いを最大限利用したわけです。
と思いつつ読み進めていくと、彼女自ら「葬儀を通して」「命を大切に思う気持ちが芽生えて欲しかった」「だから弔うことを決めた」って言っていますね。
……おおう、はっきりと対外的に利用したって明言したも同然じゃないですか。もうちょっとオブラートに包んでくれても……。
しかも、悲しみに沈むエミリコの表情が直後に描かれているので余計にそう見えてきました。まあケイトにとってみれば絶好の機会ですから逃す手はないでしょうしエミリコも理解はしてるでしょうけどね。
パトリックの「みんな何か感じたものがあると思う」という台詞は、気持ちを引きずるエミリコへのせめてものフォローだったのかなと思いました。
ただ、その「感じたもの」はエミリコと同じとは限りません。
というより警戒心を持ったキャラクターもいますね。
エヴリンなんかはそれが顕著です。
ケイトの星つき就任から度々苦言を呈していた彼女ですが、今回も「貴方が何を考えているのか私には分からない」とピシャッと言い切っています。いかにも救護班としてシビアなエヴリンらしいシーンですね。同時に、彼女の洗脳の根深さも感じられる場面でありました。
ですが、このエヴリンの見解について既にSNSでも指摘されていたのですが、私には少し違和感を覚える言動にも感じられました。
なぜかと言いますと、エヴリンは救護班として「生きている限り最善を尽くす」ものの「処分された者のことは何も知らないし興味もなかったわ」と語っているからです。
……これ、ギルバートが聞いたらどう思うんですかね?
ギルバートは「無能力者狩り」を画策した際にケイトに「この手でシャドーを処分したも同然」「この辛さが分かるか?」と吐露した上に、生き人形のベルについても言及していました。
彼の苦悩を踏まえると、エヴリンの言動は非常にドライに聞こえますし、それどころか同班なのにかなり意識の乖離があったように見えて仕方ないんですよね。
エヴリンには悪いですが、この認識の差を持ったままお茶会を開いたところで何かが変わったかと思うとちょっと難しいかもなあと……。(そしてギルバートはケイトなら分かってくれるかもと本音をぶちまけたとすれば余計切ない)
ただ、その反面エヴリンというシャドーがどんな少女なのか分かりつつありますので、ケイトから星つきに指名された彼女がこれからどのような言動・振る舞いをしていくのか楽しみでもありますし、これからの活躍にも期待したいところですね。
そしてギルバードの話に繋がりますが、「葬儀」の際に神妙な“顔”をしていたダグラスも要注目です。
彼もエヴリンと同じくケイトの星つき指名候補者ですが、やはり「葬儀」では意味深長な表情です。
涙にむせぶピーターの横で無言で立つ彼が何を感じたのかは気になるところですが、そういえばダグラスって第139話で真剣な顔つきで「誰かが責任を取ればいい」というこどもたちの棟に蔓延する風潮はおかしいと言っていたんですよね。
あの時はその後の顛末から、所詮出まかせかと思ったものですが、案外今回の「葬儀」では彼なりに館や今までの慣習に疑問を持ち始めた、とも解釈できます。
或いはまだ洗脳が解けていないが故のケイトへの警戒がある可能性もありますが、そんな彼がもしもケイトに同調することがあれば、オリバーの言う通り強力な味方になるかも知れませんね。
ただ問題は、サラが完全にエドワードの傘下に入ったことでしょうか。
ケイトにとってとにかく今はこどもたちの洗脳を解きつつ、ルイーズとルウの「一体化」阻止が急務でありますが、やはり今までの挑戦と同じく非常に難題なことは明白です。
パニックホラー編が終わり、今度はさしずめ「新・お披露目編」というべきストーリーが始まりますが、そんな中でエヴリンやダグラス、サラといった未だ強力な洗脳下にあるこどもたちとの一筋縄ではいかない頭脳戦にケイトがどう挑んでいくのか。
まだまだケイトの前にふさがる壁は険しく高いです。
第165話の冒頭は異色の出だしとなりました。
白装束に身を包んだこどもたちが集まっていたからです。
まるで身を潜めるかのような装い。
しかし、彼ら彼女らは誰かに見つからないよう行動しているわけではありません。ですが、ある意味では大っぴらにできない事情があったと言えましょう。
“葬式”
現実世界では、ほとんどの人間が経験する儀式です。この儀式と無縁だという人はごく僅かでしょう。
生けとして生けるものが避けられない「死」を認識し、死者を見送る儀式は古今東西どんな宗教でも重要視されてきた大きな行事です。規模や様式は異なれど、人類が誕生し知能を獲得して以来、連綿と受け継がれてきたといっても過言ではありません。
しかし、「死」を認識することとは即ち「生」を意識することに他なりません。
「生」を認識することはシャドーハウス、とりわけ“生き人形”にとってタブーであることはエミリコとショーンが第62話で会話しています。
シャドーが身体を乗っ取る「一体化」を抵抗なく受け入れるために「命を意識させない」
これが“生き人形”を作り上げる上で最も重要な過程なのです。
よって、シャドーハウスにおいて「葬式」などもってのほかと言えましょう。
ところが、パニックホラー編で命を落としたマーガレットとマギーのために、ケイトは敢えて「葬式」を敢行しました。悲劇の果てに命尽きたマーガレットを弔う決意をしたのです。
もちろん、ケイトにマーガレットへの哀悼の意があったのは間違いないと思います。
しかしケイトにはリーダーとしての冷徹な計算も同時にあったかと思います。
上記で述べたように、こどもたちに「命」を意識させるにはもってこいの機会だからです。
それは柱文で書かれていた「戸惑い」という形でこどもたち全体に伝わっていきました。
さて、ケイト主催のマーガレットの「葬式」
パトリックがマーガレットの配偶者なのだから"喪主"なんじゃないの?、という疑問はありつつも、この行事がケイトの主導のもとで執り行われたのは確実でしょう。
なぜなら「葬式」という発想が外の世界を知っているケイトでなければまず思い付かないでしょうからね。言い方は悪いですが、洗脳を解くための手段としてマーガレットの弔いを最大限利用したわけです。
と思いつつ読み進めていくと、彼女自ら「葬儀を通して」「命を大切に思う気持ちが芽生えて欲しかった」「だから弔うことを決めた」って言っていますね。
……おおう、はっきりと対外的に利用したって明言したも同然じゃないですか。もうちょっとオブラートに包んでくれても……。
しかも、悲しみに沈むエミリコの表情が直後に描かれているので余計にそう見えてきました。まあケイトにとってみれば絶好の機会ですから逃す手はないでしょうしエミリコも理解はしてるでしょうけどね。
パトリックの「みんな何か感じたものがあると思う」という台詞は、気持ちを引きずるエミリコへのせめてものフォローだったのかなと思いました。
ただ、その「感じたもの」はエミリコと同じとは限りません。
というより警戒心を持ったキャラクターもいますね。
エヴリンなんかはそれが顕著です。
ケイトの星つき就任から度々苦言を呈していた彼女ですが、今回も「貴方が何を考えているのか私には分からない」とピシャッと言い切っています。いかにも救護班としてシビアなエヴリンらしいシーンですね。同時に、彼女の洗脳の根深さも感じられる場面でありました。
ですが、このエヴリンの見解について既にSNSでも指摘されていたのですが、私には少し違和感を覚える言動にも感じられました。
なぜかと言いますと、エヴリンは救護班として「生きている限り最善を尽くす」ものの「処分された者のことは何も知らないし興味もなかったわ」と語っているからです。
……これ、ギルバートが聞いたらどう思うんですかね?
ギルバートは「無能力者狩り」を画策した際にケイトに「この手でシャドーを処分したも同然」「この辛さが分かるか?」と吐露した上に、生き人形のベルについても言及していました。
彼の苦悩を踏まえると、エヴリンの言動は非常にドライに聞こえますし、それどころか同班なのにかなり意識の乖離があったように見えて仕方ないんですよね。
エヴリンには悪いですが、この認識の差を持ったままお茶会を開いたところで何かが変わったかと思うとちょっと難しいかもなあと……。(そしてギルバートはケイトなら分かってくれるかもと本音をぶちまけたとすれば余計切ない)
ただ、その反面エヴリンというシャドーがどんな少女なのか分かりつつありますので、ケイトから星つきに指名された彼女がこれからどのような言動・振る舞いをしていくのか楽しみでもありますし、これからの活躍にも期待したいところですね。
そしてギルバードの話に繋がりますが、「葬儀」の際に神妙な“顔”をしていたダグラスも要注目です。
彼もエヴリンと同じくケイトの星つき指名候補者ですが、やはり「葬儀」では意味深長な表情です。
涙にむせぶピーターの横で無言で立つ彼が何を感じたのかは気になるところですが、そういえばダグラスって第139話で真剣な顔つきで「誰かが責任を取ればいい」というこどもたちの棟に蔓延する風潮はおかしいと言っていたんですよね。
あの時はその後の顛末から、所詮出まかせかと思ったものですが、案外今回の「葬儀」では彼なりに館や今までの慣習に疑問を持ち始めた、とも解釈できます。
或いはまだ洗脳が解けていないが故のケイトへの警戒がある可能性もありますが、そんな彼がもしもケイトに同調することがあれば、オリバーの言う通り強力な味方になるかも知れませんね。
ただ問題は、サラが完全にエドワードの傘下に入ったことでしょうか。
ケイトにとってとにかく今はこどもたちの洗脳を解きつつ、ルイーズとルウの「一体化」阻止が急務でありますが、やはり今までの挑戦と同じく非常に難題なことは明白です。
パニックホラー編が終わり、今度はさしずめ「新・お披露目編」というべきストーリーが始まりますが、そんな中でエヴリンやダグラス、サラといった未だ強力な洗脳下にあるこどもたちとの一筋縄ではいかない頭脳戦にケイトがどう挑んでいくのか。
まだまだケイトの前にふさがる壁は険しく高いです。
