シャドー家のために作られた「生き人形」と、シルエットだけがその生き写しという「シャドー」が存在する摩訶不思議な物語。

それがシャドーハウスです。

彼ら彼女らがなぜ二人一対で生まれ、そして行動を共にしているのかは本編で明かされておりますが、これについては4巻までお読みの方はご存じかと思います。まだ読んでいない方はネタバレを知る前に、まっさらな状態でぜひ読んで頂きたいですね。その設定の妙に、「類似作品不在」のキャッチコピーが決して誇張でないことが納得いただけることでしょう。

ところで、シャドーハウスの連載当初に読者の間で少なからずこんな考察がありました。


“シャドーと生き人形の性格には相関関係がある”


こんな考察です。

なぜこんな考察があったのかと言いますと、当時明かされたエピソードを読んでみると、シャドーと生き人形の性格が真反対である事例が多かったからです。それもあってか「シャドーの性格は生き人形の願望である」、または「生き人形の性格はシャドーの願望である」といった説があったのです。

因みにこれらの答えは第100話でケイトが解説してくれてます。それまでに作中で明かされた設定を基にした、彼女らしい理路整然とした説でした。


ただ、そんな風に真相が明かされてもなお、どんでん返しが珍しくないのもシャドーハウスの醍醐味です。そんな展開に驚かせられたのは一度や二度ではありません。

此度のエピソードでは「どんでん返し」というほどではないものの、読者が描いていたイメージとは異なる、とある人物の内面が明かされました。

主人公組以外では唯一全巻に登場する美少女・ルウ。

彼女が本当に欲しかったものは、誰にも負けない強さでした。
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今回の第191話では、なぜかラムの行動を阻止して鍵を横取りするアンソニーや、性懲りもなくルウを操作し続けるルイス、洗脳状態へと戻ってしまったルイーズ、と矢継ぎ早に濃い描写が続いていました。

僅か3ページですが、どれもこれも気になりすぎるシーンばかりですね。

なぜアンソニーはラムが鍵を持っていることを知っていたのか、ということはケイト達の作戦は筒抜けなのか、ルイスは何故そこまでして「人間」であるアンソニーを信用しているのか、アンソニーとルイスはルイーズとルウを一体化させて何がしたいのか、とあちらこちらから疑問が湧いてきます。これらの描写だけで一話かけても良いのではと思うくらいです。全く以って彼らの行動には謎ばかりです。


しかし今回のエピソードの肝はそこではありませんね。

記事冒頭でも述べましたが、第191話の核はルウの過去でした。


さて、ルウの過去を振り返る前に彼女の性格について書いていきますが、第102話までのルウの性格と言えば、物静かで冷静な少女といった様子でした。

例えば、「無口」(第8話・ミア)「感情ってもんが全くない」(第29話・リッキー)などという周囲の評価や、ルウ自身の「選ぶのは苦手」(第14話)といった発言からもそれが分かります。

一言で言えば控え目で物静かな性格。それがルウでした。


にも関わらず、主人はといえばお喋りでアクティブなルイーズでした。完全にルウとは正反対の性格です。そうしたこともあって「シャドーと生き人形の性格は真反対」といった指摘が読者の中であったのです。ルイーズとルウはそれが顕著であり、その代表例でもありました。

なお、本ブログでは当時の情報を基に「ユング心理学とシャドー(影)①」「ユング心理学とシャドー(影)②」「ユング心理学とシャドー(影)③」という記事を書いていました。今読むと間違えばかりではありますが、あの時影野はそんな風に考えていたのかと軽く受け止めて頂ければと思います。


しかし「シャドーと生き人形の性格は真反対」、とりわけ「ルイーズとルウは正反対」という、そんな読者の認識が変わったのが第103話でした。なぜなら、そこにはミラーサイド時代のルウの姿が描かれていたからです。

幼い子たちから「ルイーズ(ルウ)みたいになりたい!」と憧れられる、リッキーの手を引いてサーカスに誘う、村の出身でないエミリコのために「(選別会に)勝手に入っちゃえば?」と大胆な提案をする、「幸せを掴もう!」とエミリコの肩を抱く……

そんな、これまでの描写からは想像のできない明るい姿のルウが描かれていたからです。このエピソードを境に、「シャドーの性格は生き人形の願望」といった考察だけではなく、「シャドーの性格は生き人形の本来の姿」という考察が生まれたのを覚えています。事実、第100話でのケイトの解説もそれに近いものでした。


ただ、今思うともっと注意して読むべきだったと思います。

第103話の直前、第102話の中盤でルウはこう語っていたからです。


「やっぱり『実感』はないかな…」


あの時ショーンは「人間としての『実感』か…記憶の戻り方だけでなく感じ方にも個人差があるんだな」と言っていました。つまり、ルウは第103話・第104話で「記憶」こそは戻ったものの、それでも「実感」が戻ってなかった可能性があの時あったのです。

正直申し上げますと、そこまで私は読めてませんでした。まさかその「実感」が今、第191話になって描かれることになろうとはすっかりしてやられました。流石ソウマトウ先生です。200話目前にこんな素敵な種明かしがあろうとは予想外でした。嬉しい誤算です。


さて、前置きが長くなりましたがルウの「人間としての『実感』」

なぜルウがそれを取り戻すことが出来なかったのかというと、それはルウ自身が無意識に記憶の奥底に秘めていたからです。

彼女の幼少期は「内向的で意思表示が苦手」だったそうですが、それによってリッキーを巻き込んでしまい、結果的にリッキーにも悲しい思いをさせてしまうという辛い思い出があったのです。


ただ、この出来事には救いもありました。男子から虐められていた時、リッキーが助けてくれたことがルウには「凄く嬉しかった」のです。

第103話や第104話のように明るく強かなルウはここから始まったでしょう。そのきっかけになったからこそ、泣き叫び無力感に苛まれるリッキーの嗚咽を聞いてルウは「欠けた記憶」を取り戻したということです。

私はルウの性格に関して、洗脳が解けてもミラーサイド時代の「ルイーズ」と異なるのかについて深く考えていませんでしたし、第68話のローブ様の解説を真に受けてしまい、ルイーズが活発な性格はモーフの頃の個性も大きく関わっていると思い込んでいました。

しかし、今現在の大人しいルウも、ミラーサイド時代のルウを写し取ったルイーズの性格も、どちらも「ルウ」という一人の少女を表していたのだと知り衝撃でした。

「今繋がった」と語るルウの気持ちを、僅かながら私も感じた気がします。本当の意味で遂に洗脳から解けたルウの瞳は実に美しかったです。


今回のエピソードからかなりズレますが、第191話を読んで思い出さずにいられなかったシーンがあります。

それは第126話でルイーズがベンジャミンを説得していた場面です。

このシーン、自分の「顔」にしか興味のなかったルイーズが他人のために必死になるという、彼女の成長が感じられる名場面です。当時も書きましたが(過去記事「第126話 強さの秘訣【感想】」)、ルイーズの本来の姿が描かれていたのがあの瞬間だったと思います。

ただ、第191話を読んだ後だとよりあのシーンが奥深く感じさせられます。

バーバラのために何もできなかったと嘆くベンジャミンの姿は、そっくりルウとリッキーの過去の出来事に重なるからです。それこそバーバラも本来の自分の姿を隠して強く振舞おうとしていたことは、作中で何度も描かれてきました。

すると、あの時必死になるルイーズの隣で汗を浮かべ、拳を握ってルイーズの表情を作っていたルウの「顔」は、遠からずルウ自身の「顔」だったのかも知れません。


奇しくも第126話のサブタイトルは「強さの秘訣」でした。

偶然か、はたまたソウマトウ先生の計算かは分かりませんが、あの時ルイーズの「強さの秘訣」だけではなく、既にルウの「強さの秘訣」のヒントも描かれていたとしたら……

ついそんなことを夢想してしまいました。