下の画像は、バチカン宮殿にある「アテナイの学堂」という壁画です。

この作品はルネサンス期を代表する画家・ラファエロによって手掛けられました。
写真は2014年にイタリアに行った時に撮影したものですが、500年前の巨匠の傑作を目の前にすることができて、暫し立ちすくんだのを覚えています。
(友人に言われるまで気付かずにスルーするところでしたが…。)
私がこの壁画を見たかった理由は、「アテナイの学堂」はルネサンスを象徴する作品だからです。
14世紀のイタリアに端を発するルネサンスは、中世の欧州を長らく支配した封建主義を打ち破った出来事として知られています。「ルネサンス」の語源は「再生」「復活」を意味するフランス語ですが、その語句の通りルネサンス運動は古代ギリシアの思想哲学を拠り所としていました。
(物凄くざっくりとした説明です。もっと知りたい方は「科学の社会史-ルネサンスから20世紀まで」【著・古川安 氏】が詳しいのでお勧め。)
そんな時代に生まれたラファエロは、ルネサンスの申し子といえる存在です。
そして、その彼がローマの中心に残したのは、奇しくも古代ギリシアの科学者・哲学者が一堂に会した壁画「アテナイの学堂」でした。
向かって中心の左にいる人物がプラトン、右がアリストテレスです。
この壁画はキリスト教とギリシャ哲学の調和を表現していると言われていますが、現代の視点から見れば、ルネサンスの申し子がルネサンスの精神を象徴する作品を手掛けたことになります。何とも面白いものです。
ルネサンスの基調となったもう一つの思想に人文主義(humanitas)があります。
これは古代思想を復活させることで、キリスト教の膠着した教義から人間性の解放・復興・個我の自覚を図ろうとする運動です。
科学の発展には自由な思想と行動が不可欠であることは言うまでもありませんが、ルネサンスにおいては人間の思想と行動に自由がもたらされたことで、学芸や科学が発展しました。
この“humanitas”はのちの“ヒューマニズム”です。今では「人間の幸福追求」を意味する“ヒューマニズム”という概念も、ルネサンスがもたらした産物です。
さて、今回も話が逸れました。シャドーハウスに話を戻しましょう。
第131話では前回に引き続いて、科学研究の虜となったある一対が描かれています。
オリバーとオリーです。
とうとう自由を手に入れたと喜びを露わにしていた彼らは、前述のルネサンスの説明を鑑みれば、まさに生粋の研究者に相応しい態度でした。オリーの言う通り、館の教えを脱却したことで研究を邪魔するものは何一つなくなったのです。
しかし、不幸にもルネサンスとは大きく異なる点がありました。
残念ながら、彼らを支配していた思考は「人道主義」からほど遠い、人命をも省みない狂気だったからです。
洗脳さえ解けばこどもたちは仲間になってくれると信じていたケイトは、それを目の当たりにして絶句しました。

この作品はルネサンス期を代表する画家・ラファエロによって手掛けられました。
写真は2014年にイタリアに行った時に撮影したものですが、500年前の巨匠の傑作を目の前にすることができて、暫し立ちすくんだのを覚えています。
(友人に言われるまで気付かずにスルーするところでしたが…。)
私がこの壁画を見たかった理由は、「アテナイの学堂」はルネサンスを象徴する作品だからです。
14世紀のイタリアに端を発するルネサンスは、中世の欧州を長らく支配した封建主義を打ち破った出来事として知られています。「ルネサンス」の語源は「再生」「復活」を意味するフランス語ですが、その語句の通りルネサンス運動は古代ギリシアの思想哲学を拠り所としていました。
(物凄くざっくりとした説明です。もっと知りたい方は「科学の社会史-ルネサンスから20世紀まで」【著・古川安 氏】が詳しいのでお勧め。)
そんな時代に生まれたラファエロは、ルネサンスの申し子といえる存在です。
そして、その彼がローマの中心に残したのは、奇しくも古代ギリシアの科学者・哲学者が一堂に会した壁画「アテナイの学堂」でした。
向かって中心の左にいる人物がプラトン、右がアリストテレスです。
この壁画はキリスト教とギリシャ哲学の調和を表現していると言われていますが、現代の視点から見れば、ルネサンスの申し子がルネサンスの精神を象徴する作品を手掛けたことになります。何とも面白いものです。
ルネサンスの基調となったもう一つの思想に人文主義(humanitas)があります。
これは古代思想を復活させることで、キリスト教の膠着した教義から人間性の解放・復興・個我の自覚を図ろうとする運動です。
科学の発展には自由な思想と行動が不可欠であることは言うまでもありませんが、ルネサンスにおいては人間の思想と行動に自由がもたらされたことで、学芸や科学が発展しました。
この“humanitas”はのちの“ヒューマニズム”です。今では「人間の幸福追求」を意味する“ヒューマニズム”という概念も、ルネサンスがもたらした産物です。
さて、今回も話が逸れました。シャドーハウスに話を戻しましょう。
第131話では前回に引き続いて、科学研究の虜となったある一対が描かれています。
オリバーとオリーです。
とうとう自由を手に入れたと喜びを露わにしていた彼らは、前述のルネサンスの説明を鑑みれば、まさに生粋の研究者に相応しい態度でした。オリーの言う通り、館の教えを脱却したことで研究を邪魔するものは何一つなくなったのです。
しかし、不幸にもルネサンスとは大きく異なる点がありました。
残念ながら、彼らを支配していた思考は「人道主義」からほど遠い、人命をも省みない狂気だったからです。
洗脳さえ解けばこどもたちは仲間になってくれると信じていたケイトは、それを目の当たりにして絶句しました。
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今回のエピソードで大きく注目すべきは、次の二点かと思います。
一つは、一体化をも躊躇しないオリーの狂気。
二つ目は、ラストで反撃に出たエミリコです。
オリーが洗脳から抜けた経緯は予想とは違っていましたが、部分的には合っていました。やはり頭部の衝撃によって、人間であることを思い出したようです。
また、洗脳が解けた経緯を聞いてケイトは「シャドーハウスはおかしいとは思わないわけ!?」と声を荒げますが、オリーは第50話のショーンや第128話のミアのように豹変した様子はありません。
これらの描写から、オリーが完全に洗脳から解けたのは間違いないでしょう。まさか星つきのメンバーが、ケイトの目の前で堂々とそれを明言するとは思いませんでした。
それにしても、オリーがどこまでの記憶を取り戻したのかはっきりしませんが、ケイト達が訪ねるまでのほんの僅かの時間で生き人形は人間という仮説を足掛かりに「生き人形=攫ってきた人間」だと推理するとはお見事です。研究班のリーダーは伊達じゃありません。
ただ、洗脳が解けたのにシャドーハウスに疑問を抱かないオリバーとオリーは、ケイトにとって理解不能だったことでしょう。
第80話のラストに「目を覚ましてもらえばシャドーハウスの仲間になれるはず」というケイトのモノローグがありましたが、オリバーとオリーに限って言えば洗脳から解かない方がまだ良かったんじゃないかと思えます。
彼らの様子を見たケイトも「厄介すぎる…!」と絶句です。
そう言えばかなり以前の話になるのですが、本ブログのコメント欄にてマリーローズとアンソニーについて
「『アンソニーの洗脳を解いたのは間違いだったのか』というマリーローズの迷いは『何も知らない方が幸せだった』という意味だと思いましたが『洗脳を解いたアンソニーは危険だった』という意味なのかもしれません。」
(各話あらすじ記事「第85話 特別な珈琲」より)
とコメントされた方がいらっしゃいましたが、今回のオリーに関しては全くその通りに感じます。
第96話の喜びの会でもケイトとエミリコが珈琲豆をすり替えた結果、洗脳が解けたこどもたちが大騒ぎになっていましたが、もしかしたらあの時パニックになっていたとしても不思議ではありません。
洗脳を解けば仲間が増える、というケイトの考えは真っ当ではあるものの、人間というのはそんなに綺麗なものではありません。子供でもそれは同じです。
ミアが第128話で見せた本性もかなり屈折していましたが、場合によってはすす珈琲を飲んでいた状態の方が人間らしかった、というこどもがいてもおかしくないでしょう。
ケイトは良くも悪くも真っ直ぐ育ってきたきらいがありますので、そうした人間の悪意や禍々しい欲望といった現実に直面した時、果たしてうまく対応できるのかが心配になってきました。
ひとまずは、正論の通用しないオリーにケイトがどんな言葉を掛けるのかが楽しみです。
それとオリバーとオリーについてもう一つ気付いたことがあります。
考えてみれば当然なのですが、生き人形が洗脳されていなくてもシャドーは影響を受ける、ということです。
オリバーは一体化によってオリーを失う可能性があるとケイトから問われ、一瞬逡巡する様子が描かれました。ところが、オリーが一体化に躊躇しないと明言したのを見るとすぐに気を取り直しています。
これに近いやり取りとして、お披露目直後のステージで戸惑うジョンとパトリックがあります。
あの時ジョンもパトリックも洗脳された従者を見てこれで良いんだと思い直していましたが、そのやり取りを彷彿とさせたのが、今回のオリバーとオリーです。
洗脳解いた結果、事態はよりややこしくなりました。今後はこの件を踏まえ、ケイトには何か打開策を編み出して欲しいと願わずにはいられません。
第131話のもう一つの注目は、何と言ってもエミリコの反撃です!
これについては難しい講釈は要りませんね。
主人の危機を察知して瞬時に頭をフル回転させ、持ち前の身体能力で罠を抜け出しての反撃!
しかもこれ、両手の自由が効かない状態で最高の一発を見舞っています。それもオリーの顔も身体も避け、ハンマーだけを狙い撃ちしてです。
流石我らの主人公・エミリコです。
ハンデがなくなり、そして相手を気遣うことすらしなくなったらどれほど強いというのでしょうか。まだまだ強さを秘めたエミリコには、恐ろしさを通り超えて尊敬の念すら抱いてしまいます。
(というかヘッドギア付けて椅子ぶん回す金髪碧眼美少女なんて前代未聞…)
(エミリコ達あまりお洒落しないのでヘッドギア付けた姿もなんか新鮮で格好良い)
ところでツイッターやアプリのコメント欄を読んでいますと少々誤解が散見されますので、件のシーンについてちょっとだけ解説します。
誤解とは、エミリコがオリーのハンマー攻撃を利用して罠から抜け出す場面です。
このコマ、ハンマーがエミリコの脛や足枷に当たっているように見えますが、ハンマーが直撃したのはエミリコの脛でも足枷でもなく椅子の角材です!
エミリコが座っている椅子の脚には、床に近い部分に横木(「貫」といいます)があります。
エミリコの足枷の間にハンマーが直撃したことでその横木が割れ、衝撃で横木に付いていた足枷も外れた、という流れです。
いくらエミリコが「丈夫な生き人形」と言っても、振り下ろされたハンマーで脛打たれたら悶絶することでしょう。エミリコなら大丈夫な気がしないでもないですが、そうするとエミリコの過去にますます暗い境遇が浮かんでくるので考えをやめたいと思います。
(昔から頻繁に脛蹴られてるから平気なエミリコとか、サーカス以上に可哀想ですし)
さて、記事を書いている途中に気付いたのですが、最後にもう一つだけ注目したいシーンを紹介します。
それは、一体化を恐れないオリーと、ラストで反撃に転じたエミリコの表情です。
二人とも洗脳から解け、煤一つない瞳をこちらに向けています。
皮肉にも「人間性の解放」がもたらしたのは、オリーとエミリコ双方真逆の結果でした。
同じ行為が同じ結果をもたらさないと知ったら、きっとオリバーのことですから興味津々になることでしょう。もしかしたら他のこどもたちを巻き込んで新たな実験を始める可能性もあります。
ただ、どちらに輝かしい未来が待っているのかは歴史が証明しています。
それは自分の知識欲のためではなく、大切な人のために立ち上がった、humanitasを持つエミリコです。
ルネサンスが「人間性の解放」と「人道主義」を原動力としていたように、シャドーハウスの因習を振り払うのは、エミリコがこれまで見せてきた善性にかかっているのではないでしょうか。
SNSを見ていますと、ラストのエミリコの真っ直ぐな瞳に、驚くほど多くの方々が言及しています。
それは、私達が日々の暮らしの中で忘れかけている人間性をエミリコによって呼び覚まされ、それを貫き通す彼女に惹かれているからなのかも知れません。
今回のエピソードで大きく注目すべきは、次の二点かと思います。
一つは、一体化をも躊躇しないオリーの狂気。
二つ目は、ラストで反撃に出たエミリコです。
オリーが洗脳から抜けた経緯は予想とは違っていましたが、部分的には合っていました。やはり頭部の衝撃によって、人間であることを思い出したようです。
また、洗脳が解けた経緯を聞いてケイトは「シャドーハウスはおかしいとは思わないわけ!?」と声を荒げますが、オリーは第50話のショーンや第128話のミアのように豹変した様子はありません。
これらの描写から、オリーが完全に洗脳から解けたのは間違いないでしょう。まさか星つきのメンバーが、ケイトの目の前で堂々とそれを明言するとは思いませんでした。
それにしても、オリーがどこまでの記憶を取り戻したのかはっきりしませんが、ケイト達が訪ねるまでのほんの僅かの時間で生き人形は人間という仮説を足掛かりに「生き人形=攫ってきた人間」だと推理するとはお見事です。研究班のリーダーは伊達じゃありません。
ただ、洗脳が解けたのにシャドーハウスに疑問を抱かないオリバーとオリーは、ケイトにとって理解不能だったことでしょう。
第80話のラストに「目を覚ましてもらえばシャドーハウスの仲間になれるはず」というケイトのモノローグがありましたが、オリバーとオリーに限って言えば洗脳から解かない方がまだ良かったんじゃないかと思えます。
彼らの様子を見たケイトも「厄介すぎる…!」と絶句です。
そう言えばかなり以前の話になるのですが、本ブログのコメント欄にてマリーローズとアンソニーについて
「『アンソニーの洗脳を解いたのは間違いだったのか』というマリーローズの迷いは『何も知らない方が幸せだった』という意味だと思いましたが『洗脳を解いたアンソニーは危険だった』という意味なのかもしれません。」
(各話あらすじ記事「第85話 特別な珈琲」より)
とコメントされた方がいらっしゃいましたが、今回のオリーに関しては全くその通りに感じます。
第96話の喜びの会でもケイトとエミリコが珈琲豆をすり替えた結果、洗脳が解けたこどもたちが大騒ぎになっていましたが、もしかしたらあの時パニックになっていたとしても不思議ではありません。
洗脳を解けば仲間が増える、というケイトの考えは真っ当ではあるものの、人間というのはそんなに綺麗なものではありません。子供でもそれは同じです。
ミアが第128話で見せた本性もかなり屈折していましたが、場合によってはすす珈琲を飲んでいた状態の方が人間らしかった、というこどもがいてもおかしくないでしょう。
ケイトは良くも悪くも真っ直ぐ育ってきたきらいがありますので、そうした人間の悪意や禍々しい欲望といった現実に直面した時、果たしてうまく対応できるのかが心配になってきました。
ひとまずは、正論の通用しないオリーにケイトがどんな言葉を掛けるのかが楽しみです。
それとオリバーとオリーについてもう一つ気付いたことがあります。
考えてみれば当然なのですが、生き人形が洗脳されていなくてもシャドーは影響を受ける、ということです。
オリバーは一体化によってオリーを失う可能性があるとケイトから問われ、一瞬逡巡する様子が描かれました。ところが、オリーが一体化に躊躇しないと明言したのを見るとすぐに気を取り直しています。
これに近いやり取りとして、お披露目直後のステージで戸惑うジョンとパトリックがあります。
あの時ジョンもパトリックも洗脳された従者を見てこれで良いんだと思い直していましたが、そのやり取りを彷彿とさせたのが、今回のオリバーとオリーです。
洗脳解いた結果、事態はよりややこしくなりました。今後はこの件を踏まえ、ケイトには何か打開策を編み出して欲しいと願わずにはいられません。
第131話のもう一つの注目は、何と言ってもエミリコの反撃です!
これについては難しい講釈は要りませんね。
主人の危機を察知して瞬時に頭をフル回転させ、持ち前の身体能力で罠を抜け出しての反撃!
しかもこれ、両手の自由が効かない状態で最高の一発を見舞っています。それもオリーの顔も身体も避け、ハンマーだけを狙い撃ちしてです。
流石我らの主人公・エミリコです。
ハンデがなくなり、そして相手を気遣うことすらしなくなったらどれほど強いというのでしょうか。まだまだ強さを秘めたエミリコには、恐ろしさを通り超えて尊敬の念すら抱いてしまいます。
(というかヘッドギア付けて椅子ぶん回す金髪碧眼美少女なんて前代未聞…)
(エミリコ達あまりお洒落しないのでヘッドギア付けた姿もなんか新鮮で格好良い)
ところでツイッターやアプリのコメント欄を読んでいますと少々誤解が散見されますので、件のシーンについてちょっとだけ解説します。
誤解とは、エミリコがオリーのハンマー攻撃を利用して罠から抜け出す場面です。
このコマ、ハンマーがエミリコの脛や足枷に当たっているように見えますが、ハンマーが直撃したのはエミリコの脛でも足枷でもなく椅子の角材です!
エミリコが座っている椅子の脚には、床に近い部分に横木(「貫」といいます)があります。
エミリコの足枷の間にハンマーが直撃したことでその横木が割れ、衝撃で横木に付いていた足枷も外れた、という流れです。
いくらエミリコが「丈夫な生き人形」と言っても、振り下ろされたハンマーで脛打たれたら悶絶することでしょう。エミリコなら大丈夫な気がしないでもないですが、そうするとエミリコの過去にますます暗い境遇が浮かんでくるので考えをやめたいと思います。
(昔から頻繁に脛蹴られてるから平気なエミリコとか、サーカス以上に可哀想ですし)
さて、記事を書いている途中に気付いたのですが、最後にもう一つだけ注目したいシーンを紹介します。
それは、一体化を恐れないオリーと、ラストで反撃に転じたエミリコの表情です。
二人とも洗脳から解け、煤一つない瞳をこちらに向けています。
皮肉にも「人間性の解放」がもたらしたのは、オリーとエミリコ双方真逆の結果でした。
同じ行為が同じ結果をもたらさないと知ったら、きっとオリバーのことですから興味津々になることでしょう。もしかしたら他のこどもたちを巻き込んで新たな実験を始める可能性もあります。
ただ、どちらに輝かしい未来が待っているのかは歴史が証明しています。
それは自分の知識欲のためではなく、大切な人のために立ち上がった、humanitasを持つエミリコです。
ルネサンスが「人間性の解放」と「人道主義」を原動力としていたように、シャドーハウスの因習を振り払うのは、エミリコがこれまで見せてきた善性にかかっているのではないでしょうか。
SNSを見ていますと、ラストのエミリコの真っ直ぐな瞳に、驚くほど多くの方々が言及しています。
それは、私達が日々の暮らしの中で忘れかけている人間性をエミリコによって呼び覚まされ、それを貫き通す彼女に惹かれているからなのかも知れません。
