年末恒例の締めの記事と参りましょう。
本記事のタイトルは、夢乃ゆきさんというシンガーソングライターの楽曲「私日和」から拝借しました。
夢乃ゆきさんは同人音楽やゲーム音楽に重きを置いて活動されていますので、ご存じない方も多いかも知れません。失礼ながら、私も最近まで全く存じ上げませんでした。
ただ、「第209話 星降る夜【感想】」の記事中でも申し上げましたが、シャドーハウスと出会ってからというもの、自分の興味外の分野について知る機会が多くなりました。
音楽の趣味もだいぶ変わった気がします。
以前までは90年代のJ-POPばかりを聞いていましたが、シャドーハウスのアニメでReoNa氏を知り、そこから同世代のアーティストの曲や、アニソンと呼ばれる音楽に触れることが増えました。
その流れで知ったのが夢乃ゆきさんです。
「私日和」は、新生活を始めた少女が主人公の楽曲です。
新しい街での暮らしに不安を感じながらも、春の心地いい風に吹かれることで心機一転し、うまくいかないことがあっても自分らしく生きていく……
そんな若者の新鮮な心を、夢乃ゆきさんは爽やかに歌い上げています。タイトルの「私は私 自分を見つめ行けるのなら きっと進めるから」は本曲の最後の歌詞となっています。
キャッチ―なメロディに前向きな歌詞。
ということで、ぜひともおすすめしたい作品です!
ただ、なんとも残念なのが、ネット上に公式のフル動画がアップされていないいんですよね。
ですので気になる方は、こちらの動画の42秒から再生して下さい。サビだけではありますが1分26秒まで試聴することができます。(因みにサブスクにも登録されています)
さて、今年もシャドーハウスに関連して様々な出来事がありました。
それについて本記事では、私の私的感想を交えながら主観的に振り返っていきたいと思います。
では続きよりどうぞ。
本記事のタイトルは、夢乃ゆきさんというシンガーソングライターの楽曲「私日和」から拝借しました。
夢乃ゆきさんは同人音楽やゲーム音楽に重きを置いて活動されていますので、ご存じない方も多いかも知れません。失礼ながら、私も最近まで全く存じ上げませんでした。
ただ、「第209話 星降る夜【感想】」の記事中でも申し上げましたが、シャドーハウスと出会ってからというもの、自分の興味外の分野について知る機会が多くなりました。
音楽の趣味もだいぶ変わった気がします。
以前までは90年代のJ-POPばかりを聞いていましたが、シャドーハウスのアニメでReoNa氏を知り、そこから同世代のアーティストの曲や、アニソンと呼ばれる音楽に触れることが増えました。
その流れで知ったのが夢乃ゆきさんです。
「私日和」は、新生活を始めた少女が主人公の楽曲です。
新しい街での暮らしに不安を感じながらも、春の心地いい風に吹かれることで心機一転し、うまくいかないことがあっても自分らしく生きていく……
そんな若者の新鮮な心を、夢乃ゆきさんは爽やかに歌い上げています。タイトルの「私は私 自分を見つめ行けるのなら きっと進めるから」は本曲の最後の歌詞となっています。
キャッチ―なメロディに前向きな歌詞。
ということで、ぜひともおすすめしたい作品です!
ただ、なんとも残念なのが、ネット上に公式のフル動画がアップされていないいんですよね。
ですので気になる方は、こちらの動画の42秒から再生して下さい。サビだけではありますが1分26秒まで試聴することができます。(因みにサブスクにも登録されています)
さて、今年もシャドーハウスに関連して様々な出来事がありました。
それについて本記事では、私の私的感想を交えながら主観的に振り返っていきたいと思います。
では続きよりどうぞ。
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気付けばもう、令和6年の大晦日です。
例年と同様、もう一年が経ったのかと驚くばかりですね。年々時の流れが速くなっていくような気がしています。
しかしながら、前記事でも振り返りましたが本年もシャドーハウス漬けの毎日でした。
特に今年は第200回という節目を迎えたこと、そして昨年末にソウマトウ先生からシャドーハウスは最終章に向かっているというコメントがあったことから、今までの歩みを振り返ることが多かった一年だったと思います。
もっとも、これから先のシャドーハウスがどうなっていくのか私には知る由もありませんけどね。
これまでと同じように、来年も精一杯応援していければと考えています。
さて。
話題は変わりますが、シャドーハウスと出会ったことで私影野自身も大きく変化したなあと感じています。
「第209話 星降る夜【感想】」の記事中でも申し上げましたが、ソウマトウ先生の描く緻密な設定や、現実世界の事象を基にした語句や小道具を調べていくうちに、今まで自分の知らなかった世界に触れることが多くなりました。
また、そうした作中の描写だけではなく、シャドーハウスを通じてブログを始めたり、ツイッターを開設したり、スマホアプリで様々な漫画作品に触れたりと、これまででは考えられなかった行動も今となっては毎日の習慣になっています。
それだけではなく、アニメ化をきっかけにイベントに参加したり、声優の方が出演した過去作を視聴したり、制作会社について調べるなど、今まで考えることすらしなかった世界が当たり前のようになりました。
そんな風に自分の世界を広げてくれるシャドーハウスには感謝しかありません。本当にこの作品に出会えて良かったです。
また、楽曲に関しても前述したとおりです。
ReoNa氏や夢乃ゆきさんだけでなく、シャドーハウス繋がりで名取さなさんやMaiR氏といった有名なV-Tuberの配信も聞くようになりました。
こう眺めてみると、シャドーハウスと出会ってなければ歯牙にもかけることすらしなかったコンテンツばかりです。もしシャドーハウスと出会っていなかったとしたら、今頃自分は何をしていたのだろうかと思うくらいです。
本年はシャドーハウスの歩みを振り返ることで、私にとってシャドーハウスとはどんな存在なのかと改めて考える、そんな一年でした。
それにしても、シャドーハウスはアニメ化するほど大きなコンテンツにも拘らず、ほとんど醜聞を耳にするがありません。大ヒット作なら大抵よく見受けられる、グッズ販売に伴うトラブルやファン同士の諍い、関係者の汚職といった出来事はこれまで6年ほぼなかったと言ってもいいくらいです。
汚点なき巨大コンテンツの創出は、もはや現代の奇跡でしょう。
そうした界隈を作り上げたソウマトウ先生と担当者の方をはじめとする関係者の皆々様の尽力は驚異の一言です。決して大げさではなく、そうした作品の一ファンとしてシャドーハウスをリアルタイムで楽しむことができて私は幸せに思います。
しかし。
そう思い込んでいただけに、11月にpixivFANBOXでソウマトウ先生が出された声明は衝撃的でした。
(→メッセージの返信はできません)※会員限定の有料記事
詳細は限定記事なので明記は避けますが、大体の内容はタイトル通りです。
ソウマトウ先生はツイッターやpixivFANBOXのコメント欄を開放しておりましたが、近年そうしたコメントの中に先生からの返信を期待した質問やメッセージが散見されることから、今後は一切対応しないという声明でした。
確かに、ソウマトウ先生は事あるごとに自分たちは拘り過ぎるきらいがあり、それに時間を取られがちと仰っていました。
例えば、「黒」ではサブタイトルを全て自分たちで考えていたものの、あまりに時間が掛かることからギリギリアウトとシャドーハウスでは編集担当者に任せたとインタビューで述べておられます。
それと同じということでしょう。
それにソウマトウ先生のこれまでのご発言を見ますと、自分たちの発言がどう相手に受け取られ、そしてどんな影響を及ぼすのかということを見極め、慎重に言葉を選んでいると推測されるケースが数多くありました。
それもあって、シャドーハウスがアニメ化などで注目度が高まると同時に、ツイッターなどへのコメントの返信を取りやめたのだと思います。
かつて、連載初期はソウマトウ先生とファンとのやり取りも珍しくありませんでしたが、これもコンテンツの成長に伴う致し方ない変化でしょう。当時のコミュニケーションは本当に貴重なものだったのだと改めて思う次第であります。
ただ、それよりも本題は記事後半の「ファンですという前置きの元、漫画の展開をコントロールしようとするのはやめてください」だったと拝察します。
この文面を読んだ時、正直そんなことがあるのかとショックでした。
そして私自身、先生に対して失礼を働かなかったかと、何度も己を鑑みました。(願望も含まれますがなかったと信じています)
シャドーハウスの読者がそんな行為をするなどと想像だにしていなかっただけに、なぜ創作者に対して受け手側の読者が物申すなどということができるのか理解できませんでしたし、あれだけ慎重に物事を運ぶソウマトウ先生がここまで言わなければならないということは、事態は相当深刻なのではないかとも感じました。
同時に、そうした声明を出さねばならないまでに先生は追い込まれてしまったのかと、一読者として情けなくもなりました。
しかし兆候がなかったわけではありません。
ソウマトウ先生が上記の記事を掲載する直前、シャドーハウスが連載しているヤングジャンプの「【推しの子】」が最終回を迎えていましたが、そのラストの是非が作品を超えて大きく物議をかもしていました。
それらの中には作品そのものの批評から大きくはみ出し、作者に対する人格攻撃や否定的見解も多かったことから社会問題にもなっていました。そうした問題が同一掲載誌であったことから、それを機にソウマトウ先生も声明を出されたのだと私は考えています。本当、考えるだけで気が滅入る一方です。
加えて、実を言いますとシャドーハウス自身もそれと似たケースとして、根拠なき批判にさらされたこともなかったわけではありません。
思い出すのも億劫なのでざっと振り返りますが、アニメ1話でケイトがエミリコに名前を付けたエピソードや第4話でローブ様が出なかったことが「原作改変」だと言いがかりをつけられた件、マルイコラボでエミリコ達が衣装を着ていたことに対して「生き人形はきらびやかな服を着ない」「原作を尊重していない」といった行き過ぎた批判が公式に寄せられた件、「制作会社が違ければもっとヒットしていた」というクレーム等々……
恐らくはそれと同じような形で、或いはそれよりももっと酷なメッセージがソウマトウ先生には寄せられたのでしょう。
それを想像するだけで悲しく、切なく、そして無力感でいっぱいです。こんな声明を連載中に聞くことになるとは思ってもみませんでした。
ただ、私などがこんなこと言っても弁護になるか分かりませんが、私はソウマトウ先生の創作活動を信じています。
上に挙げた過去のクレームについて、アニメ1話のケイトのエミリコへの名づけについては、作中の第114話にて美しく昇華されました。
第4話のローブ様の件については、あそこで脚本を変えたことでアニメ二期がまとまりのある作品となりました。
脊髄反射で為された批判などとるに足ることはなく、ソウマトウ先生はこれまでのように作品を大切に守り、そして創作しているのがお分かりかと思います。ソウマトウ先生の前では思慮のない批判など無価値なのです。
ですから、どうかソウマトウ先生には読者のことなど構わず、記事に自身が書かれたように「最後までの道のりを試行錯誤しながら自分なりに納得のいく最後に持っていく」よう、これからもシャドーハウスという物語を紡いでいって頂きたいと切に願っています。
先生が本心から描くシャドーハウスこそが本当のシャドーハウスなのですから。
2018年9月6日。
あの日から私の生活はいい意味で大きく変わりました。
今まで知らなかった世界があの日を境に広がり、初めて見る輝きがまだこの世界にはありました。
そして、シャドーハウスに関わる中で同じくシャドーハウスを応援するファンの方ともお会いすることがありますが、これまで人と交わることのない趣味を持っていた私にとって、こうした関係を築くというのは今まで経験がないことでした。
6年間、夢のような日々が続いています。
来年以降、シャドーハウスがどうなるのか私には分かりません。
そして、ソウマトウ先生がシャドーハウスをどう描いていくのかはもっと分かりません。
しかしそれでも、自分が思うように、大切なものを忘れないよう進んでいければ、何があっても間違いではなかったと最後には笑えると思います。
ですからそんな心持でこれからもシャドーハウスを応援していきたいと思いますし、そんな日々こそが影野の「私日和」です!
さてさて。
毎年毎年いつも通りではありますが、長々と語り過ぎてしまいましたね。2025年まであと一時間です。
今年は例年にも増して更新が遅くなってる本ブログですが、いつもご訪問下さる皆様には本当に感謝しております。本年もどうもありがとうございました。
来たる令和七年も、どうぞよろしくお願い致します。
令和6年12月31日 来客のない奇妙な館管理人 影野知高
気付けばもう、令和6年の大晦日です。
例年と同様、もう一年が経ったのかと驚くばかりですね。年々時の流れが速くなっていくような気がしています。
しかしながら、前記事でも振り返りましたが本年もシャドーハウス漬けの毎日でした。
特に今年は第200回という節目を迎えたこと、そして昨年末にソウマトウ先生からシャドーハウスは最終章に向かっているというコメントがあったことから、今までの歩みを振り返ることが多かった一年だったと思います。
もっとも、これから先のシャドーハウスがどうなっていくのか私には知る由もありませんけどね。
これまでと同じように、来年も精一杯応援していければと考えています。
さて。
話題は変わりますが、シャドーハウスと出会ったことで私影野自身も大きく変化したなあと感じています。
「第209話 星降る夜【感想】」の記事中でも申し上げましたが、ソウマトウ先生の描く緻密な設定や、現実世界の事象を基にした語句や小道具を調べていくうちに、今まで自分の知らなかった世界に触れることが多くなりました。
また、そうした作中の描写だけではなく、シャドーハウスを通じてブログを始めたり、ツイッターを開設したり、スマホアプリで様々な漫画作品に触れたりと、これまででは考えられなかった行動も今となっては毎日の習慣になっています。
それだけではなく、アニメ化をきっかけにイベントに参加したり、声優の方が出演した過去作を視聴したり、制作会社について調べるなど、今まで考えることすらしなかった世界が当たり前のようになりました。
そんな風に自分の世界を広げてくれるシャドーハウスには感謝しかありません。本当にこの作品に出会えて良かったです。
また、楽曲に関しても前述したとおりです。
ReoNa氏や夢乃ゆきさんだけでなく、シャドーハウス繋がりで名取さなさんやMaiR氏といった有名なV-Tuberの配信も聞くようになりました。
こう眺めてみると、シャドーハウスと出会ってなければ歯牙にもかけることすらしなかったコンテンツばかりです。もしシャドーハウスと出会っていなかったとしたら、今頃自分は何をしていたのだろうかと思うくらいです。
本年はシャドーハウスの歩みを振り返ることで、私にとってシャドーハウスとはどんな存在なのかと改めて考える、そんな一年でした。
それにしても、シャドーハウスはアニメ化するほど大きなコンテンツにも拘らず、ほとんど醜聞を耳にするがありません。大ヒット作なら大抵よく見受けられる、グッズ販売に伴うトラブルやファン同士の諍い、関係者の汚職といった出来事はこれまで6年ほぼなかったと言ってもいいくらいです。
汚点なき巨大コンテンツの創出は、もはや現代の奇跡でしょう。
そうした界隈を作り上げたソウマトウ先生と担当者の方をはじめとする関係者の皆々様の尽力は驚異の一言です。決して大げさではなく、そうした作品の一ファンとしてシャドーハウスをリアルタイムで楽しむことができて私は幸せに思います。
しかし。
そう思い込んでいただけに、11月にpixivFANBOXでソウマトウ先生が出された声明は衝撃的でした。
(→メッセージの返信はできません)※会員限定の有料記事
詳細は限定記事なので明記は避けますが、大体の内容はタイトル通りです。
ソウマトウ先生はツイッターやpixivFANBOXのコメント欄を開放しておりましたが、近年そうしたコメントの中に先生からの返信を期待した質問やメッセージが散見されることから、今後は一切対応しないという声明でした。
確かに、ソウマトウ先生は事あるごとに自分たちは拘り過ぎるきらいがあり、それに時間を取られがちと仰っていました。
例えば、「黒」ではサブタイトルを全て自分たちで考えていたものの、あまりに時間が掛かることからギリギリアウトとシャドーハウスでは編集担当者に任せたとインタビューで述べておられます。
それと同じということでしょう。
それにソウマトウ先生のこれまでのご発言を見ますと、自分たちの発言がどう相手に受け取られ、そしてどんな影響を及ぼすのかということを見極め、慎重に言葉を選んでいると推測されるケースが数多くありました。
それもあって、シャドーハウスがアニメ化などで注目度が高まると同時に、ツイッターなどへのコメントの返信を取りやめたのだと思います。
かつて、連載初期はソウマトウ先生とファンとのやり取りも珍しくありませんでしたが、これもコンテンツの成長に伴う致し方ない変化でしょう。当時のコミュニケーションは本当に貴重なものだったのだと改めて思う次第であります。
ただ、それよりも本題は記事後半の「ファンですという前置きの元、漫画の展開をコントロールしようとするのはやめてください」だったと拝察します。
この文面を読んだ時、正直そんなことがあるのかとショックでした。
そして私自身、先生に対して失礼を働かなかったかと、何度も己を鑑みました。(願望も含まれますがなかったと信じています)
シャドーハウスの読者がそんな行為をするなどと想像だにしていなかっただけに、なぜ創作者に対して受け手側の読者が物申すなどということができるのか理解できませんでしたし、あれだけ慎重に物事を運ぶソウマトウ先生がここまで言わなければならないということは、事態は相当深刻なのではないかとも感じました。
同時に、そうした声明を出さねばならないまでに先生は追い込まれてしまったのかと、一読者として情けなくもなりました。
しかし兆候がなかったわけではありません。
ソウマトウ先生が上記の記事を掲載する直前、シャドーハウスが連載しているヤングジャンプの「【推しの子】」が最終回を迎えていましたが、そのラストの是非が作品を超えて大きく物議をかもしていました。
それらの中には作品そのものの批評から大きくはみ出し、作者に対する人格攻撃や否定的見解も多かったことから社会問題にもなっていました。そうした問題が同一掲載誌であったことから、それを機にソウマトウ先生も声明を出されたのだと私は考えています。本当、考えるだけで気が滅入る一方です。
加えて、実を言いますとシャドーハウス自身もそれと似たケースとして、根拠なき批判にさらされたこともなかったわけではありません。
思い出すのも億劫なのでざっと振り返りますが、アニメ1話でケイトがエミリコに名前を付けたエピソードや第4話でローブ様が出なかったことが「原作改変」だと言いがかりをつけられた件、マルイコラボでエミリコ達が衣装を着ていたことに対して「生き人形はきらびやかな服を着ない」「原作を尊重していない」といった行き過ぎた批判が公式に寄せられた件、「制作会社が違ければもっとヒットしていた」というクレーム等々……
恐らくはそれと同じような形で、或いはそれよりももっと酷なメッセージがソウマトウ先生には寄せられたのでしょう。
それを想像するだけで悲しく、切なく、そして無力感でいっぱいです。こんな声明を連載中に聞くことになるとは思ってもみませんでした。
ただ、私などがこんなこと言っても弁護になるか分かりませんが、私はソウマトウ先生の創作活動を信じています。
上に挙げた過去のクレームについて、アニメ1話のケイトのエミリコへの名づけについては、作中の第114話にて美しく昇華されました。
第4話のローブ様の件については、あそこで脚本を変えたことでアニメ二期がまとまりのある作品となりました。
脊髄反射で為された批判などとるに足ることはなく、ソウマトウ先生はこれまでのように作品を大切に守り、そして創作しているのがお分かりかと思います。ソウマトウ先生の前では思慮のない批判など無価値なのです。
ですから、どうかソウマトウ先生には読者のことなど構わず、記事に自身が書かれたように「最後までの道のりを試行錯誤しながら自分なりに納得のいく最後に持っていく」よう、これからもシャドーハウスという物語を紡いでいって頂きたいと切に願っています。
先生が本心から描くシャドーハウスこそが本当のシャドーハウスなのですから。
2018年9月6日。
あの日から私の生活はいい意味で大きく変わりました。
今まで知らなかった世界があの日を境に広がり、初めて見る輝きがまだこの世界にはありました。
そして、シャドーハウスに関わる中で同じくシャドーハウスを応援するファンの方ともお会いすることがありますが、これまで人と交わることのない趣味を持っていた私にとって、こうした関係を築くというのは今まで経験がないことでした。
6年間、夢のような日々が続いています。
来年以降、シャドーハウスがどうなるのか私には分かりません。
そして、ソウマトウ先生がシャドーハウスをどう描いていくのかはもっと分かりません。
しかしそれでも、自分が思うように、大切なものを忘れないよう進んでいければ、何があっても間違いではなかったと最後には笑えると思います。
ですからそんな心持でこれからもシャドーハウスを応援していきたいと思いますし、そんな日々こそが影野の「私日和」です!
さてさて。
毎年毎年いつも通りではありますが、長々と語り過ぎてしまいましたね。2025年まであと一時間です。
今年は例年にも増して更新が遅くなってる本ブログですが、いつもご訪問下さる皆様には本当に感謝しております。本年もどうもありがとうございました。
来たる令和七年も、どうぞよろしくお願い致します。
令和6年12月31日 来客のない奇妙な館管理人 影野知高
