「顔」という言葉を知らぬ人はいないでしょう。
辞書を引くと、「頭部の前面部」「顔立ち・容貌・容姿」「おもて側」といった様々な意味を持ち合わせている語句です。
しかし、それらに共通するのは、その人物やモノを代表する部位だということです。
例えば「顔色を窺う」「顔に出る」「彼はイベントの顔だ」といった慣用句や言い回しを想像して頂ければ、「顔」という言葉が持つ意味合いの幅広さを実感できるかと思います。
さて、シャドーハウスにおいても「顔」という言葉が良く見受けられますね。
単行本第1巻でもケイトがしょっちゅう「顔」について言及しています。
第1話では「横顔」、第2話では「顔の替わり」、第5話では「私の“顔”」などなど……。
しかし、シャドーハウスにおける「顔」という言葉には、現実世界と全く異なる意味があります。
「顔」とは「生き人形」、つまりエミリコ達のようなシャドーの従者を指すからです。
作中において、このようなシャドーハウス独特の意味合いで「顔」という言葉が用いられた例は幾つもあります。例えば、第7話のサブタイトル「別の顔」は、劇中で登場したミアとバービーを婉曲に表した副題でした。
こんな風に通常とは異なる意味で用いられているのに、「顔」=「生き人形」だと読者が受け入れられたのは、第6話冒頭のエミリコのモノローグがあったからこそだと思います。まんまとソウマトウ先生の術中に嵌ってしまっていたわけですね。いやはや凄いです。
ところが、あのサブタイトルにはもっと深い意味があった、と思わせる出来事が此度描かれました。
もちろん、当時のサブタイトルを手掛けた担当者と現在の担当者の方は別人ですので、ただの偶然でしょう。
しかし、そんな偶然さえも作品の一部にしてしまうのがシャドーハウスという作品の力です。
今回のエピソードでは、第7話の「別の顔」が「笑顔」になるハートフルストーリーが紡がれました。
辞書を引くと、「頭部の前面部」「顔立ち・容貌・容姿」「おもて側」といった様々な意味を持ち合わせている語句です。
しかし、それらに共通するのは、その人物やモノを代表する部位だということです。
例えば「顔色を窺う」「顔に出る」「彼はイベントの顔だ」といった慣用句や言い回しを想像して頂ければ、「顔」という言葉が持つ意味合いの幅広さを実感できるかと思います。
さて、シャドーハウスにおいても「顔」という言葉が良く見受けられますね。
単行本第1巻でもケイトがしょっちゅう「顔」について言及しています。
第1話では「横顔」、第2話では「顔の替わり」、第5話では「私の“顔”」などなど……。
しかし、シャドーハウスにおける「顔」という言葉には、現実世界と全く異なる意味があります。
「顔」とは「生き人形」、つまりエミリコ達のようなシャドーの従者を指すからです。
作中において、このようなシャドーハウス独特の意味合いで「顔」という言葉が用いられた例は幾つもあります。例えば、第7話のサブタイトル「別の顔」は、劇中で登場したミアとバービーを婉曲に表した副題でした。
こんな風に通常とは異なる意味で用いられているのに、「顔」=「生き人形」だと読者が受け入れられたのは、第6話冒頭のエミリコのモノローグがあったからこそだと思います。まんまとソウマトウ先生の術中に嵌ってしまっていたわけですね。いやはや凄いです。
ところが、あのサブタイトルにはもっと深い意味があった、と思わせる出来事が此度描かれました。
もちろん、当時のサブタイトルを手掛けた担当者と現在の担当者の方は別人ですので、ただの偶然でしょう。
しかし、そんな偶然さえも作品の一部にしてしまうのがシャドーハウスという作品の力です。
今回のエピソードでは、第7話の「別の顔」が「笑顔」になるハートフルストーリーが紡がれました。
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さて、言いたいことはほぼ冒頭で書いてしまったのですが、とにかくあのバービーに笑顔が戻ってきましたよ!良かった!
第137話で涙を流していたバービー。
あの時のバービーは自身の不甲斐なさを嘆き、もはや「顔」として何もできない自分を「がらくた」だと断じていました。
特にその決定打となったのが、主人のバーバラが見せた「笑顔」です。
思い出せないほど遠い記憶となってしまった、最後に笑った日。
あの日の夜、悲しみに眠れないまま夜を過ごしたバービーには、いつの間にか朝日が照らしていました。
第137話公開当時、私はあの朝日を第12話や第74話、第114話と同じような希望の光と捉えていたので、此度のエピソードでバービーが少なからず救われたのを目にして感無量でした。
また、バーバラとバービーは、ケイトとエミリコを除くと初めて主従揃って登場したペアです。
ということは、彼女達は当初よりかなり重要なキャラクターだと示唆されていたわけですが、それだけではなく第7話の渡り廊下のシーンまでもが、バービーの心の移り変わりを表すこれ以上ない舞台になっておりました。
あの頃には想像もできなかった、バービーの「別の顔」
それを見たエミリコがどう思ったのか定かではないですが、もしも全てが終わって落ち着く日が来たら、是非とも思い出話として語って欲しいですね。
さて、エミリコとバービーしか知らない渡り廊下の秘密のやりとりですが、第52話では二人は会うことはありませんでした。
しかし、だからといって第52話が第151話と関係がないかと言えばそうではありません。
なぜなら第52話は「四対の星つき」、つまりバーバラ組だけではなく、ベンジャミン組・スザンナ組・オリバー組が掘り下げられていたからです。
今回のエピソードではエミリコの活躍が目立ちますが、もちろんバービーの仲間であるベン・スージー・オリーの働きも見逃せません。特に、エミリコと共に大笑いするベン・スージー・オリーの姿は、彼らのバービーへの思いが伝わってきてとても感動しました。
ともあれば、バービーへの不器用で見え透いた気遣いのように見えるシーンではありますが、それが故に三人がどうにかバービーに元気になって欲しい。そんな気持ちが伝わってくるような場面に思えたからです。
その彼らの想いは、エミリコがバービーの笑顔が見たいと言い放った直後の沈黙ののちに、代わる代わるバービーへ語り掛けた一つ一つの台詞が何よりも物語っています。マリーローズとローズマリーが手に入れられなかった「仲間の価値」を、ようやくバービー(そしてバーバラも)は手に入れられたのかも知れませんね。
ただ、そうは言ってもバービーがかつてのような無垢な性格に戻れるかというと、そうではありません。無理と言っても過言ではありません。
過去のように笑うには、彼女は傷を負い過ぎているからです。消えない傷、癒えない傷、様々な傷が彼女を蝕んでいることは覆せない事実です。あまりに多くの出来事が彼女、いや彼女達を苦しめてきました。
でも、それの答えは出ていますね。
「必要なのは今のバービーの笑顔」
このエミリコの台詞が何よりでしょう。
いきなり満面の笑顔にならなくても良いんです。急に天真爛漫に振舞わなくても良いのです。傷ついた時間だけ、それを癒す時間が彼女には与えられるべきなのですから。
今回の渡り廊下のシーンは、7話と52話と違い地面がすっきりと見えています。
暗い靄が払われていて、まるでバービーの心情を表しているかのようです。
逆に、空は今までと同じく、厚い雲に覆われています。
彼女達が犯した過ちが、まだ償われていないのを示しているかのようです。
バービーの進む道は、まだまだ困難が待ち受けています。
しかし前髪で隠された彼女の笑顔が見られる日は、暗鬱とした空ではなく、晴れ渡る太陽の下だったらいいなあと、そんなことを願いたくなるようなエピソードでした。
さて、言いたいことはほぼ冒頭で書いてしまったのですが、とにかくあのバービーに笑顔が戻ってきましたよ!良かった!
第137話で涙を流していたバービー。
あの時のバービーは自身の不甲斐なさを嘆き、もはや「顔」として何もできない自分を「がらくた」だと断じていました。
特にその決定打となったのが、主人のバーバラが見せた「笑顔」です。
思い出せないほど遠い記憶となってしまった、最後に笑った日。
あの日の夜、悲しみに眠れないまま夜を過ごしたバービーには、いつの間にか朝日が照らしていました。
第137話公開当時、私はあの朝日を第12話や第74話、第114話と同じような希望の光と捉えていたので、此度のエピソードでバービーが少なからず救われたのを目にして感無量でした。
また、バーバラとバービーは、ケイトとエミリコを除くと初めて主従揃って登場したペアです。
ということは、彼女達は当初よりかなり重要なキャラクターだと示唆されていたわけですが、それだけではなく第7話の渡り廊下のシーンまでもが、バービーの心の移り変わりを表すこれ以上ない舞台になっておりました。
あの頃には想像もできなかった、バービーの「別の顔」
それを見たエミリコがどう思ったのか定かではないですが、もしも全てが終わって落ち着く日が来たら、是非とも思い出話として語って欲しいですね。
さて、エミリコとバービーしか知らない渡り廊下の秘密のやりとりですが、第52話では二人は会うことはありませんでした。
しかし、だからといって第52話が第151話と関係がないかと言えばそうではありません。
なぜなら第52話は「四対の星つき」、つまりバーバラ組だけではなく、ベンジャミン組・スザンナ組・オリバー組が掘り下げられていたからです。
今回のエピソードではエミリコの活躍が目立ちますが、もちろんバービーの仲間であるベン・スージー・オリーの働きも見逃せません。特に、エミリコと共に大笑いするベン・スージー・オリーの姿は、彼らのバービーへの思いが伝わってきてとても感動しました。
ともあれば、バービーへの不器用で見え透いた気遣いのように見えるシーンではありますが、それが故に三人がどうにかバービーに元気になって欲しい。そんな気持ちが伝わってくるような場面に思えたからです。
その彼らの想いは、エミリコがバービーの笑顔が見たいと言い放った直後の沈黙ののちに、代わる代わるバービーへ語り掛けた一つ一つの台詞が何よりも物語っています。マリーローズとローズマリーが手に入れられなかった「仲間の価値」を、ようやくバービー(そしてバーバラも)は手に入れられたのかも知れませんね。
ただ、そうは言ってもバービーがかつてのような無垢な性格に戻れるかというと、そうではありません。無理と言っても過言ではありません。
過去のように笑うには、彼女は傷を負い過ぎているからです。消えない傷、癒えない傷、様々な傷が彼女を蝕んでいることは覆せない事実です。あまりに多くの出来事が彼女、いや彼女達を苦しめてきました。
でも、それの答えは出ていますね。
「必要なのは今のバービーの笑顔」
このエミリコの台詞が何よりでしょう。
いきなり満面の笑顔にならなくても良いんです。急に天真爛漫に振舞わなくても良いのです。傷ついた時間だけ、それを癒す時間が彼女には与えられるべきなのですから。
今回の渡り廊下のシーンは、7話と52話と違い地面がすっきりと見えています。
暗い靄が払われていて、まるでバービーの心情を表しているかのようです。
逆に、空は今までと同じく、厚い雲に覆われています。
彼女達が犯した過ちが、まだ償われていないのを示しているかのようです。
バービーの進む道は、まだまだ困難が待ち受けています。
しかし前髪で隠された彼女の笑顔が見られる日は、暗鬱とした空ではなく、晴れ渡る太陽の下だったらいいなあと、そんなことを願いたくなるようなエピソードでした。
