いやあ、とうとうシャドーハウスの原画展が開催決定しましたね!

前記事を引きずるようですが、未だにこの喜びの余韻が抜けません。私はというと、先日から始まった事前予約で早速チケットを入手しました。

勝手な想像になりますが、原画展では名シーンの数々や、本来あればお目にかかれなかったお蔵入り原稿なども拝めるのではないかと予想しています。そうした資料の中には、連載では見ることのできなかったキャラクターの違う側面に触れることもあるかも知れません。早く8月がこないかなあと待ち遠しい限りです。


さて、先程『キャラクターの違う側面』と書きましたが、シャドーハウスでは物語が進めば進むほど、キャラクターの新たな一面が見えることが多いですよね。

ややネタバレになりますが、例えば最初期のミアはエミリコの良きお姉さんでしたが、今では主人のサラと共にケイトとエミリコに歪んだ感情を向けています。

対してパトリックは、登場当初は不遜で尊大な性格と思われていましたが、実は他者を思いやることのできる高潔な少年でした。

このように、読めば読むほどキャラクターの個性に深みが出る作品。それがシャドーハウスなのです。

ストーリーや設定の凄味もさることながら、こうしたキャラクターの掘り下げがあるからこそ、多くの読者がシャドーハウスに夢中になっているのではないでしょうか。いえ、絶対そうに決まっています!


今回のエピソードでも、とあるキャラクターの知られざる側面が明かされました。

第1班班長・ダグラス。

彼は過去にケイトやイザベル、ミラベルを揶揄したことがあり、とかく相手を貶める行動や言動が多いです。特に生き人形のダグの方は登場人物紹介で「利己的」「性格が悪い」と書かれています。ということは、その影響を受けているダグラスも同じようなものでしょう。ケイトは彼について「嫌い」と述べていました。(第59話)


ところが、ダグラスにも彼なりの事情があったことが此度判明します。そして彼の魅力である1班の結束力、彼の特徴であるあの髪型は、過去に起こった悲劇が大きく関わっていました。

その事情を知った後となっては、ダグラスの見方が変わることは間違いありません。

彼もまた、シャドーハウスという館でもがく一人の少年でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


冒頭は、大広間に集められたこどもたちから始まりました。

大広間にこどもたちが集合しているということは、星つきによる招集があったということです。もちろん前に立つのは星つきのケイトです。

前回、ケイト達が話していた新星つき体制を発表するようです。そこに並ぶのはケイトとオリバー、エヴリン、そしてダグラスです。


さて、オリバーとダグラスはともかくとして、エヴリンはよく引き受けてくれたなあと思いました。彼女が星つきを引き受けるにあたって一悶着あるのではないかと想像していたのですが、案外すんなりと受け入れてくれたようです。

ただ、エヴリンは度々ケイトに苦言を呈することがありました。それならいっそ星つきになった方が助言しやすい、と彼女は考えたのかも知れませんね。それにエヴリンはこどもたちからも、読者からも人気がありますのでこれ以上ない配置だと思います。徐々に登場回数が増えていますので、ますます彼女の今後の活躍が楽しみです。


しかし、読者だけではなくこどもたちからも疑問を呈されたのがダグラスです。

ロレッタを筆頭におかしいの大ブーイング。さらには、なぜか1班全員で騎馬戦の肩車で登場ですから怒りのボルテージも上がろうものです。というか彼の星つき抜擢よりも、その格好の方が顰蹙買っている感がありますね。ロレッタの後ろの少女は「楽しそうね」と苦々しい顔をしていて、その背後からは「ふざけたことしてんじゃねぇ!」のヤジが飛びました。まあこれもケイト体制の自由な気風でしょうか。いや、いささか自由過ぎる気もしますが……。


ですがそこはダグラス。直後の土下座に彼の計算高さが伺えます。


「ちょろいんだよなぁ上の言うことしか聞かない奴らは」


これはケイトが皆に、ダグラスは改心していると説明した直後の彼の心の声です。

確かに、ケイトの説明の後「ケイトがそう言うなら」とこどもたちは納得しています。いかに洗脳から解けつつあるとはいえ、これまで「余計なことを考えるな」と言われて暮らしてきたこどもたちですから急に自分の頭で考えるのは難しいことでしょう。シャドーハウスでの生活が長いダグラスには、それがお見通しだったわけです。

しかも後々の描写を見ると、ケイトに風紀班を認めさせたのもダグラスの働きかけだったようです。そうしたこともあって1班全員でこどもたちの前で謝罪アピールしたのでしょう。このしたたかさは流石班長です。班員たちがダグラスに付いて行く理由も分かる気がしました。


ただ、班員の強い結束力、こどもたちを見下す態度、ケイトへの冷めた視線、それら全てがかつてダグラスの直面した悲劇に起因するとは思いませんでした。慕っていた先輩シャドーが「処分」されたという過去があったとあれば、ダグラスがああいう性格になったのは十分に頷けます。

それにしてもダグラスの回想を見ていくと興味深い事実が散見されますね。

まず彼が慕っていた「フィン先輩」ですが、フィンの“処分”に至る経過はどんなだったか気になるところです。

ダグラスは当時のリーダー・クリストファーにも疑義を抱いていますが、第76話でのバーバラの回想を信じるならクリストファーの代の星つきはただの「教師」です。一応マリーローズは前代までの星つきと比較して「“星つき”の…『お呼ばれが確定した』というだけの意味が彼によって変わるんだ」と言ってはいますが、クリストファーの時代の星つきには処分の権限はなかったと思います。

星つきがこどもたちの棟の秩序維持を担うようになったのは、バーバラがトマスから星つきを任命されてからです。ここから星つきの意味は従来と完全に異なり、こどもたちの「教育係」となりました。簡単に書くと、


クリストファー以前→「お呼ばれ」の前段階の称号
クリストファー時代→上記+「教師」
バーバラ時代→「教育係」という名のこどもたちの監視

といったところでしょうか。

さて、そうなるとクリストファーの頃は星つきにどれだけの権限があったのかもうちょっと詳しく知りたくなってきました。もしもバーバラ時代と同じく、こどもたちの処分の是非を判断できる地位であればダグラスがクリストファーを非難するのも分かります。フィンに濡れ衣を着させた当時の班長を疑わず、フィンだけを処分したクリストファーを信じられなくても不思議ではないからです。

逆に、そうでないならフィンが処分された経緯にはもう少し複雑な事情があり、こどもたちの棟の管理人だったトマスや、クリストファーの同期であるエドワード達が一枚噛んでいる可能性もあるでしょう。

一言で「処分」と言っても、こう考えてみると気になる事ばかりです。一発レッドカードの「重い罪」とはどんな内容だったかも知りたいですし、フィンの生き人形はひょっとしたら顔の見えない人形としてアンソニーやラムと接触していることも十分考えられます。また、当時の班長はその後どうなったのか、今も大人たちの棟にいるのか、と今後も物語に関わってきそうな気配さえ見えます。

今は一視点でしか語られていないフィンの悲劇ですが、この辺については今後違うキャラクターからの視点で事実がどうだったのか是非とも見てみたいです。


さて、ダグラスだけに注目するのも勿体ないので、リーダーのケイトにも触れてみましょう。

今回ケイトは、こどもたちの前でこれからの棟の方針について語っていました。いわば所信表明演説といったところでしょうか。ケイトはこれまで同期に語ってきたのと同じように、全てのこどもたちを救いたいと明言します。

しかし、その中でクリストファーの名を出したことには少し驚かせられました。

恐らくケイトの意図としては、バーバラ時代にタブーとされてきた「クリストファー」という名を堂々と口にすることで、棟の雰囲気を今までとは変えたかったのではないかと思います。実際に、ケイトから「クリストファー」という単語を聞いたこどもたちは一斉にざわつきました。

ただ、その後の演説の内容を聞いていると、「クリストファー」という言葉は棟の雰囲気を変えるというだけではなく、かつてのカリスマリーダー(クリストファー)と現在のリーダー(ケイト)を同一視させる、といった狙いもあったのではないかと感じます。

いや、むしろ演説後のこどもたちの反応を見ると、そうしたインパクトの方が強かったと思います。「クリストファーの再来」を予感したこどもたちは「ケイト」の名前を大合唱です。


ただ、これどう考えてもクリストファーの威光を借りてこどもたちをまとめあげたように感じますが、今後のことを考えるとどうなんでしょうかね?

英雄視される人物と同一視させることで人々をまとめあげる、という手法は人心掌握の方法としてよく用いられますが、これの危ういところは、対象者の自身に対する理想像が高くなるというリスクもあったりします。

となれば、これからケイトがこどもたちを引っ張っていく中でトラブルがあった場合、「クリストファーはもっと凄かった」とか「ケイトじゃ物足りない」という風潮に一気に傾く危険性も孕んでいると言えるでしょう。

ケイトとしては、いち早くこどもたちをまとめあげる必要に駆られての戦略だったでしょうし、現状うまくいっていますので問題はないですが、なるべく早い段階でケイトの独自色を出した棟運営(党運営じゃないよ)が必要なんじゃないかなと思いました。


しかし人生とはどう転がるか分からないもので、こどもたちの心を掴むための「クリストファー発言」が、まさか側近の心を解きほぐす遠因になったとはケイトも思い寄らなかったに違いありません。

それが描かれたのは、第167話終盤でのケイトと第1班のエンカウントです。

まあエンカウントとは言っても、実はケイトが第1班を待ち伏せていたのですけどね。


ところで、話逸れますがケイトが腕組みして第1班(風紀班)に話しかけた時のエミリコの表情が非常に良かったです。

エミリコの怒り顔は作中で何度か描かれてきましたが、このシーンでのエミリコの表情は怒りの中にも気品が感じられる絶妙な表情でした。まさにケイトの「顔」です。

また、ケイトがピーターについて「いい加減仲間から外したらいいのに」と言いながら首を振る仕草と表情もエミリコらしからぬ態度であり、確かにケイトもこういう表情だろうなあと納得できる「顔」でした。

連載当初と違い、生き人形(特にエミリコ)が主人の「顔」を演じるにあたっての苦悩が描かれることは少なくなってきました。しかし、それでも私たち読者の見えない場所で、エミリコはケイトのために頑張って「顔」になるための努力をしているのかも知れません。そんな風に想像してしまうエミリコの名演技でした。


さて、話を戻しましょう。

ケイトはダグラスとの口論の末、やはりダグラスは嫌いだと言い放つものの、一つだけ評価していることを伝えました。

それは「仲間を大切に思い合っているところは嫌いじゃない」という点です。これまで描かれてきた第1班の結束力について、ケイトはこんな風に思っていたのです。

このケイトの発言に、ケイトが去った後ではありますがダグラスは思わず破顔しています。そんな表情ができるのかと衝撃を受けるほどのニヤケ顔です。こんなところで、ダグラスもまだ10代の少年なんだよなあと思い出しました。


ただ柱の煽り文で「チョロい」と遠回しに言われているダグラスですが、よくよく考えてみるとケイトの発言は相当に嬉しかったというのは理解できます。

まず彼が慕っていたフィンですが、今でもフィンを模した髪型を保っており、それどころかアイデンティティにしていることから相当な尊敬心が伺えます。

そして、そんなフィンが班員である自分に優しくしてくれたこと、あろうことか当時の班長の謀略で処分されてしまったことは、ダグラスの心に大きな傷を負わせたことは想像に難しくありません。

ということは、今回のピーターの件もそうですが、ダグラスとしては当時の班長を反面教師として、さらにはフィンに報いるため、せめて班員には優しくあろうとしていたことは間違いないと思います。

そうした自分の信念を褒められたのですから、嬉しくない筈がありません。


また、その嬉しさをさらに倍増させたのは、奇しくもケイトの「クリストファー」発言だったと思います。

ダグラスはケイトが「クリストファー」について語り、こどもたちがケイトをクリストファーと重ね合う様子に冷徹な視線を向けていましたが、それはクリストファーがフィンを救い出せなかったという過去に起因しています。

つまり、「真実に気づかなかった」クリストファーに大きく失望していたと言える状況だったわけです。

ところが、ケイトはダグラスのことをよく見ていました。あれだけ散々揶揄されてきたのに、ダグラスが大切にしてきたことを見抜き、仲間想いである点を褒めたのです。

ダグラス視点で考えると、ケイトはまさに『真実に気付いていた』と感激してもおかしくありません。それがラストページでの一対の表情に現れていたのだと思います。


「見えないから想像したいんです」


これは第35話でのエミリコの台詞です。シャドーハウスの作中において、私が一番好きな台詞でもあります。

この「見えないから想像したい」という言葉は、シャドーの表情を読者の想像に委ねるというシャドーハウスの作品そのものを象徴する台詞だと私は考えています。そして、人の人生においても大切なものだと思っています。見えるものだけを妄信してしまっては、到底「真実」は見えてこないからです。

そうした精神が、エミリコだけではなく主人のケイトにも備わっていたのが嬉しくてたまりませんでしたし、それに気付かされた時、私も思わずラストのダグラスと同じ表情をしてしまいました。