先々週、日本漫画史が大きく動きました。
今年度の文化勲章受章者に、ちばてつや氏が漫画家として初めて選ばれたのです。
漫画文化は昭和から平成にかけて発展を遂げてきましたが、かつては「漫画害悪論」とでも呼ぶべき偏見によって、芸術として認められない時期も多くありました。
それ故、娯楽として評価された後でさえも「文化」「芸術」とみなされず、市民権を得た今もなお、他の芸術分野と比較して軽く扱われるケースもしばしば見受けられます。
しかしながら、これまでの長い歴史の中で、表現技術を確立し大きな評価を受けた漫画家は数多くいました。
昭和の漫画家達に大きな影響を与えた田河水泡、漫画の神様・手塚治虫、「天才」藤子・F・不二雄、漫画の帝王・石ノ森章太郎、ギャグ漫画の王様・赤塚不二夫、アシスタント制度の先駆者・さいとうたかを、永遠のヒーローの生みの親・やなせたかし、妖怪と人間の架け橋・水木しげる、世界のレジェンド・鳥山明…………
このほかにも、社会や世界に大きく貢献した漫画家はいくらでもいます。しかしこれらの巨匠が、文化人にとって最大の栄誉である「文化勲章」を与えられることはありませんでした。我が国の文化の発展に大きく寄与したのは間違いないというのに、その功績が認められるまでに多大な時間を要したのです。
それだけに、此度のニュースは格別でした。
ちばてつや氏は文化勲章受賞について「全ての漫画家たちの創作活動に対してご評価をいただいたのだと、とても嬉しく、誇らしく思います」とコメントされていましたが、それは単なる謙遜ではなく、漫画という娯楽を「文化」と呼ばれる水準まで押し上げたこれまでの漫画家の姿を見てきたからこそでしょう。改めて、此度の出来事が画期的だったと感じますね。
さて、というわけで、ちばてつや氏の代表作「あしたのジョー」のモデルになった山谷に行ってまいりました!


恥ずかしながら「あしたのジョー」を読んだことがないのですが、そんな私でも主人公の名前や、ジョーが真っ白に燃え尽きたシーンくらいは知っています。むしろ日本人のほとんどが知っていると言っても過言ではないでしょう。
南千住からほど近い山谷は、現在では綺麗に整備され普通の下町といった風情ですが、それでも所々に古い簡易宿泊所や銭湯などが見受けられました。「ドヤ街」と言われていた頃の名残は僅かでも、「泪橋」の交差点やジョーの像がこれからも、高度経済成長期という時代を語り継いでいくのだろうと思いました。
ところで「あしたのジョー」といえばボクシング漫画ですが、シャドーハウスにもパンチを得意技とするシャドーがいます。
言わずもがな、ジョンのことです。
彼が通称(?)「ジョンパンチ」を披露したことは何回もありますが、第51話ではすす能力ではなくただの殴り合いをするなど、実に個性的なシャドーです。そういえば当時のニコニコ静画では「あしたのジョン」なんていうコメントもありました。拳で語る熱き漢、それこそがジョンです。
今回のエピソードでは、暫く見せ場の少なかったジョンが元気な姿を見せてくれました。
しかし、こどもたちの棟に復帰したジョンが目にしたのは、「勲章」によって正気を失いつつあるこどもたちの姿でした。
今年度の文化勲章受章者に、ちばてつや氏が漫画家として初めて選ばれたのです。
漫画文化は昭和から平成にかけて発展を遂げてきましたが、かつては「漫画害悪論」とでも呼ぶべき偏見によって、芸術として認められない時期も多くありました。
それ故、娯楽として評価された後でさえも「文化」「芸術」とみなされず、市民権を得た今もなお、他の芸術分野と比較して軽く扱われるケースもしばしば見受けられます。
しかしながら、これまでの長い歴史の中で、表現技術を確立し大きな評価を受けた漫画家は数多くいました。
昭和の漫画家達に大きな影響を与えた田河水泡、漫画の神様・手塚治虫、「天才」藤子・F・不二雄、漫画の帝王・石ノ森章太郎、ギャグ漫画の王様・赤塚不二夫、アシスタント制度の先駆者・さいとうたかを、永遠のヒーローの生みの親・やなせたかし、妖怪と人間の架け橋・水木しげる、世界のレジェンド・鳥山明…………
このほかにも、社会や世界に大きく貢献した漫画家はいくらでもいます。しかしこれらの巨匠が、文化人にとって最大の栄誉である「文化勲章」を与えられることはありませんでした。我が国の文化の発展に大きく寄与したのは間違いないというのに、その功績が認められるまでに多大な時間を要したのです。
それだけに、此度のニュースは格別でした。
ちばてつや氏は文化勲章受賞について「全ての漫画家たちの創作活動に対してご評価をいただいたのだと、とても嬉しく、誇らしく思います」とコメントされていましたが、それは単なる謙遜ではなく、漫画という娯楽を「文化」と呼ばれる水準まで押し上げたこれまでの漫画家の姿を見てきたからこそでしょう。改めて、此度の出来事が画期的だったと感じますね。
さて、というわけで、ちばてつや氏の代表作「あしたのジョー」のモデルになった山谷に行ってまいりました!


恥ずかしながら「あしたのジョー」を読んだことがないのですが、そんな私でも主人公の名前や、ジョーが真っ白に燃え尽きたシーンくらいは知っています。むしろ日本人のほとんどが知っていると言っても過言ではないでしょう。
南千住からほど近い山谷は、現在では綺麗に整備され普通の下町といった風情ですが、それでも所々に古い簡易宿泊所や銭湯などが見受けられました。「ドヤ街」と言われていた頃の名残は僅かでも、「泪橋」の交差点やジョーの像がこれからも、高度経済成長期という時代を語り継いでいくのだろうと思いました。
ところで「あしたのジョー」といえばボクシング漫画ですが、シャドーハウスにもパンチを得意技とするシャドーがいます。
言わずもがな、ジョンのことです。
彼が通称(?)「ジョンパンチ」を披露したことは何回もありますが、第51話ではすす能力ではなくただの殴り合いをするなど、実に個性的なシャドーです。そういえば当時のニコニコ静画では「あしたのジョン」なんていうコメントもありました。拳で語る熱き漢、それこそがジョンです。
今回のエピソードでは、暫く見せ場の少なかったジョンが元気な姿を見せてくれました。
しかし、こどもたちの棟に復帰したジョンが目にしたのは、「勲章」によって正気を失いつつあるこどもたちの姿でした。
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今回のエピソードは、エヴリン視点で語られました。
無能力者狩りや煤ツタ事件など、ケイトが星つきになる直前から見せ場の増えつつあったエヴリンですが、星つきに任命されて以降はさらに登場頻度が上がってきましたね。
そういえば8月のピクシブFANBOXにて、シャドーハウスの担当者が変わったとソウマトウ先生が明かしておられましたが、先代の担当者の方はどちらかと言うとスピーディーな展開を好むと以前仰っていたことを思い出しました。
それもあってここ最近は様々な種明かしの連続で物語が大きく動いておりましたが、もしかしたらそういった展開から、今回のように各々のキャラクターを掘り下げる方向に変わっていくのかも知れませんね。
5代目の担当者の方は新入社員とのことで、シャドーハウスをどのように引っ張っていくのか未知数でありますが期待してます!(2代目の方も当時新入社員でしたね)(読者の勝手な要望ですが個人アカウントまだ持っていらっしゃらないなら公式アカウントの再稼働お願いします!)
さて、これまで何度も活躍していたエヴリン。
しかしそれはあくまで救護班として、星つきとしての外面であって、内面が語られることはほとんどありませんでした。無能力者狩りの際にギルバード絡みで二回ほど見せたのが、彼女の数少ない内面が語られた場面だったかと思います。(ジョンと決闘していると聞いて「どうして…!」と言っていたシーンと、ギルバートに平手をお見舞いした一連のシーン)
ですから今回、エヴリンが何をどのように考えて行動しているのかが分かり興味深かったです。
例えば、冒頭でジョンから「救護班も忙しそう」と言われても「使命ですから」と答え、ジョンが現在のこどもたちの棟を「ギスギスして嫌だ!」と言うと「そういうことは言ってもいけませんよ」と答えているシーンは、これまでと同様にエヴリンの生真面目な性格がよく表れていました。その際に頭の中で「クリストファー様の教育は正しい」と言っていることからも、彼女が環境の変化にうまく適応していることがよく分かります。
そういえば第143話でロレッタとエリザベスは「能率重視で任務を果たす 裏を返せば冷たくも見える」「ドライな班…」と救護班について語っていました。そう考えると、今回のエヴリンもこれまでと同様、粛々と仕事に励んでいるのが見て取れます。
しかしその反面、ジョンが全快し元気いっぱいな様子を見て「ふふっ」と小さく笑っているシーンは、これまでのエヴリンには見られなかった姿でもありました。
上述のロレッタとエリザベスの会話で「ドライ」と言われていた救護班は、第63話ではこどもたちの招集係だったり、ギルバートのように棟の秩序を守るために重荷を背負っていたりするなど、確かにシビアな面が強調されたグループでした。(逆に言うと研究班が自由奔放すぎる)
ですが、ジョンを見てほほ笑むエヴリンからは、彼女が救護班としてこどもたちの健康を願っていることがよく伝わってきました。
ここでアニメの話を持ち出すのは唐突ですが、そういえば一期最終回ではスザンナを筆頭に和気藹々とする救護班の姿が描かれていました。救護班という任務を遂行する上で堅苦しいのは必要な要素ですが、それでもそんな彼ら彼女らの本質は、健やかなこどもたちの生活を誰よりも望む、そんな心優しい少年少女なのでしょうね。(そうするとアイリーンのこども時代ってどんなだったんだろう……)
ただ、それがゆえに今回のエピソードは非常に重苦しいものでした。
ニコラスが命を落としたからです。
ニコラスといえば第59話でケイトに話しかけたシャドーです。あの時彼は、第二次亡霊事件で大活躍したエミリコのことを褒めていてくれました。
班長のロバートから「“生き人形”の仕事を話題にするな」とたしなめられていたものの、その様子を見たケイトはのちに「洗脳が薄れていたんじゃないかしら」と考え、ルイーズとパトリックの洗脳もどうにかして解きたいと思案しています。ある意味、ケイトのその後の動きに影響を与えた存在だったのです。
しかし、そんな彼が帰らぬ人となりました。
直接的な原因は栄養失調。または極度の衰弱でしょうか。ただそれは他者が介在したものではなく、誰かに強要された結果でもない、事故の類です。ニコラス自身が、自らの手で寿命を縮めたのが大きな理由でした。
これについては既に本編を読んだ方はもう把握してらっしゃるでしょう。
そう、またもやアンソニーの策略です。
アンソニーは「勲章制度」なるものをこどもたちの棟に導入し、なんとこどもたちにすす能力を競わせ始めたというのです。
前回の記事での悪い予感が当たり非常に重苦しい気分になりました。こどもたちにすす能力の開陳をしたトマスが処罰されたというのに、アンソニーはいとも簡単にこどもたちの棟にすす能力を普及させ、しかも公に競争させ始めたのです。トマスの行動がアンソニーの計算かは不明ですが、少なくともこどもたちの間ですす能力がタブーでなくなったという状況を活用したのは間違いないでしょう。
エヴリン曰く、大人に対抗するためにこどもたちのすす能力を鍛え始めたということですが、まるでクリストファー、もといアンソニーの私兵を育成しているかのような光景に、ジョンではないですが違和感を覚えて仕方ありませんでした。
さて、ところでなぜそれによってニコラスが命を落とさねばならなかったのかと言いますと、すす能力の向上を主な目的とした「勲章」の授与によって、こどもたちが我先にと成果を競ったからです。
つまりは、トマスのすす能力開陳により生じ、ケイトの星つき就任によって沈静化した「こどもの中に明確な格差が出来る問題」(第120話)が、アンソニーによってより過激化してしまったのです。
第120話でのケイトの懸念は、無能力者狩りを経てすすツタ事件という最悪の結果を以って現実となってしまいましたが、今度は競争の激化によって無理が祟った結果、無能力者のニコラスの落命に繋がるとは言葉になりません。
誰よりも勲章を渇望したニコラスが存命中に勲章を得られなかったのに、アンソニーと相容れないケイトの胸に多くの勲章が付けられているのも実に皮肉です。
今回の第206話は前回から1か月後の様子らしいですが、一か月間ケイトが何の策を打たないのは考えにくいですので、ダグラスやキャンディと共に裏で動いている可能性はあるでしょう。
しかしそれでもなお、新たな犠牲者を生んでしまった事実に頭を抱えてしまいました。
ところで、このいびつな「勲章」制度ですが、嫌な想像になりますがひょっとしたらアンソニーのことですからニコラスの死は計算に入っていたんじゃないかと思います。
なぜかと言いますと、その方がこどもたちをコントロールしやすいからです。
詳しく説明すると、偉大なるおじい様による支配も強力な洗脳の結果ではあるものの、その根本的な競争原理は『生き残った者こそが勝者』というものです。
エドワードもそうですが、偉大なるおじい様に忠誠を尽くすには、あの手この手で成果を上げ、出世街道をひた走り、さらに多くの手柄を立てて館に貢献する、というのが基本的なシャドーハウスの運営体制です。そうして偉大なるおじい様に認められることこそが、シャドーの幸福なのです。
そのためには何が何でも生き残らなければなりません。死は脱落者の末路であり、そこに栄光はありません。そうやってシャドーハウスは60年間続いてきました。
ただこれって、ややもすると足の引っ張り合いや内紛という危険性も孕んでいるんですよね。
事実だとか本当に優秀とかは関係なく、いっそのことでっち上げでも誰かを蹴落とせば出世できる構造だからです。事実、ダグラスが尊敬していたフィンは、キングに濡れ衣を着せられて処分されてしまいました。
ダグラスも第187話でエドワードの話を聞きながら「本当は誰も館のためなんて思っていないんじゃないか?」と疑問を持っていますが、まさにその通りです。現在の館の権力闘争は、偉大なるおじい様そっちのけで繰り広げられているのは否めません。
ですが、それを踏まえてアンソニーが現在作った「勲章」という制度、そしてニコラスが死してなお勲章を授与されたことを考えるとアンソニーの狙いが分かります。
現在の館と違い、命を捨ててもクリストファーのために貢献しようとする、そうした狂信的な信仰心が醸成される可能性が高いからです。これまでのように何が何でも生き残るのではなく、クリストファーのためなら死をも良しとする価値観を当たり前にしようとする、そんな魂胆がアンソニーにはあるのではないでしょうか?
そして、そうした強烈な信仰心を持ったこどもたちを「戦士」へと仕立て上げ、偉大なるおじい様に対抗する、という考えがアンソニーにはあるのかも知れません。
それを思うと、恐らくニコラスの死を聞いたアンソニーはこの状況を大いに活用しようとしたでしょう。亡骸さえも利用する彼のことですからそのくらいのことを考えていてももはや驚きません。これから先、これ以上の犠牲が出ないことを祈るばかりです。
ラストページ、エヴリンは突然倒れました。
これは、不穏な空気に支配されるこどもたちの棟だけではなく、違和感を感じつつも、それでもシャドーとしての正しさを貫かねばならないプレッシャーにさらされたからでしょう。
そして何よりも、救護班として予測できていたにも関わらず、犠牲者を出してしまったという後悔の念があったからだと私は推察しています。
こどもたちの健康を願うエヴリンにとって、それがどれだけ辛い現実だったのか。察して余りあります。
ただ、今回のエピソードを通じてはっきり分かったことがあります。
それは、館の支配者が偉大なるおじい様からクリストファー(=アンソニー)に変わろうとも、シャドーハウスという場所では常にこどもたちが搾取され、少なくない犠牲者を出しながらでしか存続しえないまがいものの一族だという点です。
これ以上の犠牲を出さぬためには、今すぐにもその負の輪廻を断つしかありません。
誰よりも気高く、そして正統な後継者たるケイト。
彼女が耐え続けた酷くつらい一か月、それがケイト自身から語られるのを待っています。
今回のエピソードは、エヴリン視点で語られました。
無能力者狩りや煤ツタ事件など、ケイトが星つきになる直前から見せ場の増えつつあったエヴリンですが、星つきに任命されて以降はさらに登場頻度が上がってきましたね。
そういえば8月のピクシブFANBOXにて、シャドーハウスの担当者が変わったとソウマトウ先生が明かしておられましたが、先代の担当者の方はどちらかと言うとスピーディーな展開を好むと以前仰っていたことを思い出しました。
それもあってここ最近は様々な種明かしの連続で物語が大きく動いておりましたが、もしかしたらそういった展開から、今回のように各々のキャラクターを掘り下げる方向に変わっていくのかも知れませんね。
5代目の担当者の方は新入社員とのことで、シャドーハウスをどのように引っ張っていくのか未知数でありますが期待してます!(2代目の方も当時新入社員でしたね)(読者の勝手な要望ですが個人アカウントまだ持っていらっしゃらないなら公式アカウントの再稼働お願いします!)
さて、これまで何度も活躍していたエヴリン。
しかしそれはあくまで救護班として、星つきとしての外面であって、内面が語られることはほとんどありませんでした。無能力者狩りの際にギルバード絡みで二回ほど見せたのが、彼女の数少ない内面が語られた場面だったかと思います。(ジョンと決闘していると聞いて「どうして…!」と言っていたシーンと、ギルバートに平手をお見舞いした一連のシーン)
ですから今回、エヴリンが何をどのように考えて行動しているのかが分かり興味深かったです。
例えば、冒頭でジョンから「救護班も忙しそう」と言われても「使命ですから」と答え、ジョンが現在のこどもたちの棟を「ギスギスして嫌だ!」と言うと「そういうことは言ってもいけませんよ」と答えているシーンは、これまでと同様にエヴリンの生真面目な性格がよく表れていました。その際に頭の中で「クリストファー様の教育は正しい」と言っていることからも、彼女が環境の変化にうまく適応していることがよく分かります。
そういえば第143話でロレッタとエリザベスは「能率重視で任務を果たす 裏を返せば冷たくも見える」「ドライな班…」と救護班について語っていました。そう考えると、今回のエヴリンもこれまでと同様、粛々と仕事に励んでいるのが見て取れます。
しかしその反面、ジョンが全快し元気いっぱいな様子を見て「ふふっ」と小さく笑っているシーンは、これまでのエヴリンには見られなかった姿でもありました。
上述のロレッタとエリザベスの会話で「ドライ」と言われていた救護班は、第63話ではこどもたちの招集係だったり、ギルバートのように棟の秩序を守るために重荷を背負っていたりするなど、確かにシビアな面が強調されたグループでした。(逆に言うと研究班が自由奔放すぎる)
ですが、ジョンを見てほほ笑むエヴリンからは、彼女が救護班としてこどもたちの健康を願っていることがよく伝わってきました。
ここでアニメの話を持ち出すのは唐突ですが、そういえば一期最終回ではスザンナを筆頭に和気藹々とする救護班の姿が描かれていました。救護班という任務を遂行する上で堅苦しいのは必要な要素ですが、それでもそんな彼ら彼女らの本質は、健やかなこどもたちの生活を誰よりも望む、そんな心優しい少年少女なのでしょうね。(そうするとアイリーンのこども時代ってどんなだったんだろう……)
ただ、それがゆえに今回のエピソードは非常に重苦しいものでした。
ニコラスが命を落としたからです。
ニコラスといえば第59話でケイトに話しかけたシャドーです。あの時彼は、第二次亡霊事件で大活躍したエミリコのことを褒めていてくれました。
班長のロバートから「“生き人形”の仕事を話題にするな」とたしなめられていたものの、その様子を見たケイトはのちに「洗脳が薄れていたんじゃないかしら」と考え、ルイーズとパトリックの洗脳もどうにかして解きたいと思案しています。ある意味、ケイトのその後の動きに影響を与えた存在だったのです。
しかし、そんな彼が帰らぬ人となりました。
直接的な原因は栄養失調。または極度の衰弱でしょうか。ただそれは他者が介在したものではなく、誰かに強要された結果でもない、事故の類です。ニコラス自身が、自らの手で寿命を縮めたのが大きな理由でした。
これについては既に本編を読んだ方はもう把握してらっしゃるでしょう。
そう、またもやアンソニーの策略です。
アンソニーは「勲章制度」なるものをこどもたちの棟に導入し、なんとこどもたちにすす能力を競わせ始めたというのです。
前回の記事での悪い予感が当たり非常に重苦しい気分になりました。こどもたちにすす能力の開陳をしたトマスが処罰されたというのに、アンソニーはいとも簡単にこどもたちの棟にすす能力を普及させ、しかも公に競争させ始めたのです。トマスの行動がアンソニーの計算かは不明ですが、少なくともこどもたちの間ですす能力がタブーでなくなったという状況を活用したのは間違いないでしょう。
エヴリン曰く、大人に対抗するためにこどもたちのすす能力を鍛え始めたということですが、まるでクリストファー、もといアンソニーの私兵を育成しているかのような光景に、ジョンではないですが違和感を覚えて仕方ありませんでした。
さて、ところでなぜそれによってニコラスが命を落とさねばならなかったのかと言いますと、すす能力の向上を主な目的とした「勲章」の授与によって、こどもたちが我先にと成果を競ったからです。
つまりは、トマスのすす能力開陳により生じ、ケイトの星つき就任によって沈静化した「こどもの中に明確な格差が出来る問題」(第120話)が、アンソニーによってより過激化してしまったのです。
第120話でのケイトの懸念は、無能力者狩りを経てすすツタ事件という最悪の結果を以って現実となってしまいましたが、今度は競争の激化によって無理が祟った結果、無能力者のニコラスの落命に繋がるとは言葉になりません。
誰よりも勲章を渇望したニコラスが存命中に勲章を得られなかったのに、アンソニーと相容れないケイトの胸に多くの勲章が付けられているのも実に皮肉です。
今回の第206話は前回から1か月後の様子らしいですが、一か月間ケイトが何の策を打たないのは考えにくいですので、ダグラスやキャンディと共に裏で動いている可能性はあるでしょう。
しかしそれでもなお、新たな犠牲者を生んでしまった事実に頭を抱えてしまいました。
ところで、このいびつな「勲章」制度ですが、嫌な想像になりますがひょっとしたらアンソニーのことですからニコラスの死は計算に入っていたんじゃないかと思います。
なぜかと言いますと、その方がこどもたちをコントロールしやすいからです。
詳しく説明すると、偉大なるおじい様による支配も強力な洗脳の結果ではあるものの、その根本的な競争原理は『生き残った者こそが勝者』というものです。
エドワードもそうですが、偉大なるおじい様に忠誠を尽くすには、あの手この手で成果を上げ、出世街道をひた走り、さらに多くの手柄を立てて館に貢献する、というのが基本的なシャドーハウスの運営体制です。そうして偉大なるおじい様に認められることこそが、シャドーの幸福なのです。
そのためには何が何でも生き残らなければなりません。死は脱落者の末路であり、そこに栄光はありません。そうやってシャドーハウスは60年間続いてきました。
ただこれって、ややもすると足の引っ張り合いや内紛という危険性も孕んでいるんですよね。
事実だとか本当に優秀とかは関係なく、いっそのことでっち上げでも誰かを蹴落とせば出世できる構造だからです。事実、ダグラスが尊敬していたフィンは、キングに濡れ衣を着せられて処分されてしまいました。
ダグラスも第187話でエドワードの話を聞きながら「本当は誰も館のためなんて思っていないんじゃないか?」と疑問を持っていますが、まさにその通りです。現在の館の権力闘争は、偉大なるおじい様そっちのけで繰り広げられているのは否めません。
ですが、それを踏まえてアンソニーが現在作った「勲章」という制度、そしてニコラスが死してなお勲章を授与されたことを考えるとアンソニーの狙いが分かります。
現在の館と違い、命を捨ててもクリストファーのために貢献しようとする、そうした狂信的な信仰心が醸成される可能性が高いからです。これまでのように何が何でも生き残るのではなく、クリストファーのためなら死をも良しとする価値観を当たり前にしようとする、そんな魂胆がアンソニーにはあるのではないでしょうか?
そして、そうした強烈な信仰心を持ったこどもたちを「戦士」へと仕立て上げ、偉大なるおじい様に対抗する、という考えがアンソニーにはあるのかも知れません。
それを思うと、恐らくニコラスの死を聞いたアンソニーはこの状況を大いに活用しようとしたでしょう。亡骸さえも利用する彼のことですからそのくらいのことを考えていてももはや驚きません。これから先、これ以上の犠牲が出ないことを祈るばかりです。
ラストページ、エヴリンは突然倒れました。
これは、不穏な空気に支配されるこどもたちの棟だけではなく、違和感を感じつつも、それでもシャドーとしての正しさを貫かねばならないプレッシャーにさらされたからでしょう。
そして何よりも、救護班として予測できていたにも関わらず、犠牲者を出してしまったという後悔の念があったからだと私は推察しています。
こどもたちの健康を願うエヴリンにとって、それがどれだけ辛い現実だったのか。察して余りあります。
ただ、今回のエピソードを通じてはっきり分かったことがあります。
それは、館の支配者が偉大なるおじい様からクリストファー(=アンソニー)に変わろうとも、シャドーハウスという場所では常にこどもたちが搾取され、少なくない犠牲者を出しながらでしか存続しえないまがいものの一族だという点です。
これ以上の犠牲を出さぬためには、今すぐにもその負の輪廻を断つしかありません。
誰よりも気高く、そして正統な後継者たるケイト。
彼女が耐え続けた酷くつらい一か月、それがケイト自身から語られるのを待っています。
