来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

感想

第61話 深夜の同期会

「火」というものは不思議なものです。

本来は生命を脅かす存在であるにも関わらず、それを見ていると心安らぐという人も多いそうです。

焚き火や蝋燭の炎にリラックス効果があることは実験データからも証明されています。
炎を被験者に見せると脳からアルファ波(癒し効果が得られた時に発せられる脳波)が検出されるそうですが、これは炎の「揺らぎ」が癒しに作用するホルモンを分泌させることが理由として考えられています。

ただもう少し踏み込んで考えてみますと、なぜ火を見ると癒し効果を持つホルモンが分泌されるのかは疑問です。
(被験者が火に対してトラウマを持っている場合は当然除いてです)

これについては、
「太古の人類は外敵に怯えて暮らしていたが、火を手に入れたことによって外敵からの襲撃に警戒する必要がなくなった。だから火を見ると心が落ち着くのだ」
という説明がよくなされます。

その記憶が遺伝子に組み込まれており、だから現代の人間も炎を見ると無意識に安らぎを覚えるのだそうです。


しかしそれに加えて、私はもう一つ理由があると思います。

それは、火の番をしていた仲間がいたという記憶。
それもセットになっているのではないかという仮説です。

フランツ・カフカの「夜に」という短編に、夜の間でも誰かが火の見張り番をしなくてはならない、という描写があります。

いくら野生動物が火を怖がるからと言っても、それを放っておくわけにはいきません。
そこには必ず火の番をする者がいた筈です。

そうすると、眠りについている間でも生命を委ねられる仲間=信頼できる存在がいた、という朧げな記憶も、もしかしたら人間の深層心理の中に残っているのではないでしょうか。


今回のお話では、暖炉の火を一緒に眺める同期4人の姿がありました。

火を見つめながら各々が考えていたこと。

あの短い時間を共有したことこそが、ケイトが何よりも求めていたものだったのかも知れません。
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第60話 研究班

古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの名言に、

“すべての人間は、生まれつき知ることを欲する”

という言葉があります。

人によって『知ることを欲する』内容は全然違いますが、高尚な哲学にせよ低俗なゴシップにせよ、人間の営みの中に“知的好奇心”があることは否定できない事実でしょう。

科学の発展も、知的好奇心・探求心が根源的な動機として発達してきたことは疑いようがありません。


当然ながら、時代ごとに科学の役割には違いがあります。

科学の進歩によって自然を制御し「神の御業の模倣」を試みた近世欧州。
産業の科学化によって現代社会の根幹を作り出した19世紀の米国。

あるいは、我が国が先駆けとなった1970年代のメカトロニクス技術や1980年代のオプトエレクトロニクス技術は、“異業種の組み合わせ”という別分野の科学技術を融合させた手法によって、20世紀の科学産業界をリードしてきました。


しかしそういった大きな時代のうねりの中でも、最前線の研究者にとって最も重要だったのは“知への探求”に他ならなかったと思います。

古代のアリストテレス、中世のガリレオ、近世のニュートン、現代のアインシュタイン……。

目的は違えど、目の前にある事象を解き明かそうとする彼らの原動力は、真実を探求しようとする純粋な好奇心と使命感だった筈です。


万有引力を発見したニュートンは、ある日客人から自身の偉業を讃えられた時にこう返したと伝えられています。

「人間の知らないことは海岸の砂粒程に多く、知っていることはその一握りに過ぎない。そして私は浜辺で綺麗な貝殻を見て無邪気にはしゃぐ子供である」

当時の物理学・数学の大権威であったニュートンの発言を、人々は謙遜と受け取りました。
しかし自然科学を誰よりも深く研究していたニュートンだからこそ、目の前に広がる科学という大海原の広さを、実感を持ってこう例えたのだと思います。


しかしそういったニュートンの考えを当時の多くの人が理解できなかったように、科学者と一般人の考えには隔たりがあります。大抵の科学者が変人だと言われるのも、ある分野を追求するがあまりに、普通の人とは違う光景を見ているからなのでしょう。

今回のお話では、そんな期待に違わない超強烈な個性派集団・研究班の素顔が明かされました。

彼らもまた、先人達と同じくらいに純粋で、変人な科学者たちでした。


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第59話 散策

現在30歳以上の方々は、映画「タイタニック」と聞いた時、あるシーンが真っ先に頭に浮かぶかと思います。

映画の前半で、ジャック・ドーソン(レオナルドディカプリオ演)がローズ・デウィット・ブケイター(ケイト・ウィンスレット演)を船首に招いて手を広げさせる、あのシーンです。

ポスターやプロモーションビデオにも用いられ、公開当時は四六時中テレビで流れていた記憶があります。
それどころか、眺めが良い場所に行くと必ずや何組かのカップルが物真似をしていました。

ちなみにこの時のローズの台詞で「私、飛んでるわ!」という名言があるのですが、物真似の際にそれを叫ぶのが一種のお約束でしたね。

主題歌の‟My Heart Will Go On”と共に、映画を象徴する場面であります。


さて、ところでこの名シーンは、ある彫刻がモデルになっていることを皆様は御存知でしょうか?


その彫刻とは、パリ・ルーブル美術館に展示されている「サモトラケのニケ」です。
(写真は、管理人がルーブル美術館に行った時に撮影したもの)

サモトラケのニケ

19世紀にエーゲ海のサモトラケ島で発見された彫刻で、およそ紀元前1世紀前後に制作されたと考えられています。正確な年代や作者は不明なものの、全身大理石のこの彫像はギリシャ彫刻の最高傑作とされてきました。

像のモチーフは、勝利の女神・ニーケーです。船の舳先を模った台座に置かれていたと推定されたことから、現在の台座も同じような形となっています。

ルーブル美術館ではメインとなる階段踊り場に飾られており、モナ・リザと並んで破格の扱いを受けています。


さて、ある年代の方々には懐かしいこの映画。
第32話以来のほのぼの回となった今回は、それを連想させるシーンがありました。
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第58話 犯人候補

今回のお話も、既刊の単行本を手放せないストーリーでしたね。

シャドーハウスは過去のちょっとしたエピソードが後々大きく関わってくるので、何度読んでも見飽きません。それでいて自然に進行していくのですから凄いですよね。本当にこの作品をリアルタイムで読むことができて幸せです。

さて、今回は第57話で爆誕した名探偵ケイトの捜査が始まりました。

次々と捜査線上に現れる、第二次亡霊騒動の容疑者たち。

しかしその捜査の過程で、彼女達は事件が残した深い傷跡を目の当たりにします。


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第57話 破鏡不照

タイトルの「破鏡不照」は、「はきょうふしょう」と読みます。
書下し文にすると「破鏡再び照らさず」となります。

簡単に言えば「覆水盆に返らず」と同じ意味ですので、言っていることは煽り文とそう変わりません。
『やってしまったことは元には戻りませんよ』ということです。

ただよくよく調べてみると、「破鏡不照」は特に男女の仲について指すことが多いようです。確かに異性関係は一度こじれると二度と戻れないことがほとんどですから、最も使われる用法であることに間違いはないでしょう。
(ごくまれなケースですが、私の知り合いには同じ相手と二度結婚し、二度離婚した人がいます。)

ただもっと調べてみると、元々は中国の故事が由来だそうです。
詳しい説明は、福島新聞のサイト「今日の四字熟語・故事成語」の「No.2065【破鏡不照】ハキョウフショウ」という項目に譲りますが、9世紀頃の禅僧・休静禅師が悟りと迷いについて述べたエピソードが語源だとのことです。
もっとも、何度読んでみても質問をはぐらかしてる感が拭えませんが…。もしくは、それを理解できる境地に私がまだ達していないだけかも知れませんね。

さて、久々に難しい熟語が登場しました。煽り文ではなくタイトルに使用されるのはこれが初めてです。
副題や煽り文は担当の方が書いている、とソウマトウ先生は以前言っていましたが、もしかしたら古語に造詣が深い方なのかも知れないですね。

難読熟語から始まった第57話。
成り行きも難解な方へと進んで行きます。
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