来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

各話あらすじ

第107話 独白

シャドーハウスの3周年記念日が近づいていますね。
来週の月曜日、9月6日が連載開始日です。

今年は何も準備していないので正直どうしようかと悩んでいるのですが、とりあえず恒例の年表だけは完成させたいなと思っております。(1,2年目と違い今年の年表はかなり長いです)


ところでシャドーハウスは来週に満3年を迎えるわけですが、今現在は「3年目」です。

ちょっとややこしいですが「○年目」と「満○年」は1年ズレがあるんですよね。時々ごちゃごちゃになってしまい「え~と、確か2018年連載開始だから……3年目!」みたいに逡巡することしばしばです。我ながらもうちょっと頭の中を整理しなさいと思いますね。

しかし、1年のズレがある数え方で最も有名なのは「数え年」ではないでしょうか?

生まれた時点で1歳、以降は正月を迎えるごとに1歳ずつ加算していくという、昔の年齢表記法です。

現代でも厄年を確認するために使われることもありますね。何気にまだまだ身近な旧習慣の一つです。


さて「数え年」についてですが、なぜ生まれた時点で「1歳」とするのかについては幾つか説があります。例えば、よく挙げられるのは物を数えるにあたって「1,2,3,…」と数えるのに、年齢だけ「0,1,2,3,…」と数えるのはおかしいという考え方です。

言われてみれば分かる気がします。西暦もA.D.1年~A.D.100年が「1世紀」ですものね。(そういえば2000年当時、ミレニアム=21世紀開始と勘違いしている人が多かったのを覚えています。これを知る人も、もういい歳になってしまいました。)


そしてもう一つ挙げられるのが、胎内で十月十日過ごしているのだから生まれた時点で「1歳」である、という考え方です。こちらの説の方がご存知という方も多いかも知れませんね。


ただ、もしも仮にです。

もしも母体に何らかのトラブルがあり、胎児が予定通り産まれなかったとしたらその場合はどうなるのでしょうか。

この件について最も有名なのは応神天皇の母・神功皇后かと思います。学のある方なら三韓征伐のエピソードがすぐに浮かんだことでしょう。

しかし、私は全く別の例が頭に浮かびました。

ブラックジャックの“ピノコ”です。

ネタバレになってしまうのですが、天才外科医・ブラックジャックの助手を務める彼女は、実は姉の奇形腫瘍として生まれました。その腫瘍内に残されていた手足や頭部を繋ぎ合わせて蘇らせたのがピノコです。

つまり、彼女は姉と双子だったということです。

しかし本人は、17年間腫瘍内にいたのだから自分は17歳だと言って聞きません。幼女のピノコがそんな風に背伸びする姿もブラックジャックの魅力の一つですが、先程の「数え年」の論理で言えばその通りなわけです。

改めて、生き物にとっての“命”とは何かについて深く考えさせられる作品です。


さて、ここでブラックジャックに触れたのは、ただ単に私の好きな作品だからという訳ではありません。誤解を恐れずに言うと、巨匠が手掛けた作品よりも奇異な出来事が、数十年前のミラーサイドで起きていました。


「…ケイト、何を知っているんだ?」


またもミスリードを誘った、第68話でのローブシャドーとの論戦。

この時にジョンが発した言葉が脳裏に響きます。



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第106話 わたしの名前

「名前」とは不思議なもので、それを知っているだけで相手のことが分かった気になるものです。

逆に、相手の趣向や来歴を知っていたとしても、名前が分からないと何だか落ち着きません。本質には関係がなくとも、対象となる人や物を判断するにあたって名前は重要な基準となるのです。それだけ世間では「名前」というものは重視されています。


古来、「諱」という文化が我が国にありました。

詳しく話すと長くなるので内容は調べて頂きたいのですが、要は貴人が自身の身を守るために本名を他人に教えない、という風習です。これは言霊信仰にも関わってくるのですがそんな難しく考える必要はないでしょう。脅威から身を守るために本名を隠すのは理に適っています。

現代で言えばインターネット上でハンドルネームを用いるのと同じようなものです。
そう考えると、世界的にはFacebookが普及しているのに対して我が国ではTwitterの方が利用者数が多いのは、本名をできるだけ明かしたくないという習慣が日本人には沁みついているからなのかも知れませんね。(考えすぎか……)


それはともかく「名前」は人の存在を証明する一つの手段であることに変わりありません。

そういえば、スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」でも主人公の少女は名前を奪われていました。そしてその名前を取り戻すことが本映画の重要なストーリーとなっています。それだけ「名前」は特別な“持ち物”なのです。


シャドーハウスにおいても「名前」は物語に大きく関わっています。

アニメでは初回にケイトがエミリコに名前を付けるシーンが描かれました。
漫画でも第24話でケイトがエミリコに名前を付けた理由が感動的に描かれています。

また、エミリコだけではなく各登場人物の名前も様々な工夫が凝らされています。

それを見ていると、ソウマトウ先生のキャラクター達への思いがこれでもかと伝わってきます。だからどのキャラクターも魅力的なのでしょうね。シャドーハウスがなぜ読者の心をつかんで離さないのか、その理由の一つが分かった気がします。


しかしここ数話で、名前の由来が分からない人物が急にクローズアップされてきました。


もう一人の重要人物・ケイトです。


シャドーハウスの物語が幕を開けて以来、主人公のエミリコと共に活躍してきた彼女。

他のシャドーとは一線を画すケイトの姿は、エミリコが敬愛し、ジョンが恋心を寄せ、ショーンにさえ「不思議な魅力のあるお方だ」と言わしめるほどです。

最初は警戒していた読者の方々でも、今もケイトに対し疑いを持つ人は少ないのではないでしょうか?


しかし、読者が当初抱いていた違和感は正しいものでした。

「私(ケイト)にはやることがあるのに…!」「秘密をすべて話すわ」

事あるごとにそう語っていたケイトには、秘してきた決意があったのです。


誰も知らない彼女の正体。

それはケイトの「本当の名前」に隠されていました。


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第105話 約束の星空

星空と言えば、シャドーハウスでは第62話「夜の空」が名エピソードとして挙げられます。

誰もいない館の屋根の上で、二人きりで夜空を見上げるエミリコとショーン。
ロマンティックな光景が続く第62話は、担当者の方が「少女漫画みたい」と表現するほどでした。


ところで、覚えていらっしゃるでしょうか?

第62話が公開されたのは令和2年4月23日でしたが、丁度このお話が更新された日の未明は、こと座流星群のピーク(極大)となる時間帯でした。まさに現実世界でも、シャドーハウスに劣らぬ美しい星々が夜空を彩っていたのです。


シャドーハウスが現実世界とリンクしたのはこの日だけではありません。

令和時代の幕開けと共に、庭園迷路編が始まりました。
第二次亡霊事件が起きたのは、新型コロナウイルスが世の中を騒がし始めた頃でした。
第71話で“一体化”の真実が明かされ読者に衝撃が走った週、アメリカで“ゾンビ蝉”が見つかったというニュースがCNNにより世界に発信されていました。

こんな風に、シャドーハウスと現実世界は何度も不思議な一致を見せています。いずれも偶然ではありますが、こういった見方もリアルタイムの楽しみ方の一つと言っていいでしょう。

他にも似た例はたくさんありますので、いつの日にかまとめてご紹介できればと考えています


そして今回。
第105話でも同じ現象が起きました。

同期達が夜空の下で心通わせた特別な日。

この日の未明は、七夕でした。



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第104話 或る少女の名前

昨晩、TOKYO MXとBS朝日でアニメシャドーハウスの最終回が放送されましたね。

昨年10月16日のアニメ化発表から9か月。長いようであっという間でした。

ここ最近は雨続きですが、少し前の暑い日が続いた頃はティザーPVを見ながら「公開時は年末だったなあ」と思いながら涼んでいました。
それからは怒涛の情報解禁ラッシュで、毎日が慌ただしかったです。


ただ、今振り返るとそんな日々が一番楽しかった時間だったと気付かされます。

各キャラのアニメビジュアルの発表を待ち侘び、キャスト公開に驚きや喜びの声を上げ、本放送の日に心躍らせる……。

好きな作品の一大イベントを楽しみにする毎日は、本当に輝いていました。

またそんな時間が訪れるよう、これからも精一杯応援していければと思います。


ところで、本当に楽しい時間というものは「準備をしている時間」なんてよく言われますよね。

例えば、旅行なんかも実際に現地を訪れている間も楽しいですが、あれやこれやと期待に胸膨らませながら旅支度している時の感覚も捨てがたいものがあります。

私も旅行や登山をするのが好きなので、もちろん面倒なことも多々ありますが、それらの準備も旅の一つとして楽しんでいます。

また、資格試験なんかも取得した後よりも勉強していた時間の方が有意義に感じますし、結果だけではなくその過程の時間も大事なのでしょう。

夢や憧れは、手に入れた時よりもそれを目指して進んでいく時の方が楽しいのかも知れません。


そしてそれは、今回のエピソードでも一緒でした。

まだ見ぬ幸せを夢見る少年少女達。

その顔は希望に満ち溢れていました。


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第103話 前日

“マンホールの蓋はなぜ丸いのか?”というトリビアがあります。

皆様は答えをご存じでしょうか?

因みに私がこの問いかけを初めて知ったのは、小学生の頃の国語の教科書でした。その時初めて、そんなことが話題になるのかと思うと同時に、確かに気になるなあと思ったものでした。


早速答えを言いますと、“蓋が外れても穴に落ちないから”というのが正解だそうです。それともう一つ、教科書には“転がせば運ぶのが楽”というのも理由に挙げられていました。

ただそうは言っても、世の中には四角形のマンホールの蓋もあります。それらはなぜ丸くないのだろうかと疑問は湧きますが、それについては教科書には書いてありませんでした。なぜなら、その話題のテーマはマンホールの蓋ではなかったからです。

実は、マンホール蓋の話題は書き出しのネタであり、本当の主題は“「丸」という図形は身近で活用されている”ということを伝えるための小論文でした。今思うと、小学生向けの割には随分手の込んだ小論文を載せていたなあと感じます。


では、例えば「丸」はどんな風に使われているのか。

教科書にはローマのコロッセオがその一例として載っていました。

ローマのコロッセオは古代に闘技場として用いられていましたが、その競技場が「丸い」のは“観客席のどこからでも見世物が見やすい”という理由だったそうです。

等距離かつ、障害物もなく360度から闘技を見ることができる「丸」という構造は、まさにコロッセオにとってうってつけの図形だったのです。

また、教科書には最後に類例として「サーカス」が挙げられていました。

「サーカス」というと現代では曲芸やショーといった催しごとを連想しますが、この「サーカス」の語源は「丸い」という意味だそうです。言われてみれば、丸い図形のことを“サークル”といいますので納得です。

やがてそれは、舞台を中心に置いた丸いテントの中で行われていたことから「サーカス」と称されるようになった、という訳です。なんとも興味深い話です。


さて、一見シャドーハウスとは関係なさそうなこの話題。

ところが、物語のラストで我々が目にしたのは、舞台の中心で微笑むエミリコの姿でした。



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