信じた道を征く、初志を貫徹する……
こうした言葉は人生の指標として、或いは憧れとして語られることが多いです。人生訓として用いられることもあれば座右の銘として掲げる人もいますし、言葉は違えど似た意味合いの語句・文章を見かける機会は少なくありません。
それこそ実生活の中だけではなく、創作物の中にもそれらの大切さを説く作品はいくらでも溢れています。
ただ、そうした風潮がありふれているのは誰もがそんな風に生きているからではありません。むしろ、信じるべきものを信じて生きていくことの方が難しいのが世の常です。
しかし、だからこそでしょうか。
強い意志を持って目指す道を進んでいくアスリートや冒険家、あらゆる分野のパイオニアや第一人者が称賛と共に憧憬を集めるのは。
もしかしたら、誰しもが一度は抱きながらも夢破れた各々の理想像を、知らず知らずのうちに重ねているのかも知れません。
自らを信じる、と聞いて私が最初に思い浮かべるのはCHAGE&ASKAの「PRIDE」という曲です。
デビュー10周年に発売された同名のアルバムはオリコンの週間チャートで1位を記録しましたが、当時のCHAGE&ASKAは楽曲の質の高さとは裏腹にセールスは伸びず、苦境の中にいました。
そんな風にもがく中で二人が発表したのが「PRIDE」です。
日々の生活に疲れ果てた主人公が挫折や諦観を抱えつつも前を向き、どんなに打ちのめされようとも“PRIDE”だけは譲れないと立ち上がる。そんな人間の弱さと強さが6分間のバラードに込められた名曲です。
彼等はこの2年後に「SAY YES」の大ヒットで日本を代表するアーティストに上り詰めますが、デュオとして耐え忍んだ期間を象徴する「PRIDE」は、1994年のミュージックステーションのファンアンケートで1位に選出されました。今もなお、往年のファンだけではなく当時まだ生まれていない人々の心を掴んで離さない魅力を放っています。
さて、私も例外ではなくこの楽曲に惹かれた一人ですが、その中で印象的な詩が「誰も知らない涙の跡」の部分です。
誰もが他人には見えない心の中で悲しみや苦しみを抱えて生きている、という普遍的かつ真理を突いたこの一節に学生時代は救われたものでした。今では大分ふてぶてしくなったので繊細さなどとっくに捨て去りましたが、それでも思い出深い懐かしい記憶です。
ところで、シャドーハウスでは心はおろか表情すら見えない一族が存在しています。
「シャドー」です。
今更語るまでもありません。彼ら彼女ら「シャドー」は表情が見えないことで不便を強いられ、時にはすれ違いを引き起こし、果ては悲劇に繋がることも珍しくない境遇を抱えて生きています。
その悲しみはReoNa氏の「まっさら」でも歌われていました。こちらも名曲ですので機会がありましたら是非聞いて下さい。
では長くなりましたので本編へとまいりましょう。
今回のエピソードでは、心だけではなく身体に負った傷さえも誰にも知らせずに戦ってきた、一人の少年の姿が描かれました。
そしてその苦闘を誰よりも近くで見守ってきたもう一つのシルエット。
プライドを持って立ち上がった時、彼らはもう一人きりではありませんでした。
こうした言葉は人生の指標として、或いは憧れとして語られることが多いです。人生訓として用いられることもあれば座右の銘として掲げる人もいますし、言葉は違えど似た意味合いの語句・文章を見かける機会は少なくありません。
それこそ実生活の中だけではなく、創作物の中にもそれらの大切さを説く作品はいくらでも溢れています。
ただ、そうした風潮がありふれているのは誰もがそんな風に生きているからではありません。むしろ、信じるべきものを信じて生きていくことの方が難しいのが世の常です。
しかし、だからこそでしょうか。
強い意志を持って目指す道を進んでいくアスリートや冒険家、あらゆる分野のパイオニアや第一人者が称賛と共に憧憬を集めるのは。
もしかしたら、誰しもが一度は抱きながらも夢破れた各々の理想像を、知らず知らずのうちに重ねているのかも知れません。
自らを信じる、と聞いて私が最初に思い浮かべるのはCHAGE&ASKAの「PRIDE」という曲です。
デビュー10周年に発売された同名のアルバムはオリコンの週間チャートで1位を記録しましたが、当時のCHAGE&ASKAは楽曲の質の高さとは裏腹にセールスは伸びず、苦境の中にいました。
そんな風にもがく中で二人が発表したのが「PRIDE」です。
日々の生活に疲れ果てた主人公が挫折や諦観を抱えつつも前を向き、どんなに打ちのめされようとも“PRIDE”だけは譲れないと立ち上がる。そんな人間の弱さと強さが6分間のバラードに込められた名曲です。
彼等はこの2年後に「SAY YES」の大ヒットで日本を代表するアーティストに上り詰めますが、デュオとして耐え忍んだ期間を象徴する「PRIDE」は、1994年のミュージックステーションのファンアンケートで1位に選出されました。今もなお、往年のファンだけではなく当時まだ生まれていない人々の心を掴んで離さない魅力を放っています。
さて、私も例外ではなくこの楽曲に惹かれた一人ですが、その中で印象的な詩が「誰も知らない涙の跡」の部分です。
誰もが他人には見えない心の中で悲しみや苦しみを抱えて生きている、という普遍的かつ真理を突いたこの一節に学生時代は救われたものでした。今では大分ふてぶてしくなったので繊細さなどとっくに捨て去りましたが、それでも思い出深い懐かしい記憶です。
ところで、シャドーハウスでは心はおろか表情すら見えない一族が存在しています。
「シャドー」です。
今更語るまでもありません。彼ら彼女ら「シャドー」は表情が見えないことで不便を強いられ、時にはすれ違いを引き起こし、果ては悲劇に繋がることも珍しくない境遇を抱えて生きています。
その悲しみはReoNa氏の「まっさら」でも歌われていました。こちらも名曲ですので機会がありましたら是非聞いて下さい。
では長くなりましたので本編へとまいりましょう。
今回のエピソードでは、心だけではなく身体に負った傷さえも誰にも知らせずに戦ってきた、一人の少年の姿が描かれました。
そしてその苦闘を誰よりも近くで見守ってきたもう一つのシルエット。
プライドを持って立ち上がった時、彼らはもう一人きりではありませんでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
館への「忠誠」と、溢れ出す「疑問」の狭間で混乱に陥ったダグラス。
そんな彼が最後に頼りにしたのは従者・ダグでした。
前回の第187話は、煤で視界がぼやける先で静かに佇むダグの姿で幕を閉じておりました。
さて、今回明かされたのは、この時ダグ自身が考えていたことが「余計なこと」だったことです。正確に言うと「余計なことを考えていた」ことを思い出していました。
「余計なことは考えない」
アニメでは第1話の「お掃除の歌」でこんなフレーズが出てきました。
漫画本編では第19話にてショーンが「“余計なことを考えるな”」「生まれたときから記憶している“生き人形”のルールの一つだ」と言っています。
直接的な言い回しではないですが、もっと早いものだと第13話のローズマリーが「詮索してはいけないわぁ」ミアが「忠誠以外の心を持ってはいけない」「大事な教えよ」と言っており、その直後にエミリコが「私が余計なこと言ったから!?」と叫んでいます。
このように、シャドーハウスという物語が始まってから何度も提示され、そして「生き人形」の“常識”として浸透しているのが「余計なことは考えない」というルールでした。
このルールの重要性については、第138話のオリバーが逆の立場から語ってくれていますね。
オリーの洗脳が簡単に解けた理由について「研究班は余計なことを考えるからだろう」と述べた台詞です。反対に言えば「余計なことを考えない」を徹底していれば生き人形の洗脳を解くのは困難だということです。
第96話のショーンはこのルールを、幾つもある「洗脳を補強する術」の一つと認識していました。
さて、長々と「余計なことは考えない」というルールについて述べましたが、振り返るとこの決まりごとの重要性が分かりますね。「生き人形」という存在を作り出すための必須事項とも言えるでしょう。
ましてや、すす珈琲で身も心も蝕れている状況では普通の少年少女が抗うのは不可能です。そんな策にまんまと嵌められ、結局再洗脳された第128話のサラは記憶に新しいと存じます。
ところが、なんとダグはこの教えを真っ向から反していたというのですから驚きです。
誰が敵で誰が味方か判然としない、どうすれば評価されるのかさえ曖昧なシャドーハウスという館。
ここで生き残るためにダグは「考えなければいけない」という結論に達したのです。
ダグラスの過去の回想では、キングの暴力やフィンの悲劇を契機にクリストファーに対して疑問を持っていた様が描かれていました。
その上で彼はキングの横暴や「誰かが責任をとればいい」というバーバラの星つき体制に反発心を抱いていったと推測されるわけですが、そこから育まれた「仲間を大切に思い合う」というダグラスの信条がダグにも向けられていたのは想像に難しくないでしょう。
今回のダグの回想でも、キングに顔を傷付けられる主人を見て自分の身代わりになっているようで辛かったと言っていましたから、ダグラスの気遣いは十分ダグにも伝わっていた筈です。ダグの忠誠心は洗脳の効果もあったでしょうが、ダグラス自身が敬愛の対象になるだけの理由もあったのです。
そうであればダグのやるべきことは主人に尽くすことだけです。
弱みを見せてはならないと語るダグラスの意を汲み、強く振舞い班長への出世をサポートし、風紀班の結成、しまいには星つきにまで上り詰める……
この道のりはダグの力なくしてあり得ませんでした。従者として完璧な仕事をダグはやってのけました。
しかし。いやだからこそでしょうか。
「考えなければいけない」が故に、主人の「誰にも気づかれない傷痕」に気づいてしまい涙したのは。
ダグの口元に付いた煤の黒さは、ダグラスが抱える苦しみの深さです。きっとこんな夜を何度もダグは繰り返したに違いありません。
ですが、葛藤する主人を誰よりも近くで見てきたからこそダグは主人の目指すべき姿・譲れないものに気付けたのだと思います。
仲間を絶対に裏切らない。
彼が鍵を蹴り出したシーンを見た時、それが主人ダグラスの根幹であり、主人の背中を強く押すことが自分の仕事だとダグが叫んでいるように私には見えました。
見開きに描かれた美しいダグの顔。
前回ラストの煤が晴れたこの描写は、きっとダグラスの心中を表しているのでしょう。
「本当の強さ」とは何か。
この度のエピソードを読んで、私も彼らにそれを教えてもらった気がしました。
館への「忠誠」と、溢れ出す「疑問」の狭間で混乱に陥ったダグラス。
そんな彼が最後に頼りにしたのは従者・ダグでした。
前回の第187話は、煤で視界がぼやける先で静かに佇むダグの姿で幕を閉じておりました。
さて、今回明かされたのは、この時ダグ自身が考えていたことが「余計なこと」だったことです。正確に言うと「余計なことを考えていた」ことを思い出していました。
「余計なことは考えない」
アニメでは第1話の「お掃除の歌」でこんなフレーズが出てきました。
漫画本編では第19話にてショーンが「“余計なことを考えるな”」「生まれたときから記憶している“生き人形”のルールの一つだ」と言っています。
直接的な言い回しではないですが、もっと早いものだと第13話のローズマリーが「詮索してはいけないわぁ」ミアが「忠誠以外の心を持ってはいけない」「大事な教えよ」と言っており、その直後にエミリコが「私が余計なこと言ったから!?」と叫んでいます。
このように、シャドーハウスという物語が始まってから何度も提示され、そして「生き人形」の“常識”として浸透しているのが「余計なことは考えない」というルールでした。
このルールの重要性については、第138話のオリバーが逆の立場から語ってくれていますね。
オリーの洗脳が簡単に解けた理由について「研究班は余計なことを考えるからだろう」と述べた台詞です。反対に言えば「余計なことを考えない」を徹底していれば生き人形の洗脳を解くのは困難だということです。
第96話のショーンはこのルールを、幾つもある「洗脳を補強する術」の一つと認識していました。
さて、長々と「余計なことは考えない」というルールについて述べましたが、振り返るとこの決まりごとの重要性が分かりますね。「生き人形」という存在を作り出すための必須事項とも言えるでしょう。
ましてや、すす珈琲で身も心も蝕れている状況では普通の少年少女が抗うのは不可能です。そんな策にまんまと嵌められ、結局再洗脳された第128話のサラは記憶に新しいと存じます。
ところが、なんとダグはこの教えを真っ向から反していたというのですから驚きです。
誰が敵で誰が味方か判然としない、どうすれば評価されるのかさえ曖昧なシャドーハウスという館。
ここで生き残るためにダグは「考えなければいけない」という結論に達したのです。
ダグラスの過去の回想では、キングの暴力やフィンの悲劇を契機にクリストファーに対して疑問を持っていた様が描かれていました。
その上で彼はキングの横暴や「誰かが責任をとればいい」というバーバラの星つき体制に反発心を抱いていったと推測されるわけですが、そこから育まれた「仲間を大切に思い合う」というダグラスの信条がダグにも向けられていたのは想像に難しくないでしょう。
今回のダグの回想でも、キングに顔を傷付けられる主人を見て自分の身代わりになっているようで辛かったと言っていましたから、ダグラスの気遣いは十分ダグにも伝わっていた筈です。ダグの忠誠心は洗脳の効果もあったでしょうが、ダグラス自身が敬愛の対象になるだけの理由もあったのです。
そうであればダグのやるべきことは主人に尽くすことだけです。
弱みを見せてはならないと語るダグラスの意を汲み、強く振舞い班長への出世をサポートし、風紀班の結成、しまいには星つきにまで上り詰める……
この道のりはダグの力なくしてあり得ませんでした。従者として完璧な仕事をダグはやってのけました。
しかし。いやだからこそでしょうか。
「考えなければいけない」が故に、主人の「誰にも気づかれない傷痕」に気づいてしまい涙したのは。
ダグの口元に付いた煤の黒さは、ダグラスが抱える苦しみの深さです。きっとこんな夜を何度もダグは繰り返したに違いありません。
ですが、葛藤する主人を誰よりも近くで見てきたからこそダグは主人の目指すべき姿・譲れないものに気付けたのだと思います。
仲間を絶対に裏切らない。
彼が鍵を蹴り出したシーンを見た時、それが主人ダグラスの根幹であり、主人の背中を強く押すことが自分の仕事だとダグが叫んでいるように私には見えました。
見開きに描かれた美しいダグの顔。
前回ラストの煤が晴れたこの描写は、きっとダグラスの心中を表しているのでしょう。
「本当の強さ」とは何か。
この度のエピソードを読んで、私も彼らにそれを教えてもらった気がしました。
