来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

各話感想

第199話 生い立ち【感想】

またも既視感のあるタイトルがお目見えしました。


「生い立ち」


前回の第198話「独白」同様、これも過去に用いられたことのあるサブタイトルです。第108話のことでした。

何と言いますか、2度も続けてくるとは予想外でしたね。こうなってくると次回も同じサブタイトルが来るんじゃないかと思えてきます。

最も、それだと新鮮味がなくなるので流石に3回続けてはないでしょうけどね。

でもそうですね、もしも私がサブタイトルを付けられるとしたら、第107話「独白」第108話「生い立ち」第109話「シャドーハウス」に対抗して第200話には「ミラーハウス」と付けてみたいです。これなら少し変化球にしつつも、過去のエピソードと対の副題になりますし、何より節目にふさわしいサブタイトルになるのではないでしょうか?

一読者という立場ではありますが、こうして次の展開やサブタイトルを想像するのはなんとも楽しいものです。


しかし、そんな簡単に展開を予想できるはずがないのは皆様も承知かと思います。それこそがシャドーハウスの魅力の一つだからです。それどころか丁寧に綴られてきた伏線が、あっと驚く新事実によって回収されることは何度もありました。それこそがこの作品の醍醐味なのです。


今回のエピソードも例に漏れませんでした。

「希望の子」と呼ばれた美少年。

彼の狂気は幼少期から育まれてきたことが分かりました。続きを読む

第198話 独白【感想】

過去にも何度か触れていますが、第59話のサブタイトル「散策」は元々「秘密基地」という題名でした。

59話

 
上の画像は当時のヤングジャンプ本誌です。

Web版の修正は間に合ったとのことでしたので、このタイトルを目にすることができたのは紙雑誌のみでした。もちろん単行本も正しいタイトルで収録されています。

当時のソウマトウ先生曰く、サブタイトルは担当者の方になんとなく付けて貰っているのでそれほど重要でないと仰っていましたが、それでも第59話の内容を鑑みると「散策」「秘密基地」どちらもしっくりくる気がします。

恐らくそれは、担当者の方が吟味に吟味を重ねてサブタイトルを決定したからでしょう。どちらもふさわしいと感じたからこそ、差し替えが間に合わないくらいギリギリまで悩んでいたのだと思います。

すると、第59話はサブタイトルが二つ存在する稀有な回だと言えそうです。


ただ、稀有だといってもサブタイトルが二つ存在するのは別段問題にはなりません。いずれにせよ第59話のことを指しているからです。「名前」とは物事を識別するための名称なわけですから、サブタイトルが重複しない限り“「特定の話数」=「特定のサブタイトル」”という図式は崩れません。

よって、全く同一のサブタイトルが同一作品の中に現れることはありえないと言って差し支えないでしょう。

それは世の創作作品を見回せば分かります。サブタイトルが同じ場合「○○○前編」とか「○○○①」とか「○○○(1)」などというように、同じサブタイトルでも違う話数だと分かるように工夫されていることがほとんどです。少なくとも私が見聞きしたことある事例は全てそうなっています。もしもそうでないケースがございましたら是非教えて下さい。


しかし、シャドーハウスは「類似作品不在」です。そんな従来の常識など通用しません。此度の第198話では、過去に名付けられたものと全く同じ、同一作品内では前代未聞といえるサブタイトルが現れました。


「独白」


この既視感のある副題は第107話に遡ります。60年前にとある館を襲った陰惨な事件のあらましが、当時を知る女性の口から語られたエピソードでした。それによって、シャドーハウスの前史の一端が明らかになりました。

今回の第198話では、同じ事件が別の人物によって語られます。

それはかつて、理想に燃え、そして夢破れた男性による後悔と諦観が入り混じった回想録でした。続きを読む

第197話 アンソニー【感想+後半考察】

計画通りに行動をする。

これができる人も、そうでない人も多くいらっしゃるかと思います。

因みに私は出来ない部類の人間です。本ブログをご覧の方は何となく察してはいたかと存じますが、生来の気質と言いますかどうもスケジュール通りに行動するのが苦手です。それもあってか今もこうして最新話ギリギリに各話感想を書いております。(ホントどうにかならんかね……)


しかし、計画通りに行動できる方からすれば、私のような人間など理解できないといった気持ではないでしょうか。

シャドーハウスで言えばそうですね、エドワードなんかはその典型でしょう。彼はケイト達のお披露目の際に様々な画策を企てていました。試験官という立場を利用し、出世のため計略を張り巡らせていたのです。第36話では「私の完璧な世界に狂いは許さん」とまで言っています。



その第36話のエピソードがアニメで描かれたのは一期第8話です。サブタイトルは「手のひらの上」でした。この回では特殊エンディングとしてBGM「私の完璧な世界」が流れて話題になっていましたね。もう三年も前です。何だか懐かしいです。
(そういえば原画展のご挨拶でソウマトウ先生が触れておられた第35話の「見えないから私は想像したいんです」も第8話に収録されています)(あと福岡会場は一昨日閉幕でしたね。関係者の皆様お疲れ様でした)


ところが、そんなエドワードの謀略はイレギュラーなコンビに阻まれます。

我らが主人公・ケイトとエミリコです。

知略と人望を併せ持つ二人の少女の存在が、お披露目で大番狂わせを呼び、同期達を結束させ、やがてこどもたちの棟をまとめあげるまでになりました。そして今もエドワードの目の敵として、ケイトとエミリコは立ちはだかる壁となっているのです。

逆に、ケイトとエミリコから見れば、エドワードは大人たちを攻略するにあたっての第一関門と言えましょう。その先にいる重鎮達や偉大なるおじい様を倒し、ケイトの目的を達成するためには避けては通れない存在です。


しかし、シャドーハウスはそんな単純な二局面だけの闘いではないことが此度明かされました。

ケイトとエミリコ以上にイレギュラーな存在だった、アンソニー。

彼はエドワードとは比較にならないほど、高い計画性で暗躍していたことをケイトに告白します。

その衝撃的事実は、シャドーハウスという物語が持つ時間軸を大きく広げるものでした。

続きを読む

第196話 クリストファー様【感想】

名高い「復活」といえば、やはりキリスト教における"イエスの復活"でしょうか。

キリスト教といえば真っ先に思いつくのが十字架ですが、イエスが磔刑によって人類の原罪を背負ったとされることから、救済のシンボルとして十字架は最重要視されています。(なんか前にも似た話してますね→「シャドーハウスと宗教について気になっていたこと」)

新約聖書では処刑された三日後にイエスが「復活」し、死から甦った神の子として崇められている様子が記述されています。

人類の祖・アダムが犯した罪が子々孫々の全ての人間に及ぶ、とするキリスト教の考えからすれば、全人類を代表して罪を背負ったイエスが復活した=神から赦された、という教理は信仰の根本原理です。

下の写真はフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(通称:ドォーモ)にあるステンドグラスですが、イエスの「降誕」「昇天」とともにこの「復活」が並んで飾られています。復活祭、いわばイースターがキリスト教圏で大きな盛り上がりをみせることを思えば、信徒の中で「復活」という概念がいかに重要視されているか分かるかと思います。遥か昔に一人の男性が起こした奇跡が今や世界中で祝われているとは何だか不思議なものですね。

大聖堂のステンドグラス↓
ステンドグラス

こちらがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 ↓
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂外観

ついでに写真漁っていたら出てきたフィレンツェの街並も↓
フィレンツェ街並

さて、聖書に書いてあることなどお伽噺だろうと考える方もいらっしゃるかと思いますが、宗教的観念を抜きにしても「復活劇」には惹かれるものがあります。


大相撲の照ノ富士関、中日ドラゴンズ時代の松坂大輔投手、競馬のトウカイテイオーやラッキーライラック、バドミントンの桃田賢斗元日本代表、「不死鳥」として伝説となった歌手の美空ひばり……


絶対王者が最強の名をほしいままにする、長い不遇を経験した者が栄光を手にする、といったドラマも胸を熱くさせるものがありますが、一度名声を馳せた存在が挫折を経て再び輝きを取り戻すという物語も心動かされるものがあります。

そうした復活劇が人々を惹きつけてやまないことを思えば、聖書における「復活」が奇跡的な出来事として信仰されるのも分かる気がしますね。


ただ、そうした復活劇は人の心を大きく揺り動かすが故に注意すべきでもあります。ドラマ性のある復活劇など簡単に起こらないからです。だからこそ上記のような出来事は「奇跡」と呼ばれているのです。

此度のエピソードでは、とあるカリスマの「復活」によって集団そのものがコントロールされる様子が描かれました。

まるでそれは、2000年前にティベリアスの湖畔で起きた「奇跡」を彷彿とさせるものでした。続きを読む

第195話 新班編成【感想】

椿屋
写真は椿屋珈琲のアイスコーヒーとケーキのセットです。

椿屋珈琲は全国展開してますので馴染みの方もいらっしゃるでしょう。チェーンにも関わらずクラシカルな雰囲気がよく保たれているため、私もお気に入りの喫茶店です。時折通勤途中にある店舗に寄っては、一休みがてらにブログを書いたりと何かとお世話になっております。

因みにこの写真を撮ったのは渋谷の椿屋珈琲です。

実を言いますと、先月中旬にソウマトウ先生が登録して下さっていたネットプリントを期限切れで印刷しそこねるという痛恨のミスをしてしまったのですが、ツイッターでお世話になっているフォロワーさんから余ったプリントを分けて下さるというありがたい申し出を頂き、それで渋谷で落ち合うこととなったというのが経緯です。

幸い私の方も、フォロワーさんがお持ちでないネットプリントを保管してましたので交換取引と相成ったのですが、それだけだと味気ないかなと思い暫しお茶に付き合って頂きました。その際に注文したのがアイスコーヒーセットだったというわけです。


ところで、人の集まりにおいて食事や飲み物が伴うケースはよく見受けられます。

家族や友人、職場の仲間や同好の士、或いは恋人や集団でも、歓談の場に飲食が供されることは珍しくありません。飲食は生命維持のためだけでなくコミュニケーションの一ツールと言えましょう。実際にシャドーハウスでも、第74話で一仕事終えたエミリコがパンでの祝杯を提案しています。まあ、あの時賛同していたのはジョンだけでしたけどね……(気になる方は単行本第6巻をどうぞ!)


さて、そろそろ本題に入りましょう。

人の集まりに欠かせない飲食。

此度の第195話でも、お祝いということで豪華な食事が用意され、多くのこどもたちが舌鼓を打つ様子が描かれました。それもあってか物語は和やかに進んでいきます。

しかし、とある飲み物が現れた途端に雲行きは怪しくなりました。

今やシャドーハウスの象徴とも言える漆黒の液体。

"珈琲"が姿を見せるや否や、遂にあの男もこどもたちの前に姿を見せました。続きを読む
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