こちらの文庫本はフランツ・カフカの「変身」です。1915年に発表されたこの作品は、現在カフカの代表作として知られています。(断食芸人という短編も収録されています)

ところでこちらの小説。
実は2年前のあらすじ紹介「第108話 生い立ち」でもざっと解説しております。もしかしたら見覚えがある方もいらっしゃるかも知れません。
第108話の記事でなぜこの小説を持ち出したのかと言いますと、それは「変身」の主人公を襲った出来事が関わっています。
第108話のあらすじ紹介の繰り返しになりますが、平凡な日々を送っていた男がある日突然数奇な運命に見舞われ、そして苦悩に苛まれる様子が、第108話で登場した少女に重なったからでした。
詳細を書くとネタバレになりますのでここでは書きません。ただ、どんな内容だったか気になる方は単行本10巻をぜひご覧下さい。私の言っていることが少しは伝わるかと存じます。
そして、この画像を再び持ち出してきたということは、またもや似たような運命に翻弄される人物が出てきたからに他なりません。現実世界ではまずお目にかかれない、「自分」という存在が「自分」ではなくなる、そんな事態がまた起きてしまったのです。
ですが、今回のエピソードを語るには「アイデンティティの崩壊」という言葉さえも生易しいと言えるでしょう。
人間社会における最高級に位置する「貴族」という地位。
それが揺らいだのみならず、自身が人間でさえもないとしたら、果たしてその現実を直視できる生物が存在しえるでしょうか?
それほどまでに凄惨で、物悲しい描写が繰り広げられました。

ところでこちらの小説。
実は2年前のあらすじ紹介「第108話 生い立ち」でもざっと解説しております。もしかしたら見覚えがある方もいらっしゃるかも知れません。
第108話の記事でなぜこの小説を持ち出したのかと言いますと、それは「変身」の主人公を襲った出来事が関わっています。
第108話のあらすじ紹介の繰り返しになりますが、平凡な日々を送っていた男がある日突然数奇な運命に見舞われ、そして苦悩に苛まれる様子が、第108話で登場した少女に重なったからでした。
詳細を書くとネタバレになりますのでここでは書きません。ただ、どんな内容だったか気になる方は単行本10巻をぜひご覧下さい。私の言っていることが少しは伝わるかと存じます。
そして、この画像を再び持ち出してきたということは、またもや似たような運命に翻弄される人物が出てきたからに他なりません。現実世界ではまずお目にかかれない、「自分」という存在が「自分」ではなくなる、そんな事態がまた起きてしまったのです。
ですが、今回のエピソードを語るには「アイデンティティの崩壊」という言葉さえも生易しいと言えるでしょう。
人間社会における最高級に位置する「貴族」という地位。
それが揺らいだのみならず、自身が人間でさえもないとしたら、果たしてその現実を直視できる生物が存在しえるでしょうか?
それほどまでに凄惨で、物悲しい描写が繰り広げられました。
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今回のエピソードを読み終えて、とうとうこの時がやってきてしまったと嘆息してしまいました。
「この時」とは、シャドーが己の正体を知り、自身の本当の姿を認めてしまった時に受けるであろう精神的苦痛のことです。
思い出語りになりますが、シャドーハウスにおいて「洗脳」という単語が現れたのは第47話だったと記憶しています。すす珈琲によって思考を塗り替えられてしまったエミリコを救うため、ケイトが涙ながらに水を飲むことを強要していたあのエピソードです。
そして、その回のラストでケイトはシャドーハウスへの叛意を明らかにし、「シャドーハウスは間違っている」と衝撃的な告白をしました。当時のケイトの爆弾発言はエミリコだけではなく読者にも衝撃を与えましたが、かく言う私も「遂にケイトが館への反旗を翻す発言をした!」と色めき立ったのを思い出します。
それからというもの、作中で「洗脳」という語句が頻繁に見受けられることが多くなりました。
すす珈琲による中毒症状、お掃除の歌や生き人形の掟の斉唱による刷り込みなどによって館外から連れてきた子供達を巧みに洗脳し、隣にいる主人(=お影様)に影響を与えて「シャドー」を作り出す様子が次々と明らかになっていったのです。シャドーハウスという館の正体が明かされるにつれて、そうした館の行状が実に巧妙で悪意に満ちたものかまざまざと見せつけられてきました。第47話のケイトの言う通り、シャドーハウスは生き人形にとってもシャドーにとっても「牢獄」なのです。
ただ、翌回の第48話ではケイトはこうも言っています。
「…初めは洗脳によるシャドーへの忠誠心だったと思う…」
これはエミリコが「ケイト様のことを信じます!」と屈託ない笑顔で発言した時のモノローグです。
この時のエミリコはまだ完全に記憶を取り戻していなかったものの、それまでのケイトの優しさや慈愛によって主人を信頼するようになっていました。ケイトは自らの行いによってエミリコから信頼を得ることに成功したのです。こうしてケイトとエミリコの闘いの日々が本格的に始まりました。
ですが、エミリコのケイトに寄せる信頼が「洗脳」のせいではなくなったということは、それまでの忠誠心は「洗脳」による効果も大きかったと言えます。つまり、こどもたちの棟で見受けられる主人と生き人形の絆は、館のコントロールによってもたらされた欺瞞でしかないともいえるのです。
更に言えば、その「絆」はこどもたちの棟だけではなく、シャドーハウスという館に関わる全ての出来事も同じでしょう。
すす島に住む住人達の館に対する忠誠心もそうです。彼らも島中を漂う煤煙によって洗脳下に置かれています。そうした欺瞞を土台としたシャドーハウスという館は、第1話で語られていた通り「貴族のまねごと」でしかない、まがいものの一族なのです。
となれば、心配になるのが「生き人形」やシャドー、すす島の住人達が洗脳から目覚めたらどうなるのか、という点です。
それらを繋いでいた「絆」が洗脳によるものだったとしたら、洗脳から目覚めれば当然崩壊します。館ありきで存在していた関係性はあっという間に瓦解です。それもあって、第48話を読んだ当時の私は一抹の不安を感じておりました。(過去記事「第48話 日常生活の影」)
そんな不安が描写されたのが「パニックホラー編」です。
パトリックへの偏愛を募らせたマーガレットが、すす能力を暴走させてこどもたちの棟を大混乱に陥れた事件です。未曽有の惨禍をもたらしたあの事件は、マーガレットの死という悲劇的な結末で幕を閉じました。皮肉にもマーガレットの幸せは、死を目前にせねば掴めない儚い願いでした。
ただ、それはあくまで表に出ている事情なのはご存じかと思います。
あの事件で主人を死に追い込んだのは従者のマギーだったからです。
裏で手を引いていたのはアンソニーではありますが、直接の引き金を引いたのはマーガレットに「恩恵の欠片」を飲ませたマギーです。洗脳から目覚めたことで館に疑問を覚えたマギーは、「シャドー」という得体の知れない生物への恐怖心と敵愾心から、アンソニーの言うままに「恩恵の欠片」を飲ませ主人を死に至らしめました。不幸にも、ケイトとエミリコがこどもたちを洗脳から解こうと画策したことで、マーガレットもマギーも落命することとなってしまったのです。
この件は、「生き人形」が洗脳から解けたことで悲劇を呼ぶというモデルケースと言えるでしょう。
己が人間だと気付いた「生き人形」が、「シャドー」という存在を疑問に感じ、館に対する恐怖心や敵愾心を抱くのは予想された結果であります。
そういえばリッキーも第97話で館やシャドーに疑問を抱き混乱する描写がありますね。ただリッキーは、パトリックが自分のために身を挺してくれた姿を見て主人に対する敬愛を新たにしています。
エミリコと同じように、主人が生き人形のために尽くした主従は洗脳から解けた後も悲劇を回避しています。
ショーンもリッキーもオリーもそうです。ややシチュエーションは異なりますがラムもそうでしょう。彼らと彼らの主人は実に幸運でした。(あ、マリーローズとローズマリーが例外になってしまう……)
となれば、もちろんルイーズとルウも同じです。
自由気ままでいながら要領がよく、そして「生き人形」を道具扱いするという模範的なシャドーとして振舞ってきたルイーズ。
ところがマリーローズの忠告やベンジャミンの助言によって、第65話では「生き人形」に対する見方を変え、ルウを労うようになりました。
直前にルウが微笑みながら「少し…疲れました(ふふっ)」と返すシーンが良いですよね。この後ルイーズが「じゃっ今日はもう休もっ!」と言った時のルウの表情にも注目して欲しいのですが、きょとんとした後にルイーズを見つめてるのを眺めているだけで幸せになります。
渡り廊下を共に進む二つの後ろ姿。
このラストのコマが、ルイーズとルウの信頼関係が確かなものになったことを雄弁に語っています。この時、この二人はもう大丈夫だと私は確信しました。
しかし、甘すぎました。
ルウは洗脳から解けても、ルイーズに恐怖心や敵愾心を抱くことはありませんでした。それはきっと、ルイーズが第66話の後もルウに心を込めて接していたからでしょう。私はそう信じています。
そしてルイーズも、ケイトから第101話で真相を告げられても、ルウから洗脳の影響を受けなくなってからも、特に問題なく過ごしていたと思います。ルウが無事にこれまで生活できていたことがその証拠と言えます。
ところが、ここで大きく失念していたことがありました。
ルイーズ自身が、己の真の姿(=シャドー)、そしてシャドーハウスという館をどう認識していたかを見過ごしてしまっていたのです。
先程、パニックホラー編におけるマギーのことを「洗脳から解けた“生き人形”のモデルケース」と書きましたが、此度のルイーズはまさに「洗脳から解けた“シャドー”のモデルケース」が描かれてしまいました。
一体化を決心したルウを目の前にして、ルイーズは思索します。
模範的なシャドーとしての自信、一体化した後も変わらない優秀な自分の姿、私は貴族で誰よりも優秀で、可愛くて、最強……
そうした自負がルイーズをこれまで支え、彼女は微塵もなくそれを信じてきました。
ですが、主従共に洗脳から解けていたことが仇となり、「ルウ」という存在が自分自身とは完全に別個の存在であることにこの時ルイーズは気付いてしまいました。
恐らくは、シャドーハウスという館のシステムは「シャドー」という人間ではない生命体が「貴族のまねごと」を作るためのものであり、自分自身もそのシステムに組み込まれていたことを察してしまったのでしょう。
「あ…わかっちゃった」というのは、ルイーズが求めていた「優秀な自分」とはあくまでシャドーハウスという「貴族のまねごと」の中でしか存在しえない空虚な幻影であり、そしてそれさえも手に入れられない現実に気付いてしまったことを言っているのだと思います。
となれば、あとは自分という存在が何なのかということになるわけですが、ルイーズが求めていたことが手に入らないとあればもう何も残っていません。
涙の中で、ルイーズは自分は気持ちの悪い怪物だと結論付けてしまい、その怒りはシャドーハウスというシステムを作った何者か、そしてシャドーハウスそのものに向けられることになりました。
「ふざけんなっ!!シャドーハウスっ」
巨大で武骨な悍ましい姿で、乱暴なもの言いを振りまいて暴れ狂うルイーズ。
その姿は貴族とはかけ離れた姿です。失礼を承知で言えばもはや女性ですらありません。暴力の権化とでも言いましょうか。牙をむき出しにし、怒りのままに鍛え上げた身体を駆使するその様は、獣という言い表し方でさえ上品に感じるくらいの恐ろしさと滑稽さにあふれています。
これが、これが今まで可憐を振りまいてきたあのルイーズです。改めてそれを頭に留めて一連のシーンを見ていると哀れさと物悲しさを感じずにはいられません。
「何でこんなことになっちゃったのっ!?」
ルイーズはそう叫びますが、私だってそう問い掛けたいくらいです。
ただ、それは愚問かも知れません。
『なぜこんなことになったのか』ではなく、『元からそうだったから』です。
モーフという模倣を得意とする存在を礎に「貴族のまねごと」しかできない館が見せる美しい姿など、所詮は実体のない幻のようなものです。
厳しい言い方をすれば、その幻に立脚して理想を抱いていたルイーズの願望も幻でしかないのです。欺瞞に満ちたベールを剥がせば、そこにあるのは「洗脳」や「処分」といった汚いやり方でしか存続できない、煤を被った館があるに過ぎません。その一面が姿を現したのが、まさに今回のルイーズの容姿だったのではないでしょうか?
だとしたら、此度のルイーズが見せた姿はシャドーハウスの本質と言えます。
60余年に亘って覆い隠されてきた影の館の暗鬱な歴史。
最後に響いたルイーズの慟哭は、これまで犠牲になった数多のシャドーと人々が味わった悲哀がもたらした、幾重にも重なった悲鳴に聞こえてなりません。
今回のエピソードを読み終えて、とうとうこの時がやってきてしまったと嘆息してしまいました。
「この時」とは、シャドーが己の正体を知り、自身の本当の姿を認めてしまった時に受けるであろう精神的苦痛のことです。
思い出語りになりますが、シャドーハウスにおいて「洗脳」という単語が現れたのは第47話だったと記憶しています。すす珈琲によって思考を塗り替えられてしまったエミリコを救うため、ケイトが涙ながらに水を飲むことを強要していたあのエピソードです。
そして、その回のラストでケイトはシャドーハウスへの叛意を明らかにし、「シャドーハウスは間違っている」と衝撃的な告白をしました。当時のケイトの爆弾発言はエミリコだけではなく読者にも衝撃を与えましたが、かく言う私も「遂にケイトが館への反旗を翻す発言をした!」と色めき立ったのを思い出します。
それからというもの、作中で「洗脳」という語句が頻繁に見受けられることが多くなりました。
すす珈琲による中毒症状、お掃除の歌や生き人形の掟の斉唱による刷り込みなどによって館外から連れてきた子供達を巧みに洗脳し、隣にいる主人(=お影様)に影響を与えて「シャドー」を作り出す様子が次々と明らかになっていったのです。シャドーハウスという館の正体が明かされるにつれて、そうした館の行状が実に巧妙で悪意に満ちたものかまざまざと見せつけられてきました。第47話のケイトの言う通り、シャドーハウスは生き人形にとってもシャドーにとっても「牢獄」なのです。
ただ、翌回の第48話ではケイトはこうも言っています。
「…初めは洗脳によるシャドーへの忠誠心だったと思う…」
これはエミリコが「ケイト様のことを信じます!」と屈託ない笑顔で発言した時のモノローグです。
この時のエミリコはまだ完全に記憶を取り戻していなかったものの、それまでのケイトの優しさや慈愛によって主人を信頼するようになっていました。ケイトは自らの行いによってエミリコから信頼を得ることに成功したのです。こうしてケイトとエミリコの闘いの日々が本格的に始まりました。
ですが、エミリコのケイトに寄せる信頼が「洗脳」のせいではなくなったということは、それまでの忠誠心は「洗脳」による効果も大きかったと言えます。つまり、こどもたちの棟で見受けられる主人と生き人形の絆は、館のコントロールによってもたらされた欺瞞でしかないともいえるのです。
更に言えば、その「絆」はこどもたちの棟だけではなく、シャドーハウスという館に関わる全ての出来事も同じでしょう。
すす島に住む住人達の館に対する忠誠心もそうです。彼らも島中を漂う煤煙によって洗脳下に置かれています。そうした欺瞞を土台としたシャドーハウスという館は、第1話で語られていた通り「貴族のまねごと」でしかない、まがいものの一族なのです。
となれば、心配になるのが「生き人形」やシャドー、すす島の住人達が洗脳から目覚めたらどうなるのか、という点です。
それらを繋いでいた「絆」が洗脳によるものだったとしたら、洗脳から目覚めれば当然崩壊します。館ありきで存在していた関係性はあっという間に瓦解です。それもあって、第48話を読んだ当時の私は一抹の不安を感じておりました。(過去記事「第48話 日常生活の影」)
そんな不安が描写されたのが「パニックホラー編」です。
パトリックへの偏愛を募らせたマーガレットが、すす能力を暴走させてこどもたちの棟を大混乱に陥れた事件です。未曽有の惨禍をもたらしたあの事件は、マーガレットの死という悲劇的な結末で幕を閉じました。皮肉にもマーガレットの幸せは、死を目前にせねば掴めない儚い願いでした。
ただ、それはあくまで表に出ている事情なのはご存じかと思います。
あの事件で主人を死に追い込んだのは従者のマギーだったからです。
裏で手を引いていたのはアンソニーではありますが、直接の引き金を引いたのはマーガレットに「恩恵の欠片」を飲ませたマギーです。洗脳から目覚めたことで館に疑問を覚えたマギーは、「シャドー」という得体の知れない生物への恐怖心と敵愾心から、アンソニーの言うままに「恩恵の欠片」を飲ませ主人を死に至らしめました。不幸にも、ケイトとエミリコがこどもたちを洗脳から解こうと画策したことで、マーガレットもマギーも落命することとなってしまったのです。
この件は、「生き人形」が洗脳から解けたことで悲劇を呼ぶというモデルケースと言えるでしょう。
己が人間だと気付いた「生き人形」が、「シャドー」という存在を疑問に感じ、館に対する恐怖心や敵愾心を抱くのは予想された結果であります。
そういえばリッキーも第97話で館やシャドーに疑問を抱き混乱する描写がありますね。ただリッキーは、パトリックが自分のために身を挺してくれた姿を見て主人に対する敬愛を新たにしています。
エミリコと同じように、主人が生き人形のために尽くした主従は洗脳から解けた後も悲劇を回避しています。
ショーンもリッキーもオリーもそうです。ややシチュエーションは異なりますがラムもそうでしょう。彼らと彼らの主人は実に幸運でした。(あ、マリーローズとローズマリーが例外になってしまう……)
となれば、もちろんルイーズとルウも同じです。
自由気ままでいながら要領がよく、そして「生き人形」を道具扱いするという模範的なシャドーとして振舞ってきたルイーズ。
ところがマリーローズの忠告やベンジャミンの助言によって、第65話では「生き人形」に対する見方を変え、ルウを労うようになりました。
直前にルウが微笑みながら「少し…疲れました(ふふっ)」と返すシーンが良いですよね。この後ルイーズが「じゃっ今日はもう休もっ!」と言った時のルウの表情にも注目して欲しいのですが、きょとんとした後にルイーズを見つめてるのを眺めているだけで幸せになります。
渡り廊下を共に進む二つの後ろ姿。
このラストのコマが、ルイーズとルウの信頼関係が確かなものになったことを雄弁に語っています。この時、この二人はもう大丈夫だと私は確信しました。
しかし、甘すぎました。
ルウは洗脳から解けても、ルイーズに恐怖心や敵愾心を抱くことはありませんでした。それはきっと、ルイーズが第66話の後もルウに心を込めて接していたからでしょう。私はそう信じています。
そしてルイーズも、ケイトから第101話で真相を告げられても、ルウから洗脳の影響を受けなくなってからも、特に問題なく過ごしていたと思います。ルウが無事にこれまで生活できていたことがその証拠と言えます。
ところが、ここで大きく失念していたことがありました。
ルイーズ自身が、己の真の姿(=シャドー)、そしてシャドーハウスという館をどう認識していたかを見過ごしてしまっていたのです。
先程、パニックホラー編におけるマギーのことを「洗脳から解けた“生き人形”のモデルケース」と書きましたが、此度のルイーズはまさに「洗脳から解けた“シャドー”のモデルケース」が描かれてしまいました。
一体化を決心したルウを目の前にして、ルイーズは思索します。
模範的なシャドーとしての自信、一体化した後も変わらない優秀な自分の姿、私は貴族で誰よりも優秀で、可愛くて、最強……
そうした自負がルイーズをこれまで支え、彼女は微塵もなくそれを信じてきました。
ですが、主従共に洗脳から解けていたことが仇となり、「ルウ」という存在が自分自身とは完全に別個の存在であることにこの時ルイーズは気付いてしまいました。
恐らくは、シャドーハウスという館のシステムは「シャドー」という人間ではない生命体が「貴族のまねごと」を作るためのものであり、自分自身もそのシステムに組み込まれていたことを察してしまったのでしょう。
「あ…わかっちゃった」というのは、ルイーズが求めていた「優秀な自分」とはあくまでシャドーハウスという「貴族のまねごと」の中でしか存在しえない空虚な幻影であり、そしてそれさえも手に入れられない現実に気付いてしまったことを言っているのだと思います。
となれば、あとは自分という存在が何なのかということになるわけですが、ルイーズが求めていたことが手に入らないとあればもう何も残っていません。
涙の中で、ルイーズは自分は気持ちの悪い怪物だと結論付けてしまい、その怒りはシャドーハウスというシステムを作った何者か、そしてシャドーハウスそのものに向けられることになりました。
「ふざけんなっ!!シャドーハウスっ」
巨大で武骨な悍ましい姿で、乱暴なもの言いを振りまいて暴れ狂うルイーズ。
その姿は貴族とはかけ離れた姿です。失礼を承知で言えばもはや女性ですらありません。暴力の権化とでも言いましょうか。牙をむき出しにし、怒りのままに鍛え上げた身体を駆使するその様は、獣という言い表し方でさえ上品に感じるくらいの恐ろしさと滑稽さにあふれています。
これが、これが今まで可憐を振りまいてきたあのルイーズです。改めてそれを頭に留めて一連のシーンを見ていると哀れさと物悲しさを感じずにはいられません。
「何でこんなことになっちゃったのっ!?」
ルイーズはそう叫びますが、私だってそう問い掛けたいくらいです。
ただ、それは愚問かも知れません。
『なぜこんなことになったのか』ではなく、『元からそうだったから』です。
モーフという模倣を得意とする存在を礎に「貴族のまねごと」しかできない館が見せる美しい姿など、所詮は実体のない幻のようなものです。
厳しい言い方をすれば、その幻に立脚して理想を抱いていたルイーズの願望も幻でしかないのです。欺瞞に満ちたベールを剥がせば、そこにあるのは「洗脳」や「処分」といった汚いやり方でしか存続できない、煤を被った館があるに過ぎません。その一面が姿を現したのが、まさに今回のルイーズの容姿だったのではないでしょうか?
だとしたら、此度のルイーズが見せた姿はシャドーハウスの本質と言えます。
60余年に亘って覆い隠されてきた影の館の暗鬱な歴史。
最後に響いたルイーズの慟哭は、これまで犠牲になった数多のシャドーと人々が味わった悲哀がもたらした、幾重にも重なった悲鳴に聞こえてなりません。
