只今、桜前線が絶賛北上中ですね!

今年のサクラの開花は例年よりもずっと早く、関東地方では3月半ばには満開になっておりました。しかもその後の空模様が芳しくなかったせいか、結構長く咲いていましたね。なんだか少し得した気分でした。

今現在は東北地方に入ったところでしょうか。東北地方も関東と同じく、桜の開花は例年よりも早いようです。有名な弘前公園だと、今月の10日頃に咲くと予測されていました。

実は私、毎年東北に行っておりますので、今は桜の状態を見極めながら旅行の日程を立てているところです。今年はどんな景色が待っているのだろうと、今から楽しみで仕方ありません。


さて、花と言いますとシャドーハウスには花に関係したキャラクターが非常に多いです。

代表的なのは、バラ・ガーベラ・アザミですね。これはケイト・ルイーズ・サラのシンボルです。これ以外にも、ベンジャミン・オリバー(≒オリーブ)もそうです。彼らの名前も植物から取られています。


また、実物のお花ももちろん出てきます。

最も読者の中で取り上げられるのは、ラッパスイセンでしょうか。あの花は、パトリックとエミリコの関係性の象徴として作品内外で話題になることが多いです。その花言葉を調べてみて悶絶した方も多いかと思います。


そして、今回のエピソード。

此度のお話には、花の名を持つ少女が描かれました。

本話の主役はマーガレットです。
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既に今回のエピソードをお読みになった方が多いかと存じますが、恐らくマーガレットの歪んだ性格に辟易したという向きが多いのではないでしょうか?

アプリコメント欄やSNSを覗いてみてもそういった感想が多く見受けられます。


引っ込み思案で自信がないように見えて、その実プライドの高さと自己中心的な思考が見え隠れする……


マーガレットについて、第160話を読んでそういった印象を抱いたという声は珍しくありませんでした。


確かに、無理もありません。

ピーターについてもイザベルミラベルについても、マーガレットはピーターや双子が我儘なせいで裏切られてばかり、と相手の事情を考慮せず一方的に不満を貯めてしまっているからです。


ピーターについては仲良くしていたのに班行動を優先されてしまった、イザベルミラベルについては班行動をせず星つき(多分スザンナでしょう)に媚びを売り始めた、とやや理解できる部分はあります。

ですが班行動を優先するというピーターの行動は館の掟からすれば真っ当な考えですし、イザベルミラベルの「泥だらけじゃない!」という台詞も、服を重視するシャドーハウスのルールを鑑みれば彼女達に非はありません。それどころか第1話でケイトが、お披露目でエドワードが言っていたようにシャドーにとって「服」は重要なアイテムです。

にも関わらず、何かにつけて「可哀想な私」「与えられた環境が悪い」と溢してばかりでは他者から共感など得られようはずもありません。ケイトやエミリコを見習えとは言いませんが(むしろこの二人はアグレッシブすぎる)、もう少し相手の視点に立って、それができないなら自分の行動を俯瞰して見て欲しかったというのが率直な感想であります。


ただ。

マーガレットがこういう思考に陥ってしまった理由も何だか分かる気もするのです。


自分語りになりますが、私が小学校の頃のクラスには「植物係」(動物はいなかったので飼育委員ではない)というのがあって、私がその係でした。

ですが学級委員とか掲示係(教室の掲示板にお知らせや作品を貼る係)といった目立つ仕事や人数の多い係と違って、地味さは否めません。しかもほとんどの場合「植物係」は花瓶の水の入れ替えをするだけですのでクラスに一人しかいませんでした。

要するに、扱いが非常に軽かったのです。


で、長い文章をしょっちゅう綴っているので本ブログをご覧の方も察しているかと存じますが、子供の頃の私は本ばかり読んでいました。あまり他人と関わっていなかったのが手に取るように分かるでしょう。

存在感の薄さといったらそれはとてつもなかったと思います。


結果、あまり良い思い出はありません。


自分の育てていた花が咲いた時やそれを褒められた時はもちろん嬉しかったですが、花瓶を倒されたり植木鉢をひっくり返されたりといったことは多々ありましたし、小学生のやることですから誰も気には留めません。稀に教師がそれを怒ったとしても当人たちにとっては重要性は低いものですから、自分達のやったことについてピンときていない感はありありと伝わってきましたし、それどころが自分達がそうした行為を行った自覚すらないのではないかと感じておりました。大人になってから知りましたが、案外こうしたケースは世の中に多いそうです。


そうした私の記憶を辿ってみると、今回のマーガレットに関しては共感できる部分が多いんですよね。


まず最初のピーターに関しては、確かにこんな風に自分のやっていることに関心を持ってくれるクラスメイトもいるものです。マーガレットの場合それは同期でした。彼女にとってそれは嬉しかったことでしょう。

でもそういったクラスメイトも、結局は他に楽しいことや関心を持ったものができるとあっさりと離れていきます。意地悪な見解ではありますが、地味な人間と関わっていると同類に見られる、といった意識もあったことでしょう。ピーターも班行動を優先したのは班員といる方が楽しかったり、或いは男なのに花を愛でているのを揶揄われたりといったこともあったかも知れません。ましてや彼らはまだこどもですから、マーガレットと一緒にいるのを揶揄されたことも想像に難しくないです。

ピーターからもう温室にはいかないと告げられたマーガレット(というかマギー)は口をあんぐりと開けて呆然としていますが、この時のマーガレットの気持ちは十分過ぎるほど分かります。

こういう態度を取られると「あれ?友達だと思ったのに違ったのかな?」とか「面白いと言ってくれてたあれは何だったの?」という気持ちになるものです。そうして呆気にとられたのがマギーのあの表情だったのではないでしょうか。そんな気がしてなりません。


イザベルとミラベルについては、これは客観的に見ればイザベルとミラベルの発言が正しいです。そりゃ泥だらけでいたら注意はされるでしょう。それに2対とも当時は班長という立場でもありました。

でもご理解いただけないとは思いますが、マーガレットにとっては花を育てることは普通のことで、『泥だらけなんてとんでもない』『ちょっと汚れてるだけじゃない』みたいな考えでいたのではないかと推測しています。彼女からすれば、そこまで拒絶しなくても良いじゃないかと思っていたのではないでしょうか?

すると、恐らくはこういったやりとりは一度や二度ではなかったでしょう。その度にマーガレットは、班長達は自分のことを認めない上に無視するようになった、と思い込んだ可能性は高いですし、イザベルミラベルからしたらそんな班員に関わるよりは星つき(面倒見のいいスザンナ)と行動しよう、となったのではないかと考えます。

すれ違い・ボタンのかけ間違えどころではなく、自分達の考えの前提となる日常に対する認識が違っているのですから、理解し合えというのも難しいでしょう。十代前半の彼女にとって、心を閉ざすのにそう時間は掛からなかったに違いありません。


こうなってしまうと、あとは疑心暗鬼です。

途中でリンジーが声を掛けてくれているシーンがありますが、そんな風に気にかけてくれる子がいたとしてもその場その時だけの気まぐれってよくあるものです。実際に私も、花の世話をしていた時に興味深そうに声を掛けるクラスメイトもいはしましたが、大抵はそれだけで終わります。次の瞬間には他の友達と一緒に楽しそうに離れていき、所詮は暇つぶしだったかと気付かされるばかりでした。

マーガレットもそんなことが何度も続いていたのかも知れません。彼女の「裏切られる」という台詞はいささか大袈裟ではありますが、ここで心開いたところでしょうもない、くらいの感覚は正直私も身に覚えがあります。多分リンジーは心からの親切心(というよりは普通のコミュニケーションとして)で話掛けたでしょうけども、それが鬱陶しいと避けてしまうマーガレットに過去の自分を重ねてしまいました。


ただ、ここまでマーガレットに共感できると語っておきながら梯子を外すようですが、一点だけマーガレットについて残念だなあと思うことがあります。

それは花を愛でることに執心し過ぎて“「花が好き」=「心が綺麗」”という図式を神聖化してしまったところです。

それによって、自分に仲間ができない理由を「心が汚いから」という風に正当化してしまった上に、恐らくはマーガレット個人の性格として秘めていたシンデレラコンプレックス(白馬の王子様症候群)が肥大したことで、やがて「心の汚い」こどもたちへの怨嗟+パトリックに対する執着へと至り、そして今回のような事件へと発展してしまった、と私は解釈しています。


恐らく世の中の大多数の方は、上で私が書いたような見解には与せず違う見方をしていることは承知です。でも個人的にマーガレットに感情移入してしまった私からすると、こうなる前にどうすれば良かったのかと問われると、どうしたら良かったのか全く答えが出ません。ただただ諦観するばかりです。

敢えて言えば、マーガレットの性格がルイーズみたいだったら良かったのかなあ…。

例えば「みてみてっ私(マーガレット)の育てたお花とっても綺麗じゃないっ?」とか『私(マーガレット)の育てたお花こそが誰もが憧れる美しいお花よっ!』とか『こどもたちはみんな変わり者ばっかりっお花のこと好きにならないなんてっ』ぐらいの自己肯定感があれば違ったのかもですね。いや、これじゃマーガレットじゃなくてハイビスカスになっちゃうよ……。


さて、マーガレットの心中について一定の目途が付きましたので私の自分語りはここまでにしましょう。

ストーリーに戻りますが、マーガレットの言動を見てみると、今回のすす能力の暴走については見た目とは違いあまり深刻ではないような気がしています。どちらかというと、嫉妬や怨嗟というよりは、パトリックが心配という風に感じ取れるからです。そうしたマーガレットの懸念さえ払拭できれば、彼女の暴走は止むのではないかと思いました。


そして、一点だけ考察すると、すす能力の発現(覚醒・開花)の条件は『自我の芽生え』ではないかと推測しました。

以前に「怪しい動体『こびりつき』の考察」という記事で、すす能力の開花条件として「感情のコントロール」と書きましたが、此度のマーガレットの様子を見る限りですと、パトリックを守りたいがための事態と見受けられるからです。


ということは、以前にエミリコに会った時、そして今回のラストでマーガレットの恋心に気付いたパトリックのハート型の煤(もしかしたら花びらの可能性もあります)は、やはりすす能力なのかも知れません。なぜならエミリコへの恋心、そしてマーガレットを思いやるという行為は、パトリックの自我がなくては成り立たない感情と行動だからです。


恋する影男児と影乙女。

花々と共に温室にて育まれた二人の幼い自我は、決して交わることのない淡く切ない哀恋です。

パトリックはマーガレットに対し、そして自分自身の恋心に対してどう向き合っていくのか。

すす能力ではなく、パトリックという一人の存在としての能力が今試されようとしています。