先月、ReoNaさんの「シャル・ウィ・ダンス?」がYouTubeで1000万回再生を達成したそうです。
おめでとうございます!!
「シャル・ウィ・ダンス?」といえば語るまでもない、アニメ・シャドーハウス二期のメインテーマ曲です。
放映からはや4年。
この数年の間にも多くのアニメが制作され、寂しいながらシャドーハウスの話題は少なくなりつつあります。(当の私も新プリキュアのアルカナ・シャドウちゃんに深ハマりしてしまい、一昨々日はシャドーハウス以来ぶりにアニメのリアルタイム鑑賞しました)
にも拘らず、数年の時を経て「シャル・ウィ・ダンス?」が1000万回も再生されたということは、この楽曲が魅力ある作品だからに違いありません。
そして嬉しいことに、最近のコメント欄を拝見しておりますと、ReoNaさんだけではなくシャドーハウスに触れたコメントも散見されます。
ReoNaさんの楽曲をきっかけにシャドーハウスを、そして私のようにシャドーハウスをきっかけにReoNaさんを知った方も多いでしょう。
そうした相互作用が多くの人々を引き寄せ、そして「何度でも」再生されたからこその1000万回再生です。本当に喜ばしい出来事ですね。
さて、「何度でも」という言葉を聞くと、私なんかはドリカムの代表曲だったり(もう20年前!?)、或いは「諦めない」といったごく一般的なイメージを抱きますが、此度の第237話のタイトルはまた一味違った意味で用いられていました。
それはそうでしょう。
なぜなら今回のメインキャラクターはライアン。
作者のソウマトウ先生からも「サディスト」と呼ばれるくらいに難のある性格をしているキャラが、今回の主役だったからです。
ともあれば過激な行動が目立つ、かの人物。
しかし彼の本領は、まさしく「何度でも」蘇る能力でした。
おめでとうございます!!
「シャル・ウィ・ダンス?」といえば語るまでもない、アニメ・シャドーハウス二期のメインテーマ曲です。
放映からはや4年。
この数年の間にも多くのアニメが制作され、寂しいながらシャドーハウスの話題は少なくなりつつあります。(当の私も新プリキュアのアルカナ・シャドウちゃんに深ハマりしてしまい、一昨々日はシャドーハウス以来ぶりにアニメのリアルタイム鑑賞しました)
にも拘らず、数年の時を経て「シャル・ウィ・ダンス?」が1000万回も再生されたということは、この楽曲が魅力ある作品だからに違いありません。
そして嬉しいことに、最近のコメント欄を拝見しておりますと、ReoNaさんだけではなくシャドーハウスに触れたコメントも散見されます。
ReoNaさんの楽曲をきっかけにシャドーハウスを、そして私のようにシャドーハウスをきっかけにReoNaさんを知った方も多いでしょう。
そうした相互作用が多くの人々を引き寄せ、そして「何度でも」再生されたからこその1000万回再生です。本当に喜ばしい出来事ですね。
さて、「何度でも」という言葉を聞くと、私なんかはドリカムの代表曲だったり(もう20年前!?)、或いは「諦めない」といったごく一般的なイメージを抱きますが、此度の第237話のタイトルはまた一味違った意味で用いられていました。
それはそうでしょう。
なぜなら今回のメインキャラクターはライアン。
作者のソウマトウ先生からも「サディスト」と呼ばれるくらいに難のある性格をしているキャラが、今回の主役だったからです。
ともあれば過激な行動が目立つ、かの人物。
しかし彼の本領は、まさしく「何度でも」蘇る能力でした。
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先ほどライアンの性格を「サディスト」と書きましたが、これは単行本の巻末に掲載されているキャラクター紹介から引用しました。
もっと正確に書くと「嗜虐的な思考を持つ不遜なサディスト」だそうです。
「嗜虐的」「不遜」「サディスト」と、これでもかというくらいネガティブなワードが並んでいますね。
貴族としてどうなんだと思わなくもないですが、現実世界でも高貴な人物が残虐な性格をしていたというのは珍しくありません。最近だって米国の孤島での事件が世界的な大ニュースになりましたし、時代が変わっても力を持った人間の趣向は似通ったものになるのかも知れません。(あまりに悍ましいので事件名は敢えて書かないです)
しかしながら、全ての貴族やエリートがそうではないですけどね。
これも人間のある意味面白さです。シャドーハウスという群像劇の中で様々なキャラクターが個性を発揮しているのと同様、高い地位に見合った精神を以って生きている方々も多くいらっしゃいます。それもまたフィクションも現実世界も変わらないと言えるでしょう。
性格や手法はともかくとして、エドワードも一応は後者の括りに入れていいでしょうか。
登場間もない頃は、“特別な生き人形”だなんて名乗りながらケイト達をお披露目で翻弄したり、ケイトを目の敵にしたり、ラムやバーバラを酷い目に遭わせるなど、決して好ましい人物ではありませんでした。
ただ物語が進んでいくにつれて、同期のアイリーンとジェラルドを案外大事にしていたり、偉大なるおじい様への忠誠心は本物だったりと、エドワードなりの正義感を持っていることが判明していきます。
記憶に新しい第224話(コールマインと共に)では、研究熱心さからくる観察眼が人間(シャドーからすれば「素体」)という存在への興味・関心へと繋がり、多少ではありますが村人たちを尊重するようになっていたのは特筆すべき出来事でしょう。
果ては、持ち前の野心と計画性と几帳面さが奇跡的な融合を起こし、寂れたコールマインを復興の入り口まで導いていました。
マリーローズに会ったことで計画半ばでエドワードは館へと戻ることになりましたが、盛大に送り出す住民たちが現れたことでエドワードの人望ぶりがこれでもかというくらいに描かれています。
こう書いていくと、何だかんだでエドワードは人の上に立つ才覚があるのだと、そう思わせられました。
ただ、そんなエドワードが嫌悪する人物がいます。
ライアンです。
二人の直接的なやりとりが初めて描かれたのは第45話「総評」でした。
当時エドワードは、ケイト達のお披露目の結果を報告するため偉大なるおじい様に謁見していましたが、「反乱分子」という言葉を持ち出したエドワードが気に喰わなかったのか、ライアンの鞭(煤で作った物)が炸裂しました。
また、偉大なるおじい様からお披露目の成果が認められてお褒めの言葉を貰っている途中だというのに、ライアンはそこに割り込んできて恫喝しています。
お披露目の最中もライアンの過激な性格は見受けられましたが、それが具体的な行動として現れたのが第45話だったということでしょう。
エピソードの終盤、エドワードの重鎮達に対する嫌悪感が描かれました。
そこには4人の重鎮たちがそれぞれシルエットで並べられていますが、「ふざけた連中」「クズども」と言われている中、ライアンだけは名指しされています。
第43話でも拍手するライアンを見たエドワードがホッとしたのを考えると、エドワードにとってライアンは、重鎮の中でも最も警戒すべき人物と見做されていたのではないでしょうか。
さて、そういった視点から今話を眺めていますと、ちょっと面白いことに気が付きました。
ライアン自身も、もしかしたらエドワードのことを結構気にしていたのではないかと思われるからです。
ただ、気にしていたとはいってもいい意味ではありません(当然か)
何と言いますか、ライアンのエドワードに対する台詞が、不良が舎弟(パシリ)に接する際の態度に似た感じがするんですよね。
特にマリーローズが現れた時の「知らねえ奴とつるんでんじゃねえよ!」は「えっ!気にするのそこ!?」ってなりましたし、あれだけあるわけないと言っていた「反乱分子」という言葉を持ち出した時は「なんだちゃんとエドワードの話聞いていたんじゃないか」と言いたくなりました。
思い返せば、ライアンはお披露目中にピアノを弾くエドワードを見て「ムカつくぜ」「演出が超かっけーじゃねえか」「あいつ俺(ライアン)に憧れているのか」と体震わせていましたが、こう書いていくとエドワードとライアンの関係はこれまで幾度となく描かれてきたことが分かります。
ジョセフ・ソフィ・ドロシーと比べてみてもその傾向は顕著ですね。
今回エドワードとライアンが衝突したのは偶然ではありましたが、いつかは訪れるであろう必然だったのかも知れません。
ところで、第237話で注目すべきは以下の三点でしょうか。
①アイリーンのすす能力の本当の実力
②ライアンの最も強い能力は「再生力」
③偉大なるおじい様についてのライアンの台詞
①のアイリーンのすす能力は読めば一目瞭然です。
コールマインでマリーローズに会った際(第225話)、アイリーンはすすバトを「貴女の内臓くらい簡単に引き摺り出せるわよ」と語っていましたが、遂にその能力がライアンを襲います。
結果、ライアンの身体は四肢バラバラに刻まれてすすバトの餌食となりました。
ドロシーのすす能力に似てはいますが、切れ味抜群のドロシーと比べますとアイリーンのすす能力の方が見た目のインパクトは上ですね。鳥葬さながらの光景はグロテスクの一言です。
しかし、これでライアン討伐成功とならないのが残念なところです。
首だけになっても喋り続け、肉片が意志を持ったかのようにまた一つにまとまって復活するライアン。
「いくら刻まれようと俺(ライアン)は何度だって再生できる」
②のこれこそが、ライアンのすす能力の真骨頂だったからです。
攻撃力が強みと見せかけておいて実は防御こそが最大の武器、といいますと「るろうに剣心」の原田左之助が思い浮かんできてしまうのですが、ライアンの場合もこれまでの描写から攻撃的な面ばかりが強調されていましたので、やはり今回の能力の開示には驚かせられましたね。
重鎮たちの描写が少なかった頃は、ライアンは攻撃的なすす能力で、ドロシーは精神系のすす能力かななんて考えていた時期もありましたが、ジョセフもドロシーもライアンも以前では考えられなかったようなすす能力を隠し持っていました。
となるとソフィのすす能力も俄然気になってきますが、多分彼女も悍ましいすす能力をお持ちなことでしょうね。
こうまで予想を覆されては、煤を舐めとるどころかシャドーを食い千切っていたとしてももう驚きはしますまい。此度のライアンの姿を見て、そう考えさせられました。
さて③についてですが、ソフィの頭を飛び越えて、偉大なるおじい様についての情報が出てきました。
ライアン曰く、「おじい様をぶん殴ってまでも危険を回避しなけりゃいけねえ場面もある」「俺はおじい様と対等な家族」だそうです。
ちょっと意外な感じがしますね。むしろ新たな疑問が生じました。
作中において「偉大なるおじい様」とは、「シャドー家を統率するシャドーハウスの王 私たち生き人形の生みの親 偉大なる創造主様」と呼称されるように、一般的にはシャドーハウスという館の絶対的な支配者です。
しかしこれまでの個々の描写を見ていきますと、超越的な意思を持つ絶対的な権力者ではないこともまた確かです。
特にジョゼフは、偉大なるおじい様について「一体化した存在なのかすら怪しい」「最後に発言をした者が同意を求めると受け入れる傾向にある」「ルールに基づく話ばかり」「本人の意思や目的は結局わからない」と述べています。
これらのジョゼフの台詞は第221話・第230話で明かされたものですが、それ以前から「偉大なるおじい様」とは重鎮たちの傀儡ではないか?、と考察される読者の方は多くいらっしゃいました。
第230話ラストでライアンが、「最後に発言した者が…」という偉大なるおじい様の特性を利用するかのように誘導していたシーンは、“「偉大なるおじい様」=重鎮たちの傀儡”という仮説を補強しつつあるように感じられました。
ところが、今話のライアンの発言を見ていくと様子が異なります。
「ぶん殴ってでも危険を回避」
「対等な家族」
エドワードと会話している都合上、「偉大なるおじい様」が存在しているという体裁を繕っていると考えることも可能ですが、個人的にライアンは噓をついていないように感じます。
もしライアンの言っていることが本当だとしたら、ジョゼフを除く3人の重鎮は「偉大なるおじい様」が時には間違った判断を下すことを承知の上で、それにも関わらずその存在を排除することなく共存しているということになります。
そして、上下関係ではなく対等な関係だということです。
これは従来考えられてきた「絶対的支配者」「傀儡」のいずれにも当てはまらない関係です。
ジョセフは例外として、第221話ではソフィ・ドロシー・ライアンの3人は偉大なるおじい様を護衛していると書かれていますが、これらをまとめますと
・重鎮たちは意見のやり取りに関しては偉大なるおじい様を特別視していない
・だからといって偉大なるおじい様を排除するようなことはしない
・それどころか固く護衛している
といったところでしょうか。
一言でいえば
“重鎮たちにとって偉大なるおじい様は崇拝対象ではないものの、必ず守らねばならない存在であり、2階以下の館の住人に対しては絶対的存在と信じ込ませることでシャドーハウスを統治している”
と言い換えることもできます。
これ、考えれば考えるほど、重鎮たちにとって偉大なるおじい様はいてもいなくても別にいいが、いないと困る事象が起こってしまうため仕方なく共存している風にしか思えません。
ここで思い出されるのが、第225話のマリーローズの「謎の体調不良」です。
詳細は第226話でローズマリーが語っています。
「マリーローズ様は…館を出てから時折発作が起きるようになりました」
「私のことをたまに忘れるんです」
もしも。
もしも仮に「シャドーはシャドーハウスを離れては生きられない」「偉大なるおじい様がいないとシャドーは存在できない」としたら、マリーローズがすす島から出ることもままならずなぜ体調不良になったのか説明が付きます。
それだけでなく、上で説明した重鎮たちの偉大なるおじい様への矛盾したように見える行動も納得できます。持ちつ持たれつの関係をライアンは「対等な家族」と表現したのでしょう。
偉大なるおじい様がいなければ生きることもままならないのだとすれば、考えようによってはやはりシャドーにとって偉大なるおじい様は絶対的な存在なのです。
今、エドワードとともにシャドーハウスへと舞い戻り、本当の自由を求めて闘うマリーローズ。
その答えは、目の前にいるライアンから語られるのかも知れません。
先ほどライアンの性格を「サディスト」と書きましたが、これは単行本の巻末に掲載されているキャラクター紹介から引用しました。
もっと正確に書くと「嗜虐的な思考を持つ不遜なサディスト」だそうです。
「嗜虐的」「不遜」「サディスト」と、これでもかというくらいネガティブなワードが並んでいますね。
貴族としてどうなんだと思わなくもないですが、現実世界でも高貴な人物が残虐な性格をしていたというのは珍しくありません。最近だって米国の孤島での事件が世界的な大ニュースになりましたし、時代が変わっても力を持った人間の趣向は似通ったものになるのかも知れません。(あまりに悍ましいので事件名は敢えて書かないです)
しかしながら、全ての貴族やエリートがそうではないですけどね。
これも人間のある意味面白さです。シャドーハウスという群像劇の中で様々なキャラクターが個性を発揮しているのと同様、高い地位に見合った精神を以って生きている方々も多くいらっしゃいます。それもまたフィクションも現実世界も変わらないと言えるでしょう。
性格や手法はともかくとして、エドワードも一応は後者の括りに入れていいでしょうか。
登場間もない頃は、“特別な生き人形”だなんて名乗りながらケイト達をお披露目で翻弄したり、ケイトを目の敵にしたり、ラムやバーバラを酷い目に遭わせるなど、決して好ましい人物ではありませんでした。
ただ物語が進んでいくにつれて、同期のアイリーンとジェラルドを案外大事にしていたり、偉大なるおじい様への忠誠心は本物だったりと、エドワードなりの正義感を持っていることが判明していきます。
記憶に新しい第224話(コールマインと共に)では、研究熱心さからくる観察眼が人間(シャドーからすれば「素体」)という存在への興味・関心へと繋がり、多少ではありますが村人たちを尊重するようになっていたのは特筆すべき出来事でしょう。
果ては、持ち前の野心と計画性と几帳面さが奇跡的な融合を起こし、寂れたコールマインを復興の入り口まで導いていました。
マリーローズに会ったことで計画半ばでエドワードは館へと戻ることになりましたが、盛大に送り出す住民たちが現れたことでエドワードの人望ぶりがこれでもかというくらいに描かれています。
こう書いていくと、何だかんだでエドワードは人の上に立つ才覚があるのだと、そう思わせられました。
ただ、そんなエドワードが嫌悪する人物がいます。
ライアンです。
二人の直接的なやりとりが初めて描かれたのは第45話「総評」でした。
当時エドワードは、ケイト達のお披露目の結果を報告するため偉大なるおじい様に謁見していましたが、「反乱分子」という言葉を持ち出したエドワードが気に喰わなかったのか、ライアンの鞭(煤で作った物)が炸裂しました。
また、偉大なるおじい様からお披露目の成果が認められてお褒めの言葉を貰っている途中だというのに、ライアンはそこに割り込んできて恫喝しています。
お披露目の最中もライアンの過激な性格は見受けられましたが、それが具体的な行動として現れたのが第45話だったということでしょう。
エピソードの終盤、エドワードの重鎮達に対する嫌悪感が描かれました。
そこには4人の重鎮たちがそれぞれシルエットで並べられていますが、「ふざけた連中」「クズども」と言われている中、ライアンだけは名指しされています。
第43話でも拍手するライアンを見たエドワードがホッとしたのを考えると、エドワードにとってライアンは、重鎮の中でも最も警戒すべき人物と見做されていたのではないでしょうか。
さて、そういった視点から今話を眺めていますと、ちょっと面白いことに気が付きました。
ライアン自身も、もしかしたらエドワードのことを結構気にしていたのではないかと思われるからです。
ただ、気にしていたとはいってもいい意味ではありません(当然か)
何と言いますか、ライアンのエドワードに対する台詞が、不良が舎弟(パシリ)に接する際の態度に似た感じがするんですよね。
特にマリーローズが現れた時の「知らねえ奴とつるんでんじゃねえよ!」は「えっ!気にするのそこ!?」ってなりましたし、あれだけあるわけないと言っていた「反乱分子」という言葉を持ち出した時は「なんだちゃんとエドワードの話聞いていたんじゃないか」と言いたくなりました。
思い返せば、ライアンはお披露目中にピアノを弾くエドワードを見て「ムカつくぜ」「演出が超かっけーじゃねえか」「あいつ俺(ライアン)に憧れているのか」と体震わせていましたが、こう書いていくとエドワードとライアンの関係はこれまで幾度となく描かれてきたことが分かります。
ジョセフ・ソフィ・ドロシーと比べてみてもその傾向は顕著ですね。
今回エドワードとライアンが衝突したのは偶然ではありましたが、いつかは訪れるであろう必然だったのかも知れません。
ところで、第237話で注目すべきは以下の三点でしょうか。
①アイリーンのすす能力の本当の実力
②ライアンの最も強い能力は「再生力」
③偉大なるおじい様についてのライアンの台詞
①のアイリーンのすす能力は読めば一目瞭然です。
コールマインでマリーローズに会った際(第225話)、アイリーンはすすバトを「貴女の内臓くらい簡単に引き摺り出せるわよ」と語っていましたが、遂にその能力がライアンを襲います。
結果、ライアンの身体は四肢バラバラに刻まれてすすバトの餌食となりました。
ドロシーのすす能力に似てはいますが、切れ味抜群のドロシーと比べますとアイリーンのすす能力の方が見た目のインパクトは上ですね。鳥葬さながらの光景はグロテスクの一言です。
しかし、これでライアン討伐成功とならないのが残念なところです。
首だけになっても喋り続け、肉片が意志を持ったかのようにまた一つにまとまって復活するライアン。
「いくら刻まれようと俺(ライアン)は何度だって再生できる」
②のこれこそが、ライアンのすす能力の真骨頂だったからです。
攻撃力が強みと見せかけておいて実は防御こそが最大の武器、といいますと「るろうに剣心」の原田左之助が思い浮かんできてしまうのですが、ライアンの場合もこれまでの描写から攻撃的な面ばかりが強調されていましたので、やはり今回の能力の開示には驚かせられましたね。
重鎮たちの描写が少なかった頃は、ライアンは攻撃的なすす能力で、ドロシーは精神系のすす能力かななんて考えていた時期もありましたが、ジョセフもドロシーもライアンも以前では考えられなかったようなすす能力を隠し持っていました。
となるとソフィのすす能力も俄然気になってきますが、多分彼女も悍ましいすす能力をお持ちなことでしょうね。
こうまで予想を覆されては、煤を舐めとるどころかシャドーを食い千切っていたとしてももう驚きはしますまい。此度のライアンの姿を見て、そう考えさせられました。
さて③についてですが、ソフィの頭を飛び越えて、偉大なるおじい様についての情報が出てきました。
ライアン曰く、「おじい様をぶん殴ってまでも危険を回避しなけりゃいけねえ場面もある」「俺はおじい様と対等な家族」だそうです。
ちょっと意外な感じがしますね。むしろ新たな疑問が生じました。
作中において「偉大なるおじい様」とは、「シャドー家を統率するシャドーハウスの王 私たち生き人形の生みの親 偉大なる創造主様」と呼称されるように、一般的にはシャドーハウスという館の絶対的な支配者です。
しかしこれまでの個々の描写を見ていきますと、超越的な意思を持つ絶対的な権力者ではないこともまた確かです。
特にジョゼフは、偉大なるおじい様について「一体化した存在なのかすら怪しい」「最後に発言をした者が同意を求めると受け入れる傾向にある」「ルールに基づく話ばかり」「本人の意思や目的は結局わからない」と述べています。
これらのジョゼフの台詞は第221話・第230話で明かされたものですが、それ以前から「偉大なるおじい様」とは重鎮たちの傀儡ではないか?、と考察される読者の方は多くいらっしゃいました。
第230話ラストでライアンが、「最後に発言した者が…」という偉大なるおじい様の特性を利用するかのように誘導していたシーンは、“「偉大なるおじい様」=重鎮たちの傀儡”という仮説を補強しつつあるように感じられました。
ところが、今話のライアンの発言を見ていくと様子が異なります。
「ぶん殴ってでも危険を回避」
「対等な家族」
エドワードと会話している都合上、「偉大なるおじい様」が存在しているという体裁を繕っていると考えることも可能ですが、個人的にライアンは噓をついていないように感じます。
もしライアンの言っていることが本当だとしたら、ジョゼフを除く3人の重鎮は「偉大なるおじい様」が時には間違った判断を下すことを承知の上で、それにも関わらずその存在を排除することなく共存しているということになります。
そして、上下関係ではなく対等な関係だということです。
これは従来考えられてきた「絶対的支配者」「傀儡」のいずれにも当てはまらない関係です。
ジョセフは例外として、第221話ではソフィ・ドロシー・ライアンの3人は偉大なるおじい様を護衛していると書かれていますが、これらをまとめますと
・重鎮たちは意見のやり取りに関しては偉大なるおじい様を特別視していない
・だからといって偉大なるおじい様を排除するようなことはしない
・それどころか固く護衛している
といったところでしょうか。
一言でいえば
“重鎮たちにとって偉大なるおじい様は崇拝対象ではないものの、必ず守らねばならない存在であり、2階以下の館の住人に対しては絶対的存在と信じ込ませることでシャドーハウスを統治している”
と言い換えることもできます。
これ、考えれば考えるほど、重鎮たちにとって偉大なるおじい様はいてもいなくても別にいいが、いないと困る事象が起こってしまうため仕方なく共存している風にしか思えません。
ここで思い出されるのが、第225話のマリーローズの「謎の体調不良」です。
詳細は第226話でローズマリーが語っています。
「マリーローズ様は…館を出てから時折発作が起きるようになりました」
「私のことをたまに忘れるんです」
もしも。
もしも仮に「シャドーはシャドーハウスを離れては生きられない」「偉大なるおじい様がいないとシャドーは存在できない」としたら、マリーローズがすす島から出ることもままならずなぜ体調不良になったのか説明が付きます。
それだけでなく、上で説明した重鎮たちの偉大なるおじい様への矛盾したように見える行動も納得できます。持ちつ持たれつの関係をライアンは「対等な家族」と表現したのでしょう。
偉大なるおじい様がいなければ生きることもままならないのだとすれば、考えようによってはやはりシャドーにとって偉大なるおじい様は絶対的な存在なのです。
今、エドワードとともにシャドーハウスへと舞い戻り、本当の自由を求めて闘うマリーローズ。
その答えは、目の前にいるライアンから語られるのかも知れません。
