皆様、本誌シャドーハウスの最新話をもうお読みになったでしょうか?

もちろん私は読みました。

電子書籍の更新を待ち侘びながら、公開日0:00になったところで早速購入して読みました。それどころか一度読んだだけでは飽き足らず、翌日以降も何回も何回も読み返しています。


なぜ今回のお話をそうまでして熱心に読んでいるのかと言いますと、此度のエピソードでは『シャドーハウスとは何か?』という根源的な問いだけではなく、新たな謎が出てきたからです。

これまでの謎は、ほとんどが『シャドーハウスとは何か?』という疑問に付随した物が多かったように思います。多くの読者が疑問に感じてきたことや、本ブログで取り上げられてきたことを抜き出してみても、結局突き詰めていけば『シャドーハウスとは何か?』という問いかけに行きつきます。

当然例外もありますが、それらの謎は大抵の場合、登場人物の行動の動機といった、物語の核心部分ではないケースがほとんどです。


しかし第102話のラストで明るみに出た謎は、それらとは全く性質の異なる「謎」でした。


これまでシャドーハウスという作品は多くの方を惹きつけてきましたが、理由の一つとして“魅力の多さ”が挙げられると思います。

綺麗な絵、緻密な背景、唯一無二の設定、続きの気になるストーリー、個性的なキャラクター、そして考察しがいのある伏線と謎。

それらが巧みに組み合わさったのがシャドーハウスの魅力です。

事実、連載記念日やアニメ化・重版といった朗報がある度に界隈では祝福の声が上がり、本編で意外性のある展開や不穏な空気が立ち込めるなどすると、SNSは歓喜・悲鳴で一層盛り上がりを見せます。

そんな風に、思わず声を上げ、語りたくなる作品。それこそがシャドーハウスなのです。


ところが、今回は今までと違う様相を見せました。

SNSや5chを見てみますと、実に多くの方々が本編の出来事を受けて「考察」を熱心にしているのです。また、私は端末の都合で見られないのですが、ヤンジャンアプリでも多くの方々が興味深いコメントをされているようです。


シャドーハウスは、これまで何度も申し上げてきたように考察しがいのある漫画です。今までだって、ストーリーの進行に伴って考察をする方は何人もいました。

しかし、連載以来シャドーハウスの感想を毎日のように読み漁っていますが、今回ほど多くの方々が考察をし始めるのは見たことがありません。こんな光景は初めてです。


読者の大半が思わず謎解きをしたくなったのは、誰もが知る人物が関係しています。

我らが主人公、エミリコです。


物語の最重要人物であるエミリコの「謎」がクローズアップされた第102話。

我々が「エミリコ」と呼ぶ少女は一体何者なのでしょうか?


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物語は、既視感のあるシーンから始まりました。


同期のシャドー達が話し合いをしている間に、夜の館を歩く生き人形達。

これは第62話のエミリコとショーンにそっくりです。
事実、エミリコはあの時見た夜空をまた見ようと階段を上がっていきました。

しかし、あの時と今回で違う点があります。

それはルウとリッキーとラムが一緒にいることです。

エミリコとショーンは第62話で、夜空を眺めながら「人間のときの記憶」を取り戻していました。特別な珈琲は一時的に記憶を消すことができても、感情まで消すことはできないのです。

そこでエミリコは、ルウやリッキー・ラムに星空を見て貰えば、人間だった頃の記憶を覚ますことができるのではないかと考えたのです。

加えて、「今度は五人で!!」と手を掲げて誓った言葉も思い出されていたことでしょう。エミリコはその誓いを果たさんと、いざ屋根の上へと躍り出ました。


ところが、そううまくいくはずがありません。

見上げた先は、雲で覆われどんよりとした空。これではエミリコが幾ら目が良くても星など見えるわけがありません。

ショーンも「日中も晴れていることの方が少ないよな」と言っていますので、完全にそのことを失念していたのでしょう。

余談ですが、石炭を大量に使用していた時代のロンドンは霧が頻繁に発生していたそうです。1950年代には濃度の高いスモッグにより大きな被害が出ました。

ということは、シャドーハウスもすす炭を使用していることから普段曇りがちなのかも知れません。作品の雰囲気づくりと言われればそれまでですが、科学的に見ても整合性はあります。

大気汚染解決のために、ジェレマイアの研究に期待したいところですね。


さて、話が逸れましたがエミリコ達はそれでも窓の外に出ました。ここまで来たのだからしょうがありません。屋根の縁から外を眺めます。


星の見えない暗い空。
「思い出」の欠片をまず掴んだのはリッキーでした。

夜風を頬に受けるルウの横顔を見て、何か思い出せそうだと語ります。ルウと目が合うと視線を外すリッキーですが、彼が言ったことは片思いの勘違いでないことが後ほど判明します。


振り返るルウの顔を見ると、照れ隠しからかルウに「人間って言われてどう思った?」と問いかけました。すす珈琲の洗脳のことも併せて、リッキーは最近考えていたことを一つ一つ具体的に語っていきます。
(これまた余談ですが、この時賛同するエミリコの表情は第80話5ページ目の表情と少し似てます。)


前回全く発言していなかったルイーズとルウ。
ここでルウは自分がどう考えているか口にしました。

「館への忠誠心はもうないかも」

これを聞きリッキーもエミリコもホッとします。良かったと胸を撫で下ろしました。

しかし同時に、ルウはまだ実感がないとも話します。やはりまだ状況が飲み込めていないようです。


遠目からそのやり取りを聞いていたショーンは、記憶の戻り方に個人差があることに言及すると、リッキーに何を思い出したか尋ねました。

普段喧嘩ばかりするこの二人ですが、流石に今回はそんなことはなくリッキーも真面目に返します。


リッキーが最初に思い出したのは、誰かに名前を呼ばれる記憶だったそうです。タイミング的には、朝の喜びの会の直後でしょう。あの時のリッキーはベットにへたり込みながら、自身の名前がパトリックだと呟いていました。

それを聞きエミリコも反応します。自分も「ケイト」と呼ばれた記憶が蘇ってきたと語りました。こちらは珈琲豆すり替え作戦の時のことです。


二人の会話を聞き、ショーンはやはり予想通りだったと合点がいったようです。

ここまで情報が揃えば十分です。ショーンは自身が「ジョン」だと気付いた、まさにあの時と全く一緒の場所で「お影様たちは俺たちの本名を名乗っている」と明かしました。

するとリッキーは、『ルウの本当の名前を最初に呼ぶのは俺だ!』という考えがあったかは定かではないですが(いやないか)、残りの二名の名を呼びました。

ラムの方を見て「シャーリー」
ルウの方を見て「ルイーズ」

エミリコは第62話で「ケイト」と呼ばれてしっくりこないと言っていました。
ショーンは確信したと言っていたものの、「ジョン」と呼ばれてエミリコ共々笑い転げていました。
リッキーは「パトリック」と呼ばれた記憶が戻ったものの、まだ断定には至っていません。


ところが、まだ実感が湧かないと言っていたルウが、なんと名前に関しては一番最初に感覚を取り戻します。

「懐かしい気がした」

それも、リッキーにそう呼ばれることが「懐かしい」と言うのです。

更にエミリコが列車に乗っていたことを思い出したと語ると、なんとここから一気に皆の記憶が戻ってきます。その様子は芋づる式と呼ぶべきものでした。


まず思い出したのは「すす列車」

エミリコの「列車」という単語からショーンがその言葉を思い出すと、リッキーと顔を合わせます。二人には同じ記憶があったのです。

「それだ!!」
「それが来るのを待ち焦がれていた」

「すす列車」とは第46話でドロシーとライアンが乗っていた汽車のことです。
ということは、これは村にいた時の記憶です。

更にショーンは、村から見ていた光景を「下からも同時に列車が現れる不思議な光景」と語ります。それはさながら、第92話で宙づりになったエミリコが見ていた記憶にそっくりです。

すると、残りの三人も徐々に記憶を呼び覚まします。

ラムの記憶に残る「湖」
リッキーの記憶に残る鏡のような「湖面」
ルウの記憶に残る「湖の側にある村」

ここにいる者たちが同じ記憶を共有しているということは、揃って同じ景色を見ていた、否、それどころか同じ場所にいたことを示しています。

ショーン達は徐々に昔見た景色を思い出すと、かつて自分達が住んでいた村の記憶をとうとう引きずり出しました。


「ミラーサイド」


山から下りてくるすす列車が、湖面に逆さに写る村。
それこそが、彼らがシャドーハウスに連れて来られる前にいた場所なのです。


ルウの語った「懐かしさ」の尻尾を掴んだ5人。

リッキーは嬉しそうに、ルウに元から知り合いだったんだと話し掛けます。

ショーンも、皆の顔をしっかりと見れば何か思い出すかも知れないと眼鏡を取り出します。久々の眼鏡ショーンです。一応冷静ではあるものの、何だか今回ばかりは年相応にはしゃいでいるように見えますね。ついでにエミリコへの「そんな顔だったのか」にツッコミを入れたい気分です。

しかし、この眼鏡ショーンのシーンはファンサービスではなく、これも重要な「思い出」の手掛かりでした。


読者の代わりに、ショーンに突っ込むリッキー。

私も目が悪いのでショーンの言い分は分かるのですが、リッキーはそれに反応することなく、ショーンの眼鏡姿を見るとこう話し掛けました。

「しっくりくるな」

隣でルウも同意します。どうやら、ショーンは村にいた時はこの格好だったようです。何だか秀才に見えますね。

もっとも、なぜか隙あらばリッキーに喧嘩を売る性格が災いしてか、屋根という危険な場所で二人は取っ組み合いをし始めてしまうのですが……。


ですが、禍を転じて福と為す。

二人が喧嘩するのを見てラムが口を開きました。


「よく二人は喧嘩して怒られてた…」「…学校…の先生に…」


その発言に食いついたのはリッキーです。なんとリッキー達は学校に通っていたというのです。

ラムは続けます。


読み書きのこと、ダンスの授業、マナー教室、湖での写生会……。


ラムの語る学校での日常生活を聞いて、これまた皆の記憶が戻ります。

ショーンの台詞から、彼が何故体力があるのかが伺えます。
リッキーの台詞から、エミリコとのお披露目の間の会話が思い起こされます。
ルウの台詞から、同じくお披露目の間でのルイーズの発言が思い出されます。

ここまでくれば、再び頭脳班のショーンのまとめです。結論係になりつつある彼が、これまでの自分達の行動と生活を振り返って、村の学校の目的に辿り着きました。


この「学校」とは、生き人形を養成するための教育施設なのです。


以前ブログで“エミリコの出自”という記事を上げた時に、コメント欄で「貢物の質を上げるため学校に通わせている可能性は高い」と仰っている方がいましたが、まさにその通りでした。

ドロシーとライアンが村を訪れた際、村人がシャドーハウスに感謝している描写がありましたが、それだけではなく積極的に子供達を館に送り込む教育機関があるとは驚きです。驚きを通り越して言葉も出ません。
(その土地を占領している占有者の所で働くために、地元の人間がわざわざ専門学校作って就職斡旋している、というのは我が国でも見受けられますが……。まあ政治問題になるので詳しくは書きません。他所の者が簡単に口出して良いことではないですし)


ただそんな難しいことはともかくとして、暫しの思い出話に花が咲きました。

ルウが授業が終わるとすぐ帰ってしまうとラムのことを思い出すと、リッキーもそうだったと同意します。ショーンも、村にいた頃とリッキーの髪型が違うことや、ルウが良く笑っていたことを思い出したようです。ルウもショーンが校長先生に勉強を褒められていたと語ります。

和気藹々とした雰囲気は、同窓会で盛り上がる様子とそっくりです。


しかし、先程学校のことについて詳細に記憶を思い出していたラムが沈黙しています。

幾ら引っ込み思案とはいえ少しくらいは会話に入っても良さそうなものですが、胸に手を当てたまま無言です。まるで何かを必死で思い出そうとしているかのようです。

そして一通り皆の思い出が甦ったところで、ショーンもラムと同じく、とある違和感に気付きました。


「エミリコのことが上手く思い出せない」


そう戸惑いを見せるショーン達4人の目の前には、これまた戸惑いを見せるエミリコの姿がありました。



「シャドーハウスってなんなのでしょうか?」

第21話で「考えないノート」にそう書いていたエミリコ。

アニメ放映前のPVもこの台詞で締め括られていました。これはシャドーハウスという作品のテーマと言っても良いでしょう。それを探すために、読者もこれまでケイトとエミリコと一緒に100話以上行動を共にしてきました。

これは読者側だけでなくソウマトウ先生も同じ認識だった筈です。
事実、第21話が公開された際に先生はツイッターで、
「このままただ辛く暗い話に向かうわけではないので読者の方にはエミリコと一緒に前向きにシャドーハウスのことを知っていってもらえるといいなと思います。」
と語っていました。

そうやって多くの謎がこれまで解かれてきたのです。


“お披露目”とは何か、
“シャドー”とは何か、
“生き人形”とは何か、
“すす能力”とは何か、
“一体化”とは何か、
“星つき”とは何か、
“大人”とは何か、
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物語の進行とともに、シャドーハウスという闇に包まれた館の『影』が徐々に明らかになっていきました。それは「お花畑」と呼ばれるエミリコの眩い光が暴いたと言っても過言ではありません。“連続登場記録、途切れる!”という記事でも書きましたが、それだけの力を持った少女がエミリコなのです。


しかし一転、そのエミリコこそが一番謎多き存在となりました。

館の謎が明るみに出るにつれて闇が薄れつつあった「シャドーハウス」ですが、その闇が照らし出されるのと反比例して主人公二人に差し込む闇が一層強くなっていたとは、この作品の構成には唸らざるをえません。


決して新章開幕や新展開といった分かりやすい区切りではないですが、この第102話は第44話と並ぶ、作品そのものの重大な転回点となりました。

光あるところには必ず影がある。

もしそれを意図した題名だとしたら、このシャドーハウスという作品はどれだけ奥深いのでしょうか。