来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

各話あらすじ

第87話 視察

超大国のリーダーの選出は、前代未聞の事態へと発展しました。

今月6日に起きた米国連邦議会の襲撃事件です。

分断による猜疑心は年が明けても消えず、行きつくところまで辿り着いてしまった感があります。議場内で拳銃を見る日が来るとは思ってもみませんでした。


ところで、傍から見ると大国として確固たる地位を築いている米国ですが、実はウィークポイントがあります。

それは米国民自身からの攻撃です。

実際に、歴史上において米国が最も犠牲を負ったのは、独立戦争でも第二次大戦でもベトナム戦争でもなく、南北戦争でした。
他国との戦いにおいては比例ない強さを誇っていますが、こと内部からの突き上げには脆弱なのです。此度の事件はそれを浮き彫りにしたと言えます。


組織を崩壊させたいならば、内部から蝕むのが一番です。

第一次大戦のドイツ革命や、日露戦争の明石元二郎大佐の対露工作はその好例でしょう。そういった事例は挙げればきりがありません。


それをエドワードが知っていたのかは分かりませんが、彼はケイト班を瓦解させるため、謀略を実行へと移しました。

視察と称した内部工作。
第10班に崩壊の危機が迫ります。


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第86話 管理者の思惑

凄いどうでもいい話ですが、エドワードのスーツってかなり派手ですよね。

初登場の頃から「悪趣味」とか「目がチカチカする」なんて言われていましたが、黒地に黄色という配色の時点でかなり奇異です。
しかもそれが花柄というのですからもうお腹いっぱいです。胸やけがしてきそう…。


ちなみに「花柄」と「スーツ」でWeb画像を検索してみると、これまた賑やかな写真がずらっと出てきます。どれも街中ではまず見ないデザインばかりです。というか、どうみてもカタギの人が着る服では…(以下自粛)

ただよく見てみると、ほとんどが「演出服」「舞台服」「ステージ衣装」として出品されています。
要するに普段使いではないということですね。言われてみれば、確かに舞台映えしそうではあります。

服飾史に詳しくないので何とも言えませんが、近世欧州ではこういった服が流行っていたのかも知れません。そうすると現代人の目には奇異に映る服も、“貴族のまねごと”をするシャドーハウスでは至って普通なのでしょう。

ソウマトウ先生はpixivFANBOXで参考資料を紹介していましたが、その本の中に英国の服装に関する資料が数点ありました。もしかしたらその中にはケイトやジョン、そしてエドワードが着ているような服も載っているのかも知れませんね。


しかしフィクション、それも二次元とはいえ、あのスーツを着こなしているエドワードはある意味凄いと思います。現実世界ではどんなに美麗な男性でもあの柄が似合う人なんていないんじゃないですかね?
強いて言えばTHE ALFEEの高見沢氏とかぐらいでしょうか。海外の俳優とかまで調べてみればもうちょっといそうですが、それでもごく少数でしょう。


シャドーハウスは容姿端麗なキャラクターしか登場しませんが、漫画やアニメでよく見受けられる「イケメンしか出てこない」「美少女しかいない」といった批判を、物語の設定で無効化しているのは非常に巧みだと思います。その上で通常の人間であれば到底似合わない服をサラッと着せるとは実に策士ですね。

前話でバービーは「ケイト様は少し策士過ぎる」なんて言っていましたが、ソウマトウ先生の一方は頭から煤を出す赤いドレスのお嬢様なのではないかという考えが、再び頭をもたげてきました。


第86話は、そんなハイレベルなこどもたちの棟での権力争いを制し、“二階”まで辿り着いたエドワードが主役のお話です。



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第85話 特別な珈琲

今回はほぼ1年ぶりの『星つき回』でしたね。

今年最初のシャドーハウスは第52話でしたが、あの時の扉絵は星つきが勢揃いしており、さながら年始の挨拶のようでした。

あれから一年、何だかあっという間の気分です。30話以上も話が進んだとは信じられない気持ちです。


さて。
翻って第85話の扉絵ですが、今回は2ページ目以降に描かれています。

第82話のあらすじ記事でこういった構成は珍しいと書いたばかりなのに、早速事例が増えてしまいました。これからはこういった形で扉絵が描かれることが多くなるのかも知れません。


ただ何よりも目を引くのが、今回の扉絵は星つきの生き人形だけしかいないことです。それも4人全員があの珈琲を飲んでおり、もちろん瞳は濁ったままです。

星つきについては最近よく掘り下げられていたため親近感を抱くことも多かったですが、こうしてみると彼らは館にどっぷりと浸かっているのが良く分かりますね。


今回のお話は、失われた“特別な珈琲”について懊悩する4組の姿が描かれていました。


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第84話 ルール違反

ルールとマナーは似て非なるものです。

ルールとは“決まり事”、マナーは“気遣い”と私は解釈しているのですが、英語の意味を調べていると概ね合っているようです。

スポーツで言えば、競技規定がルールで、スポーツマンシップや『暗黙のルール』といったものがマナーにあたるかと思います。


ところで、“ルール”は日本語としても浸透していますが、英語の“rule”は宗教の規定や制約も指すそうです。

日本語だとスポーツ競技において頻繁に使用されるため、ビジネスや宗教といった分野で「ルール」という言葉をあまり見かけませんが、英語ではどんな分野でも“rule”で通用します。
こうなると「ルール」も1種の和製英語と言えそうですね。


さて、この「ルール」は我々の日常生活に身近な存在ですが、運用していく上での一番の難点は“判定の是非”ではないでしょうか。

社会生活でもスポーツでも、その結果を巡って諍いが起こることは日常茶飯事です。

現実社会であれば司法、スポーツであれば審判が権限を行使してその判断を行うわけですが、誤審となると試合結果だけではなく、歴史が変わっていたのではないかという事例は数知れません。

先日亡くなったマラドーナ氏の「神の手ゴール」はその代表といえます。
(全然関係ないですが、ソウマトウ先生が影響を受けたという“ウォレスとグルミット”が2018年ワールドカップ招致のPVとして用いられた際に、「神の手ゴール」のパロディが作中で描かれたそうです)

そうした事態を招かないようにするため、テニスならチャレンジ、野球はリクエスト、相撲は物言いがあります。現実社会では警察による権限行使の後、三審制の裁判制度があります。


ただそういった制度があったとしても、なかなか万人が納得する結果が出るわけではありません。
これらの制度が円滑に運用されるには、ジャッジを下す者や団体に権威と正当性が必要だからです。そうでなければ、誰も言うことを聞く筈がありません。

先日相撲に関する記事を読んでいたのですが、横綱審議委員会が抱える問題は委員会の行動ではなく、委員会の権威の失墜こそが迷走の原因であるという意見がありました。
軽くあしらわれる、言い方を変えれば「舐められている」状況では、何を言っても相手には伝わらないのです。


シャドーハウス、特にこどもたちの棟においてルールの運用を行っているのは星つきです。

バーバラを筆頭に腫れもの扱いされる立場ですが、内情を知った読者にとっては危なっかしくて仕方がない存在です。
なんといっても、バーバラ自身がナイーブな性格ですからね。いつ見ても心配でたまりません。


ですが今回のお話では、こどもたちの棟の秩序を守る者として彼女は堂々と適切な判断を下しました。

立場が人を作る、なんて言葉がありますが、バーバラがリーダーとして冷静に振る舞う場面は私のお気に入りだったりします。こういったシーンを見るたびに、「バーバラは煤量だけじゃないんだぞ!」と心の中で応援しています。
彼女の大変さは知っていますが、これからもこういったシーンが見てみたいですね。


第84話は、こどもたちの様々な表情を見ることができました。


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第83話 難題

“左利き双子説”という説があります。

一卵性・二卵性に関わらず、双子は単生児に比べて左利きの出現割合が多いことから提唱された説です。
つまり単生児の左利きは、もともと胎内で双子だった筈が、右利きの胎児が何らかの理由で消滅した結果生まれたということです。

しかし、これだけではなぜ左利きが生まれるのかその理由は判然としません。
現在の研究では脳の構造や遺伝子も関係している可能性があると考えられていますが、まだこれといった説はないそうです。

結局のところは、左利きが生まれる理由は複合的な要因が絡んだ結果、偶発的に出現すると考えた方が自然なのかも知れません。


ところで、実は私管理人も左利きです。

左利きというとまあ珍しがられることもあるのですが、これまでその恩恵を受けたことはほとんどありません。初対面の人とちょっとした話のきっかけになったとか、その程度でしょうか。(右腕に時計をしていると、ちょくちょく気付く人がいたりします)


私が先に挙げた“左利き双子説”を知ったのは、幼い頃にあるテレビ番組を観ていた時でした。その番組でも、単生児の左利きは双子の片方が消失した結果誕生したと解説されていました。

当時、それを聞いて奇妙な気分に襲われたのをよく覚えています。


私は双子ではありません。

ということは、本来であれば双子の兄弟あるいは姉妹がいたかも知れません。
もしそうだとしたら、果たしてどんな存在で、どんな人間だったのか…。

あるいは、ひょっとしたら消失していたのは片割れの方ではなく、自身の方だったかも知れません。
もしそうだとしたら、今の自分は生まれてこなかったということになるのか…。


幼いながらもそんなことを考えて、背筋がぞっとしました。
そして暫くの間、そのことが頭から離れませんでした。

今でも時々、そのことを思い出しては不思議な気分になります。


ただ私の場合は、ただの幻想と言ってしまえばそれまでです。
存在したか分からない双子の相方に思い馳せたところで、所詮は想像の産物でしかありません。

もしも実際に、生まれた時からずっと傍にいた自分と同じ顔・同じ体・同じ考えを持つ人間が突如消え失せたとすれば、それは考えもつかない困惑をもたらすことでしょう。


今回のお話では、「ふたりでひとり」と刷り込まれたが故に戸惑う、“ひとり”の少女がいました。


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