来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

各話感想

第154話 使命と責任【感想】

今回の扉絵は、ケイトの部屋の一角が描かれています。

エミリコの肖像画が掛けられた壁際と机。机の上には人型のぬいぐるみがありますね。今更語るまでもないケイトの「大切なもの」です。

ということは、このスペースは第10話でケイトが「ここにあるものは私(ケイト)の大切なものなの!」と言っていた場所と同じということになります。


そんな場所に掲げられたエミリコの肖像画。これはつまるところ、ケイトにとってエミリコも「大切なもの」だということです。

ケイトがエミリコを大切に想うシーンは何度も描かれていますが、こうもさりげなく明示されると微笑ましいですね。ケイトにとってエミリコはベストパートナーなのです。

柱には「大切なものは、特別な場所に」とあるように、ケイトとエミリコが互いに「大切」「特別」だと思い合っていることがとてもよく伝わってきます。部屋に一角だけでこんなにも尊い光景が描かれるとは、何度見てもため息が出てきますね。


ところでこのエミリコの肖像画ですが、「どこかで見たことあるような……」と感じた方は相当なシャドーハウスマニアかと存じます。

実はこの肖像画、単行本第1巻の裏表紙と一緒なんですよね。

気になる方はポーランド語版を出版しているWaneko社の公式ツイッターアカウントが画像を公開しておりますのでそちらからご覧下さい。(Przed Wami obwoluta pierwszego tomu naszej czerwcowej nowości - Shadows House!)


ちなみに1巻発売当時のアニメイトの購入特典はこのエミリコが印刷されたSCFカードでした。

本当は本記事にてそのSCFカードを紹介したかったのですが、部屋のどこを探しても見つからず……。

ケイト嬢はちゃんと大切なものを特別な場所に置いてあるというのに我ながら情けないなあ。そろそろ部屋片づけしないと……。


まあ私の近況は置いときまして、本題にいきましょう。

これまでケイトは自身にとって「大切なもの」を守るために闘ってきたわけですが、そんな彼女の闘いは前回を境に大きく変わる気配を見せています。

なぜなら、扉絵にも描かれている「星」を与えられたからです。

ケイトの過去を振り返れば、自分という存在を問うための旅が、エミリコとの出会いによっていつの間にか「大切なもの」を守る抵抗の日々へと変わっていきました。

それが、とうとう自身を信頼してくれた仲間の期待を叶えるための闘いへと変貌しようとしているのです。劇中において、ケイトはそれを「使命」だと語りました。


ところが、そんな決意をあざ笑うかのように難題が降りかかります。

ケイトの決意はいきなり困難に阻まれました。続きを読む

第153話 投票結果

民主制の歴史は長いです。

近代においては、一般的に専制政治から民主制へと移行する例が多いため、民主主義の成立は最近になってからという風に受け取られる場合も多々あります(私も子供の頃はそうでした)。

ところがそうではありません。

制度上はさておき、その思想哲学が生まれたのは古代ギリシャ・ローマ時代にまで遡るのです。

ペリクレス

こちらの人物は、古代アテナイ(アテネ)の政治家・軍人のペリクレスです。

写真は以前イタリアに行った時に、バチカン博物館内に展示してあった彫刻を撮影したものです。(前回といい、結構イタリアの写真ブログで取り上げること多いな…)


彼はアテナイの発展に寄与したことで有名ですが、ペリクレスが現在まで名を馳せているのは、「民主主義」の原点といえる演説をしたことが理由として大きく挙げられます。

詳しくは「ペリクレスの葬送演説」で検索して頂くとして、平たく説明しますとこの演説が称賛されるのは「自立」「平等」「自由」の必要性に言及した点と、「市民」の役割を明確にした点が挙げられます。

特に、政治思想や言論の自由を法の下に認め、少数の権力者による政治の独占を排するとした部分は、民主制の根幹と言える原則です。

反面、政治に参加する市民の義務として、共同体(ポリス)の防衛や公に尽くす義務も強調しています。


また、政治参加する者の前提として、市民自身にそれを判断するだけの知性と品性を求めている点も重要です。

一定以上の知識・見識・常識を持った集団でなければ、ただの「多数決」によって間違った方向に進んでしまう危険性があるからです。

生まれた時から民主主義とその権利を有している我が国からすれば、実に耳が痛い指摘です。それだけ「民主制」とは個人と集団の鍛錬が必要な制度なのです。それがなければ、誤った判断による破滅、或いは少数の専制政へと取って代わられてしまうことは歴史が証明しているところです。


さて、では翻ってシャドーハウスのこどもたちの棟はどうでしょうか?

こどもたちの棟では、これまで「星つき」という4対の指導者グループによって統治されていました。イコール、専制政治と言ってもよいでしょう。その中でこどもたちは「余計なことを考えてはいけない」という掟もあって、表面上はつつがなく過ごしてきました。


しかし、ケイトとエミリコ、そして同期達の活躍により、こどもたちの洗脳は薄れ自ら物事を判断できるようになりました。

加えて「星つき」達もこれまでの体制に疑問を持ち、改革の必要性を強く認識し始めました。

つまり、「民主制」を実施しうるだけの土壌がまさに整い始めたのです。


此度の物語では、その集大成と言える象徴的な出来事が描かれました。

こどもたちの棟、いやシャドーハウスの歴史において初の民主的なリーダーが誕生しました。続きを読む

第152話 真実【感想】

写真は、ローマにある「真実の口」という彫刻です。以前イタリアへ旅行に行った時に撮りました。
真実の口

元々はローマ市内にあった寺院の集水器の蓋(=マンホール蓋)だったそうですが、それが紆余曲折あって教会内の外回廊に安置されるようになったらしいです。(詳細分からずですみません)

モデルとなった顔は、海神・オーケアノス。言われてみるとギリシャ神話らしい荒々しい見た目ですね。

余談ですが、私が幼い頃は東武動物公園にこの彫刻のレプリカがあり、壁に厳つい男性が埋まっているという構図から気味悪くて近づかなかった記憶があります。一口100円の占い器だったんですが、なんか低音で喋ってくるんですよね。子供から見たら怖いよ……。

さらに余談ですが、上の写真がなぜ正面から撮られていないかと言いますと、スケジュール通りにローマ市内を観光できなかった結果、「真実の口」があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会に着いたのが夜になってしまったからです。なんかこの彫刻、つくづく良い思い出がないなあ……。


さて、ところでこの彫刻がなぜ「真実の口」と名付けられているのかと言いますと、偽りの心を持つ者が真ん中の口に手を入れると嚙み千切られてしまう、という伝説があるからだそうです。

こんな伝説がなぜ生まれたのか詳細は分からずじまいで申し訳ないのですが、この伝説が広く知れ渡るきっかけになったのは名画「ローマの休日」で間違いないでしょう。

この映画では、新聞記者を演じるグレゴリー・ペックが「真実の口」に手を入れるシーンがあるのですが、彼は撮影中に本当に手がちぎられた振りをして、王女役のオードリー・ヘプバーンが素で驚いた、なんていう微笑ましいエピソードがあります。

東武動物公園の占い器も、その伝説に関連したアトラクションだったのかも知れませんね。


それはともかくとして、シャドーハウスに話を戻しましょう。

「真実の口」は偽りの心を持つ者を成敗する彫刻ですが、現実世界では逆に「真実」こそが人を傷つけることがあります。だからといって嘘をついてばかりではいけませんが、「嘘も方便」なんていう諺があるくらいに人間の生活において「嘘」は多いです。

悲しいことですが、建前と本音、それらを使い分けてようやく成り立つのがこの世界なのです。


しかし。

建前、とりわけ「嘘」をつくのであれば、それを以て幸福や安定に繋げるのが嘘をついた者の責務と言えましょう。誰かの心の安寧のために嘘をついたのであれば、それを貫き通し、生涯かけて決して悟られないよう努めるのが筋というものです。

そんな「優しい嘘」ならば、積極的に賛成はできませんが理解はできるところであります。


ですが此度のエピソードでは、ある少女が「真実」を告げられたが故に心の支えを失い、またもや絶望に突き落とされました。

癒えかけていた傷は空しくも、再び惨禍をもたらしました。続きを読む

第151話 笑顔【感想】

「顔」という言葉を知らぬ人はいないでしょう。

辞書を引くと、「頭部の前面部」「顔立ち・容貌・容姿」「おもて側」といった様々な意味を持ち合わせている語句です。

しかし、それらに共通するのは、その人物やモノを代表する部位だということです。

例えば「顔色を窺う」「顔に出る」「彼はイベントの顔だ」といった慣用句や言い回しを想像して頂ければ、「顔」という言葉が持つ意味合いの幅広さを実感できるかと思います。


さて、シャドーハウスにおいても「顔」という言葉が良く見受けられますね。
単行本第1巻でもケイトがしょっちゅう「顔」について言及しています。

第1話では「横顔」、第2話では「顔の替わり」、第5話では「私の“顔”」などなど……。


しかし、シャドーハウスにおける「顔」という言葉には、現実世界と全く異なる意味があります。

「顔」とは「生き人形」、つまりエミリコ達のようなシャドーの従者を指すからです。

作中において、このようなシャドーハウス独特の意味合いで「顔」という言葉が用いられた例は幾つもあります。例えば、第7話のサブタイトル「別の顔」は、劇中で登場したミアとバービーを婉曲に表した副題でした。

こんな風に通常とは異なる意味で用いられているのに、「顔」=「生き人形」だと読者が受け入れられたのは、第6話冒頭のエミリコのモノローグがあったからこそだと思います。まんまとソウマトウ先生の術中に嵌ってしまっていたわけですね。いやはや凄いです。


ところが、あのサブタイトルにはもっと深い意味があった、と思わせる出来事が此度描かれました。

もちろん、当時のサブタイトルを手掛けた担当者と現在の担当者の方は別人ですので、ただの偶然でしょう。

しかし、そんな偶然さえも作品の一部にしてしまうのがシャドーハウスという作品の力です。

今回のエピソードでは、第7話の「別の顔」が「笑顔」になるハートフルストーリーが紡がれました。続きを読む

第150話 決意の証

今号の週刊ヤングジャンプは、なんとシャドーハウスが巻頭カラーです!

前回の巻頭カラーは2020年10月でしたから、二年振りということですね。

因みにその前だと2018年9月の連載開始時まで遡りますので、ほぼ二年おきにシャドーハウスが巻頭カラーを飾っていることになります。

こうなると2024年の秋が楽しみですね。

シャドーハウスが四度目の巻頭カラーを担うのか、はたまたソウマトウ先生の次回作が華々しくスタートするのか……。

思わずそんなことを考えてしまいました。


ただ、此度の巻頭カラーは過去二度とは違う点がありました。

それは一回目の「連載スタート」や二回目の「アニメ化決定」といった、目玉となる新情報がなかったからです。

一応200万部突破記念と銘打っていますが、それについては既に12巻の帯に書いてあります。しかし、かと言って150話という節目を以ても、巻頭カラーの理由としては些かインパクトに欠けます。それなら第50話や第100回で巻頭カラーを飾っていてもよさそうなものです。(どちらも中間カラーだったものの、巻頭カラーは逃しています。)


すると、答えは一つです。


“名実ともにシャドーハウスが週刊ヤングジャンプの看板作品になった”


そういうことでしょう。でなければ、シャドーハウスが2023年一月号という重要な号の巻頭に登場した理由は説明できません。

長寿漫画のキングダムやメディアミックス作品のウマ娘シンデレラグレイを例外とすれば、二期までアニメ化されたシャドーハウスだって他の話題作に引けを取りません。

未だ漫画としての栄誉に恵まれないシャドーハウスですが、いつかタイトルを獲得した暁にはその勲章を肴に祝杯を上げたいものです。


さて、勲章といえばシャドーハウスで真っ先に思いつくのは“星つきの勲章”ですね。

語るまでもない、こどもたちの棟の指導者の証です。これまでもこの勲章を巡って様々なエピソードが語られてきました。


“星つきの勲章”を付ける者・見る者・狙う者……


今話においても、三者三様のこどもたちの思惑が描かれることとなります。
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