来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

各話あらすじ

第47話 すすによる病

今回のヤングジャンプの掲載順は凄かったですね!

巻頭は人気作家の新作「九龍ジェネリックロマンス」、2番目が実写化されたヒット作「かぐや様は告らせたい」、3番目がYJ看板作「ゴールデンカムイ」、4番目が不朽の名作のリメイク「銀河英雄伝説」…。

そして5番目が、シャドーハウスでした!!

錚々たる面々と並んでいると、シャドーハウスも代表作の仲間入りを果たしたようで嬉しくなってきます。

このまま悲願の表紙&巻頭カラーまで突っ走って欲しいですね!
(あくまで私個人の短期目標です。)

さて、今回はケイトがエミリコの部屋を捜索するお話でした。

ちょっとだけエミリコの秘密を覗くケイト。
そこにはケイトのこれまでの疑念を確信させる、とある記述がありました。
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第46話 いきにんぎょう

ひたすらにひらがなで書かれた、題名と副題と柱と作者名。
その中心に立っているのは、正気を失ったエミリコです。

今回の扉絵はそれだけなのに、有無を言わさない違和感に満ち溢れています。

背景には、幾つも書き連ねられた「偉大なるおじい様」の正式名称。
生き人形にだけ課せられたあの長ったらしい名前が、黒地に白い字でおどろおどろしく書かれています。

まるでバグを起こしたコンピューターのプログラムのようです。
エミリコの脳裏をどれほどの異常さが支配し、彼女が今どんな状況に置かれているのかが一目瞭然です。


やはり、部屋に帰ってもあの平穏な日々は返ってきませんでした。
今回のお話を読んで、改めて第1話を読み返した方も多いと思います。

連載50回を目前にして、まるで第0話を思わせるエピソードをここに持ってきたソウマトウ先生には、ただただ脱帽です。
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第45話 総評

中世の神聖ローマ帝国皇帝・フリードリヒ二世には、有名な逸話があります。

「赤ん坊に教育を施さずに育てたら、どんな言葉を話すのか?」という疑問から生まれた、ある実験にまつわる話です。

カトリック教会が権勢を誇っていた時代。
当時の欧州はキリスト教と密接に関わっていました。

そこで彼は、赤ん坊が生まれながらに持った言葉こそが『人類の言葉の起源=神の世界の言葉』なのではないかと考えたのです。また、フリードリヒ二世自身は多言語を操れたことから、素朴な疑問として実践してみた、とも言われています。

かくして、前代未聞の実験が実施されることになりました。

方法は単純で、赤ん坊に対して最低限の衣食住の世話だけをし、一切話しかけないというやり方です。50人の子供たちがこの実験の対象となりました。いずれも身寄りのない赤ん坊ばかりです。


ところが、満を持して行われたこの実験は1年もしないうちに終わってしまいました。全ての赤ん坊が、1歳の誕生日を待たずに死んでしまったからです。

この実験は、人間の成長には身体的な栄養だけではなく、精神的な愛情や充足感が不可欠である、という教訓を残しました。教育関係者や歴史好きな方なら、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。


ただこの逸話ですが、もう一つの見方として「自意識の形成」も重要な要素だと考えられます。他者と触れ合うことで自分という存在を客観的に認識し、そこから生まれた自我が生死を左右する、ということです。

心理学者のカール・G・ユングは、ロンドンで行った講演で興味深い症例を取り上げています。

彼の提唱した「分析心理学」は、ややオカルティックな思想が混ざっています。
要約すると「人間の意識とは、巨大な無意識から抜け出した一部である。そしてその無意識とは人類が古代から受け継いできた、どの人間にも共通するものである。」という考え方です。
個人の自意識の根底に『全人類に共通する無意識』があり、無意識から表出した『意識』が自己を形成する、ということです。

彼は精神病の療法として『夢分析』を用いました。患者が見る夢は、ありのままの精神状態を表すと考えていたからです。

そんな彼のもとに、10歳の少女を連れた父親が訪れました。
その父親曰く、その少女が見る夢はとても神秘的なものだったそうです。

ユングはこの時、その夢の内容を聞いて「薄気味悪い予後を含んでいたので、私の考えたことを話せませんでした」と語っています。
通常であれば、『神秘的な夢=無意識』は幼少期には薄れていき、成長に伴い『意識=自己』にとって代わられます。ところが、その少女は10歳になっても神秘的な夢を見ていたのです。
残念ながらその悪い予感は的中し、少女は1年後に伝染病で亡くなりました。

ユングはこの事例について「少女は完全に生まれてはいなかったのです」と結論づけています。『自己』が形成されていなかったことで、心も身体も耐え切れなかった、ということです。

『人格の形成』とは、それだけ生きていく上で重要なのでしょう。

ところが、シャドーハウスという館では日常的にそれを試すかのような実験が行われていました。
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第44話 成人になるということ

これほどまでに、次のページをめくる手が重かったことはありません。

物語の中で、幾つもの天真爛漫な笑顔を見せてきたエミリコ。
彼女の裏表ない明るい性格は、主人のケイトが度々語ってきたように多くの登場人物を救い、そして変えてきました。

それはシャドーハウスという作品の根幹の一つと言っても過言ではないでしょう。

ところが、この第44話ではその笑顔が消えました。
いや、正確に言えば描写されませんでした。


今までエミリコの表情が意図的に隠されたシーンは、2回あったと記憶しています。

一つ目は、第32話でショーンやラム・ジョンに感謝の言葉を述べたシーン。
この後彼女は、力強い表情で、ショーンは自身の主人を救うべきだと語っていました。

二つ目は、第39話のラストシーン。
ケイトの檻の前でこぶしを握り締め、そして堂々と佇む姿を覚えている方は多いと思います。

この二つのシーンは、台詞や直前までのシーンから、ある程度エミリコがどんな顔をしているのかは分かりました。少なくとも、憂いを覚えるようなことは全くありません。

しかし今回のお話の後半は、これまで繰り広げられてきた勇気と絆の熱い展開から、一気に不穏の谷へと転がり始めました。

徐々に明かされる、狂気の館の一端。
その狂騒は、容赦なく生き人形に襲い掛かります。

そしてそれは、我らが主人公・エミリコも、また例外ではありませんでした。


米国の絵本作家、エドワード・ゴーリーは、その緻密なタッチと不条理な世界観によって高い評価を得ています。そのナンセンスかつ芸術的な作品は、今もなお多くの人々を魅了するほどです。

その彼は、このような言葉を残しています。

「どういうわけか、人生におけるわたしの使命は、人をできるだけ不安にさせることなんですよ。人はみんなできるだけ不安になるべきだと思うんです。世界というのは不安なものだから。」

先日のツイッターで、ソウマトウ先生はこの考えに共鳴してやまないと語っていました。

今思えば、これは読者に対して、覚悟しておくようにという警告だったのかも知れません。
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第43話 最後の一対

更新日の朝は、何とも言えない気分で目が覚めました。
今回のお話を読んでから暫く経つというのに、まだ胸のざわめきが止まりません。

言葉を失うとは、このような事を言うのでしょうか。
少なくない衝撃を受けている自分自身に、改めて衝撃を受けています。

第43話は、まさしく前回の煽りである『クライマックス』でした。

疾走するように進んでいく序盤と、神々しさ・意外性溢れる中盤、ようやくエミリコやケイトのホッとした表情を見られた安堵感に満ちた終盤……。

各場面ごとに描写される情報量の多さに、まだ考えが整理できていません。


ただ、既に今回のお話を読んだ方はお分かりかと思います。

なぜ、私が今もなお動揺しているのか。

あえてミスリードを誘うかのような副題。
そして、正視するにはあまりにも受け入れがたい現実が、そこにはありました。

全ての出来事に理由があるのならば、このラストには一体どんな意味があるとでもいうのでしょうか?
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