一般論として、正義を為すこととルールを守ることは正しいことであり、矛盾はないとされています。

社会においては「ルール」というやや曖昧な概念よりも「法律」と言った方が誤解はないかも知れませんね。いずれにせよ「正義」と「法律」を守ることは同義といえましょう。

まあ、これに関しては考えるまでもありません。

多種多様な価値観を持った集団がルールを定めてそれに則った動きを行うことは、その集団の秩序の維持や安定的な運営、継続的な進歩・豊かな経済活動・将来の繁栄に必須ですからね。そうでなければ、各個バラバラの主義主張を持つ人間が社会性を持って暮らしていくのは不可能です。そのバランスが崩壊したことによる悲劇は、人類の過去の歴史が何度も証明しています。

そして「正義」という言葉を辞書で引くと、「人の道にかなっていて正しいこと」「道徳的な正しさ」と出てきます。

ある選択を迫られた時、利益・欲求だけではなく「正義」という概念をよりどころにして生きている方も多いでしょう。社会通念上、「正義」とされるほとんどの事象は善と見做されています。

だからこそ、一般的に「法律」の内容は正しく、「法律」に従うことも正しいという前提で社会は動いているわけです。


しかし、時には「正義」を為すために、やむなくルールを破らねばならなかった事象も散見されます。

今から123年前の12月10日、東京・日比谷公園の西幸門交差点で老人が道路に飛び出した“事件”は、文字通り日本中に衝撃を与えました。

西幸門
(写真は先月下旬の日比谷公園。木々が色づき始めていました)

世にいう田中正造の「天皇直訴事件」です。

歴史の教科書に必ずと言っていいほど掲載されていますのでご存じの方も多いでしょう。

これは足尾銅山の鉱毒事件の解決のために尽力していた田中正造が、正攻法ではもはや解決の道筋はないと悟り、衆議院議員を辞した直後に明治天皇に公害解決を訴えた(直訴)という出来事でした。

普通は議会を通じて政府に解決を訴えるのが筋ではありますが、それでは時間が経つばかりで被害が広がることから、田中正造は敢えて型破りな行動を行ったのです。

言い換えるなら「法律」を守ることよりも、「正義」のための行動を選択したということですね。

事件後は東京市内のみならず、日本中が衝撃を受け、田中正造を称賛する声が多かったと言います。また、現代でも栃木県では郷土の偉人と称えられ、前述したように義務教育でその名を学ぶ機会は多いです。

ルール破りを安易に褒めそやすことは慎重であらねばなりませんが、結果的に彼の行動は「正義」だったと評価してもいいでしょう。

法律が機能しない、或いは法律自体が間違っている場合、「正義」を貫き通すために時にはルールを無視しなければならないという、そんな希少な例と言えます。


さて、「ルール」といえばシャドーハウスにおいても作中で頻出していますね。

例えば生き人形の「余計なことは考えない」はその代表でしょうか。確か第19話でショーンがエミリコに教えていました。

また、第47話では「シャドーの教え」という分厚い本が描かれています。第113話にて、ケイトはその本に記載された館のルールに衝撃を受け「歪んだ世界」と断じていました。一般的な常識では到底考えられないような決まり事がシャドーハウスでは当たり前とされ、それを守ることこそが正しいとされているのです。


ケイトはそんな「嘘で塗り固められた館」を倒すため、そして彼女の正義のためにエミリコと共に闘い続けてきました。その過程で彼女には今、多くの仲間がいます。

今回のエピソードでも、シャドーハウスの支配から脱するため「ルール」を破る決意を固めた一対が登場しました。

「正しさばかりを求める」と指摘されたあの主従が、本当の正しさのために今立ち上がります!
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いやあ、前回のラストで「ルール違反者は報告します」なんて不穏な台詞が描かれたので一抹の不安があったのですが、めでたく丸く収まりましたね。

無事にエヴリンとイヴがケイトの仲間に加わりました。


個人的に今回のエピソードで嬉しかったのはエヴリンが一番にダグラスの「正しさばかりを求める」という台詞に言及したことでした。

この台詞が登場したのは第170話で新人たちのお披露目を準備している最中でしたが、ダグラスのこの当てつけとも言える言葉に対し、当時のエヴリンははっとしたように沈黙するばかりだったのが印象に残っています。

今読み返してみても実に心動かされるシーンですね。

イヴの顔の良さに目を奪われがちになりそうになりますが、この時のエヴリンの胸中やダグラスがなぜこの台詞を言ったのかと想像するとあっという間に時間が経ちます。シャドーハウスの名シーン100選があったら確実に選出されること間違いなしでしょう。


ついでに、かつてのスザンナ・ギルバート・エヴリン・バートラムの関係性も考慮すると、彼ら彼女らがどんな思いで今まで過ごしてきたのかと想像が止まりません。

振り返ると、第125話でスザンナはジョンと飲み会をして羽目を外していますが、私はあの姿こそがスザンナの本来の性格だと思っています。「冷たい」と称される救護班の班長ですが、面倒見のいい彼女のことですから、ジョンと話していた時の姿が素だと思うんですよね。

となれば、今現在の「冷たい」「ドライ」と見られている救護班のイメージはどこから来たのかということになりますが……


まあ、ほぼエヴリンで間違いないでしょう。

「正しさばかりを求める」というエヴリンの姿勢に因るところが大きかったのだと思います。

これに関してはエヴリンの性格ですから良いとか悪いとかそういったことはまた別問題ですから置いておきます(むしろ人命救助においてはメリット)が、しかしそれが「無能力者狩り」事件では最悪の方向に転がったのが不幸でしたね。

スザンナはジョンと飲み会で「昔から正論ばっかり」とギルバートを評していますが、そんな彼でもすす管清掃の懲罰を疑問に思っていたことは既に描写されています。ギルバートも生真面目ではあるものの、それ以上に真面目(言い換えると杓子定規)なエヴリンに相談するよりは、それならダグラスに相談しようとなったのが「無能力者狩り」だったとすると、当時の救護班の空気感がなんだかより想像しやすくなった気がします。

ひょっとしたら、ダグラスはギルバートと無能力者狩りについて話をしていくにつれて、そうした救護班のメンバー間を隔てる溝に気付いたのではないでしょうかね。それが「正しさばかりを求めるお前にギルバートが本音を言えなかった理由か」という台詞になったのだと思います。


こう考えると、第146話(エヴリンがギルバートに平手打ちをお見舞いした回)の救護班員の台詞や行動がまた違った見え方になってきますなあ……。

エヴリンは「言葉にしないと伝わらない」「4対でお茶会でもしていれば」と述べていましたが、果たしてそれだけで何か変わったのかというとそんな大きく変わらない気がしてきました。おおう、救いがない……(スザンナが何も言えずに去ったのもすごく気持ちが分かる)(現状掘り下げられていないのでいくらでも想像可能ですがバートラム大変だったろうなあ)


しかし。

今回のエピソードでダグラスの「正しさばかりを求める」発言に言及するだけでなく、それを「自分への戒め」と語るエヴリンを見て、私は彼女の心の強さを感じぜずにはいられませんでした。

なぜなら、エヴリンは直前に「私にはルールが全てだから」と述べているからです。

「正しさばかりを求める」「その結果ギルバートは追い詰められ私のせいで事件を起こした」という事実を「戒め」と捉えているということは、エヴリンは自らにとって「全て」である「ルール」は絶対的なものではないと認識したからにほかなりません。これは一種の自己否定です。通常であれば受け入れがたい事実でしょう。


ただ、エヴリンが自己にとって「全て」と捉える「ルール」を疑うに至った過程はこれまでにも丁寧に描かれています。

特にその決定打になったのはニコラスの落命です。

「第206話 葛藤【感想】」でも書きましたが、やはりあの悲劇は救護班のエヴリンにとって大きな傷となっていました。

「ニコラスは何のために命を落としたのですか?」「美談にしておしまいではあんまりでしょう」

こう語り涙を流し、今にも胸を搔きむしりそうなエヴリンの姿は悲痛の一言に尽きます。そばで見守るイヴの表情は既に「顔」ではなく、主人を気に掛けるイヴという一人の少女になっていました。


さて、でもエヴリンの凄いところは自己の過ちを振り返っていることだけではありません。悲観に暮れるだけではないのが彼女の凄いところです。

悲しむのはここで終わりとばかりに涙を拭うと、ここからはエヴリンの決意表明です。

まずはシャドーハウスのルールが間違っていると認め、そしてケイト達が自ら選んだ「正義」に則って行動していることを悟ると、「自分の正義(ルール)」に従ってみたくなった」と明言しました。

まさにこれは館の支配からの脱却です。

いや、館だけではないですね。

彼女は「ルールを作る側が悪意を持っているなんて疑いもしませんでした」と言っていますが、この「ルールを作る側」「悪意」というのはアンソニーのことも指していることでしょう。

そうとなればもう安心です。エヴリンはさっそく「私は口うるさいわよ」と言っていますが、砕けた口調となったエヴリンが、そして自らの「正義」を探し始めた彼女がケイトの仲間になったことは実に心強いです。

既に登場シーンの増えつつあるエヴリンが、これから先どう活躍していくのかますます楽しみになってきました。


さて、ここまで散々「ルール」という言葉を重ねてきましたが、本エピソードのラストでは、シャドーハウスという館のルールそのものと言っていい存在にフォーカスが当てられました。


偉大なるおじい様です。


第44話でケイトが「全ての元凶」と断じていた正体不明の「不自然な存在」

館の最奥部に佇む存在の謎が、遂に解き明かされようとしています。