二年前のちょうど今頃、真夏のさなかの渋谷でシャドーハウスの原画展が開催されていました。

私は初日から観に出かけましたが、素晴らしい展示品の数々と共に思い出されるのが尋常でない「暑さ」です。特に渋谷はすり鉢状の地形ですから、余計に熱がこもり汗が止まらないくらいでした。西武デパートに入店してクーラーの涼しさに救われたことを、今でも昨日のことにように思い出せます。


しかしながら、今年も二年前と負けず劣らず日本各地で猛暑が続いていますね。

いや、今年の酷暑はそれ以上でしょうか。

8月5日の群馬県伊勢崎市では、国内歴代最高気温を更新したとニュースになっていました。

計測値はなんと41.8℃。

私が子供の頃は山形市の40.8℃が国内最高気温として知られていましたが、あれから1℃も上がったわけです。(こういうこと言うと世代がバレそう……)(今思い出しましたが2年前の原画展初日も8月5日でしたね)

ここ一週間の東京地方は比較的過ごしやすい気温ではありますが、今後も猛暑日はまだ続くようです。これからも熱中症には注意していきたいですね。


さて。

「暑さ」の話題が出たから、というわけではありませんが、今回のサブタイトルは「氷解」です。まさしく、外にいるだけで溶けてしまいそうな今年の夏を表しているかのような副題です。

しかしながら、この「氷解」は今年の気温の暑さがもたらしたものではありませんでした。


本話で語られた「氷解」

それはとある主人“たち”の、従者への深く「熱い」愛情がもたらした和解劇でした。
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途中経過を大分端折りますが、第223話は第217話の続きが描かれました。片割れの「かたき討ち」をしようと、館を探索していたベルのその後の顛末のことです。

結論から言うと、ベルの「敵討ち」は失敗に終わりました。


第217話のラストで描かれていた、ベルの後ろに無言で佇むアンソニー。

悪い予感しかしないあの場面の続きは、やはりアンソニーによるベルへの暴虐でした。


か弱い少女の首を絞め、中身が怪しい液体(灰汁)だと察しているくせにそれを相手の手に注ぎ、抵抗できない状態で尋問……


いけません、書いているだけで胸が痛くなってきました。

アンソニーの暴力に耐えるベルの表情を見る度に辛いです。特に灰汁を手にかけられた時のベルの悲鳴が「キャー」ではなく「ぎゃっ」という濁った短い台詞になっているのが、余計にベルの感じている息苦しさを否が応でも読者に感じさせます。

マギーを刺殺した前科を持つアンソニーなら、ここで一思いにベルを亡き者にするのは容易いことでしょう。ベルからすればいち早くこの窮地を脱しなければ命はありません。できる限り速やかに、アンソニーの傍から離れなければなりません。


ただ、そんな読者の心配をよそに、この時のベルは実に己に素直でした。

アンソニーに首を絞められているというのに、アンソニーの意に反する発言をしたからです。


「それはエミリコの優しさなの!」


これは、クリストファー派につくかケイト派につくかアンソニーから問われた時のベルの答えです。

この問いの前にアンソニーは、第二次亡霊事件の原因となったマリーローズの行動、当時の星つきの動向、ケイトの関与を明かしています。

第二次亡霊事件といえば、ベルの片割れが命を落とした遠因となった出来事です。ベルにとって忘れように忘れられない悲劇です。洗脳解除に伴い当時のことを思い出したベルは、アンソニーへの復讐心を固め、行動した結果が今の状況となりました。

そうとくれば、事件の隠蔽に関与したケイトへの信頼も揺らごうものです。実際にアンソニーは、ここまで話せばベルはクリストファー派につくだろうと思ったのか、笑みを浮かべています。


「ほんの少し見方を変えれば親しくしていた者も敵かもしれない」


恐らくは決定打として繰り出したであろう、アンソニーのこの台詞。

さながら、エミリコが第35話で発した「見えないから私は想像したいんです」を彷彿とさせます。

何が本当か分からない曖昧模糊とした館。洗脳されてても知略謀略が渦巻く場所ですから、洗脳が解けたベルにとってみれば幾つもの疑念が生じてもおかしくない状況です。今まで信じてきたものが間違っているんじゃないかと信念が揺らぐのも当然です。ベルが陥落するまであと一歩になりました。


ただ、アンソニーよ。

相手が悪すぎました。

なんと言ってもベルが信頼を寄せていたのはエミリコだからです。

今は少しだけ「泥ひばり」とかサーカス団にいた頃を思い出して傷心しているエミリコですが、これまでベル、いや読者が見てきたエミリコは善良100%少女です。天性ともいえるエミリコの明るさは、シャドーハウスにおける良心と言っても過言ではありますまい。ショーンをして「エミリコは自然に人の心を動かせる…!」と語っています。それこそがエミリコの強さなのです。

そんなエミリコの行動は、見事ベルの心に届いていました。

たとえ真実を隠していたとしても、それがかけがえのない片割れの死の真相だったとしても、エミリコならば何か考えがあってのことだと、やむにやまれぬ事情があったとベルは察するに至ったのです。

それが前述した「それはエミリコの優しさなの!」という絶叫に近い台詞でした。命の危険に立たされてもなお、エミリコへのベルの信頼は揺らぐことはありませんでした。


さて、ここに至ってベルはまだ危機的状況ではありますが、この一連の流れを見て私は感涙を禁じえませんでした。

なぜかと言いますと、エミリコがベルを献身的に支えていた第81話のことを思い出したからです。

思い返せば、あの時のエミリコはミアやバービーのプレッシャーからベルを守っていました。

特に班長会議でのエミリコの姿は、ベルの盾そのものでした。あのエピソードで描かれた「もう仲間を失うのは…絶対に嫌です!」とエミリコが語ったシーンはシャドーハウス屈指の名場面です。

小さな身体で逞しく班員を守っていた班長・エミリコ。

当時のエミリコの行動は決して間違ってはいなかったこと、当時のエミリコの思いはちゃんとベルにも伝わっていたことがはっきり描かれ、ただただ感動してしまいました。


しかしながら、アンソニーの暴行がそんなことで止まるわけはなく、むしろアンソニーを逆上させた感はあります。

逆上というにはいささか冷静な感じもしますが、少なくともいい気分ではないでしょう。用済みだと言わんばかりにとどめを刺そうと、ベルに体重を載せました。


ただ、ここからが本番です。

サブタイトルとなった「氷解」がついに描かれたからです。


ベルに迫る命の危機。

それを制したのは、なんとイザベルとミラベルでした。

第217話で主人を起こさないように慎重に部屋を出て行ったベルでしたが、イザベルとミラベルにはお見通しだったようです。ベルの後を追い、すんでのところでアンソニーを阻止しました。

イザベルとミラベルに加えて、ベンジャミン・ルイーズが加勢しにしてくれたのも良かったですね。

ベンジャミンとイザベル・ミラベルの間に見受けられていた溝はいつの間にかなくなっていたようで、班長・ベンジャミンの面目躍如でしょうか。バーバラがいないのでベンジャミン班全員というわけではないのが少し残念ですが、何はともあれアンソニーを撤退に追いやったのは大戦果です。

前回の第222話の各話感想で「アンソニーは焦っている」と書きましたが、今回のエピソードを見ていると案外間違ってはない気がしてきました。

ラストでベンジャミン視点から見たアンソニーは強大な敵に見えますが、意外なところからアンソニーの計画には綻びが生まれるんじゃないかとも思えます。

そんなカリスマ・アンソニーをどう突き崩すのかが焦点になるかも知れませんね。


さて、話が逸れましたが「氷解」に話を戻しましょう。

アンソニーを追い払った後、事の経緯をイザベルとミラベルは語ります。

それを聞いて「ふたりが私のために?」というモノローグとともに描かれたベルの表情が実にいいですね。驚いているものの、意外という風でもなく、図らずも嬉しいことが起きたというような絶妙な表情です。しかもこの嬉しさというのが、静かに心の奥底から少しずつ湧きあがったかのような、そんな表情に私は見えます。

エミリコへの信頼はかねてより持っていたベル。

そのエミリコの言葉を胸に、イザベルとミラベルという二人の主人に遂に心許すようになったベルを見て本当に安心しました。長らく危惧されていたベルの問題がようやく解決しました。


ところで、思い過ごしかも知れませんが最後に少しだけ語らせて下さい。

全く見分けがつかない双子として描かれていた、村時代の「イザベル」と「ミラベル」

シャドーハウスに来てから、シャドーであるイザベルとミラベルにその名が移ってからは、彼女たちはいずれも「ベル」と「ベル」という全く同じ名が与えられました。それが故に、二人は館に来てからも一心同体といった風に生活をしてきました。

しかし、その生活は悲劇ともに終わりを告げます。第二次亡霊事件の濡れ衣を着させられて「片割れ」は命を落としたからです。以降のベルはたった一人となってしまいました。


ただ、皮肉にもその事件が「ベル」と「ベル」という見分けのつかない双子が、個々の少女になるきっかけになっていたんですよね。

それは何かと言いますと、珈琲の瓶が割られた時に生じた怪我です。

第57話の扉絵を見ると分かるのですが、向かって右側の「ベル」は右手の甲をガラス片で切っています。対して左側のベルは左腕に小さな傷がついています。

そして第79話のラストページでは力尽きる片方の「ベル」が描かれていますが、匙を落とした右手の甲をよく見ると、傷があります。この時命を落としたのは、第57話の扉絵の向かって右側の「ベル」だったのです。

事件によって見分けがつかない双子が識別できるようになり、しかも片方が亡くなることによってもうひとりの「ベル」が自分自身を認識するようになったとは、これを皮肉と言わずして何を皮肉と言いましょうか。あの悲劇はまさしく文面通り取り返しのつかない「破鏡不照」でした。今読み返しても気が重くて仕方ありません。


ですが、ここから考えていくと、今回の「復讐」によってベルが火傷を負ったというのは非常に重要な意味を持っている気がします。

生き残った方のベルは左手を火傷していますが、かつての「片割れ」と違う場所を怪我したという事実が、双子といえども違う存在なのだというメッセージに思えるからです。その火傷が、「片割れ」を思うがあまりの「復讐」という行為が招いたと考えると、そうした奇縁が生じているように思えてならないのです。


イザベルとミラベルを同時に抱きしめながら、ベルはエミリコが作ってくれたぬいぐるみを見つめます。このぬいぐるみは今日という日までベルの心の支えてきましたが、当然ながら作りものですから命を宿していない無機質な存在です。

しかしながら、このぬいぐるみはエミリコがもう一人の「ベル」をモデルに作ったのは間違いないでしょう。

そう考えた時、ベルがそれを「右手」に持って眺めているという光景を見て、私には「片割れ」の「ベル」がぬいぐるみの形を借りて語りかけているのではないかと思えて仕方ありません。

この次のコマではエミリコから届いた手紙を読むベルの姿が描かれ、エミリコの手紙の内容が書かれていますが、エミリコを介して「片割れ」の「ベル」が生き残ったベルにメッセージを伝えていると思いながら読んでみると、不思議としっくりする気がしました。私個人の思い込みではありますが、もうそういう風にしか私には見えません。


サブタイトルの「氷解」

これは、イザベルとミラベルという二人の主人に対する警戒を解いたベルの心情を示した副題なのは確実でしょう。

ただそれだけではなく、ベンジャミンとイザベル・ミラベルとのわだかまりの解消、そしてベルがもうひとりの「ベル」のことに向き合い、救いを得られたことをも指すのだとしたら、僅か16ページに込められたエピソードとは思えないくらいの充実感を感じた読後でした。