先日、ようやく話題になっていた映画「国宝」を観てきました。

国宝チケット

3時間を超える上映時間、歌舞伎という知名度はあるものの身近でない向きの題材、近年苦戦が続く実写邦画……

と、通常であればヒットに結び付きにくい要素があった本作ですが、実写邦画としてはなんと22年ぶりの興行収入100億円突破、しかも歴代2位に躍り出るという大ヒット作となっています。

鑑賞料金が年々増加していることから、興行収入だけで過去作と比較すべきでないという評価もあるそうですが、娯楽が多様化した時代に多くの人々が映画館に足を運んだという事実は驚くべきことでしょう。

しかしながら、私自身は歌舞伎に興味はなく、しかもようやく昨年になって令和時代初めての映画館鑑賞に行った身です。映画に触れることがほぼない自分が、果たして楽しめる作品なのかと半信半疑でした。


ところがどっこい、そんな疑問は杞憂に終わりました。


主演の吉沢亮氏をはじめとして、豪華な出演陣の演技もさることながら、主人公の歌舞伎との出会いとその世界で生き残るための執念と生き様が伝わってくる脚本、歌舞伎という伝統芸能を魅力的かつ幻想的に見せるためのカメラワーク、壮大な音楽による心迫る演出等々……

それらが絶妙に組み合わされた3時間は、とても短く感じました。

当初は物語に没入せずやや俯瞰した視点から鑑賞してましたが、物語後半は「なんだか凄いものを見ているぞ」ともう夢中でした。

食わず嫌いは良くないですね。これを機に、実写邦画についてもっと興味を持とうかなと思っている今日この頃です。(気になっているのは吉永小百合氏主演の「てっぺんの向こうにあなたがいる」)(吉永小百合氏と贔屓球団も一緒ですし)


ところで、話は変わりますが、歌舞伎の世界を指す言葉として「梨園」という語句があります。

これは唐の時代の皇帝・玄宗が、梨を植えた庭園で音楽や演技を教えたという故事に由来しており、我が国では江戸時代から演劇界を、さらに明治時代から歌舞伎界を指す言葉として定着したそうです。

現代ではほとんど用いられることのない言葉ですが、歌舞伎役者に嫁いだ女性を指す「梨園の妻」という呼称があり、細々と「梨園」という言葉は受け継がれています。


さて、「梨」という語句に無理やり繋げるわけではないですが、秋も深まり果物の美味しい季節になって参りました。関東地方では寒々とした日も続き、いよいよ「食欲の秋」本番といったところでしょうか。

シャドーハウスでも、葡萄がトレードマークのトマス、蟠桃(ばんとう=平べったい桃)をエネルギーに活躍するリンジーと、果物好きなキャラクターがいます。

そういえば、お披露目でエミリコもオレンジを食べていましたね。シャドーハウスという架空の世界でも、現実と同じく果物は人気の食べ物のようです。


此度のお話では、彼ら彼女らと同じく「果物」が好きなシャドーが姿を見せました。

洋梨が好きな大人・キングです。

しかしながら、空しくも今回は好物を食べる時間などありませんでした。

それどころか自由気ままな訪問客に、彼は翻弄されっぱなしです。
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今回のお話は、サブタイトルにあるように「見学」するシーンが大半を占めました。

誰が何を見学しているのかと言いますと、ケイト達星つき四対が「おじい様と共にある棟」を見て回っているのです。


通常であれば、こどもたちが決して足を踏み入ることのできない空間。

第13話でローズマリーは「そんなに詮索してはいけないわぁ」と語り、第44話ではサラが「ここに来るといつも身震いするわ」「なかなか来られない」とため息をついていました。

となれば、中の構造などほぼ不明です。

第95話ではラムの口からシャーリーが持つ情報が語られましたが、目立ちにくいシャーリーを以てしても「2階以上は恐ろしくて探索出来ません」という有様ですから、全容など分かるはずがありません。

第168話にて、ケイト・オリバー・ダグラスの三対でルイーズ奪還作戦について話し合っていた時に「おじい様と共にある棟」の地図はあったものの、あの地図は作戦に必要な地下階のみの記載でした。

結局、こどもたちの棟にいるだけでは「おじい様と共にある棟」の全てを知ることはできないということでしょう。ならばそれを知りたくば、直接乗り込むほかありません。


ということで、偉大なるおじい様の正体を探るため、ケイトはアンソニーがこどもたちの棟に籠城したのを逆手に取り「おじい様と共にある棟」の探索を始めた、というのが第227話の大体のあらましです。

ただでは起きぬケイト、窮地を活かしてやるべきことにうまく方向転換できましたね。

お陰でシャーリーが潜入できなかった二階だけではなく、ケイトが館に来た時に通ったすす列車の機関庫やモーフの教育棟、果てはエドワードが使っていた部屋にまで入り込むことができました。大収穫です。


さて、此度の「見学」ですが、この案内をしていたのはキングです。

かつてのダグラスの天敵であり、お披露目の準備中も粗暴な行動を取っていたシャドー。

しかしながら今回はかなりおとなしいです。

まあおとなしい、というよりはケイト達に完全に軽く扱われてるだけなんですけどね。

振り返れば、キングはエヴリンにすす能力で負けていますし、第221話でキングをこどもたちの棟の管理人にすべく動いた時は、

オリバー「怠惰で向上心はないが」
ケイト「トップに気に入られたり」
エヴリン「労せずして得をしたいと夢を見る」
ダグラス「阿呆」

などと言われたい放題でした。それが偏見ならともかく、ほぼ事実なのですから今回の扱いは妥当なところでしょう。ジョゼフ公認の滞在許可証という最大の後ろ盾を手に、重鎮たちが住む「3階居住棟」以外の大部分をほぼ把握できたことは、今後のケイトにとって大きな武器になることは間違いありません。

アンソニーが今現在何をしてるのか動向は掴めませんが、あの男の言う「家督争い」はケイトが一歩リードと言ったところでしょうかね。


ただ、かなり心配なのが、ちょうど同刻であろう「3階居住棟」の中の様子です。

ジョゼフは、ここでアンソニーが起こした“事件”について報告していますが、ケイトに告げた「穏便に話し合う」という雰囲気とはかけ離れた空気がそこには横たわっていました。特にライアンはかなり苛立っています。

ここでライアンが言った「てことは全部その『アンソニー』がこどもたちを教育しちまったってことだろ?」という台詞には、彼の心情がありありと現れていますね。

思い返せば第37話で、ライアンはエドワードが手掛けたお披露目に対して「“顔”自体も個別の考え方を持ってしまうだろうが!」「“星つき”を量産するつもりか」「無駄にものを考えさせてもろくなことにならないぞ」と繰り返し疑問を呈していました。

“生き人形”に情など無用と言わんばかりの思想を持つ彼からすれば、今回の事態は「アンソニー」という“顔”が暴走した結果でしかありません。

「生き人形は全部処分」という結論が出るのは無理からぬことでしょう。加えて、ドロシーはすす出しを大人が行うことに嫌悪感を示しています。それはライアンの言う「全部すす出し要員に回せ」という案を後押しするものでした。ここまでくると、こどもたちの棟の悲劇は目前です。

一応ジョセフは穏便に穏便に、こどもたちはアンソニーに唆された被害者という体面で悲劇を回避しようとしていますが、形勢的には不利でしょうか。

重鎮4人が意見を述べたところでジョセフは偉大なるおじい様に結論を委ねていますが、この正体不明の存在がどんな判断を下すのかそれを見るまで全く安心できない状況となってしまいました。
(本当、この「偉大なるおじい様」の正体って何なんだろう?)


ところで話は変わりますが、先ほどライアンの台詞を振り返って“顔”という単語が出てきました。

この“顔”とは“生き人形”を指すわけですが、生き人形がなぜそう呼ばれているのかと言いますと、それはシャドーには顔がなく表情が見えないことから、生き人形が“顔”の役割をしているということでそう呼ばれているのです。このことについては、劇中にて何度も語られ、そして描写されています。

そんな“顔”という言葉について、初めてシャドーハウスで具体的に描かれたのは第11話でのことでした。

当時のブログ記事を読んでみると、「不気味」と書いてあります。現実世界でまず見ることのないサラとミアの姿は、当時非常に奇妙に感じられたものでした。(第11話 お披露目前の二人)


今話のラストでは、あの時を想起せざるを得ないシーンで締めくくられました。

ケイトの目の前に姿を見せたサラとミア。あの第11話と酷似したシーンが今になって再び姿を現しました。

しかし柱文にあるように、サラの手はぶらんと下げられています。これは第11話とは違います。

そしてケイトとエミリコも、あの時とは違う立場で相対しています。お互い、出逢った頃とは異なる心情が渦巻いていることでしょう。それを読者が推し量るには、まだ情報が足りません。


サラは、そして複雑な過去を持っていると思われるミアは次回何を語るのか。

直前にダグラスは庭園について「ここには良い思い出がないよなぁ…」と零していますが、その思い出がさらに増えそうな予感がして非常に気分が重いです。